スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

はじめに 

記憶を書きかえる―多重人格と心のメカニズム 記憶を書きかえる―多重人格と心のメカニズム
イアン ハッキング (1998/04)
早川書房

この商品の詳細を見る

原題は”REWRITING THE SOUL”で、直訳すると「魂を書きかえる」。
それがどうしてこういう邦題になったかというと、『記憶は絶えず書きかえられるものである』→『多重人格をめぐる議論では、事実上記憶が古来からの”魂”という概念の代用品の位置に置かれている』→『よって記憶を書きかえることは魂を書きかえることである』という著者の論を逆にたどったか、または単に「魂を書きかえる」という語感の過激さに日和ったのか。
とにかくそういう本です。

著者イアン・ハッキングは基本的に哲学者・物理学者で、いわゆる心理学・精神医学の専門家ではありません。その点多少理屈っぽいというか難解な傾向もありますが、未だにコントラヴァーシャル(論争的)でそれぞれの立場からの感情的な言及の多い多重人格という危ういジャンルの概説書としては、逆に良い距離感だなとも思います。1章1章丁寧に、なるべく”お勉強”にもなるように要約・抜粋していくつもりですので、よろしくお付き合いを。

なお著者の最終的な主張は
「記憶ごときが魂の代用品にはなり得ない、だから多重人格者たちよ、記憶の混乱など(そしてそれにこだわる医者の戯れ言など)気にせずに生きたいように生きなさい。大事なのは“本当の“自分ではなくそうありたい自分だ」
とまるで冒頭の前提を覆すようなもののように思います。
どうしてそうなるのか、僕も1回読んだだけでは良く分からなかったので(笑)、これからここでまとめながらじっくり考えていく予定です。

(目次)
1.それは本当か
2.それはどのようなものか?
3.運動
4.幼児虐待
5.ジェンダー
6.原因
7.測定
8.記憶の真実
9.分裂病
10.記憶以前
11.人格の二重化
12.最初の多重人格
13.トラウマ
14.記憶の科学
15.記憶政治学
16.心と身体
17.過去の不確定性
18.虚偽意識



サイトトップへ

スポンサーサイト

1.それは本当か?(1) 

(1)DSM??以前

多重人格の「流行」


「一九八二年のこと、精神科医の間では『多重人格の流行』が語られていた。
多重人格がアメリカ精神医学会(APA)の公式診断基準に載ったのは一九八〇年のことにすぎない。」

「これより十年前、一九七二年の段階では、多重人格は単なる好奇心の対象にすぎなかった。その気になれば、西洋医学史に記録されたすべての多重人格をリストアップすることも可能だった。」
「ところが十年後に当たる一九九二年、北米のある程度以上の規模の町ならどこでも、何百という治療中の多重人格者がいるようになった。」


診断基準の変遷

DSM??(1980) ・・・・初の公式化。
 A 患者の内部に二つ以上の異なる
人格が存在し、ある特定の時点にはそれらのうち一つが優勢となる。
 B どの特定の時点においても、優勢となった人格が患者の行動を決定する。
 C 個々の人格は複雑で統合されており、特有の行動様式や社会的つながりをもっている。

DSM???R(1987) ・・・・改訂版。
 上の”C”条項を削除。認定の条件を緩める。

フランク・パットナムの基準 ・・・・多重人格擁護派の権威。DSM??より厳しい基準を主張。
(1)二つの交代人格状態の間のスイッチが目撃されねばならない。
(2)交代人格状態の独自性と安定性の程度を査定する為には、少なくとも三つの異なる機会に、一定の交代人格にあわねばならない。
(3)患者が
健忘を起こしていることを、健忘の行動を目撃するか、患者の報告によって確かめねばならない。

多重人格というものは本当に存在するのか


「率直に言って、この疑問に対しては、多重人格は存在する、と答えるしかない。一九八〇年の(DSM??の)基準を満たす患者は存在した。1987年の(DSM???Rの)基準ならもっと多くの患者が満たしていた。患者の中には、パットナムのさらに厳格な基準を満たすものもいる。」
「多重人格とはなにか、また、どのようにそれを定義するかということには多くの疑問が存在するが、単純な結論としては、そうした障害が存在するとしか言えないのだ。」


(留保・注意点)
1.「医原性」(医者と患者の共犯関係による詐称・誇張)の問題

 ・主流な治療法自体が、多重性を強調・認定することを基本戦略としている。
 ・ブーム化により、専門性の低い自称多重人格の「臨床家」が溢れかえった。
 ・そうした「臨床家」たちの活動区域と症例の報告区域が重なっている。
 ・催眠術との明確な親和性、野合的関係。
 ・いわゆる『虚偽記憶症候群』の問題。(後述)

・・・・しかし全てを考え合わせても、多重人格そのものが医原性のものだとは言えない。
2.社会的状況の産物だという見方
 ・多重人格という障害の確立は、その原因としての幼児虐待の”発見”に大きく依拠している。
 ・幼児虐待とその認知は、「家族」や「父権性」や「暴力」など、特にフェミニズムとの関係において優れて社会的問題である。
 ・多重人格の症例の大部分は女性であり、また多重人格のセラピストは同時にフェミニストであることが多い。

・・・・社会的状況の産物であるということは認める。が、
「あるタイプの精神疾患が、特定の歴史的または地理的な文脈の中でのみ表れるという事実があったとしても、それだけでは、それがでっち上げであるとか、人為的なものであるとか、あるいはいかなる意味合いであれ、本当でないということにはならない」(ハッキンソン)。


サイトトップへ

1.それは本当か?(2) 

(2)DSM??以後

DSM??(1994)における診断基準の変更

 A 2つまたはそれ以上の、はっきりと他と区別される同一性または人格状態の存在。
 B これらの同一性または人格状態のか少なくとも2つが、反復的に患者の行動を統制する。
 C 重要な個人的情報の
想起が不能であり、普通の物忘れでは説明できないほど強い。
 D この障害は、物質または一般的身体疾患の直接的な生理学的作用によるものではない。



「多重人格障害」(Multiple Personality Disorder)から
「解離性同一性障害」(
Dissociative Identity Disorder)への名称変更

・・・・完全な(交代)”人格”が実在するという見方の否定、または定義の慎重化・限定化。「人格の分裂」ではなくて「統合/正常な形成の失敗」であるという見方への移行。

1984年 フィリップ・クーンズの警告

「人格のそれぞれがまったく分離しており、総体であり_、自立的であるとみなすのは間違いである。他の人格のことは人格状態、他我、人格断片と述べるのが一番よいかもしれない」
1992年 フランク・パットナムの告白
「交代人格および交代人格が何を表しているかということについては、ほとんど知られていない」
1993年 デイヴィッド・スピーゲル(DSM??の責任者)
「これはアイデンテイティ、記憶、意識の統合に関するさまざまな見地の統合の失敗である。問題は複数の人格を持つということではなく、一つの人格すら持てないということなのだ


”実在”(existance)と”存在”(presance)


・・・・日本語版ではどちらも「存在」となっているが、英語ではDSM??が”existance”、DSM??が”presance”と使い分けられている。

同上 スピーゲル
「実在という言葉を使ってしまうと、十二人の人が本当にいることを強く印象づけてしまう感じがする。われわれが本当に言いたいのは、彼らがそんな経験をしたということだけなのに」

イアン・ハッキング
「”存在”は分裂病患者の特徴である妄想を表すのに使われる単語である。この定義の変更は意図的なものだった。多重人格の交代人格は妄想への類似を深めたのだ。


定義への「健忘」項目の追加
(上の”C”)


・・・・”幼児虐待”とそれによる”記憶の抑圧・混乱”が原因であるという考えを暗に肯定している。

「この病気に関わるのが複数の人格であろうと一つの人格にすらなっていないものであろうと、解離であろうと不統合であろうと、この障害は児童期のトラウマへの反応とされている。(中略)
多重人格の治療法は、記憶の本質についての知識を増すことによって、困難に陥ったを理解することが可能になるという仮定に基づいている。」


「私(ハッキング)が知りたいのは、なぜ記憶こそが魂への鍵であるということが、多重人格を認める側と、それに批判的な側の両方から当然とみなされるようになったかということなのである。」



サイトトップへ

2.それはどのようなものか? 

・・・・多重人格者のプロトタイプ

*”プロトタイプ”

原義は「試作品」。ここでは主に「典型」や「標本」、「最大公約数的イメージ」の意味。
『1.それは本当か?』で紹介した、今だ諸説分かれる”定義”の問題を補完、展開する為の具体的記述。(ただし個々のイメージや解釈の妥当性や一般性については、この章では判断されない。)


時間喪失と健忘

「まず初めに、多くの多重人格者は、激しい抑鬱に苦しんで助けを求めてやってきた。だが不幸にも、抑鬱を伴う病気の数は非常に多い。診断名をはっきり特定するための手がかりとして役立つ徴候は、時間を失うことだ

「(前略)このように近時記憶の中に空白部分があるのは、中心となる人格が交代人格に取って代わられてしまい、その交代人格についてホスト人格は記憶がないからである」

「時間については間接的な手がかりもある。患者から生活史を聞き取った後、普通、臨床家はその話が十分つじつまの合うものでないことに気づく。患者は自分の過去について、いつ何が起きたのかを思い出すことができないか、または自分の人生に起きたはずの出来事がつながらずに混乱している。多分、その理由は、未知の交代人格たちが時々支配的になるために、彼らがいつ、何をしたか、本人には分からないからだ。」

患者の生活歴のある一年だけが他の部分と著しく異なる場合、その期間は交代人格が支配的になっていたのではないかという疑いが起きる。スティーヴという患者の成績表を検討したとする。彼はずっと優等生だったが、中学一年生の年だけすべての科目がDになった。唯一の例外は家政科で_、この科目はAだった。二年生になると、彼はまたしてもAばかりの優等生に戻った。この理由は、中学一年生の時、スティーヴの中にある女性の交代人格が現れたからかもしれない。」

悪夢・フラッシュバック・幻覚
「遠い昔の厄介な出来事らしきものの記憶がぼんやりと現れたり、過去、それも子供の頃の鮮明でぞっとするようなイメージについて、猛烈で統制不能なフラッシュバックが起きたりする」

「眠りに落ちる前の意識がもうろうとする時間や、目覚める直前の眠りが浅くなった時に、夢でも空想でもない恐ろしい幻覚を体験する患者もいる」(”入眠幻覚”と”出眠幻覚”)

中毒・オブセッション(強迫)・性癖
「多くの多重人格者はアルコール依存症歴や薬物中毒歴を持つ。」

「例えば、多くの無食欲症患者がセラピーに抵抗するの、交代人格がホスト人格に食べるなと命令する一方で、別な人格が多食を働きかけるためだと解釈することができる。」

「彼女は、外側からの声や神の声ではなく、自分の頭の内部からの声(注:他の人格たちの話す声のこと)が聞こえると言うかもしれない。」

「乱れた性的関係は、例外的な事例どころか基本的事例とみなされる。」

交代人格たち
「DSM??によると、個々の人格はほとんどの場合まったく一致せず、しばしば正反対のもののように見えるという意味の説明がある。表面に現れている人格が保守的で用心深く内気であれば、交代人格の一つは、元気があり軽薄で粗野な場合が多い。」

「昔の二重意識と違って、現代では人格が二つしかないような多重人格者などまずいない。十を越える交代人格はごく普通で、サンプルによっては一人あたり二十五人格が平均ということもある。」

「多重人格者の中には、自分のことを“われわれ”と呼びたがる者も現れてきた。」
「交代人格の中には他の交代人格のことを知って、実際に知り合いになり、話をしたり何らかの活動に一緒に加わることもある。」(”共在意識”)

「交代人格には意地悪なものや、残酷なものがあり、中には、自分が憎む他の交代人格を殺すために自殺してやると脅迫するような邪悪なものもいる」

「邪悪な交代人格とバランスを取るかのように、手助けをしてくれる交代人格がいるため、臨床家の中には、この人格を探して、セラピーの助手になるよう勧めるものもいる。」

「セラピーを受けているほぼすべての多重人格者は、子供の交代人格を持っている。」

「一個人の持つ交代人格は年齢が違うだけでなく、人種、性的傾向、さらに性別さえことなる場合がある。」
「人格が交代すると、筆跡も変わる。」
「多重人格者の中には、自分がやりたくないことや出来ないことを、交代人格を使ってする者もいる。」


「多重人格は順応者としての面を多く持つ・・・・彼らは『狂気』とはかけ離れており、交代人格のいくつかは正常な人間の異なるタイプなのである。」
「実際のところ、交代人格は、感情の範囲が少々狭い以外は、われわれと異なる点など何もない。」


「多重人格と診断された人の多くはサービス産業で働いている」

「多重人格者は信じられないくらい暗示を受けやすく、簡単に催眠術にかかる。」



サイトトップへ

3.運動(1) 

多重人格”運動”

「心理学的「運動」が一般によく知られるようになったのは、狂気が医学の対象となり、精神分析が出現してからのことである。ジークムント・フロイトが基礎を作り、支配した精神分析運動を知らない者はいない。」

「大まかに十年単位で考えると、多重人格運動は六〇年代に芽生え、七〇年代に表舞台に現れ、八〇年代に成熟し、九〇年代には新しい環境に適応しつつある。」

「多重人格運動の中核をなす必然的な要素は、魅惑と嫌悪と怒りと恐怖が入り交じった、幼児虐待に対するアメリカ人の強迫観念だ。」



プレ”運動”

(1)19世紀の小説

『ジキルとハイド』『二重人格』(ドストエフスキー)『赦免された罪人の回想と告白』など。

・・・・医学というよりむしろ小説が、二重人格という観念をヨーロッパの意識に定着させたのである。


(2)『イヴの3つの顔』 ・・・・”多重人格伝記”の代表。映画化もされたベストセラー。

*クリス・コナー・サイズモアという女性患者を治療した二人の精神科医による。1954年

「しかし『イヴ』が現在の多重人格運動を始めたわけではなかった。(中略)多重人格が離陸するためには、それを説明し定着させるだけの大きな文化的枠組が必要だった。『イヴ』が登場したのは、幼児虐待がアメリカ人の強迫観念になる前のことだった。」
「『イヴ』が、最近の多重人格とかけ離れた存在になっているのには、特別な理由がある。担当医はわずか三つの人格しか引き出せなかった。」

「彼女は次の本『わたしはイヴ』で医師たちを罵倒し、彼らを裏切った。彼女は自分の中に、二十以上の人格と、隠されていた虐待の歴史を見つけ出した。彼女は運動に参加したというよりは、一九七〇年代に現れた新しい多重人格の姿の完璧な見本の役目を果たした。」
「イヴが最初にかかっていた精神科医たちは、後に、多重人格運動を非難するようになった。」



サイトトップへ

3.運動(2) 

”運動”前夜

(1)コーネリア・ウィルパー

『シビル ?失われた私』 ・・・・ウィルパーの患者シビルの治療過程を小説化したもの。1973年。

「ウィルパーの本は、積極的に子供のときのトラウマを発見した点で、多重人格に新境地を切り開いた。シビルが多重人格になった原因は、シビルの母親が加えた倒錯的で執念深い、性的な傾向をもった暴力にあることを、彼女はつきとめた。」
「世間一般に広まりつつあった幼児虐待と倒錯した家庭内の性行為の間のつながりは、母親がシビルを虐待したという話に完璧に当てはまった。」

「シビルは、多重人格者としてみなされるもののプロトタイプになった。彼女は理知的な若い女性で将来を嘱望される職についていたが、かなりの期間の時間の喪失を経験していた。彼女には遁走のエピソードもあった。」
「シビルは十六の人格を持っていた。子供の交代人格もあった。男の交代人格も二つあった。いくつかの交代人格は他の人格のことを知っていた。人格は互いに議論し、戦い、助け合おうとしたり、他を破壊しようとしていた。」
「ただ一点、シビルが後の多重人格のプロトタイプとは違っていた点がある。彼女は母親に虐待されたのであって、父親や、その他の男性に虐待されたのではないという点である。」


(2)アンリ・エレンベルガー

『無意識の発見』

・・・・フロイト以前の無意識についての考えと後の力動精神医学(精神分析系)との関係をまとめた大著。1980年。

ピエール・ジャネ『解離』(dissociation)概念の復活

「エレンベルガーは19世紀の多重人格の歴史の大半を明らかにした。彼が復活させたのは、この主題に関する最大の理論家にして、“解離”という単語を現在使われているような精神医学上の意味で使った最初の人物???ピエール・ジャネである。」

「エレンベルガーは多重人格運動とは無関係だった。しかし、彼の本が出版されたことで、多重人格は、かつて精神医学の思考対象の重要な一部だったことが明白になった。この本は、精神分析家が葬り去った、精神分析とは違う心のモデルが存在していたことを教えた。この本は多重人格を正当化した。」

筆者注:多重人格と”解離”概念、それに対立する精神分析との理論的問題については別項で語られます。

(3)ラルフ・アリソン

『“私”が私でない人たち』 ・・・・1980年。

「ラルフ・アリソンは独自のモデルを創造した。(中略)彼は<自己>を理解するためには、神智学が最良のモデルを提供すると主張した。」
「彼は、『自分の<内部の自己>としっかり接触することが、精神的、霊的な健康への鍵である、多重人格の患者が提供しているのは、神経症患者としてではなく、創造的な態度で問題を解決しつつ、ありのままの世界の中で生き延び、そして成長していくのに絶対に必要な、自分の内なる部分との接点を失った人々の、驚くべき実例なのである』と書いている。」

「彼の<内部の自己助力者>(インナー・セルフ・ヘルパー,ISH)という概念は、少なくとも初期の間は、主流の精神科医の一部によって慎重に受け入れられた。」
「アリソンが考えていたのは、<内部の自己>(インナー・セルフ)、つまり常に自分の中に存在している<自己>からやってくる助力者(ヘルパー)だった。」

パットナムは自分の教科書の中で<内的自己助力者>(インターナル・セルフヘルパー)を利用する問題を論じているが、彼は神智学的背景は落としている。<内部の>(インナー)から<内的>(インターナル)への切り替え自体がこのことを示しているのかもしれない。」
「そしてわれわれは<“内部の自己”からの協力者>という意味から、<内的な“自己を助けるもの“>という意味へと移行する。」

デイヴィッド・コール(注・ビリー・ミリガンの担当医として有名な精神科医)は次のように言っている。『セラピストはISHと”生き馬の目を抜くような取引”をすることを恐れてはいけない。ISHは常に人格たちを保護しようとして、提供されたセラピーによってその人格たちが最上の待遇を得られるように気を配るからだ・・・・ISHが自分の手札を一度に全部さらすことなどまずない。』」



サイトトップへ

3.運動(3) 

”運動”の勃興と展開

「先に私は、ある運動が成功するには、偶然と必然と制度が必要であると述べた。アリソンとエレンベルガーとウイルパーは、夜空にまったく偶然に現れた流れ星だった。」
「一九六〇年代の終わりになると、幼児虐待がアメリカの政治的・社会的論議の重要な題材として成熟し、まもなく急進的フェミニズムの中心的な論題になっていった。それと同時に、制度が、一握りの孤立した活動家の手から多重人格を受け継ぐことになる。」

年表
1975 オハイオ州アセンズで多重人格に関するシンポジウム開催
1979 アリソン『多重人格の覚え書き』配布。
1980 DSM??発行。(初の公式化)
1982 『タイム』誌が特集を組み、多重人格の社会現象化を予言。
1983 「多重人格及び解離研究国際協会」創設。第一回年次総会。
1987 DSM???R発行。(認定基準の緩和)
1988 『解離???解離性障害における進展』発刊。(初の本格的学術誌)


多重人格運動の現代的課題

・健康保険

「精神医学的障害は二つのタイプに分かれる???その時代に手に入る医薬品がタイプと、そうでないタイプである。医薬品がどれほど高価だとしても、長期間にわたる心理療法よりは安いため、保険業者は医薬品による治療の方を好む。」
「そう遠くない将来、解離性同一性障害に対して、さまざまな薬品が使われることもあるかもしれないが、特効薬の存在を信じる人などいないだろう。したがって、薬品を使わない解離性障害への治療への保険適用範囲をできるだけ拡大することが、多重人格の医学部門の、最重要課題になるだろう。」


・大衆化と専門性

「スピーゲルはこの障害の名称を変えようと苦闘し、クラフトは多重人格のサブカルチャー化を激しく批判した。」

「パットナムは多重人格運動の大衆主義的基盤について、『北米のMPD文献に質的な散らばりがあるということは、この症候群に向けられたセラピストの視点にばらつきがあることを反映している』と、深刻な懸念を表明した。」
「彼はセラピストの訓練方法にも不安を覚えた。そうした訓練の多くは、金を払えば誰でも資格を取れるような安易なやり方をしていた。」

「この(運動の)最終的な所有者は誰か?訓練期間で何年も経験を積み、高度な資質を身につけた臨床家か?それとも、多重人格者たちの文化を歓迎し、交代人格の開拓に精を出す患者とセラピストたちの大衆主義的な同盟か?運動は完璧に分裂する可能性が出て来た。」



サイトトップへ

4.幼児虐待 

概念の発明

「幼児虐待の概念とは、それについて考えたり、その実例に注目したり、その経験を思い出しさえすれば、誰もが理解できるというような明確な概念ではない」

「新しい意識が目覚めなければ、それが、”幼児虐待として”経験されたり、思い出されたりすることはない。それには新しい記述が発明されなければならず、そこから古い行動を見る新しい方法が現れる」


『子供への残酷な行為』

「一八〇〇年以降の工業化に移行しつつあった社会に話を限定すれば、子供に対して行なわれた恐ろしい行為についての証拠をいくらでも挙げることができる」

「この言葉(『幼児虐待』)(一九六〇年代に)一般化する以前は、『子供への残酷な行為』という言い方が普通だった。」


『子供への残酷な行為』と『幼児虐待』の違い

*階級

:19世紀


「その(反奴隷運動の)中に子供の労働時間についての激しい主張が含まれていたため、概念的には子供と奴隷制度は結びつけられていた。」
「どの支援運動であろうと、熱心に活動していたのは、同じ社会階級に属する、多くの場合は同じ人物だった。」
「それは労働者階級や犯罪者階級、そして革命への恐怖だったのである。」


:現代

「幼児虐待は多かれ少なかれ、あらゆる社会階級の中で一定の割合で発生すると予想された。」
「現代の幼児虐待運動の背後にある強い力は、アメリカの家庭の崩壊に対する恐怖、つまり内的な恐怖であり、屈折した貧者の恐怖ではないのである。」


*悪

:19世紀

「子供への残酷な行為は多くの残酷な行為の一つに過ぎず、それが特に悪いこととされる根拠としては、無垢な子供が苦しみ、そうした子供が大人になってから犯罪者階級に入り、国家に対する危険分子になるという理由くらいしかなかった。」


:現代
「現代の幼児虐待は究極の悪である。」


*性

:19世紀

「ヴィクトリア朝の時代でも、幼児や未成年者に対する性的虐待はそう珍しいことではなく、多くの事件が法廷に持ち込まれている。しかし、こうした悪事が、子供に対する残酷な行為と結びつけて考えられたことはなかった。(アト注:単なる性的不品行と捉えられていた)


:現代

「一九六一年、被虐待児症候群がアメリカ医学界で発表されたとき(中略)行動主義的なフェミニストたちは、すぐに性的虐待を強調した。」
「家庭内の性的虐待が幼児虐待の本質とみなされるにつれ、虐待は言外に近親姦の意味を持つようになった。近親姦は非常に多くの社会で、特異な恐怖の感情をもたらす。」


*医学化

:19世紀

「子供への残酷な行為が、ヴィクトリア朝時代の医学的、心理学的、さらには社会統計学的な研究の中に真剣に組み込まれた形跡はない。」
「娘を叩いたり強姦したりするような男は獣と呼ばれることはあっても、そうした類の者を助け、治療し、世話してくれる専門家はいなかった。」
「(放置や虐待をする)母親が、社会から切り離されねばならないとしたら、それは彼女が子供を傷付けたからであって、『幼児虐待をする者』として分類されたからではなかった。」


:現代

「一九六〇年代初頭、医者は、子供への虐待や放置を政治的な論題にした。虐待者は病んでいると宣言したのだ。
「この観点からすると、『幼児虐待をする者』や『虐待を受ける子供』といった種類の人間が存在することになり、科学的知識の対象となり得る。」
「最近の多重人格は“知識の対象としての“幼児虐待の上に立脚している。」



サイトトップへ

4.幼児虐待(つづき) 

幼児虐待の科学性

(1)いわゆる“虐待の連鎖“について ・・・・「虐待をする親は自分も子供の時に親から虐待を受けている」

「後者(虐待の連鎖という概念)は事実上、臨床家と社会福祉事業に従事する人たちの大多数が信じる根本原理となり、一般人にとっても常識となった。」

「それにもかかわらず、幼児虐待が『受け継がれてゆく』という問題を扱った専門的な文献は少なかった。」

「そこで、証拠を要求する嫌疑論者に対抗して結集した肯定論者たちは、二つの理由から自らの立場を固めた。」
「第一に、その主張が正しく聞こえること、すなわち、この主張は、子供の時の経験が大人を形成するという二十世紀の信仰(次項参照)と適合するからである。」
「第二に、虐待を行なう親が、自分は子供のときに虐待を受けたと断言するだろうというのは、いまや既成事実となっている。つまり、そのように言えば虐待行動に説明がつき、したがって、その罪も軽くなるからである。」


(2)幼児虐待の発達への影響について

「性的な反応がねじれるだけでなく、あらゆる愛情の反応が歪んだ。虐待を受けたのは乳幼児の身体ではなく、人生そのものだった。これこそまさに多重人格を扱う臨床家たちが暴き始めたことだ。」

「幼児虐待の悪影響についての知識は、驚くほど貧弱な状態にある。」
「フィンクラーとその仲間は一九九三年に「一九八五年以来・・・・性的に虐待された子供に特に焦点を当てた研究は爆発的に増えた」との見解を示した。しかし、そうした研究の結果は満足のゆくものではない。『自尊心の動揺と子供の生来の素質や傷つきやすさの役割は、十分に確証されていない』からだ。」

「性的虐待の研究にせよ、肉体的虐待の研究にせよ、こうした研究はすべて社会的階級に無関心にことが多い。」
「虐待で生命を落とす子供が、貧者であることは明らかである。米国では小さな子供を抱えた貧しい家庭が利用できる公的基金は、一九八〇年代に毎年実質的に削減されてきたのだが、その一方で毎年毎年、ますます多くの幼児虐待の恐怖が語られつづけたのである。」
「一九九〇年、大統領の諮問委員会が、幼児虐待の問題は『国家の急務』であると発表した。(中略)しかし、この委員会は、汚物、危険、尿臭の漂うホール、壊れたエレベーター、割られたガラス、食物プログラムの短縮、銃器といった不愉快な話題のことは省略していた。」

「幼児期の虐待が成人期に機能障害を引き起こすという主張は、知識というより信仰に近い。(中略)統計的な関連が確認できるときでさえも、それは想像以上に地域的なもののように思えるのである。つまり、ニュージーランドにおける長期的研究によると、成人女性の精神医学上の問題と虐待の関連性は、貧困に比べると低いことが分かっている。」


新しい道徳・人間観

「幼児虐待と抑圧された幼児虐待の記憶は、大人へ成長するときに大きな影響を与えると考えられている。私が関心を持っているのは、そうした命題が正しいか誤っているかということよりも、そうした仮定に導かれて人々が自らの過去を新たに書き直すに至る過程なのである。」

「個人は自分の行動をそれぞれ違った風に説明し、自分自身についても違った風に感じる。過去を記述し直すとき、われわれは皆、新しい人間になる。」



サイトトップへ

5.ジェンダー 

”多重人格障害と診断された患者の、十人中九人までが女性である”
・・・・という「通説」についての理由づけ。


第一の説明

「潜在的多重人格者の男性は暴力的で、医師よりは警察の世話になることが多い。
「(男性の場合)暴力行動は、例えそれが悪意に満ちた交代人格の仕業だとしても、社会的に許容される(”異常”だとはされない)度合いがあまりに強い。」

「女性の多重人格者の怒りは自分に向けられるため、一般的には他人に対する障害事件を起こすよりは、自傷行動を取るのが普通である。」


第二の説明

解離性の行動は、女が好む苦痛の言語なのである。それは逃避の手段にすらなる。」
「交代人格のいくつかは、女性が持ちたいと思ってはいるものの持つことを許されていない、言い換えれば、社会的に容認されていない人格の一面を表現している。(例:因習に囚われない活発な生き方や、同性愛または男性主導の異性愛の拒否。)

「一方、男性は別のやり方で苦痛を表現することを選んだ。酒と暴力である。」


第三の説明

「この種の虐待(幼児/性的虐待)では、少年よりも、圧倒的に少女の方が犠牲になりやすいと考えられる。」


第四の説明

「悩みを抱えた北米の女性は、例え社会の権力機構に拒否反応を示すような女性であっても、セラピーや臨床の場面になると、似たような苦しみを持つ男性の場合よりは、(多重人格と診断したがる)セラピストの期待に沿うように協力することが多い。」


フェミニズム・政治性
・・・・特に上の「第四の説明」に関連した、女性の多重人格者群に潜在する一種の敗北主義に対する批判。

*マーゴ・リヴェイラ(臨床心理学者、フェミニスト)

「彼女は、トラウマや女性に対する暴力を、基本的出発点として捉えているが、多重人格については、他の臨床家たち以上に、隠喩(≒方便。筆者注)的に受けとめているようである」

「彼女は虐待についての詳細な記憶を、疑問視する。彼女のセラピーは『トラウマ経験の歴史を戦略的に書き直す』ことによって、解離状態にならない対処の技術を身につけさせることを、一つの目標にしている。」


*ルース・リーズ(フェミニスト)

「(虐待経験そのものに女性患者の多さの原因を求める考え方は)『女を純粋に受動的な犠牲者とみなすような政治的に退化した固定的な考えを、援護する結果をもたらす視点』であり、『あらゆる行動面での可能性を持つ、女性という主体を、事実上否定するものだ』というのが、リーズの主張である。」

「彼女が言おうとしているのは、女性が多重人格者の多数を占めているのは、臨床家と患者の間に密かな協力関係が築かれることに原因があるのではないかということである。」「第四の説明」
「彼女が問題にしているのは、患者の味方になると称する理論の自己満足性なのである。そして、そのような理論や、実践や、その根底にある仮説が、受動的な犠牲者という患者の自己像を肥大させたのではないかと推定している。」



サイトトップへ

5.ジェンダー(つづき) 

性的アンビヴァレンスと戦略
・・・・上の「第二の説明」の展開と延長。

*性的アンビヴァレンス

「これまで多くの報告がなされてきたように、ほぼすべての女性患者が、ホスト人格とみなされる人格よりも、はるかに活気に満ちた第二人格を持っている。その人格を説明するのに、『快活な』とか『茶目っ気のある』とか『みだらな』といった言葉や、さらに報告についての規制が緩むと『性関係が乱れた』という言葉が使われる。」

「『シビル』が出てからというもの、性転換を起こしたような交代人格があふれ出した。」
「一九八〇年ごろに交代人格の範囲が著しく様式化されると、多重人格者の中に、一人以上の迫害者の交代人格と、一人以上の保護者の交代人格が必ず見つかるようになった。女たちは、強く、たくましく、信頼できそうな男の保護者という交代人格を発達させた

「男の交代人格は、圧迫された女性が権力を手に入れるための手段になり得る。十九世紀であれば、快活だとか、茶目っ気があるとか、みだらだとされた交代人格が、二十世紀末においては、男になる可能性がある。
「マイケル・ケニーの『アンセル・ボーンの情熱』は十九世紀のアメリカ人の女性多重人格者たちが、プロテスタントの義務と服従という限界を逃れる目的で多重性を利用したことを論じている。」
「異性の役割を身につけることによって、人は社会から強制されたジェンダー、特に、強制された異性愛主義というものを打破するのかもしれない。」


*戦略(参照:マーゴ・リヴェイラの論)

「最初はセラピーを受ける多重人格者は病んでいた。つまり、意識的に異性の役割を選んだわけではない。」
「しかし、次第にこうした人々が、自分には自由に選択肢を選ぶ力が備わっていることを理解し、統合をめざすよりは、自分がなりたい人間になろうとすると仮定してみよう。」
「この場合、一度は病理的なジェンダーとされたものが、別の人間になるための意図的に選択された手段になる。」

「われわれは、女性患者が根底にある『真の』自己を発見すると考えるのではなく、彼女が自分のアイデンティティを選択し、創造し、構築する自由に向かって突き進んだのだ、と考えるべきである。決定論的なゲームの捨て駒になる代わりに、彼女は自立した人間になったのだ。」



サイトトップへ

6.原因 

・・・・多重人格障害(解離性同一性障害)の”原因”が、幼児・児童期に受けた虐待経験によるトラウマ及びそれに対する反応であるという定説、精神医学者たちの確信に対する留保。それらは必ずしも嘘ではないが原因論としては自己完結的である。結論や理論の枠組が先行して、あるべき”原因”を見出している。


『子供の多重人格者』という問題


「多重人格の診断の特質に関する一九八四年の古典的な論文で、彼(フィリップ・クーンズ)は『多重人格が芽ばえるのは幼児期のことであり、肉体的・性的虐待と関係があることが多い。』と書いている。この時点では、子供の多重人格者は見つかっていなかった....ただの一人も。しかし、捜索は続いた。(中略)理論が観察に先行したのだ。」

(実例)

1.9才の女児”ジェイン”

症状・問題行動
・粗野で攻撃的な振る舞い。
・食物(そのものに対する)アレルギーで、餓死寸前。
・孤独、引きこもり。

特徴・環境
・治療のため家から連れ出されると上記症状は消える。
・実の父は家庭を捨て、継父を迎えた現在の家庭でも相当の放置と残虐行為が存在。


セラピストの対処
・やがてジェインは悪事を働く『悪い姉』について語り始め、また自らそう名乗る別の声も出現する。
・別の人格を発達させた少女についての物語を読んで聞かせてやる。
・次のセッションでジェインはセラピストの話を正しいと言い、問題を起こしていたのは彼女の別人格である『悪い姉』なのだと認識する。
・じきに問題行動が消える。
※ 別人格の分離と具現化を助長することによる治療。


2.12才の女児“サリー・ブラウン“

症状・問題行動
・極端に粗野で攻撃的な振る舞い。
・統制不能な人格の交代その他の解離行動。

特徴・環境
・現在はブラウン家の養女であり、治療を受けさせているのも養父母。
・実の両親、及び実母の愛人たちから肉体的・性的虐待を受けていた。


セラピスト(ドノヴァンとマッキンタイア)の対処
・サリーが生活史的質問に対して「知らない」と答えると(つまりいわゆる解離性の健忘・意識喪失の徴候を示すと)、そのたび「まさか!」と答えてそれを無視した。その結果サリーはほとんどの質問に答えられるようになった。
・養母と共同して、サリーに投げかけられる言葉の全てから(複雑な生い立ちがもたらす矛盾が表面化するような)多義的な要素を極力配して、サリー自身にもはっきりした言葉ではっきりと答えることを習慣づけさせた。
・間も無くサリーは解離出来なくなった。
※ 解離をいっさい助長しないことによる治療、障害の抑制。

(ドノバンとマッキンタイアの主張)
・子供と大人は違う。
・通常の、大人に対してなされるような、解離を認める可能性を内包した診断過程自体が子供の解離を強く促進する。
・子供が持っている大人とは比べ物にならない可塑性・成長力・学習能力の高さに留意し、また期待し依存することによって、(”交代人格”という形での)解離状態のある程度の固定を前提とした大人に対するものとは違うアプローチがあり得るし、またなされるべきである。


サリー・ブラウンの例が意味するもの。

可能性1 子供の多重人格は大人の多重人格と同一の障害の、その萌芽的な状態である。


「一つは、子供の多重人格の治療は、非常に簡単である。それが潜行してしまったとき、成人期に病理的なものになる。(中略)という考えだ。」


可能性2 子供の多重人格はそれ自体独立した障害である。

「何人かの子供で観察された多重人格を引き合いに出しただけで、その障害が、大人を悩ませているのと全く同じ病気の縮小版だと結論付けるわけにはいかない。」
「子供の多重人格とは、それ自体独立した障害なのであり、幼少時のトラウマが大人の多重人格を引き起こすという説への証拠にはならない、ということになる。」

(注意)
・子供の多重人格の”捜索”自体が、上記「定説」の証拠を求める傾向を強く持ったセラピストたちに主に担われていた。
・そしてそこから当初大人と同質のアプローチによる治療が行なわれたが、ドノバンとマッキンタイアのような人たちがそれに異議を唱え、また『大人の縮小版』という子供の症状イメージの見直しも続いて行われた為、「定説」の証拠としての子供の多重人格の意義付けが怪しくなっているというそういう話。
・ちょっと分かり難いと思うので次回7.測定編で補完します。


サイトトップへ

7.測定 

・・・・多重人格の”原因”(前章)同様、この現象の客観化の手段であるはずの測定行為についても、多重人格の専門医たちのやり方は循環的で自己完結的である。前提が結論に、背景となる枠組自体がその検証に含まれてしまっている。
併せて「科学的知識」の対象としての多重人格は、未だに十分に確立されているとは言えない状態にある。

連続体仮説

多重人格は個別の突発的な障害ではなく、全ての人にそれぞれの強弱で見出し得る「解離傾向」(解離しやすさの度合い)が、解離を誘発するような刺激(幼児虐待など)によって極端に強められた形で表現されてしまったものであるという考え方。


「多くの文献が、この能力(解離能力)の段階の程度は生来のもの、遺伝的なものということを示唆している。
この示唆には二つの重要な要素が含まれている。第一に、解離には程度の差がある、つまり、解離傾向がもっとも強い者を一方の端に、解離傾向がもっとも弱いものを他端というように、すべての人に順番をつけて直線状に並べることが出来る線形的なものである。」(
6.原因の章より)


「パットナムは著書の中で、『解離の適応機能(注)という概念の中核をなすのは、解離現象が連続体上に存在するという観念である』と、書いている。」
(注)”生来的に解離傾向の強い子供が、トラウマへの対処の装置として解離を利用する”という現象、考え。


(根拠)パットナムによる


1.催眠術へのかかりやすさが連続体として認識可能なのはよく知られたことである。そして催眠術へのかかりやすさと多重人格へのなりやすさとの間には、経験的に強い相関が想定されている。従って多重人格へのなりやすさ=解離傾向も催眠術へのかかりやすさと同様に連続体を形成していると仮定出来る。
2.<解離経験尺度>(DES)についての研究結果。


1.については催眠術の専門家から、過度の一般化だとの強い批判がある。
2.については次に。


解離経験尺度(DES)


バーンスタインとパットナムが一九八六年に発表した、解離傾向を測定する為の自己回答型のテスト。
今日まで広く使われている。


特徴
・それぞれの質問に対して自分がどれだけ当てはまるか、%で答える方式。
・あからさまに「病的な」状態だけでなく、いわゆる白昼夢や放心・熱中状態など健常者にも普通に現れる状態についての質問も含めて構成されている。


DESによる”研究”結果
・解離傾向が連続的であることが分かった。
・このテストで病的とみなされる「30点」以上を示す回答の多さから推測すると、北米での多重人格の発生率は2%以上、大学生に限定すれば5%かそれ以上と考えられる。


批判
・質問の意図が見え透いていて、回答者が見せたいように自分を見せることが出来る。
・質問項目の設定自体が、解離傾向の連続性を導き出すように作られている。(例えばより厳格に病的な項目だけで構成すれば、直ぐにも治療の必要があるようなレベルの人しかマークせずに結果は非連続になるだろう。)
・DESの結果から推測された多重人格の発生率は、実際の精神科医たちの経験からすると余りに非現実的に高率である。
・各種の中立的な研究結果には、DESの得点と被験者の実際にかかっている疾病に含まれている「解離」の要素との間には相関が見られないという結果が多数ある。
・統計学的にあらゆる観点から見て検証が不十分である。(詳細省く)



サイトトップへ

8.記憶の真実(1) 

・・・・いわゆる「虐待の記憶」、及びそれに主な根拠を置く「多重人格」(障害)という現象の信用性を脅かす諸問題。

”悪魔的儀式虐待”(SRA=Satanic Ritual Abuse)の告発/問題

端緒

「一九八二年、儀式と悪魔に関する性的幼児虐待の問題が勃発すると、異常な告発が各地に広がり始めた。」
「多重人格を治療する開業医たちのもとに、悪魔的なカルト教団による虐待を主張する被害者たちが押し寄せると、医師たちは自分の耳を疑った。」


「そこ(学会の未刊行の口頭発表)には、カルト教団が密かに創造した交代人格についての話が、かなりあった。そうした人格はセラピーの妨害をするようプログラムされている。また、患者を薬品で治療するときには、正しい交代人格がそれを服用することを確認しなければならない。カルト教団が誘導した交代人格が、薬を飲ませないよう盗んでしまうからである。」


「一九八九年、彼(ジョージ・ガナウェイ:後掲)のクリニックの患者の半数近くと、北米在住の非常に多くの患者が『人肉嗜食の宴や、少女時代に、儀式の生き贄用の赤ん坊を生む母体として何度も使われたというような、長期間にわたる経験の詳しい記憶を、なまなましく報告した』と、彼は書いている。」


展開・影響

「多重人格は、幼児虐待についての意識を高める運動の風土で栄え、その運動が主張する病因学によって正統化されてきた。悪意に満ちた虐待が存在するとの主張が次第に信用されていくにつれて、多重人格運動はその正当性を認められた気分になった。」


「幼児虐待運動の中に儀式虐待という分派が発生するにつれて、患者たちは次第にカルト教団の恐るべき物語を思い出すようになったのだ。セラピストたちが本能的にその話を信じようとしたのは、衝撃的な事実の暴露を信じることが、過去においては正しい戦略だったからである。しかし語(話?)はどんどん荒唐無稽なものになっていった。」


アト注:歴史のある時点までは『幼児虐待』という概念そのものがSRA同様到底信じ難い話であり、しかしそれを事実として受け入れるという決断をアメリカ社会・医学界はやり遂げたばかりであった。

「運動は二極化し、分裂の脅威にさらされた。おおむね大衆主義的な側にいる一方の側が、『われわれは子供を信じるように命令した!だから、交代人格を信じなければならない!』と叫ぶと、他方が、『やめろ....この話は空想だ!』と反撃する。」
「多重人格運動の分裂は、その人の地位の差におおむね一致した。懐疑派に精神科医が多かったのに対して、圧倒的多数を占め、とかく声を大にして主張しがちな一般人は、信じる側に属していた。」


「この議論の表層には、宗教上の違いが存在することが多かった。信じる側は、自らを保守的キリスト教徒、つまりファンダメンタリストのプロテスタントと称する傾向にあり、一方、懐疑的な側は世俗的な態度を取る傾向にあった。」


「ISSMP&Dは、クラフトを長とする特別調査委員会を編成して、カルト虐待を信じる者たちとカルト虐待に懐疑的な者たちとの間の調停を目指した。クラフトは、調停は不可能だと判断したのかもしれない。とにかく、彼は作業部会の会合を招集もせずに辞任した。」


「ガナウェイは、これとほぼ同様の発言をしている。彼は悪魔的虐待の記憶を無批判に受け入れることは、多重人格の信用性を危うくするのみならず、“幼児虐待の研究一般を危機にさらす“、と考えている。」


以下、<虚偽記憶症候群財団>の項につづく。


サイトトップへ

8.記憶の真実(2) 

<虚偽記憶症候群財団>

誕生

「ガナウェイの意見は正しかった。セラピーで取り戻した記憶から多くの奇怪な出来事が出てくる(そして多くの信じられないような理論がそこへ入り込む)につれて、取り戻された記憶への疑惑が高まった。」
「多くのセラピストたちは、クライエントが幼少時に家族から受けた虐待を思い出すようになった後、それと立ち向かうことを勧めていた。(中略)告発された親たちの多くは、眼前の事態が信じられなかった。そうした親たちは、申し立てられた記憶は、セラピーの過程でつくられていった誤りにすぎず、エイリアンによる誘拐と同様に不審なものだと言った。」


「そこで、数ヶ月にわたる熱心な活動の後、一九九二年三月に<虚偽記憶症候群財団>がフィラデルフィアで設立された。」


多重人格運動との対決

「<虚偽記憶症候群財団>は、しばらくは多重人格について、論評を控えていたが、組織設立後数ヶ月もたたないうちに、多重人格運動の側では恐れを抱くようになった。」
「すべてを背後で操る<大金持ちの、大きな(そして罪深い)男>のうわさが持ち上がった。その<男>のことが明るみに出れば、財団は崩壊するだろう、と。」
「その後数ヶ月の内に、応急処置的な取り組みが行なわれたのは、主に訴訟への恐怖があったためだった。」


「虚偽記憶症候群財団は、<虚偽記憶症候群財団専門諮問委員会>を設置した。この委員会には多重人格に懐疑的な人々が直ちに集まった」
「財団の第一回年次大会は、一九九三年四月(中略)開かれた。招待された講師たちは、手厳しい批判を加えながら多重人格のことに言及した。」


「この(↑)発言を受けて、ISSMP&Dの元会長フィリップ・クーンズは、《虚偽記憶症候群財団通信》に丁重な文面の書簡を送り、それ以外の点では真摯に行なわれた学会において、このような発言がなされたことは遺憾だと述べた。」
「しかし、この手紙が財団の会報に載ったことと、パットナムが噂についての情報を求めたこと(割愛)を除けば、一年以上もの間、財団の会報が多重人格について触れることはまったくなかった。」
「しかしその後、激しい非難が起こった....偽りを鋭く指摘しながら。」


科学的・理論的観点

フランク・パットナム(多重人格運動の代表的な精神科医)

「十年近くに及ぶセンセーショナルな申し立てにもかかわらず、こうした(”悪魔的儀式虐待”の遍在という)主張を裏付けるような独立した証拠は、何一つ見つかっていない。」(1992)


英国の調査(1944)

「委員会は、悪魔的虐待の存在が強く主張されたものの、とにかく何の証拠も見つからなかった八十四件の事例を調査した。しかし、委員会の結論は、子供が受けた虐待は、もっとありきたりのやり方で行なわれていた場合がほとんどであるというものだった。」


折衷的な見解

「多重人格運動に加わっていたメンバーのうち、もっと多くの慎重な人々は、セラピーで引き出された奇怪な記憶は、厳密な意味で真実なのではなく、患者が、自分を虐待したのは家族に他ならないという無慈悲な現実から自分を守ろうとする手段だ、と述べた。つまり、虐待は本当だが、空想に覆い隠されているというのだ。」



サイトトップへ

9.分裂病 

・・・・多重人格(障害)と、分裂病(現・統合失調症)を筆頭とする他の主要な疾病カテゴリー及び理論との精神医学史的関係。


#アウトライン

(1)19世紀後半から20世紀初頭、フロイトらによる精神分析・精神医学の初期においてその中心課題であった”ヒステリー”の目立つ例として、二重/多重人格も大きな関心を集めた。

(2)しかしヒステリー自体がその地位を失うと共に、多重人格も重要視されなくなった(特にフランスにおいて)。その際多重人格を理論的に支える『解離』概念を先駆的に強調・提唱したジャネも、”躁鬱病”の特殊な例として多重人格を軽視するという転向(?)を行なっている。

(3)代わって主役の座に踊り出たのがブロイラーが命名した”分裂病”であるが、その病態としての「分裂」はいわゆる多重人格の「人格分裂」とは根本的に異なるものである。

(4)フロイト精神分析と多重人格は理論的に敵対関係にあり、アメリカにおいては色濃く政治的な理由で多重人格はいったん関心の外に追いやられた。

(5)その後『幼児虐待』というかつてのヒステリーに代わる立脚点を得て、再び多重人格は(アメリカにおいて)大きな注目を浴びることに成功したが、今なお状況は揺れ動いている。




多重人格とヒステリー

「特殊な種類の人格動揺が“交代的人格“であり、これは“二重意識”としても知られている。平凡な生活を送ってきて、急にヒステリーになった女性を取り上げてみよう。何らかの既知もしくは未知の理由から、彼女はヒステリー睡眠におちいり、目覚めると同時にそれまでの生活をすべて忘れる。」(ブロイラー)


「こうした(多重人格的な)ヒステリーの症例を深く究明する必要はない。われわれは、催眠術の暗示によって、まったく同じ現象を実験的に作り出すことができる」(ブロイラー)


「フロイトは『ヒステリー研究』の中で、別々の場所で六回以上この言葉(”第二状態”、多重人格の祖語の一つ)を使っている。」


「実際、フランスにおける多重人格の波は、一九一〇年までに完全に終息していた。これについては簡単に説明がつく。フランスの多重人格は、ヒステリーのしるしのもとに生まれた。多重人格者とはすべてヒステリー患者で、(中略)一八九五年から一九一〇年までの期間に、ヒステリーはフランスの精神医学の中心問題ではなくなった。」
「その結果は?多重人格が拠り所とすべき医学上の場所はなくなったのである。」


多重人格と分裂病

「一九二六年以降、『医学索引』に記載された分裂病の論文の数は、多重人格の論文よりはるかに多い。つまり、一九一四年と一九二六年の間に、逆転が起きて、分裂病が多重人格を圧倒したのだ。」


「ただし、彼(ブロイラー)はこの言葉(”分裂病”)に二重意識のプロトタイプの場合のような、交代的に個人を統制する複数の人格への分裂、という意味を持たせたわけではなかった。彼の意図は、『精神機能の“分裂”』を示すことだったのだ。」


「分裂病患者は、論理と現実に対する感覚が歪んでいるのに加えて、態度、感情、行動の調和が取れない。これに対し、多重人格者は、論理や現実の感覚については問題ないが、断片化していく。」
アト注:つまり分裂病はある人格の内部の精神諸機能の”分裂”。多重人格はある一つの身体の中に人格が複数あるという”分裂”。一つ一つの人格の精神機能自体は分裂していない。


多重人格と躁鬱病

「彼(ジャネ、後述)は、二重人格とは、ごくありふれた病気の特殊でまれな症例とされるべきだ、と考えたのである。つまり、抑鬱と躁と安定の時期を周期的に交代する患者、『初期のフランスの精神科医が循環病患者と呼んだ者」のことである。


多重人格と精神分析

「精神分析は、アメリカの医科大学の精神医学部門で、長年にわたり優位を占めることとなった。(中略)基本的な商売道具として、フロイトの抑圧はプリンス(アメリカの多重人格運動の草分け)の解離を圧倒した。」
アト注:『抑圧』と『解離』の理論上の問題は後の章で。


「フロイトに対する(多重人格側の)恐怖と嫌悪を理解するのは容易だ。幼児虐待運動のフェミニスト派は、フロイトを軽蔑している。ちなみに、この派は、多重人格には好意的である。いわゆる誘惑理論をフロイトが放棄したことに、ジェフリー・マスンが痛撃を加えたため、性的幼児虐待に関心を持つ者にとって、フロイトは悪玉となった。」アト注:”誘惑理論”と精神分析(と多重人格)
簡単に言うと、フロイトの初期の女性患者による「父親や叔父に誘惑された(性的虐待を受けた)」という訴えを空想である、無意識の現れであると断じることによって精神分析理論は成立した。逆にその種の訴えを基本的に事実と認め、社会問題化することによって今日の多重人格のアメリカにおける隆盛はある。


「次に浮かび上がるのは、負い目から来る罪悪感だ。多重人格の病因学は、初期の(精神分析確立以前の)フロイトの発想に著しく類似しているからだ。記憶からくる苦痛、トラウマの影響。このことを、誰もがフロイトから学んでいる。」


「しかし、時代は変わりつつある。取り戻された記憶への批判が高まるにつれ、臨床家たちは(精神分析確立以後の)フロイトへ回帰している。」
「一九九五年二月には<トラウマ、喪失、解離に関する第一回年次総会。主催・二十一世紀トラウマ学財団>と題する、活気あふれる学会が開かれることになっている。(中略)この学会の主催者の目的の一つは、トラウマの治療を多重人格のモデルから外すことである。」



サイトトップへ

10.記憶以前(1) 

・・・・多重人格とトランス
・・・・多重人格(的な現象)が『記憶』の問題と分かち難く結び付けられる以前。(→タイトル)



”トランス”

「多重人格は西洋に独特なもの、つまり先進工業世界に特有のものであり、これらの地域に限って、しかもわずか過去数十年の間に限って診断されたものである。しかし、これはもっと普遍的なものが、地域的な現れ方をしただけなのかもしれない。その普遍的なものとは、トランスである。」


トランスという概念の性格

「ほぼすべての社会で、人々はトランス状態に入る」


「『トランス』というのは西洋の言葉で、人類学者に用いられるヨーロッパ的概念である。」


「トランスの『実体』が何か、または、トランスとして分類されるような人間の普遍的行動または状態が、実際にあるかどうかということは、まったく未解決のままの問題なのである。」


「一方、それは人間だけではなく、哺乳類全体の特徴なのかもしれない。」
「たぶん、トランスは進化の段階を降下するのかもしれない。」


「私は『トランス』とは、西洋人の目から見たものかもしれないと主張したが、これはもう少し意味を限定して、英語圏の人の目から見たもの、とした方がいいのかもしれない。」
「今やフランスの人類学者は、英国系アメリカ人がトランスと呼ぶものを述べるのにこの単語(元は違う意味を持ったフランス語“transe“)を使っている。」


トランスと精神医学

「一九九二年のICD?10には、『トランスおよび憑依障害』が存在する。DSM??(中略)の(解離トランス障害の)定義はトランス全体ではなく、宗教(実際にはキリスト教)で実践される場合以外のトランスのみを対象とするものである....あたかも『宗教的』という言葉が、異文化にも通じる汚れのない概念でもあるかのようである。」


「われわれは文化的帝国主義というものが、キリスト教の伝道師たちの手から精神科医へ主導権は変わったとはいえ、まだ死滅したわけではないことを理解する。」
「西洋の解離障害をトランスの地域的で特殊な一形態と見なす代わりに、この2つの診断基準は、トランスの方を、西洋の病気である解離障害の亜種と見なしているのである。他の文明の根幹をなす意義深い部分であるトランスを、病理へと変えてしまうとは、ずいぶん乱暴な話だ。」


「解離障害をDSM??に入れることを推薦した委員会の議長デイヴィッド・スピーゲルは、西洋に多重人格があるように、世界のそれ以外のほとんどの場所にはトランスがあると主張して、トランスを加えることを正当化した。」
「だからといって、これは、解離障害というこれまでは非常に珍しくきわめて西洋的な精神病と、トランスを、同等の障害にする根拠にはならない。(中略)解離障害は(何よりも記憶という文脈で)概念化されたものである。これに対し、トランスの概念は、記憶とは本質的に何の関係もない。」


(アト注)
やや分かり難い組み立てになっていますが、要するに2段落目の
『西洋の解離障害をトランスの地域的で特殊な一形態と見なす』というのがむしろ著者が正当・公平と考える視点なわけです。


サイトトップへ

10.記憶以前(2) 

西洋社会における”トランス”の諸相

・催眠(術)

「催眠術は、西洋文化が、トランスというグループの中に組み込もうとする現象の1つである。
催眠術をかけられた人は、トランス状態にあると言われる。」
「催眠術は、実験的調査が可能な、トランスの一形態のようである。」
「催眠術に特別にかかりやすい人というのもいるが、一般に、人に催眠術をかけるのは容易なことである。」


「一八九二年までには、ピエール・ジャネは過去の記憶を取り戻し、それを解決するという、一般的な催眠術療法を提案しつつあった。」
「当初、フロイトはシャルコーの足跡を追っていたが、その後催眠術を拒絶して、記憶に触れるための別の技術を開発した。精神分析は一貫してフロイトに忠実だったが、ラカンが支配的地位を占め、催眠術が最大のタブーだったころのフランスでは特にそうだった。」
「アメリカは、常に大衆運動が力を持ち、権威に対して冷淡な国であるが、(中略)しかし、心理学の研究を支援するために交付される研究費から、催眠術やトランス研究に当てられた金額は、驚くほど少ない。」


・日常とトランス

「西洋の先進工業国の社会では、余暇のための行動か、社会から疎外された行動以外には、トランスの存在する余地はない。」
「霊媒がいる。瞑想がある。祈りがあり、そして音楽が個人と集団の両方で使われ、他の文化の中で観察されたならば、トランスと呼ばれるかもしれない状態をつくり出している。」


「しかし、これらの行動が、製造業やサービス産業に入り込むことは許されない。」
「もしかしたら、昔の組み立てラインについていて解雇された労働者の中にはトランス状態になっていたものもいたかもしれない。(中略)これとは対照的に、ブリティッシュ・コロンビア沖合いのシャーロット初頭にすむハイダ族の織物職人たちは、同じ動作を繰り返す仕事の途中、定期的にトランス状態に入ったが、そうなったときに織り上げた布には、ある種神聖な性質が加わるため、トランスはむしろ珍重されていた。」


「現代のアメリカで、トランス状態が社会的に認められている場所は、家と職場を車で往復する通勤の場面である。」
「彼ら(環境運動家)はなぜ人々が車の相乗りや、公共交通機関を利用しないのかが理解できない。しかし、理由の一つは明らかだ。自分の好きな音楽やおしゃべりや自分で選べる番組によって、トランスに似た状態になることが非常によいものになり得るからだ。」


・ADD(注意欠陥障害)

「現代社会でトランスに似た状態の範囲をつかむためには、最近よく話題になる、子供のときに起こる注意欠陥障害(ADD)のことを考慮する必要がある。」
「《ニューヨーク・タイムズ・マガジン》の夏季キャンプ特集は、ADDの子供を専門に扱うキャンプの広告であふれている。皮肉屋は、問題を抱えた子供の存在自体は否定しないものの、かつては白昼夢を見ることを許されたり、寛容な娯楽によって取り扱われていた多くの子供が、今や冬にはセラピストのもとへ、そして夏にはキャンプへ送り込まれていると言う。」



トランスと多重人格と現代社会

「トランスは、多重人格に近い、潜在的な障害であると宣言されて来た。しかし、逆の説明も可能である。つまり、トランスに入る能力を使用もしくは濫用する方法こそ、多重人格だ、という説明である。」
「われわれは、トランスについてよく知らない上、トランスを病的なものにしたがる。」


「なぜわれわれは、トランスを社会から疎外するのか?」
「産業機構というものが決定的に重要になったからだけではない。昔はそれほど厳格なものではなかったにせよ、トランスに似た行動が除外されるようになったのは、産業化より早い時期のことである。」
「ただし、西欧とアメリカの社会は、おおむねメアリー・ダグラスが企業文化と呼んだものの実例となっている。それらを特徴づけているのは、個人の責任が極度に高いレベルにあるとともに、それに応じて個人の可能性も大きいという点である。」



サイトトップへ

10.記憶以前(3) 

・・・・引き続き西洋社会とトランス。「個人」と「責任」。(と記憶)


ジョン・ロックの「法的個人」と”睡眠者”(スリーパー)

「ロックは、実際には二つのアイデンティティの概念があるため、区別をつけなければならないと考えた。ロックは、自らが法の概念と呼ぶ、記憶と責任に関係するもの「個人(パーソン)」という言葉を選んだ。彼は、ある程度は肉体的連続性に基づく概念をあらわすのに「人(マン)」という単語を選んだ。」


「ロックが唱えた、個人についての法の概念が持つ霊的な力をたどると、我々は少なくとも中世最盛期の十二世紀末から十三世紀にまでさかのぼることになる。
フランスの歴史家アラン・ブーロ?は、「睡眠者(スリーパー)」がこの時期の重要な現象だったことを最近の論文で論じている。これは、ある種のトランス状態に陥った個人をさしているらしく、その後夢遊と呼ばれたものと似た現象である。」


”睡眠者”(スリーパー)

「睡眠者が重要なのは、数が多かったからではなく、それが知的、形而上学的、更には神学的問題に近いものを引き起こしたからである。」


「睡眠者の示す行動は、暴力的なものか、少なくとも禁じられた行動であることが多く、目覚めている時の生活で見せるものとは性格と様式の点で異なるものである。睡眠症状の後で意識を取り戻しても、その時にした行動のことについては、せいぜい混乱した意識があるくらいである。」
「しかし彼らの行動は、意図的行動にしか見えない。このため、当時の形而上学としては、魂が活動していたに違いないということになった。しかしどの魂が?」


「トマス・アキナスの神学の信奉者は、一つの肉体には一つの魂しか存在しないと強く主張する。スコラ哲学的な心理学では、魂は個人の『実体的形相』だった。」
「ブーローの情報によれば、たとえば睡眠者が、通常の状態と睡眠状態のそれぞれに対して一つずつ実体的形相を持つという(中略)少数の反トマス主義者も存在した。」


「これは、責任の問題にとっては重要だ。睡眠者は市民法においては考慮された形跡はないが、教会法では注目されていた
一三一三年の資料によると、もし睡眠者が人を殺しても、罪を犯したという理由で、(正常な状態のときに)その人が、聖職機能から除外されることはないと述べられている。少数派の敗北である。こうして睡眠者は社会的に疎外され、病的なものとされるようになった。」
(アト注)責任能力の免除=存在の実在性の否定。


「支配階級的な哲学によって社会から疎外されると、睡眠者という概念は、直ちに法体系の外に置かれることになった。ブーローは、第二の実体的形相を備えた睡眠者という概念が、魔女の流行の始まりとともに再び現れ、その流行を支える土台の一部として機能したと論じている。」



サイトトップへ

10.記憶以前(4) 

”夢遊”と”二重意識”
・・・・引き続き西洋社会におけるトランス。”多重人格”に先行する「症状言語」。


「症状言語」

アダム・クラプトリー『多重人』

「交代意識(≒多重人格)というパラダイムが現れるまでは、他人の意識が入り込むという内面的経験を表現する唯一のカテゴリーは、憑依、つまり外界からの侵入というものだけだった。人間の心に固有な第二意識の自覚が高まるにつれて、新しい症状言語が可能になった。」


イアン・ハッキング(著者)

「多重人格の先駆的な存在を表す、二つの症状言語があった。一つは、主にヨーロッパ大陸で使われた、自然発生的夢遊という言語で、人工夢遊と強く結びついた言語である。もう一つの症状言語は、主にイギリスとアメリカで使われた、二重意識という言語であり、主に、動物磁気および催眠術と区別されていた。」


「二重意識の症状言語が、記憶の問題をほとんど念頭においていないという点は、特に重要である。」
「この点を強調することで、私は、多重人格に熱狂的な人々が、あらゆる例を混同する傾向に歯止めをかけたいと思う。結局のところ、いろいろな事例というものは、まったく異なる社会的、医学的伝統の中で起きたことなのである。だから、それらは名称が異なるだけでなく、関連するさまざまな党派(観察者、記者、読者、社会階級、苦しんでいる人々自身)にとっての意味も異なるのである。」


”夢遊”

「深い眠りに落ちるが、あたかもはっきり覚醒しているかのように歩き、話し、書くなどさまざまな行動をとり、ときには普段より知的で的確な様子を示す」(ディドロ『百科全書』(1795?66))


「一八七五年以降、最も有名なフランスの多重人格者フェリーダの主治医となったウェザーム・アザムは、彼女の第二状態が『完全な夢遊』であると記述している。(中略)アザムは、この交代人格と夢遊現象を同一視した。」


「催眠状態は誘発された夢遊、もしくは人工的夢遊と呼ばれ、自然夢遊と対比された。」


”二重意識”

「『二重意識』という名称そのものが、含蓄に富んだ言葉である。」
「二重というからには数は二で、二を越える交代人格は予想されない」


「『意識』という受動的な言葉が使われたことの、影響力はもっと強い。作用と反作用を示唆するものも_ければ、完全な人格についての暗示もない。」
「初めて彼女(メアリー・レイノルズ。19世紀イギリスの代表的な多重人格者)のことを簡単に説明した文章には、『二重意識または同一人物の中にいる個人の二重性』という題がついていたのだが、この『個人の二重性』という表現は人気が出なかった」
(アト注”人格=個人”ではなく、”意識(機能)”の二重性だと認識された。)


「現在は、男性多重人格者と多重人格の子供への調査がようやく始まったところだが、古い時代には、これらは大した問題ではなく、男性が二重意識だと報告されるのは別に珍しいことではない。」
「一般に、若い女性は正常な状態なら、実行すれば必ず罰を受ける羽目になるような、反抗的な生き方を実演する為に、暗黙のうちに交代したと、マイケル・ケニーは主張している。二重意識の持つこのような側面は、女性に限られたことではない。」


「これらの文章の著者は、忘却の言語をごく当たり前のように使っている。しかし、彼らには、これが重要であるという認識はなく、(中略)二重意識の症状言語においては、記憶はほとんど問題にはならない。」
「これには、はっきりした証拠がある。引用文の著者を含め、医師たちは、患者の女性が正常な状態のときに何が起きたかを思い出せないといっている。しかし、その女性が異常な状態の時に、正常な状態のことについて知っているかどうかを、彼らは調べていない。」



サイトトップへ

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。