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郭靖の”成長”と『射雕英雄伝』(1) 

射雕英雄伝 〈1〉砂漠の覇者ジンギスカーン 射雕英雄伝 〈1〉砂漠の覇者ジンギスカーン
岡崎 由美、金 庸 他 (1999/07)
徳間書店

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予告通り、以下の3つの観点から語っていきます。
 1.少年郭靖の”成長”ストーリー
 2.郭靖と楊康の”合わせ鏡”キャラの相克ストーリー
 3.東邪・西毒・南帝・北乞(+中神通)の四方位(人)が象徴する、中国的道徳/価値観の”曼荼羅”ストーリー

そして結論から言うと、それぞれのストーリーの「達成度」は
 1.90%
 2.70%
 3.50%
くらいかなというのが僕の見立て。・・・・ま、立てたのも解いたのも自分ですけど。(笑)

ではスタート。



1.少年郭靖の”成長”ストーリー 達成度90%


郭靖は”成長”しているのか?

まずは引用から。

岡崎 金庸先生が(『書剣恩仇録』の)後に書かれた作品では、多くが、未熟な少年がだんだん大人になっていきますよね。
金庸 そう、成長していくのね。
岡崎 その過程が、とても詳しく、精緻に書かれています。

(『きわめつき武侠小説指南』 p62)


ごく平凡な少年郭靖が、世間の裏表を知り、さまざまな人生の師に出会って自己形成していくさまは、武侠小説の『ウィルヘルム・マイスター』という趣がある。

(『武侠小説の巨人 金庸の世界』 p80)


実を言うと僕は、上のような解説を読んで初めて、「そうか、郭靖は成長しているのか」と気が付いた人だったりします。

勿論ストーリーの「型」として、『射英雄伝』が主人公郭靖の武術的人間的”成長”物語になっているのは明らかなわけですが、その具体的な様子がどうも僕には型だけのがらんどうなものに見えて、むしろ「成長しない」ことを金庸先生はあえて書いたのかなと疑っていた部分があったのです。ああも(↑)はっきりおっしゃっているからには、今となっては僕の深読みのし過ぎは明らかですが。(笑)


”教養小説”(ビルドゥングスロマン)としての『射英雄伝』

なぜ僕がわざわざそんな穿ったことを考えたかには、一つの”文学史”的な背景があります。
それは引用の後段の『ウィルヘルム・マイスター』という作品に代表される、「教養小説」というジャンルをめぐる少しこみいった議論です。

教養小説(ビルドゥングスロマン)とは

(多くの場合幼年期から成年にかけて)主人公の精神的、心理的、または社会的な発展や精神形成を描く小説のことである。発展小説形成小説ともいう。ドイツでこのような型の小説が育まれてきたため、英語でもしばしばドイツ語での表記(Bildungsroman)が使用される。
(Wiki)


・・・・要するに「主人公の成長を描いた小説」なわけですが、じゃあ逆に主人公の成長を描”かない”小説はあるのかというと、あるわけですね。というか、ある時期までの西洋文学において「成長」などというのはほとんどテーマとして存在していなかった。(らしいです)
典型的には”ギリシャ悲劇”で、そこにおいて事件はただ起きる、「運命」の、「予言」の通りに。主人公たちがどう行動しようとしまいと。そこに「個人」の「自由意志」やら「内面」やら、それらに根差した「成長」などという要素の入り込む余地は全くない。

そもそも今日言うところの「内面」というものは、キリスト教という信者に内省や神との対話を要求する宗教の発展によって初めて(ヨーロッパにおいて)意識されるようになったらしいですが、その後のルネッサンス/宗教改革による「個人」や「自由」の意識の向上、また科学/啓蒙思想の発展による「進歩」や「進化」という思想の一般化、それにより「自由な個人の内面的な成長」をメインテーマにする小説形式が可能になったと、そう僕は理解していますが。

だから小説形式的にはある意味で復古主義者である金庸先生のことだから、郭靖の「成長」も何らか「」(カッコ)つきのものなのではないかと気の利いた疑問を呈するつもりでしたが空振りでした。(笑)
結論、『射英雄伝』は郭靖少年の”成長”を描いたビルドゥングスロマンである。


(2)へ。


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郭靖の”成長”と『射英雄伝』(2) 

射雕英雄伝―金庸武侠小説集 (1) 射雕英雄伝―金庸武侠小説集 (1)
金 海南、岡崎 由美 他 (2005/07)
徳間書店

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(1)より。


”空っぽの器”としての郭靖

「教養小説」という文学史上の概念は、現代においてはより一般的なものとして、ストーリーの基本構造として、実際には特に意識されることもなく使われていることが多いのですが。

更に教養小説について

主人公の精神が外部の世界や周囲の人間関係、さらに文化的環境との接触、交渉によって、ある一定の調和した人格形成をする過程を描いた魂の発展・調和小説である。迷いのなかに、内省する魂の発展を通して、その時代の人格的理想像を描きあげていく小説である。
(南坊義道『現代創作入門』)


結局(小説における)”成長”をめぐる、ここらへんのこだわりが僕に余計な深読みをさせた原因なわけです。つまり・・・・郭靖に「内面」はあるのか、発展する「内省する魂」というほどのものがあるのか、ということ。

確かに郭靖はストーリーの進行に従って様々なことを吸収し、考え方も時々に変わって行くわけですが、それら全部ひっくるめてどうも何か薄っぺらなような、郭靖自身は何も実質的な変化は最初から最後まで起こさずに、ただ「郭靖」という名の”空っぽの器”の中身が時々で入れ替わっているだけに見えてしまう部分があるんですよね。
変化が起きない、というよりも、変化すべき実体がそもそもないというか。

言わばその「郭靖」という名の空っぽの器の、”中身”を注ぎ替えて行くのが黄蓉を筆頭とする郭靖が道々出会う人々というわけで。


(参考)阿部敦子さんの”郭靖の2段階報仇説”

『きわめつき』204ページより。なかなか見事な分析だと思います。

1段階目

彼女(郭靖の母親)は幼い郭靖に大きくなったら父の仇を討つべしと教え聞かせます。(中略)郭靖は当然のようにその名(段天徳)を胸に刻み成長していきます。
しかし、実際に段天徳にめぐり合ったときの郭靖の様子から、仇討ちはかれにとって、その他の社会的ルール同様、疑問なく従うべき規範ではあっても、内側からかれを律するものではなかったような印象を受けます。


2段階目

ついに郭靖自身も、心の底からの憎しみに煮られる思いを味わうときがきてしまいます。江南七怪がひとりをのぞいて東邪に惨殺されてしまったのです。
師の仇を討つべし。このときばかりは郭靖の動機も完全に自発的なものでした。義務として仇討ちに臨んだのではなく、自らの激しい怒りに突き動かされて、東邪を殺さざるをえない衝動を感じたのです。


・・・・このパースペクティヴで言うならば、郭靖は郭靖なりに変化しているということになりますね。それは郭靖という一人の人格の内面が変化したというよりも、最初には存在しなかった内面的動機や「自発性」が、ある時点で生まれたという形で。

なるほどなと感心しつつも、基本的には僕はこれはかなりな深読みの類だと思います(お前が言うな)。金庸がこういう意図を持って描き分けていたとは思えません。
こういう指摘自体は肯定するでしょうが、この二つの”報仇”の性格の違いをさほど重大なものとしないような、基本的には単なる「型」の違い、”器”の中身の違いに帰着させるようなそういうより遠い視点からの、割合平坦な筆致で郭靖の半生を書いている。意図的な変化があるとすれば、「仇討ちやら武芸やらにそもそもどんな意味があるのか」という、作中でも明確に書かれているそっちの大きな価値観の方。

ともあれこうした阿部さんの”深読み”のモチベーションとして、『射英雄伝』という作品における郭靖というキャラの描写に対する、僕同様の違和感、物足りなさみたいなものが原文の行間から伝わって来たんですが気のせいでしょうか。(笑)


(3)へ。


郭靖の”成長”と『射英雄伝』(3) 

射雕英雄伝〈2〉江南有情 射雕英雄伝〈2〉江南有情
岡崎 由美、金 庸 他 (1999/08)
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(2)より。

郭靖の空白性、あるいは受動性。それは作者金庸が主人公特性として意図的に付与している部分、必然的にそうなっている部分と、たまたまそうなってしまった部分と両方あると思いますが、まずは前者について。


郭靖の”主人公”特性

郭靖ファンのみなさん、今度は褒められる番(?)です。(笑)

劉邦と郭靖

司馬遼太郎『項羽と劉邦』より。
項羽と劉邦〈下〉 項羽と劉邦〈下〉
司馬 遼太郎 (1984/09)
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”空っぽの器”というキャラ特性(のプラス面)について、僕が今まで読んだ小説の中で一番はっきりと描いていたのは司馬先生のこの作品。

知勇兼備の何でも出来ちゃうスーパーマン項羽ではなく、なぜ「何にも出来ない」劉邦が中国を統一し、漢王朝の祖となることが出来たのか。
それは自分では「何にも出来ない」からこそ、逆に「何でも入る」大きな空っぽの”器”として様々な人材を、人々の思いを受け止めて受け入れて、活かすことが出来たから。

信長よりも秀吉が、秀吉よりも更に家康が天下人として相応しかったという日本史上のテーゼも、そういうことかもしれませんね。頼朝も尊氏もそういうところがありました。俗に「大器」というように、大将というものに最終的に求められるのはそういう”入れ物”的な資質なのかもしれません。

少なくとも武芸が出来る点では郭靖は劉邦よりマシ(笑)ですが、郭靖もまたそういう美点を持ったキャラとして描かれているのは明らかだと思います。そしてまた往々にして、ヒーロー物語の主人公格というのはそういうタイプが定番です。”キレ者”タイプは仇/ライバル役(もしくは参謀)と相場が決まっている。日本の少年マンガなどを見ても。

だから靖さんがぼんやり(by黄蓉、5巻175p)なのは仕様ではあるわけです。とりあえず。


中神通・王重陽と郭靖

これは金庸がそういうつもりで書いているということではなくて、偶然だがある程度の必然性を持ってそう見えるということ。この二人はある意味似た本質を持ったキャラである。

まず王重陽がどういうキャラかというと、武林の泰斗、東邪・西毒・南帝・北乞の四方位の真ん中に位置する最高位者。武功と精神修養を矛盾なく両立させられた真の天才(by老頑童)。
ただし物語の始まりの時点で既に故人で、具体的な人となりについては回想の中で間接的に窺えるのみ。

ここで注目すべきは、実在の人物をモデルにしつつも王重陽というのが定義のみで曖昧な、特徴のはっきりしない人物であること。
言うなれば東邪”ではなく”、西毒”ではなく”、南帝”ではなく”、北乞”ではない”という形で、消極的にのみ性格付けられる存在であること。故人であること、”不在”をある意味でのキャラ特性として備えているとも言えるかもしれません。

勿論その偏りの無さが正に「最高位者」たるゆえんなわけですが、キャラ立ちがいいとは間違っても言えないわけです。故人という扱いについては一応「実在の人物だから描きにくい」というのが表の理由になるのかもしれませんが、ぶっちゃけ描きようがないから殺しちゃったというのがホントの理由ではないかと邪推する次第。(笑)

その積極的特徴の弱さというのは郭靖も同じだと思いますが、その郭靖は王重陽亡き後の武林の中心を担って行く存在であると、ストーリーの最後にはなって行くわけですね。
・・・・あの2回目の”華山論剣”の勝者は少しややこしくて、強い弱いで言えば西毒・欧陽鋒になるんでしょうが、何せ同時に正気も失っているわけで、会のもう一つの目的である「対蒙古防衛戦に向けての武林の盟主決定」には不適格。となると岳父・東邪と師匠・北乞の後ろ盾を受けて、成長度こみで郭靖が”中神通の後釜”に選ばれたとそう読んでいいでしょう。

というわけでここで、「最高位者」と「主役」が、「無個性/中庸」と「空っぽの器」が重なって来るわけですね。
王重陽のキャラ設定と郭靖のストーリー上の機能設定が、偶然ながら予定調和的に一致していると、そう思います。不在の王。空虚な中心。偉大なる消極性、受動性。


『侠客行』の”のらいぬ”と郭靖

郭靖の「受動性」がある程度意識的なものだというのは、同じ金庸作品である『侠客行』の主人公”のらいぬ”と比較すると分かり易いかなと思います。

つまり”のらいぬ”もお人好しの「ぼんやり」さんということなら郭靖に負けないどころか凌ぐものがありますが(笑)、しかしキャラとしての機能の仕方はだいぶ違う。
郭靖のぼんやりが基本的に翻弄される/流される方に機能するのに対して、”のらいぬ”は逆にそのあまりのぼんやりさで、謝煙客のような煮ても焼いても食えない江湖の古強者をキリキリ舞いさせ、どんな知恵者にも解けなかった「侠客島」の秘伝の謎もそれと知らずに解いてしまいます。

・・・・流されていることに気付いてはいる郭靖と、気付きすらしない”のらいぬ”のぼんやりの過激度の違いと言うか。(笑)
ともかく同じような資質が郭靖の場合とは違い、むしろ積極的な特徴として表現されているところが面白いと思います。

これは執筆時期を考えれば、郭靖を筆頭とする広い意味でのぼんやりのっぺりとした「主人公タイプ」のキャラたちの特徴を逆手に取った、僕言うところの(笑)”自在期”ならではの変化技なんだろうと思いますが、逆に言えば同じ特徴をこういう風にも描こうと思えば金庸先生は描けるわけで、やはり基本的には承知で、そういうものとして『射』の段階では描いていたと、そう言えるのではないかと思います。


・・・・ただし”失敗”してそうなってるのではないかと思えるところもあって、それについては2.郭靖と楊康の”合わせ鏡”キャラの相克ストーリー編で説明したいと思います。


郭靖・楊康の”合わせ鏡”と『射英雄伝』(1) 

射雕英雄伝―金庸武侠小説集 (2) 射雕英雄伝―金庸武侠小説集 (2)
金 海南、岡崎 由美 他 (2005/07)
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2.郭靖と楊康の”合わせ鏡”キャラの相克ストーリー編 達成度70%


”金庸キャラ萌え禁止”説?

いや、萌えますよ、萌えますけどね。(笑)
基本的には萌えるか萌えないかは読者の勝手でもあるわけですし。

ただどんなに萌えキャラが大集合していたとしても、本質的に金庸作品は”キャラ小説”ではないと思います。それは同じく榎木津やら中禅寺やらの、立ちまくったキャラの活躍する例の京極堂シリーズ
邪魅の雫 邪魅の雫
京極 夏彦 (2006/09/27)
講談社
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が、それでも”キャラ小説”ではない、少なくともそれは作者(この場合は京極夏彦)にとって不本意であるだろうというのと同じように。

同系で比較して言うと例えば古龍(武侠)や島田荘司の御手洗シリーズ(名探偵もの本格ミステリ)などなら、かなりの部分”キャラ小説”といってもいいところがあるんじゃないかと思います。
それらの登場人物たちは、言わば一人の人間として作者に興味を持たれている、愛されている。彼らの心の内を覗いて彼らの生き様を辿ることは、ほぼ作品自体と等価の重みを持っている。ライティングプランはライティングプランとして。

それに対して金庸や京極の場合は、キャラはあくまでキャラである。彼らは作者が指すチェスの駒であり、彼らの「個性」も「人間性」も、ゲーム全体を構成するルールの1つとして付与されているものに過ぎない。そうして出来た”駒”に愛着や好み、使い易さなどが生じることは当然あるでしょうが、だからと言って象牙の駒が突然血肉を伴った人間になったりはしない。駒のためにゲームを作ったり変えたりはしない。

半ば行き当たりばったりで二転三転する長期連載の週刊漫画などに慣れた僕たちにとっては、ある意味キャラが全てであり、「キャラが勝手に動き出す」というようなことはむしろその作品の”成功”を意味したりするわけですが、ある種の作家にとってはそうではない。あるいはストーリーそのものやライティングプランはより重要であり、キャラの「個性」やら「人間性」やらは、それらとの比較的厳格な関係において初めて決まり、意味を持つ。

・・・・勿論全ては相対的な話ですが。金庸は金庸なりに「キャラを重視している」とも発言していますし。ただ逆に”重視”してこれかよとも僕などは思うわけで。
結局は資質の問題で、逆にキャラに溺れ(られ)る人は構成や全体像が甘くなる傾向があるのも常なわけですね。どんなに暴れさせてもどこかちんまり収まる、ある程度以上には踏み込まない。金庸の場合は。

(2)へつづく。



補足:”%”の意味

うっかり書き忘れてたのでここで。(2/26)

1.少年郭靖の”成長”ストーリー
の達成度が”90%”だというのは、これだけイチャモンつけといてどうしてという感じかもしれませんが、ともかく作品内の企画としてはきっちりたっぷり展開されているのでという、言わば客観的な評価です。僕の個人的こだわりではなく。
”90%”の読者は満足しているだろうという意味でもあるかもしれません。(笑)

2.郭靖と楊康の”合わせ鏡”キャラの相克ストーリーの達成度が”70%、3.価値観の曼荼羅ストーリーが同じく”50%”であるというのも同様の基準の評価です。


郭靖と楊康の”合わせ鏡”と『射英雄伝』(2) 

射雕英雄伝〈3〉桃花島の決闘 射雕英雄伝〈3〉桃花島の決闘
岡崎 由美、金庸 他 (1999/09)
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(1)より。

”合わせ鏡”としての郭靖と楊康

いわゆる南宋の金に対する「靖康の恥」に由来するネーミングからも明らかなように、郭靖楊康というのは最初からセットで構想されたキャラだと思います。単によくあるライバルではなくて、”人間の二つの面を表わす”象徴的なキャラとして。素朴と洗練。田舎と都会。賤と貴。無欲と名利。などなど。

二人の基本性格は互いへのコントラスト(それもかなり類型的な)で定義されているので、そういう意味では不自然というか不自由というか、独立性がないというか。そのままでは血が通わないというか。
それでも楊康は言わば人間の「本音」の部分を担っていたので、全く評判は悪かったけれど(笑)それなりには”血”は通っていたと思います。誰だって一国の王子の座を捨てるのは嫌に決まっている。しかし「建て前」を担わされた郭靖は・・・・。

子供の時はそうでもなかったと思うんですけどね。愚鈍は愚鈍なりにキャラは立っていたし、コジンを助けた時の剛直な行動力みたいなのも、プロフィールとして上手く出来ていたと思います。ただ中原に出て来てから(楊康に会ってから?)は、終始欲求や行動原理の見え難い、取ってつけたようなただの善人みたいになっちゃって。

『ドラゴンボール』で言えば子供の時はちびの怖い者知らずの孫悟空だったのが、大人になったらカカロット・・・・にはならずに、なぜか優等生の孫悟”飯”の方になっちゃったみたいな。しかも頭の悪い(笑)。そして楊康もベジータにはなれなかったと、それは次の話。


変化・成長出来なかった郭靖と楊康

あるいは最初の”合わせ鏡”プランから抜け出せなかった、動かし切れなかった金庸先生。

唐突ですが僕は『ドラゴンボール』の悟空とベジータの関係が大好きなんですね。純朴主人公とヒネ者ライバルとの定型構図としては、最高度に成功したものだと思います。
何よりあのダイナミズム、特にベジータの変化の仕方と、基本性格は変わらないまま最終的に獲得する屈折した「人間味」

ベジータ

は、ほとんど涙モノだと思います。

注意すべきはこれはさして計画的なものではなくて、つまり”ベジータ”というキャラは最初からいたわけではなく、ヤムチャ→天津飯→(新)ピッコロと続く”厭味な仇役”の「指定席」に、言わばたまたま順番が巡ってきて坐っただけの1キャラだということです。
その後も「指定席」そのものはストーリーの都合上誰かが常に座り、それぞれにキャラは立っていましたが、ある意味2代目主人公孫悟飯を押しのけるほどの大きな存在感を獲得するまでに育ったのはベジータだけなわけです。

勿論その背景には(主人公と同じ)”サイヤ人”という特権的な要素などがあるわけですが、とにかく初期プランにこだわらずにベジータが生まれ育つことを許されたゆえの、悟空との素晴らしきライバル関係だったわけです。

ここらへんは日本式の連載漫画のスタイルに負うところが大きいので直接の比較は難しいですが、それにしても郭靖と楊康の関係はショボいよなと、思わざるを得ません。
「最終的に楊康は改心しない」というコンセプト自体は、殺伐とはしてますがそれはそれでリアリスティックで悪くないと思います。ただそれにしてももう少しカラめて交わらせて、それぞれに動いて変化がないと、「あるところに浮き世離れしたいい人がいました。またあるところに小心翼々とした俗人がいました。いい人は頑張りました。俗人は落ちぶれて死にしました。」というだけの話じゃないかという感じすらします(笑)。結局”親の代の因縁”以外、何の関わりもないじゃないかこの二人は。

ある意味一番哀れを催すのは、楊康では”悪”すらも足りなくて、同系の欧陽克を新たに出さざるを得なかったように見えてしまうところです。何の為に出て来たんでしょう、楊康って。
引きで見れば一応コントラストにはなってますけど、まあ何というか計画倒れなところの多い”合わせ鏡”だなとそんな風に思います。それなら郭靖を単独で、楊康のテリトリーを犯すことを気にせず、もっと自由に描いてあげれば魂も入ったろうにと。自分で設定したルールに自分で縛られてしまったのかなとか。

当初の構想から、執筆開始時点では既に形だけ残った設定と割り切ってたりしたのかなとも、少し思いますが。泣くな楊康、リベンジは息子がちゃんとしてくれたから。(笑)


「東邪」「西毒」「南帝」「北乞」と『射英雄伝』(1) 

射雕英雄伝―金庸武侠小説集 (3) 射雕英雄伝―金庸武侠小説集 (3)
金 海南、岡崎 由美 他 (2005/08)
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3.東邪・西毒・南帝・北乞(+中神通)の四方位(人)が象徴する、中国的道徳/価値観の
”曼荼羅”ストーリー編
 達成度50%

実は僕がこのことに特に注意を向けるに至ったのは、PSのゲーム版(amazonにもないや)
PS射英雄伝

をプレー中のことだったりします。
ゲームということでどうしても早足で単線的にストーリーが進む中で、なんかいかにも4人の扱いが雑だなあ、よくよく考えればこの設定はかなりのすぐれもので、極端に言えば郭靖も楊康も、ついでに(笑)黄蓉もうっちゃっちゃって、全然別の面白いストーリーが作れる、それくらいのポテンシャルを持ったものじゃないのかなと今更気付いたわけです。

実際にそれをするには、今の倍くらいの分量または「外伝」の類が必要でしょうけどね。
また次の『神』は、”西毒を中心とした4人の外伝”という読みも出来なくもないものだと思いますけど。
それはともかく。


四方位+1の由来

作中にある直接的な手がかりとしては、北乞・洪七公のこの言葉くらいしかなかったように思います。
(2巻152ページ)

南帝の強さには、おまえの父親(東邪)やわしとて一目も二目も置いている。
特に南の火は西の金を制す、と言ってな、西毒・欧陽鋒にとっては天敵じゃ。


これは明らかに(陰陽)五行説「相剋」という概念を下敷きにしていますね。
詳しくはここなどを参照ですが、簡単に整理すると

 東邪(青龍) ”木”・・・・「木剋土」
 西毒(白虎) ”金”・・・・「金剋木」
 南帝(朱雀) ”火”・・・・「火剋金」
 北乞(玄武) ”水”・・・・「水剋火」
 中神通    ”土”・・・・「土剋水」

と、なります。
()内は四方を守護するとされる聖獣”四神”を当てはめたものですが、それぞれの動物のイメージがかなりそれぞれのキャラクターにマッチしているように見える(水中に潜む青龍、猛り狂う白虎、優雅な朱雀、剛毅な玄武(亀))ので、これもそのまま下敷きとして使われているんでしょうね。

ただしこの「相剋」関係をそのまま使うと、「木剋土」つまり東邪が中神通に勝ってしまって、せっかくの華山論剣の決着がパアになってしまうので(笑)、まず間違いなく金庸はこの体系/関係性を最後までは考えてないでしょうね。単なるハッタリ、もしくはにぎやかし。元ネタではあるんでしょうが。

・・・・というようなことは150%、既に誰かが研究して書いてることと思いますがそれはそれとして。

こうした五行(または四神)図式とそれぞれのキャラ造型との関係ですが、特に根拠はないですがほぼ同時並行ちょい図式先行くらいかなというのが僕の感触。

図式をそれほど理論的に運用するつもりはなくて、それぞれのキャラはキャラとして描きたい内容があってそれを体現する形で作られたんでしょうが、最終的にこの形に落ち着いたのはやはり図式による。
・・・・つまりキャラメインの思考なら3人でも5人でも良かった(実際老頑童もいるし)のが、”4人”にまとめられたのは図式に従ったもの。例えば南帝の印象の薄さは数合わせで加えられたキャラだったからかなとか。


(2)へつづく。


「東邪」「西毒」「南帝」「北乞」と『射英雄伝』(2) 

射雕英雄伝〈4〉雲南大理の帝王 射雕英雄伝〈4〉雲南大理の帝王
岡崎 由美、金 庸 他 (1999/10)
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(1)より。


四方位+1の機能

そしてこれらの作品の中での位置、役割ですが、基本的には『素朴な正義感溢れる少年郭靖に、世間の複雑さや価値観の多様さを教える』というのが機能でしょうね。
メインの”成長”ストーリーの舞台装置。誰か楊康にも教えてやれよという感じもしますが。(笑)

・・・・ああ、でも楊康には郭靖と逆方向の教えが必要な気がするから、それには中神通の不在が痛手になるか。そう考えると随分奥深い設定になりますが、多分気のせいでしょう(笑)。ていうか丘処機、気付いてるかどうか知らないけど、あんたの弟子はちゃんとあんたの「力ありきの思想」を受け継いでると思うぜ?(かといって馬じゃなあ。)

話戻して。
ただし単にその為に作られたというには余りにこの”脇役”陣は豪華&魅力的過ぎるので、何らか独立の意義付け・イメージが金庸の中にはあったんだろうと思います。それを僕は(価値観の)”曼荼羅”と漠然と表したんですが。
そういうものを全面展開する気があったかというとそれはちょっと疑問。「?サーガ」とかにしないと無理ですよね。だから”計画倒れ”だった『郭靖と楊康の”合わせ鏡”』とは違い、これは最初から基本的にこの程度のものだったのだろうと。

ただ一方である意味で凄く金庸が本来的に言いたい、表現したい観点・感覚ではあって、理論化は不十分でもそれぞれの描きこみ自体はかなり熱入れてやったのではないか。
それのミニチュア版、普及版が『郭靖の成長』であり、『郭靖と楊康の合わせ鏡』であるとも言えるし、またそっちに熱を入れ過ぎて(笑)郭靖と楊康の関係の描写がお座なりになったとも言えなくもないかなと。

”曼荼羅”を幻視しつつ郭靖の「教育」にあえて専心したのか、それとも教育装置に思わず金庸の脳の中身が漏れ出て(笑)命が注がれてしまったのか。これも同時並行やや前者優位くらいが僕の感触。
ていうか僕自身がその”曼荼羅”の可能性/予感に魅惑されてしまっているので、それでこんな潜在的な”ストーリー”をわざわざ3つ目として並列してみたわけですね。1・2・3が段階的に完璧に組み合わさった夢の『大・射英雄伝』というか。

*後に金庸は『天龍八部』で、こちらはかなりメイン要素として”価値観曼荼羅”的なものの織り上げにチャレンジするわけですが、先取りして言うとそんなに成功しているようには僕には見えませんでした。


(参考)金海南による”4人”の基本性格

自分でもやってみようかと思ったんですが、それほど気の利いたこじつけが浮かばなかったので(笑)こちらで代用。(ただし少なくとも”東邪”についてだけは、『神』編で娘の黄蓉とそれに楊過を合わせた3人の比較としてかなりリキ入れてやる予定なので、お楽しみに。)
まあ今回の僕の”説”としては、上で言った「青龍・白虎・朱雀・玄武」の”四神”との重ね合わせというあたりで勘弁して下さい。

4巻の訳者あとがきより

東邪と西毒 ?”悪”をめぐって

東邪・黄薬師
この世の悪と偽善を容赦できない性格で、それがあまりに強烈であるため、自分の心の中に潜む悪と偽善に気がつかない。

西毒・欧陽鋒
悪になりきろうとするあまり、自分の中の善なる要素に気がつかない、または気がつこうとしない人間である。

南帝と北乞 ?”欲”をめぐって

南帝・段皇帝(一灯大師)
皇帝でありながら凡夫と変わらない嫉妬の念に苦しめられている。

北乞・洪七公
乞食でありながらおいしいものに目がない美食家。


代用しといてナンですが少々つっこみ。
まず東邪と西毒ですが、西毒の「悪になりきろうとする」、しているという基本定義はなかなかのものだなと思いました。後半はそこから自然に導かれるものですが。ただ東邪の方はやや説明不足というか、むしろ悪ではなく”偽善”への憎しみに焦点を絞った説明が必要なのではないかと。
ていうか別に悪は憎んでないと思います。そうではなくて・・・・とまあこれは『神』編で。

次に南帝と北乞ですが、こちらはややだから?という感じ。南帝は確かに女難にケチをつけられましたが、あれはたまたま不幸にしてそうなったのであって、南帝個人が”性格”として特に嫉妬深いとは言えないと思います。
一方の北乞も、食いしん坊の美食家ではありますが、それは作中では特徴ではあっても”欠点”や”偏り”という風には見えないと思います。例の「自ら指を食い取った」エピソードが具体的に語られれば印象も変わるんでしょうが。(そう言えばここは金庸の隠された「構想」が感じ取れる箇所ですね)

・・・・とはいえこれは金海南氏の読みの問題と言うよりは、単に金庸がそれほど十分には書いていない、完成度の高い”図式”にはなっていないというそういうことだと思います。だから僕も解釈を断念したわけで。
ていうか南帝って中神通・王重陽とカブりますよね。さっさと出家してれば(笑)彼があの位置にいてもおかしくはなかったような。


『射英雄伝』総評 

射=英雄伝〈4〉雲南大理の帝王 射=英雄伝〈4〉雲南大理の帝王
岡崎 由美、金 庸 他 (2005/09)
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『射英雄伝』という作品

最後にまとめ、または位置付け的なことですが。
実はそんなに言うべきことがなかったりして。
そもそもゲーム版をやりながら1(郭靖)2(郭靖と楊康)4(四方位)の”倍々構造”を幻視するまでは、あんまり書くことないなあと途方に暮れていたところがあったりします。

一言で言えば『書剣恩仇録』でのデビュー時から、素直に延長していけばある程度書かれることが予測できるタイプの作品ですよね。よりちゃんと書いてみた『書剣恩仇録』というか。
僕の持論に従って言うと、「最初から完成されていた作家金庸」が、完成し損ねた『書剣恩仇録』(以降)の経験を踏まえて、改めて完成してみた作品というか。

第2の集大成。だからこそ第1期のラスト作。(すると第1の集大成『書剣』は第”0”期か?)

勿論完成度や慣れ以外にも『書剣』との違いはあって、それはキャラの重視、人物造型・描写の丁寧さ、懲り方。”熱意”と言ってもいいですが。
今回僕は色々とイチャモンをつけてきましたが(笑)、それはそれとして、稀に見る魅力的なキャラクターたちが大挙活躍するスーパー痛快武侠群雄ストーリーなのは間違いないでしょう。

世に数多ある小説の中で普通に見れば、あるいは金庸自身が次作『神』以後に見せたいくつもの”究極”や”至高”と比較したりしなければ、問題なく大傑作だと思います。


『射英雄伝』の”第1期”性

もう気に留めてる(覚えている)人も少ないでしょうけど(笑)、一応言い出したことなので。
「第1期性」、つまり『とってつけたような後付けの小理屈が顔を出して、それが構成や結末のつけ方に少しギクシャクした感じを与えている』性について少し。

実はこの作品の一番”難解”な部分、考えオチな部分は、『射英雄伝』というタイトルではないかと思います。・・・・特に日本人にとっては。ワシ()って変換できねえよというグチは別にしても。(笑)

第5巻の訳者あとがきによると、その由来はまず毛沢東のこの詞。

江山はかくのごとく嬌多く。無数の英雄を引き競いて腰を折らしむ。

惜しむらくは秦の始皇と漢の武帝はやや文采をかき、唐太宗と宋太宗も、すこしく風騒におとる。

一代の天驕ジンギスカーンはただ弓を彎げて大(ワシ)をるを識るのみ。


そしてそれを(国民的背景として)踏まえての第1巻のあとがき。

「射英雄」というのが、一本の矢で二羽の鷲を射た郭靖のことであるのは言うまでもない。


「毛沢東の詞」についてはなるほど中国人読者にとっては常識なのかもしれないと納得するしかないですが(ホントかな?)、”「射英雄」が郭靖のことである”のは、本当に”言うまでもない”のかはちょっと疑問が残るんですが。
先代「射英雄」ジンギスカーンと郭靖の二重写し、あるいは直接的にはジンギスカーンのことで、それをわざわざタイトルにしてむしろ”皮肉”のニュアンスをこめて「英雄」と呼び、終盤の郭靖の無常観的悟りを際立たせるという、そういう読みの方が入り組んではいても素直なんじゃないかと僕は思いますが。

ぶっちゃけ鷲を射たエピソード自体、僕には大して印象的なエピソードではなかったですし(鷲がかわいそうとしか思わなかった)、ここらへん、やはり中国人であるのだろう(違ってたら教えて下さい)、訳者金海南氏との感覚・背景の違いを強く感じました。
そしてそういう文脈に従って、jinyuさんがおっしゃるような”国民英雄”的な郭靖/射の読み方というのもあるのかなと思います。

で、問題は金庸自身の意図ですが、他ならぬタイトルにしているからには、何かしら大々的に訴えているには違いないわけですよね。
出典のドメスティックさ自体本質的にはコスモポリタン作家であるだろう金庸にしてはどうだろうとも思いますが、それはそれとして作品の造型としても、かなり無理矢理ラベリングしている感は否めません。郭靖の冒険物語を気持ちよく読んでいたものを、強引に性格付けされて水をぶっ掛けられて引き離されたというか。鳩が豆鉄砲食らったようなジンギスカーンの気持ちがよく分かるよというか(笑)。要らないんじゃないの?or もっとさりげなくすべきなんじゃないの?こういうゴタクはという。

それが”第1期の特徴”、限界だとまとめてもいいんですけど(笑)、なんかもっとシンプルにこの人の癖なのかなという感じもして来ました。・・・・つまり僕の金庸読書体験には、だいたい一定のパターンがあるように思うんですよ。以下のような。
 (1)オープニング・・・・もったいぶっててちょっとタルい。
 (2)前半・・・・だんだんノッて来た、やっぱり面白いや。
 (3)中盤・・・・危なげなく面白いんだけど延々同じクオリティ、テンポで続くのでちょっと飽きる。
 (4)後半・・・・と思ったらなんだこの爆発の仕方は。突き抜けっぷりは。やっぱすげえや。
 (5)エンディング・・・・え?こんな終わり。何かもっともらしいだけでうまく誤魔化されたような気がする。

一種の「口上」みたいなものかなと思うんですが、オープニングとエンディング(とそれに象徴されるパッケージング)の分別臭さはデフォルトとしてあきらめるしかなくて、中盤の余裕綽々ぶりに文句を言うのは贅沢としても、真の本領はその”分別臭い”人が秘めた破壊性・熱情を剥き出しにする後半部分・・・・みたいなそういう全体像。
古龍とかはここらへん、ほとんど紛れがないですけどね。どこ切ってもちゃんと血が出る。金庸には流れてない瞬間がある。でも核は負けないくらい熱い。

とりあえず終わり。


黄蓉はお母さん? 

射雕英雄伝 (第5巻) 射雕英雄伝 (第5巻)
岡崎 由美、金 海南 他 (1999/12)
徳間書店

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まずは黄蓉”おノロケ”名場面集を。(笑)

(1)2巻118?119

郭靖は黄蓉の手を握ると、頭をあげ、まるでそこに江南六怪がいるかのように話し出した。
「師匠たちの恩が山より重いことはよく分かっています。でも、でも、阿蓉は、絶対に小悪魔ではありません。阿蓉は、とてもいい娘、とても、とても・・・・・・」
郭靖はなにかもっと適当な言葉をさがそうとしたが、「とてもいい娘」以外の言葉が出てこない。黄蓉ははじめは面白がって聞いていたが、そのうちに涙がこみあげてきた。
(中略)
「八月の中秋節には、必ず嘉興の煙雨楼で会えるわ。私が『とってもいい娘』だって言いたいなら、その時にしなさいよ」
黄蓉が笑いながら言った。


(2)同143

ということは「逍遥遊」拳法は「降龍十八掌」の威力には遠く及ばないということである。しかし黄蓉はそのことがかえってうれしかった
「それでいいのよ、わたしの方が強くなったら靖さんは面白くないわ」


(3)5巻173

「(前略)さいわい靖さんがぼんやりで、欧陽鋒みたいに気がつかないから、うまく隠れられたけど、そうでなかったらもう隠れるところがなかったわ」
郭靖は、自分をほめているような、けなしているような黄蓉の言葉を聞いて、照れくさそうに笑った。


(4)同180?181

「なにがそんなに楽しいんだ?」
郭靖が不思議そうにたずねると、黄蓉は笑って言った。
「靖さん、すごい贈り物をあげるわ」
「なんだい?」
「サマルカンド城!」
そう言って黄蓉は郭靖の耳もとになにかをささやいた。郭靖はあっと叫んだ。



天衣無縫、傍若無人、神算鬼謀の天才美少女の世評も何のその、黄蓉が郭靖に示す情愛というものは、単に優しいとか甘いとかいうよりほとんど母性的な類のものだと思います。私のかわいい坊や。

(1)ならば普通に”ほだされた”描写、あるいは”姉さん”くらいの範疇にまだ収まっていると思いますが、(2)になるともう既に”母”の領域、張り合う気持ちなどハナからなく、ひたすらかわいい息子の成長と面目が立つことのみを願う無償のそれ。与えるのが嬉しくて仕方がない。
郭靖は穏やかな気質ではあっても基本的にはモンゴルのマっチョな「男らしさ」の規範を内面化した硬骨漢ですから、少しでも女側に張り合う気持ちがあるなら、女が「女」としての所有欲(「母」ではなく)を剥き出しにするなら、容易には受け入れないはず。

それは(3)の郭靖がモンゴルの将軍としてそれなりに男を上げ、最早少年とは言えない自負を備えてからも同じで、この時点では実は探って行けば内心忸怩たるものがなくはなかったりするのかも知れませんが、少年時代までに刻まれた”母”の刻印の力は強力で、さすがにかつてのようなへらへら笑いではなく苦笑いではありますが、気持ちよく降参しています。

(4)は・・・・最早ヒモ男と貢ぎ女の様相を呈してますね!お前らの”純愛”の正体見たり!
というのはまあ冗談ですが。(笑)

でもある意味満更冗談ではない部分もあって、つまりこの二人のもらう(郭靖)あげる(黄蓉)関係というのは宿命的なもので、要するに

何でも入る大きな空っぽの器

としての郭靖と、恵まれた天分と博覧強記のパパの薫陶、そして桃花島での閉居生活から、

溢れんばかりの満タンの桶(?)

である黄蓉との、得難い組み合わせ。
別に郭靖ばかりがもらいっ放しで得しているわけではなく(してるけど)、逆に郭靖だからこそ黄蓉のあげるものを全て受け止められるのだということでもあるわけですね。
父親以外の批評は容易に受け付けないだろう黄蓉の自尊心は、郭靖という本格的に外の世界に出て最初に出会った「他人」に完璧に受け止めてもらったことで多いに満足したはず。(この二人はそこで完結しちゃったとも言えますが。)


黄蓉でもう一つ興味深いor不思議なのは、コジンの件や黄薬師の江南五怪殺しの濡れ衣の件で郭靖から遠ざけられてしまった時に見せた、決してキレない、申し訳程度にしかスネたり恨んだりせずにすぐ理解を示す、妙に大人な対応
そうして後陰ながら郭靖を支える姿、あるいは誤解に凝り固まった柯鎮悪を厳しく優しく世話する、ほとんど「成熟した大人の女」と言えそうな黄蓉の姿は、健気で胸を衝かれると同時に、多少の出来過ぎ感も感じなくはなかったりします。

これは見方によってはご都合主義的、または男性作家特有の甘え、願望であって、言うなればキャラ造型の失敗である可能性も十分あると思いますが、禁断の後出しジャンケンではありますが(笑)後の『神雕剣侠』での”肝っ玉母さん”郭夫人の姿を重ね合わせれば、あるいは一貫した洞察の元に描かれたキャラである可能性もあるかなと。

「金庸も甘えている」という可能性も含めて(笑)、結論としてはまとめて『黄蓉はお母さん』ということでいいんだと思いますけど。はい。


『射英雄伝』の”共産党/毛沢東批判” 

射雕英雄伝〈5〉サマルカンドの攻防 射雕英雄伝〈5〉サマルカンドの攻防
岡崎 由美、金 庸 他 (2005/10)
徳間書店

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金庸ロードショーさんの

”金庸を斬る!武侠小説を斬る!”

 射雕英雄伝に見る共産党批判

より。
面白いサイトだなあ、やっと少し僕と通じるところのあるスタンスの人がいたなと思ったら2002年で更新停止中。がくっ。
僕は最後までやりますよ、意地でも。何年かかっても。(笑)


「当サイトの文章等を勝手に利用することは禁じます」とのことなので、一応抜粋は控えて早速本題に入りますと、”四川人”さんによる上の年表を元にした推理を見ると、『射英雄伝』の最初の掲載時(’57年)に、言われているような「共産党」や「毛沢東」への、チンギスハンになぞらえた当てこすり的な批判の意図、またはそれを当然のこととして受け止めるような読者の雰囲気があったとは確かに考え難い気がします。
Wikiにあるように、金庸が反旗を翻したのは文化大革命後の共産党/毛沢東であって、共産革命自体には当初は自らも外交官として寄与しようというようなそういう姿勢を見せていたわけですし。

で、jinyuさんによる(コメント欄)と’57年当時の実際の作品タイトルは『大漠英雄伝』であって、それが’72年以降の10年間に渡る金庸自身の手による改訂作業(『武侠小説の巨人 金庸の世界』)の過程で『射英雄伝』に変わったと。ここまではいいですね。
問題はその意味、意図ですが。

まず年代的には’72年からというのは微妙ですよね。『射』そのものの改訂がいつ行われたかまでは分かりませんが、’72年というのは文革が終わるか終わらないか(文革Wiki)、終わっていてもまだ十分に余韻の残っている時期で、意識しないのは難しい。
だから”射英雄”という言葉がチンギスハーンと毛沢東(の詞)を中国人読者に強くダブらせて印象付けるものであるなら、ストーリーの内容とからませて遠回しにせよ批判・相対化する意図が入っていてもおかしくはない。

一方で『大漠』『射』というタイトル自体の問題ですが、まず”チンギスハーン”を連想させるという意味ではこの二つに大きな差はないのではないかと思います。
数ある北方異民族の侵入の中でも、「元」を建てたという意味でも”世界史的な壮挙”という意味でも、チンギスハーン=蒙古というのは別格で、つまり『砂漠の英雄の話』ならそれがチンギスハーンの話だというのは、特別な注釈抜きで基本的に中国人には通じたのではないかと思います。・・・・”壮挙”、好きでしょ?中国人(笑)。大きいもの偉大なものは善悪利害を超えると考える民族でしょう?

ていうかそれで通じないようなら、タイトル変更の意味が大き過ぎて作家のケジメ的にまずいですよね。

問題はそれが『射』になると何が変わるのかですが、そこで出て来るのが例の「毛沢東の詞」で、つまりチンギスハーンの連想に更に毛沢東の連想が加わると。ここを指して「『射英雄伝』は毛沢東批判の(底意のある)書である」という、中国人好みの定義付けが生まれるわけですね。


さてどうか。
政治と文学についての金庸自身の基本的な態度としては、

政治状況というものはめまぐるしく移り変わるものであり、直截的な当てこすりにはあまり意味がない。(中略)なりふり構わぬ権力闘争は古今内外の政治の基本的状況であり、過去数千年の間このようであったし、恐らく以後数千年たってもやはり同じであろう。

(『秘曲 笑傲江湖』あとがき)


というものです。ちょっと金庸作品を読めば金庸がそんな野暮な作家でないのはすぐ分かりますし、だいたい政治主張をしたければ既に金庸には政治評論という別のフィールドがあるわけですからね。

ただ金庸も人間ですし、「文化大革命」の猛威への恐怖や複雑な感情というのは当事者には到底きれいごとではすまないことだったでしょうから、作品を改定する際に、内容に大きな変更を加えないで済む範囲で、言わばついでに出来るのであれば、ちょっとそれへの復讐や攻撃の意図を含ませたとしてもむしろそれは自然なことなのではないかなと思います。

というわけで現時点での僕の推論・結論としては

1.執筆時点では特に毛沢東/共産党批判を意識したりはしていなかった。
2.ただし改訂時のタイトル変更に、作中のチンギスハーンと毛沢東との連想を強化するような、そう読み取られても特に不本意ではないような、そういう意図はうっすらと含ませていた可能性は十分ある。

というものです。


(追記)
改訂時に例えば具体的なモンゴルエピソードの追加やエンディング部分の修正などの大きな変更があったりするとだいぶニュアンスが変わって来ますが、そこらへんはどうなんでしょうね?>jinyuさん


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