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11.人格の二重化(1) 

・・・・多重人格の症例史パート1。


二重人格者”フェリーダ・X”

「ウジェーヌ・アザムが、古典的なフランスの二重人格者フェリーダ・Xについて初めて語ったのは、『一八七五年の春の、記憶の“奇怪さ”についての会話』の中でのことだった。」


「アザムはフェリーダの障害を表すのに、考え得るほぼすべての名称を試していた。彼女についての論文のタイトルだけ拾っても、次のようになる。
『異常神経症、人生の二重化』(1876年1月14日)
  『周期的健忘、または人生の二分化』(同5月6日)
  『周期的健忘、または人生の二重化』(同5月20日)
  『二重意識』(同8月23日)
  『人格の二分化』(同9月6日)
一八七九年三月八日になると、“二重人格“なる名称も現れる。」
「なお、この表現で二重化されるのが、もはや、意識という受動的なものではない点に注意して欲しい。二重化されるのは、”人生”や“人格”といった、人間の魂の能動的な部分なのである。」


”フェリーダ・X”の症状

「一八四三年生まれの彼女は、幼いころから裁縫の仕事をしていた。家庭は貧しく、船員の父親は溺死した。」
「アザムが十五歳の彼女に会ったとき、彼女は正常な状態の時は知的で、悲しげで、むっつりしていた。」
「正常な状態のとき、彼女は洗練さには欠けていた。」


「彼女は、極度のヒステリーだった。」
「彼女の身体の多くの部位は無感覚になっていた。彼女の視野は狭まっていた。ほとんど無感情になった後、彼女は痙攣を起こしたが、完全に意識を失うわけではなかった。」


「(承前)次に彼女は、目覚めたような様子を見せると、”第二状態”に入った。これが数時間続くと、彼女はまたも短いトランスを起こし、元の状態に戻った。」
「これは五日から六日に一度起きた。」
「彼女が正常な状態になって目覚めると、彼女はこれまでの出来事についても、第二状態のときに覚えたことも、何一つ記憶がなかった。」


第二状態のときには、彼女は身の回りの人々に挨拶し、微笑み、陽気さを振りまいた。」
「彼女には恋人がいた。彼女は第二状態のときに妊娠したのだが、この状態のときには妊娠したことを喜んでいた。しかし第一状態のときには、不作法な隣人がそのことを言い立てるまで、妊娠自体を否定した。」(結局出産→結婚)


”フェリーダ・X”の後半生

「一八七五年までには、彼女は三ヶ月ほどの時間を第二状態、つまり元気な状態で過ごすのが普通になっていて、徐々に、この状態が彼女の正常な状態に変わりつつあった。」
「年を取るにつれて、そうした元の状態はほぼ姿を消していたのかもしれないが、それもまた耐えきれないものとなった。その状態(第一状態)に入ったとき、彼女は絶望に陥った。そうした状態(第二状態)にいたときの数ヶ月間に何がおきたのかまったく分からないため、人に会うのを避けていた。」


「不幸にも、次第に支配的になっていたいわゆる第二状態は、もはや、陽気な状態ではなくなっていた。彼女はむっつりとして、さまざまな(ヒステリー風の)身体症状を持つようになった。」
「またあるときには、自分の夫に愛人がいて、それは彼女が第一状態のときに親しくしている女性であると、彼女は確信するようになった。」
「彼女は第二状態のときに首を吊ろうとしたが、失敗した。彼女は助けられ、第二状態のまま目覚めた。」


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11.人格の二重化(2) 

・・・・二重人格をめぐる当時の理論的状況。


”二”と”多”

「熟年のころ、(人格交代の)発作が起こるのを感じると、彼女はもう一人の自分のために(中略)走り書きのメモを残し(中略)た。しかし、そうしたとき、彼女が交代する正常な状態とは、熟年の女性というよりは、十四才の少女のそれだった。」
「アザムはこれを第三の人格とは考えずに、単に正常状態の変種であると考えていた。」
「現代の臨床家なら、これが子供の交代人格ではないかと疑う者もいるだろう。」


「さらにもう一つ、極度の恐怖という第四の恐ろしい状態も存在していた。(中略)彼女は、暗闇の中や目を閉じたときに、恐ろしい幻覚を見た。
「アザムはこれを第二状態の『付属物』だと記述している。」
「現代なら、これらの発作を分裂病様エピソードと考える者もいるだろう。臨床家の中には、迫害者の交代人格が動き出したのではないかと疑う者もいるかもしれない。」


「さらに、第五の状態すらあったらしい。アザムは(中略)論文では書かなかった別の状態についても語ったらしい・・・・しかし、その状態がいうものかについては、話すのを拒んだそうだ。何か不適当なものだったのだろうか?」
「アザムのモデルは二重化についてのものだった。第三の人格を認めることはできなかった。二重化は存在したが、“多重“人格は、まだ(理論的に)存在しなかったのである。」


催眠術

「アザムは、フランスで初めて(ブレイドの)科学的催眠術を紹介したことに誇りを持っていた。」
「ブレイドの本を手に入れたアザムが、フェリーダに催眠術をかけ、自然発生的に起こっていた症状を人為的に作り出すのに、さして時間はかからなかった。」


「アザムを催眠術に導いたのは、他ならぬフェリーダだった。(中略)初めてフェリーダに会ったとき、アザムには催眠術の知識すらなかった。彼がフェリーダに催眠術の実験をする気になったのは、元々、彼女が自然発生的に解離したからだ。
「彼はフェリーダの治療を期待して、催眠術をかけ続けたのだが成功せず、最終的にはこの計画を放棄した。」


「催眠術は、多重人格者というフランスにおける新たな流行にとって主要なもので、この点が、イギリスの二重意識の場合とは異なる部分の一つである。」
「人格の二重化を起こしたすべての個人は、催眠術に強い興味を示す環境下で生きていた。だから、そうした状況下では、彼らの行動は、どうしても、催眠術をかけられた者の行動と比較されてしまう」


ヒステリー

「二重意識と、一八七五年以降のフェリーダの新しい時代の間には、さらに深刻な相違点がある。”二分化”のほとんどの症例は、グロテスクな身体疾患を持っていた。」
「フェリーダの時代には、こうした症状は、ヒステリーの診断と関連付けるのが標準的だった。フランスの“二分化”の症例は、すべてヒステリーとして説明された。」
「ヒステリーと“二分化”の結びつきが非常に強いため、単に(人格)分裂体勢を示した者も、ヒステリー症状を持つとされてしまった。」


クーザンvs実証主義 ?一つの魂vs多様な、移り行く魂

「この時代の大半において支配的だったフランス式の哲学は、ヴィクトール・クーザン(一七九二?一八六七)の影響を受けていた。それは折衷主義的なスピリチュアリズム(中略)と呼ばれたものだった。」
「霊的存在???神、魂、イデア???は実在し、客観的で人の観念から独立した、自律的なものだ、とクーザンは論じている。」


イボリット・テーヌ(一八二八~一八九三)は実証主義者で、科学的な世界観を唱えていた。(中略)彼は、折衷主義的なスピリチュアリズムの信者たちが主張した、自律的で、それ自体、独立的な自己や魂という考え方に反対した。言い換えれば、『多様でつかのまの存在であるような、私の感覚や記憶やイメージや観念や知覚や概念とは区別される、独特で、持続性を保ち、常に同一の“自我“』に反対したのである。」
「だから、一八七六年に、二重化された人格の問題が大きく取り上げられるようになると、彼は喜んだ。(中略)こうした症例においては、一つの肉体の中に交代する二つの自我が存在しているのであり、その二つの自我は(テーヌの考えでは)それぞれが独自の意識と記憶の連鎖で定義されているからである。ここには超越的な魂も、本体的な自我も存在しない。」


(アト注)
今日の視点では、当然ながらこの「論争」の構図は素朴過ぎるきらいがある。
つまりことはそもそもの単一性/不変性(クーザン)をどのように定義するか、及び発見された(二重の)『人格』をどの程度『魂』や『自我』と同一視するかにかかっているのであり、そういう意味では”科学的”なテーヌ(及び実証主義)の論じ方も少々迂闊過ぎるかまたは「後出しジャンケン」じみたところがある。
具体的にはむしろいわゆる多重人格的な『人格』の一つ一つの価値を余り重大に考えないという方向で、ある意味ではそれらを包摂/一貫する単一性という感覚も十分に現代でも健在である。少なくとも決着はついていない。



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12.最初の多重人格(1) 

・・・・多重人格の症例史パート2。


”多重人格”者ルイ・ヴィーヴの発見

「では多重人格が登場したのはいつのことだろうか?一八八五年、七月二十七日の夕方近くのことである。」
「その日の午後、シャルコーの弟子で、ビセートルにあるパリ男性用精神病院に勤務していた一流の医者、ジュセール・ヴワザンは、一八八三年八月から一八八五年一月二日まで彼が治療していた、一人の患者のことを、ある会合で紹介した。」
「ヴィーヴは、はっきり区別がつく八つの人格状態を持っていた。(中略)今まさに、多重人格の言説は、ふさわしい地位を与えられたのである。一年もたたないうちに、現在使われているような『多重人格』という表現がイギリスの印刷物の中に現れ(た)


ルイ・ヴィーヴの生涯

1863年2月 パリで生まれる。母親はアルコール依存症の娼婦で、暴行や放置を繰り返す。
          幼い時から吐血や短期間の麻痺などの激しい”ヒステリー”発作。
         8歳で家出。
1871年10月 衣服の窃盗で教護院に送られる。2年後刑務所農場へ。
1877年3月 クサリヘビに怯えて気絶。その晩痙攣が起こり、両脚が完全に麻痺
→「愛嬌のある」「素朴」で「利発な」人格に変貌
1880年
 精神病院に移った2ヶ月後、50時間に及ぶ痙攣発作が起こり、回復後近い過去の記憶を喪失<。
 性格も元の粗暴で貪欲なものに逆戻りor変貌。→金と看護人の持ち物を盗んで逃亡。
 逮捕拘束再入院。その後も様々な身体症状を示す。
1881年 回復、退院。
?1883年7月 実家に戻ったのを皮切りに、発症→入退院、窃盗癖→発覚を繰り返す。
1883年8月 ビセートル精神病院に入院し、ヴワザンと出会う。無数の治療・観察を重ねる。
1885年1月 発作後看護人の金と持ち物を盗み、再び脱走。
→海軍入隊→窃盗発覚→責任能力なしと判断されて軍病院入院。ブーリュビュロによる治療。→ラ・ロシェルの病院に転院。マピーユとラマディエによる暴力的治療。
1887年 ラ・ロシェル退院。以後消息不明。


ルイ・ヴィーヴの”二”と”多”

”二”

「彼には、お互いについて知らない二つの人格があった。大人しい人物には対麻痺があるのに対して、凶暴な人物にはそれがない。犯罪者のタイプには刑務所農場での事件や(中略)それに続く麻痺の記憶はない。」
(二重人格の)プロトタイプと違う唯一の点は、途方もなく凶暴な人格が「正常状態」とされ、“第二様態”の方が従順で、敬虔で、ものうげであるという点である」

”多”

「しかし、従順な状態にも変種があった。例えば、毒蛇に会う前で、麻痺を知らない様子ながら、従順であるという場合もあった。」
「さらに、催眠術をかけたときに、(中略)十六歳六ケ月で、刑務所農場での生活を知っているものの、クサリヘビにはまだ会っていない『ある種の第三状態』に入ることがあった。」


(以上全てヴワザンの観察)


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12.最初の多重人格(2) 

・・・・“金属療法”とルイ・ヴィーヴ


”金属療法”(メタロセラピー)

「これは、身体の適切な部位に磁石や様々な金属を当てると、ヒステリーによる無感覚や拘縮(筋肉の痙攣による手足の持続的収縮)や麻痺が除去される、というものである。」
ブーリュビュロ(前出)は、この方法をさらに進めた。彼らは、さまざまな液体を小さなフラスコに入れた上で、それを紙に包んだ。(中略)彼らは、患者の頭の後ろのところで、その薬剤等を含む物体を保持していた。しばらくすると、患者はまるでそれを実際に飲み込んだかのように、気分が悪くなったり、逆に気分がよくなったりした。」


「この話が重要なのは、ヴィーヴの持っていた多くの状態が、磁石や金属や臭化金のような金属化合物によって誘発されたからであり、また、ヴィ?ヴが、離れたところにある多くの金属や薬物に反応を示す代表例として使われたからなのだ。」
「私(ハッキング)の意見では、科学と医学という観点から見る限り、ブーリュとビュロの研究はくだらない代物である。それらも関わらずこの研究が重要なのは、(中略)『特定の人格と特定の記憶の間のつながりが認められた』研究だからなのである。」


ブーリュとビュロによるルイ・ヴィーヴの実験

「彼らは精力的に実験して、異常な結果を得た。ある物質を接触させることが、身体の新しい部分の新たな麻痺及び(または)無感覚を生み出すのだ。」


「一つの実験目標は、対麻痺、すなわち、クサリヘビを見た後の刑務所農場におけるヴィ?ヴの状態だった。これは首筋に磁石を当てることで再現された。」
「磁石が首筋に当てられたとき、彼は対麻痺になっただけでなく、クサリヘビのことも思い出したのだ。」


「さまざまな物質が、他のヒステリー性身体症状を生み出していた。(中略)いろいろな金属化合物はそれぞれ、別個の身体症状と、人生の別個の部分についての記憶を持つ人格を持った、新しい状態を生み出した。」
「一八八五年の最初の論文で、第一状態から第八状態までの状態のことを述べた。一八八八年の本では、完全に発達した状態の数をに減らし、それに非常に多くの断片的な状態が加わっているとした。」


「移行は普通、誘発がなされた後、深呼吸と痙攣やひきつけを契機に始まる。」
「第六(または第八)状態は他の状態とはどこか違っていたことは言っておかねばならない。この状態は、数時間に及ぶ興奮やひきつけや幻覚で始まった。(中略)その結果現れる人格は、対麻痺のこと以外は、ヴィ?ヴの人生の出来事をすべて記憶していた。」注・ISHを連想させる。


実験の意義・意味

「私(ハッキング)が言いたいのは、ヴィ?ヴ乃担当医たちが、多重人格という観念に対し、概念空間を創造したという点なのである。」
「ブーリュとビュロは、人格を識別するための見事な方法を用意した。」


「私の見方では、ヴィ?ヴは、人格状態と身体症状が一致するような訓練を、事実上、受けていたのである。」
「最初の段階では、対麻痺と従順な第二状態の出現は、自然発生的なものだった。彼は、そのことで報酬を与えられた。(中略)彼らの期待に添い、更なる褒美を期待するためには麻痺を移動させ、それに合わせて人生の異なる部分の経験を再現し、(中略)自然発生的に起きていた状態のまねをする以上によいことなどあるだろうか?」


(アト注)
どうもこれだけ読むとまるで全体が大きな詐欺であるように感じてしまうかもしれないが、そういうことではない。
「適応の道具」という人格の基本的な機能から見る限り、どのみちそれぞれの人格は特定の契機によって”誘発”されるものである。そういう意味では今日の多重人格者が様々な状況や対人関係や内部状態という”契機”に応じて『人格』を形成・交代させるのも、ルイ・ヴィーヴが実験者の与える金属療法的刺激に対応して人格状態を変移させるのも本質的には同じことである。



記憶と人格

『以前の意識の状態を現在の状態と比較することは、過去の心的人生を、現在のそれに結びつける関係である。これが”人格の基礎”だ。自らを過去の意識と比較する意識が、本当の人格なのである。』(ブーリュとビュロ)


「ブーリュとビュロは特定の人格と特定の記憶の結びつきを明らかにした。(中略)しかし、“多重“人格の話をするときに限り、この結びつきがきわめて致命的なものになる点に注意してほしい。もし人格が二つしかないのであれば、二番目の人格は、所詮、二番目に過ぎない。しかし、もっと多くの人格があることを認めるなら、どれがどれなのかを見分ける方法が必要になる。」


(アト注)
後段は今一つ本意が不明な気がするが、要するに「”多”な状態を認めて把握するためにはともかくも一貫した症状言語や概念空間が必要なのであり、根拠に疑問はあれどブーリュとビュロはそれを提供して、精神医学(とその背景に広がる社会)の中に『多重人格』という関心領域を確立することに貢献した」ということか?

・・・・嘘から出た真。


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13.トラウマ 

・・・・「心的外傷」という意味での“トラウマ”概念

起源

「かつて『トラウマ』とは外科医が使う単語で、身体への外傷、それもほとんど戦争の負傷について使われていた。」


「トラウマが身体に関わる言葉から心に関わる言葉へと飛躍したのは、ちょうど一世紀前、まさに多重人格がフランスに現れ(中略)た時代の話なのである。」
「フロイトが一八三九年から一八九七年まで主張していた理論の中で、トラウマは既に心理化されていた。トラウマとは誘惑であり、肉体的な傷跡や外傷は残さないものの、その結果が完全に心理的なものになる出来事だった。」


「心理的トラウマという観念はフロイトの独創ではない。脳の損傷という話から、ヒステリー症状の原因であり失われた記憶を取り戻すことによって救われる。心理的トラウマという観念に通じる、一本の観念の連鎖を見出すことはごく簡単である。」


1.脳の負傷は、健忘や麻痺などの障害を引き起こす。(事実)
2.しかし頭へのショックは、肉体的トラウマがなくても健忘を発生させ得る。(事実)
3.肉体的トラウマが存在しないのであるから、2の場合の”原因”は最終的には肉体的ショックそのものではなくてそれによる
『ショックの観念』『ショックの記憶』と考えられる。(推論)
4.ヒステリーはしばしば健忘を伴う。(事実)
5.
『ショックの観念』『ショックの記憶』が健忘の原因となり得るのなら、それはまたヒステリー性健忘の原因ともなり得るはずである。(推論)
6.言いかえれば(ショックの)『観念』や『記憶』はヒステリーを発生させ得る。(論理的帰結)
7.肉体的ショックが健忘を発生させたとき、患者が肉体的ショックのことを覚えていないことはよくあることだ。(事実)
8.同様にヒステリー患者は、ヒステリーを生み出した心理的ショックのことを覚えていないのかもしれない。(類推)
9.そうであるなら心理的ショックについての失われた記憶を回復させれば、症状は消滅するはずである。(論理的帰結)



例証

鉄道脊髄症(19世紀、鉄道の普及によって広まった鉄道事故の後遺症)

「しかし、何か別のことが起きていた。事故の直後、無傷のまま歩いて帰れたものの、数日後になって、背中にひどい痛みを感じるようになったという不平をもらす乗客が現れた。」
「鉄道脊髄症の被害者には外傷、すなわち、はっきりしたトラウマはなかった。この点に関して、彼らはヒステリー患者(が示す身体的障害)に似ていた。」


『麻痺、痙攣、その他感覚異常といった(中略)障害は、(中略)観念と感情の両方が(鉄道事故による心理的ショックで)病的状態にあることが原因かもしれない』(ラッセル・レイノルズ)


戦争神経症

「戦闘の結果として発生した心的外傷後ストレス障害は、命名自体は新しいが、古代ギリシアの歴史家ヘロドトスは、二千年以上前にその障害らしきものを史書に書き残している。」


「イギリスのシェル・ショックと、ドイツの外傷神経症は、一九一四年から一九一八年まで続いた第一次大戦で大量に発生したが、もちろん、こうした影響は、昔からよく知られていたのである。」


「フランスの統計学者たちは、一八七〇年から一八七一年の普仏戦争の心理的影響に関する報告を用意した。一八七四年に出されたリュニエの『戦争痴呆症の精神病発現への影響に関して』では、何らかの戦争中の出来事が原因で長期間の苦悩を経験した三八六人の民間人が紹介されている。」
「戦争痴呆症の内容には、たいていの場合、被害者が恐怖におびえるか、自分を恐れさせることをやってはいるものの、字義通りの肉体的被害は含まれていない。」



意味

「長い間、存在論に支配されていた魂の霊的苦悩とは、誘惑に負けたわれわれ自身の罪の結果ではなく、外部からわれわれを実際に誘惑した他人によって引き起こされた、隠された心理的苦痛であると見なされるようになった」
「トラウマ(の心理化)は、この大変革の回転軸の役目を果たしたのである。」

(アト)
かなり強引にまとめてみると、
(1)19世紀の鉄道事故の研究に端を発して、外的ショック体験が健忘や麻痺などの原因不明の後遺症・身体障害を引き起こすことに注目が集まった。
(2)それらの症状の直接の原因は、外的ショックそのものではなくてそれに伴う内的・心理的ショックの方だと考えられる。
(3)(2)のような心理化された外傷としての「トラウマ」という概念が誕生。
(4)”原因不明の健忘及び身体症状”という類似から、神経症・精神障害としての「ヒステリー」も同様に考えられる。
(5)(器質性や心因性でなく)外的現実的ショック体験を契機として、ヒステリーを筆頭とする精神障害が起こり得るという認識が精神医学の世界で共有されて行った。
(6)その場合の”原因”もまた「トラウマ=心的外傷」であり、今日ではほぼこの意味でのみ用いられる。

・・・・なおフロイトは冒頭の「誘惑→トラウマ→神経症」という道筋(いわゆる”誘惑理論”)を最終的には放棄しているが、それは逆に「トラウマ」概念の完全な確立によるものである。つまりいかにある体験が苦痛として心理化されるのかが問題であるのだから、元の体験自体は(例えば)”誘惑”のような直接的にショッキングなものである必要はなく、極端に言えば患者の思い違いでも記憶違いでも何でもいいわけである。


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「真理への意志」 

・・・・”13.トラウマ”の補足。
フロイトとジャネ、二人の理論家/治療者の”知”のタイプの違い。


フロイト

「フロイトが唱えたヒステリーや、不安神経症や、神経衰弱の病因とは、これらのタイプの病気の間にはっきりした区別を描き出し、それぞれに対して特定の原因を提供することを意図したものだった。彼の病因論は非常に優れたものではあるが、何も見えない暗闇へ飛び込むような無謀な部分を含んでいる。」
(恐怖症の原因は)『性生活の異常にある。関連する性的機能の虐待の形態を特定することすら可能である』と、彼は言う。」


(幼児虐待の現実を軽視したとフロイトを批判した)マスンの説が見落としているのは、理論家であり、科学者であり、あらゆるものに適用可能な壮大な統一理論を欲したフロイトの姿なのである。そのような意図を持っていたフロイトは、彼が住む社会で発生した性的虐待には興味がなかった。(中略)彼が関心を持ったのは、<真理>と、その随伴者である<因果論>であり、単なる真相だとか、幼児そのものではなかったのである。」


「(フロイトは)多くの熱心な理論家同様、もしかしたら、自分の理論に好都合な証拠を捏造したこともあったかもしれない。フロイトは、<真理>、それも事物の深層に存在する<真理>に、価値を見いだし、これに情熱的な献身を捧げた。(中略)激しく感じられていた目的は、いかなる手段をとっても<真理>に到達する、ということだった。」



ジャネ

「ジャネには、そうした<真理への意志>はなかった。彼は高潔な(正直な/率直な)人間で、(中略)膨張した<真理>観を持っていなかった。」


「彼は、トラウマは実際には起こらなかったと患者に信じ込ませ、それによって、トラウマが引き起こした神経症を治療した。可能な限り、彼は暗示と催眠術を用いてこれを行っていた。」
「ジャネは患者に嘘をつき、その嘘を信じ込ませることで患者を治療した。」
「ジャネにとって、<抽象的真理>は重要ではなく、また患者が自分についての真実を知ることも重要ではなかった。彼は医者であり、何よりも優れた癒し手(ヒーラー)だった。」



フロイトとジャネ

「フロイトはジャネとはまさに対極にあった。フロイトの患者は、真実と向き合わねばならなかった....フロイト自身と同じく。」


「当時の状態を考えてみると、理論に忠実であろうとするあまり、再三再四、フロイトが自分自身を偽っていたのは間違いない。(中略)フロイトは、患者たちに自分についての(中略)あまりに奇怪なために、非常に熱心な理論家以外はとても提案できないような事柄を、信じ込ませていた」


「ジャネは患者をだましたが、フロイトは自分自身をだまして(現実から目を背けて)いたのだ。」



ハッキング(著者)

「患者が自己認識を持つことは、重要なのだろうか?ジャネにならって患者に催眠術をかけて自己を欺かせてはどうだろうか?」


「自己認識自体は重要だと私は考えているが、それと同時に発生する問題は複雑である。私自身の見解については、本書の最終章で述べることにしよう。」



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14.記憶の科学 

・・・・記憶に関する観念の変遷。「自我/魂」と「意識」と「記憶」。

命題

1.記憶の科学は十九世紀後半に登場した新しいものであり、それと共に、新種の真偽判断、新種の事実、新種の知の対象が現れた。
2.それまでは個人の
(社会的)アイデンティティの基準として見なされていた記憶がを解明する科学的手がかりとなったために、記憶の中にある事実を見いだすために記憶を調べることを通して、霊による魂の支配は排除された。そして、記憶についての知識が、霊の役割を果たすようになった。
3.背後には
「記憶の中には発見されねばならない事実が存在する」という観念の台頭がある。
4.その結果、これまでは
道徳と霊という観点で行われていた論争が、事実に関する知識のレベルで行われるようになった。



例証(命題1についての)

1879年7月12日、パリ<生物学協会>でのドラネ博士の発言。

「劣等民族の人々は、優等民族の人々よりも記憶がよい。」
「成人女性は、成人男性よりも記憶がよい。」
「青少年の方が、成人よりも記憶がよい。」
「知性に劣る者の方が、知性に選れた物よりも記憶がい。」
「地方人の方が、パリ市民よりも記憶がよい。」

・・・・記憶は劣等性を客観的に示すとされていた。

”記憶術”

「プラトンから(中世最盛期を経て近世)啓蒙思想に至るまで、記憶術以上に熱心に研究され、尊重されたものは他にない。」
「後世、本は最後の拠り所とすべき客観的権威になったが、当時はそうではなく、記憶術の添え物にすぎなかった。」

(特徴)
・記憶術は、騎士道と同じく、少数の人のためのもので、(雄弁家や学者などの)最高位の職業についた人だけが利用するものだった。
・記憶術は“技芸“である。つまり、記憶の方法を知ることであって、記憶が何かを知ることではない。
・記憶術は外向的なものだった。記憶術の要点は、望みの事実、物事、文章を瞬時に想記することを実現するものであり、自分自身の経験についてのものではない。


”記憶の科学”の誕生と多(二)重人格 ?リボの研究(主に命題2,4について)

[前提]

『最初に、”自我”を、意識状態から区別される実体と見なす概念を捨てることにしよう。(中略)私は、意識のある人を、複合物、つまり非常に複雑な状態の結果と見なすような、同時代人の意見に賛成する。』(リボ『実証心理学論文』1881年)


「”自我”は、自分自身に対して現れるものであるため、その瞬間の意識状態の集合になっている。いわば、その瞬間における視野のようなものなのかもしれない。」(ハッキング)
『それぞれの瞬間、絶えず更新され続ける現在においてのこの”自我”は、おおむね記憶によって育てられる。』(リボ)
『要するに、”自我”は二通りに考えることができる。実際の形態から考えると、それは意識の状態の総和である。他方、過去との連続性の点から考えると、それは記憶によって形成されるものである。』


[本論]

「リボが取った戦略は、という宗教的・哲学的観念を攻撃するのではなく、代用品を提供するというものだった。」
「単一的な”自我”を研究する代わりに、記憶を研究すべきなのだ、と。」


「”ニ分化”の症例を示すフェリーダとそれに続く者たちは、人間がただ一つの、超越的で、形而上的もしくは霊的な、自己や自我によって構成されているのではないということを示すのに、申し分のないもののように思えた。」
「これらの人々は、二つの人格を持ち、健忘による欠損部分を別にすれば、それぞれの人格が、連続した正常な記憶の鎖によって結びつけられている。」
注・つまり彼らの”正常”も”異常”も、要するに記憶の問題である。


・・・・命題3については次章で。

「現代の感受性の一面が、信じられないようなことの中で目をくらませている。すなわち、忘れ去られていたことこそ、われわれの性格や人格や魂を形成しているものだ、という観念である。」




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15.記憶政治学(1) 

・・・・「記憶」をめぐる権力闘争。

記憶の政治学

「記憶の政治学という話は、比喩ではない。<虚偽記憶症候群財団>と、様々な記憶回復セラピーのグループの間の対立は、まさに政治的なものである。」(第8章参照)


「記憶の政治学には、個人的なもの共同的なものという、二種類のものが存在する。」

「人類学的見地から考えて、
ホロコーストのような集団記憶を、集団のアイデンティティと差異を堅固なものにする方法の一つとみなすことに不都合はないだろう。その見方からすると、ホロコーストの記憶の政治学は、昔からある、人間の営みの一例になっている。」


「これとは対照的に、個人の記憶の政治学は比較的新しい。」

「個人記憶の政治学は、そうした
(十九世紀に現れた様々な記憶の)科学がなかったならば、現れることなどなかったのだ」



ジュディス・ハーマン『心的外傷と回復』

『過去一世紀以上の間に三回、特定の形態の心理的トラウマの特定の形態が、大衆の意識に浮上した。そのたびごとにそうしたトラウマの調査が、政治運動と結びついて盛んになった』


「彼女の挙げた三例とは、ヒステリーと、シェル・ショック、そして性的家庭内暴力である。」

「ハーマンが挙げた三つの政治運動(
フランス共和性反戦運動、そしてフェミニズム)は、西欧とアメリカの歴史における、顕著な出来事である。」
「実際、彼女は、その研究は、恐らく誇張と思われる運動の
『中から成長した』と言っている。」


「私の説は、内容的にはハーマンの主張と完全に一致するものであるが、調査の方向は逆になっている。」
「私の疑問はこうだ。なぜ記憶の問題は、これらハーマンの三つの事例すべてにとって、中心的問題になったのか?これら三つは、一世紀以上も前に登場した、新しい記憶の科学に深く根差した記憶の政治学を、
大いに利用したのだ
(注)ハーマンは政治学(運動)が科学を発達させたといい、ハッキングは政治学の方が科学の成果を利用して成長したと言っている。



個人記憶の政治学の深層

「ある種の知識が存在し得ることは、当然とされる。個人にまつわる事実についての主張、つまり、悪徳と美徳についてのより大きな見方と結びついた、個々の患者やセラピストについての主張が、延々論じられている。」

「これら競合する主張の根底には、記憶についての事実、つまり、その上で位置を決めるべき真偽判断が存在するという知識
(が存在する。)
・・・・
14.の”命題3”


「科学と政治学は互いに作用し合うものではあるが、政治学を可能にするのは、根底に存在する深層知識....記憶と忘却には、何らかの真実が存在するという知識なのである。」
・・・・かいつまんで言えば、個人の記憶に重要性が(暗に)認められたからこそ権力闘争が起きるのであり、それは記憶の科学誕生以降の新しい現象だということ。



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15.記憶政治学(2) 

・・・・要するになぜ記憶は重要なのか。(重要になったのか)

「記憶の政治学とは、何よりもまず、秘密に関する政治学、つまり、奇妙なフラッシュバックがありさえすれば、何か記念碑的なものに変わり得るような忘れられた出来事に関する政治学なのである。」・・・・記憶の意味付け。


「記憶政治学は何の政治学なのか?(中略)私は、人間の魂の政治学という呼び方が相応しいと思う。」



”魂”の政治学

「魂という観念(中略)は、全人類の普遍的な観念にはなり得ない。(中略)私が、自分のヨーロッパ文化から受け継いできた、歴史的に位置づけられた魂についての考え方のようなものは、他民族には存在しない。」
「結構なことだ。他民族は記憶政治学も、多重人格障害も持ってないのだから。」

(アト注)
いきなり核心的な発言だが、要するに”記憶”とそれに根差した”人格/魂”についての西欧特有の考え方が、”多重人格”という同じく特有の病気を生んでいるという主張。


「魂についてのヨーロッパ的な観念は、圧迫感を与えるもので、恐らくは父権的制度の重要な部分であろうとの主張が、何度もなされてきた。」

「魂とは、社会秩序を内面化し、社会の持続に必要な善行と蛮行を自らの中に取り入れる手段だった。(中略)それが、魂という観念の、意図せざる機能だ。」

「西洋社会が分解し始めたまさにそのとき、様々な示威運動
(ハーマンが列挙したような)の中で巻き起こったのは、魂をよみがえらせる大きな論議であり、(中略)魂の科学的な代用品としての、記憶に関する論議が行われるようになったのだ。」



「心理学」と「魂」

「心理学は魂に何を行なったのか?恐らく、心理学は、魂の科学になるという義務を果たす代わりに、実験可能な対象を発明したのだ。」・・・・(実験心理学)(定量分析)


「実験心理学は、初期においては生理学(解剖学)の実験室にならって自己形成を始めたのかもしれないが、その後、統計的な科学(生物学)になったのである。現代的な実験心理学への移行の準備を行なったのは、エビングハウスの記憶実験室だった。」

”解剖学的”から”生物学的”への移行が行なわれたのは、まさに記憶の実験の中だったのだ。」・・・・代用的魂の科学としての生物学的心理学は、記憶を舞台に発達した。



「伝記」・・・・個人記憶による物語

「個人は生物学によってではなく、思い出された伝記によって構成されている。過去の記録をとることが始まった昔から、『人生』は(中略)語られ続けてきた。」
「伝記のイメージはあらゆるところに存在する。(中略)国家はその歴史と同一視される。種は進化の対象となる。魂は、人生を通り抜ける巡礼である。一つの惑星がガイアとみなされる。」


「_すべての人が伝記を持つ、言い換えれば、社会の最底辺にいる人でさえ、伝記を持つのだという(現代的な)発想は、どこから出てきたのだろうか?」

「十九世紀の英国で、トマス・ブリントは、犯罪者の伝記を作って身元確認をすれば、社会は最終的に自衛可能になるということを、さまざまに語っている。」

医学的な症例史(中略)の目的の一つは、(中略)『慰めと分類』であった。しかし、同時に、患者の人生の物語を提供する目的もあった。」
・・・・まとめて、魂の記憶化の例。



結論

「記憶の科学は、科学が公然と語ることができない事柄についての、公開討論との場として働くことができた。魂の科学は存在し得なかった。そこで、記憶の科学が現れたのである。」

「われわれは、近親姦が悪であるかどうかについて、もはや述べることができない。そんなことをすれば、主観的価値観についての話題になるだろう。そうした話をする代わりに、われわれは科学へと移行して、誰が近親姦を思い出すかを尋ねる。」

「記憶についてなら、客観的な科学的な知識は存在し得る....あるいは、そのように、われわれは教え込まれてきたのだ。」



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哲学者の見る多重人格:古典編 

・・・・”16.心と身体”の(1)

ウィリアム・ジェイムズ『心理学原論』

「彼女を催眠トランスへと入り込ませることによって、彼女の押え込まれた感受性と記憶を取り戻す時....言い換えれば、”解離”(多重化)し、断絶された状況から感受性と記憶を救い出し、他方の感受性と記憶をつなぎあわせるとき」に、彼女は違う個人になると、ジェイムズは言う。

(アト注)
分かり難いがつまり、『つなぎあわせる』前の解離/多重化した”個人”もそれはそれで立派な”個人”だということを、この心理学の始祖的権威である哲学者も認めているという話。


「ただし、ここで言う『個人』には、何ら哲学的な重みがあるわけではない。違う個人とは言っても、これは、あいつは酒を二、三杯飲むと、別人になってしまうという程度の意味だ。」

「彼は、交代的人格を『現在の段階では回答の出せない問題』へと繋がる現象として記録した。ジェイムズは交代的人格からは、いかなる哲学的推論をも導き出さなかったのである。」



ホワイトヘッド『過程と実在』

「ホワイトヘッドの見方によると、われわれが実体として普通に考えているそれぞれの事物が、社会である。(例えば)電子は、電子の契機の社会である。(中略)この(”多重性”という)論法でいくと、いかなる有機体も社会になる。」

(アト注)
つまりこの世に存在している全てのものは、それぞれがそれぞれのレベルで独立したシステムとして(多重に)存在している。


「しかし、人間は特別である。『より高度な動物の場合には、中心的な方向が存在することにより、動物の身体それぞれが、生きている人格、または生きている複数の人格を含むことが示唆される。われわれ自身の自意識とは、それらの人格を直接に知ることである。』」

(アト注)
人間を筆頭とする高度な動物は、例えば”人格”のような本来個別的並列的な諸システムを一定の方向に階層化したり統制したりして存在し、それら全体を意識しようとする働きを有している。


「(承前)『そうした統一的支配に限界があることは、人格の解離、連続的な交代を起こす多重人格、更には強迫をともなう多重によって明示されている。』」

「ホワイトヘッドの観点からすると、多重人格はごく簡単に発生する。(中略)『
”説明しなければならないのは、人格の解離ではなく、統一的支配である”』」

(アト注)
後段部分はまず頭に置いておかなくてはならない大テーゼ。言い換えると解離が不思議なのではなくて、統一が不思議/不自然/不可能なのである。


ここまでが前提となる古典的(古くて間違っているという意味ではない)認識。


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哲学者の見る多重人格:現代編1 

・・・・”16.心と身体”の(2)

ダニエル・デネット『説明された意識』(訳書『解明される意識

「この二人(精神科医ニコラス・ハンフリーと哲学者デネット)は、臨床家とクライエントの多重社会を調査し、その共同研究は、大きな論議を読んだ『自ら語る』という論文へと発展した。
彼らは、個々のシロアリがバラバラに何かをしているときであっても、シロアリのコロニーは、全体としては単一の目的下に行動をしているように見える様子を観察した。その要点は、集合的な作用のように見えるものは、指導をする統制者を
(必ずしも)必要としないということである。」

「ハンフリーとデネットはこの事実を使って、個人とは何かということについての、部分的なモデルを示している....個人とは、多くの構成部分からなる存在だ、と。」



”大統領””国家”という比喩

デネット/ハンフリー
「彼らは類似例を提供する、すなわち、他ならぬ合衆国である。われわれはアメリカの特徴を語るとき、そのがむしゃらさ、ヴェトナムの記憶、永遠の若さという幻想を口にする。しかし、こうした特質を統合する、支配的実体は存在しない。『
<ミスターアメリカ的自己>というようなものは存在しないが、地上のすべての国には、事実上<国家の首長>が存在する』という。」

「アメリカ大統領は国家の
価値観を代表し、それを説き、そして『他の国家との交渉という事態になった場合は、スポークスマン』になるものと期待されている。」


ホワイトヘッド
「興味深い偶然の一致ではあるが、ホワイトヘッドも、似たような比喩を使っている。個人となるためには統一的な支配が必要だという点に注目した彼は、『これら他の現実を統括している、
別の知性(米国市民すべての上にいるアンクル・サムのようなもの)を要求してはならないのは明らかだ』と書いた。」



結論

「それにもかかわらず、他人との関係の持ち方を含め、さまざまな点で決定的に重要な構成部分を一つだけ持つことも可能である。大統領との類似の話からすれば、それは、構成部分の集合体の観点の主席代表のようなものである。」


(アト注)
要するに
赤字で示されている部分が対外的に統一性を要求されるいわゆる「自分/人格」であり、ひいては通常われわれが統一的な感覚を持って「自分」と感じている部分。
一方で
青字で示されている部分はわれわれが時に幻想する「本当の自分」、あるいはある種の神秘思想が策定する「超越的な自己」であるか。

「こうした類推から、多重人格についての新しい考え方が示唆される。構成部分は、交互に代表になるわけだが、構成部分が作り上げている組織全体にある、様々な考えをめぐって、代表または、大統領としてうまく機能する部分もあれば、うまく機能しない部分もあるという考え方だ。」


(アト注)
つまりうまく機能”しない”部分が代表の座に就くと、あるいは代表の座をめぐっての内部の「政治」に混乱が起きると、『障害』としての多重人格が発生するということ。



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哲学者の見る多重人格:現代編2 

・・・・”16.心と身体”の(3)

スティーヴン・ブロード『一人称多数....多重人格と心の哲学』

根底に存在する単一の自己という観念を、デネットが心の底から否定したのに対し、ブロードは、そうした実体の必然性を固く信じていた。」


「多重人格の存在そのものが、形而上学的魂だとか、必然的に統一された自己だとか、超越的なエゴといった観念とは、矛盾するに違いない(ように見える)。」

「しかし、ブロードの議論は逆である。彼は、多重人格という現象そのものが、その多重性の下での統一を要求しているのだ、と主張する。(中略)ブロードは、超越的なエゴが存在するに違いないという結論を下す。」



「ブロードは、根底にある自己というものが存在すると考えているが、この観念を示すもっとも明白なモデルは否定する。」

「発見されるのを待っている
真の個人、つまりずっと前から存在していて、治療の中で明らかにされる、真の個人というものが存在とする考え(をブロードは否定する)

「初期のアメリカの記録者たち(中略)は、
本当の人格について、何らかの理念を持っていたようである。どの交代人格が、真のミス・ビーチャムなのか?彼女を育てよ、そして彼女が発見されたならば、それ以外のものには出て行くように命じよ

「これを踏まえてブロードは、分裂を起こして矯正を必要としているような、
本来の個人というものがあるはずだ、と論じている。」
(アト注)つまり”本当の人格”が隠れているのではなく、”本来の個人”が損なわれているのだという考え。


「真の自己ではなく、あらゆる自己の中心となる核が存在するというブロードの主張は、一人の人間が持つ複数の交代人格は、共通した基本的技能を持っているという観察から始まっている。それらは歩いたり、道路を横断したり、靴紐を結ぶことができる。それぞれの状態のときに、多大な再学習を要するようなまれな多重人格者ですら、普通の技能はほぼすべて保持している。」

「とすれば、交代人格どうしの持つ共通の技術に説明をつけ、共在意識を持った交代人格が相互に影響し合うことを可能にする、
基質のようなものが存在するに違いない。」


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17.過去の不確定性(1) ?「行為」と「記述」 

金庸の次の本が借りられないので、氷結コンテンツ化していた「多重人格」部門を解凍。

イアン・ハッキング『記憶を書きかえる』要約の続き。

記憶を書きかえる―多重人格と心のメカニズム記憶を書きかえる―多重人格と心のメカニズム
(1998/04)
イアン ハッキング

商品詳細を見る
なんと前回は’06.10.24で、前の内容など誰も覚えてないでしょうが、基本的に1章ごとに把握出来る本なので、まあ読めばだいたい分かるかなと。
初見の人は、一応「はじめに」だけ目を通していただくといいと思います。


(テーマ)

ほとんど文法に近いものを哲学的に分析することは、記憶と多重人格の問題にとって手助けになるかもしれない。


私が述べたいのは、過去の人間の行為の不確定性である。
この場合、不確定なのは、われわれの行為に関する何事かであって、その行為に対するわれわれの記憶ではない。



「行為」と「記述」

意図的な行為とは、「ある記述の下」でなされる行為である。


「記述」・・・・物理的動作そのものとは別の、(行為の)描写や意味付け。例えば『殺す』という概念があるから『殺人』が出来る。そして『殺意』も持つことが出来る。


新しい記述が利用できるようになり、それが広まったとき、または、それについて発言したり、考えたりしてもかまわないような事柄になるとき、わざわざ選んで行えるような新しい物事が生まれるのである。


多重人格は、不幸な個人になるための新しい方法を供給した。


以下、実例。

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17.過去の不確定性(2) ?「出来事」と「記憶」 

(1)より。


「出来事」と「記憶」

現在、ほとんどの人々は、記憶それ自体は、作動すると忠実な記録を残すビデオカメラとは違うという、ごく当たり前の考え方を受け入れている。

われわれは、経験した一連の出来事を、(中略)色々な要素を再配置し、修正して、それらを思い出す際に意味のあるものへと作り変えたり、時には、謎めいていて、矛盾すら生み出してしまうような構造しかもたないものへと作り変えるのである


活動そのものは記録されるが、<ある記述の下の行為>は記録されないのだ。


それが心象であれ、画面上のビデオ映像であれ、イメージというものは、「この二人の男は何をしているのか?」という質問に対する、十分な答えを用意するものではないのだ。


われわれが心理学的に興味を持つような思い出された過去とは、あいさつとか、取り引きの合意といったような(注・上”二人の男”)、まさに人間の行為の世界なのである。



(参考)”トラウマ”の実体 ?「意図」下の出来事と非個人的な出来事

現在、恐ろしい事故の犠牲者と時々面接するという、研究のようなものが行われている。
(中略)
トラウマの専門家はこうした出来事に強い関心を持って、犠牲者たちの記憶を(心的外傷後ストレスの症状と共に)何度も研究している。この分野の先駆者ルノア・テアは、(中略)彼女が単事象トラウマと名付けたものの犠牲者は、(例えば幼児虐待のような繰り返されたトラウマの犠牲者とは違い)何が起きたかについて明晰な記憶を保持していると、彼女は主張している。


しかし、私は、こうした事件と取り戻された記憶の間の、もう一つの相違点を指摘しておきたい。トラウマの本質的特徴は、人間の行為ではなかった。トラウマとなる出来事は、出来事そのものであり、意図や記述の下での行為は起こらないのである。


従って、わたしは、人間の行為によって引き起こされたトラウマに、個人の行動とは無関係な状況によって引き起こされたトラウマの結果を適用することに対しては、強い警告を発したい。



過去の”改訂”

新しい記述の下における古い行為は、記憶の中で再体験されるものなのかもしれない。
そして、もしこれらが純粋に新しい記述、すなわち、そのエピソード(記憶)を覚えたときには利用できなかったか、または存在しなかったような記述であるならば、ある特定の意味で以前には存在しなかった何事かが、現在、記憶の中で経験されていることになる。


私が言いたいのは、行なわれたことに対してわれわれの意見が変わるということだけではなく、ある種の論理的な意味合いにおいて、行なわれたこと自体が修正されるということなのだ。
われわれが、自らの理解と感受性を変えるにつれて、過去は、ある意味において、それが実際に行なわれたときには存在しなかった意図的な行為によって満たされていくのである。



(3)へつづく。


17.過去の不確定性(3) ?「記憶」と「物語」(前) 

(1)(2)より。

「記憶」と「物語」

思い出すという行動にもっとも似ているのは、物語を語るという行動である。記憶を表す隠喩は、物語である。


われわれは自分の魂を、自分の人生をつくりあげることによって構成する。
すなわち、過去についての物語を組み立てることによって、われわれが記憶と呼ぶものによって、われわれは魂を構成するのである。


記憶と光景

行為とは、ある記述の下の行為であると私は主張したが、私は、人間の様態を絶えず言葉で表現することが可能かどうかに疑念を持っている


想起が得意であるというとは、提示が得意であると言うことだ・・・・・・それは物語の技術なのである・・・・・・すると、思い出すことは、信頼のおける言葉による語りという形態を取り得る。」(ギルバート・ライル)
ライルが述べているのは、われわれが思い出したり、想起したり、追想するやり方の”ひとつ”は、物語によるものだ、ということに他ならない。このことは、思い出すことと、物語ることが”同一である”ということにはつながらない
ライルは、エピソードを想起することについて書いていたが、レッシングと同様に、彼は光景についても述べている。


いわゆる”フラッシュバック”について ?”光景”的記憶

(”迫真”性)

それは、おそらくは何の誘因もないまま、不意に取り戻される光景またはエピソードのことである。
脳裏をよぎる程度のこともあれば、どっと感情が押し寄せる場合もあるだろう。


記憶が直接的物語となるとき、その記憶は細部や、調子、内容の点で、誤ったものとなる。
しかし、フラッシュバックと取り戻された感情は????それらは真正の再体験なのである。


そうした記憶は、(その記憶の真実性について)何らかの特権を与えられている。少なくとも、そのような示唆がなされるのである。


(実態)

しかし、実際、フラッシュバックは、それほど堅固なものではない
最近の記憶セラピーはフラッシュバックを支援することで、フラッシュバックを安定させる
これに対して、ジャネとゴダードは、時には催眠術の暗示の言葉を二、三、加えながら、そうしたフラッシュバックを弱めて、除去した



”物語”と光景(フラッシュバック)

情動や感情のフラッシュバックは容赦なく真実を指し示しているという観念の背後にある、まったく別の要素について主張しておきたい。記憶を物語とする観念が一般に浸透していたということが、それに関係する。


論理的誤謬は、思い出すことと物語ることを同一視することから始まると言えよう。そのことが、フラッシュバックを、他の記憶とはまったく性質が異なるものに変えてしまう。


・・・・つまり、「物語としての記憶」(記憶が物語である)という側面を意識し過ぎる、固定的に考え過ぎるから、物語的でない記憶=フラッシュバックが特別に見え、特別な真実性を持つものと感じられてしまうということ。


文法の中で記号化される、思い出すという行動について我々が持つ共通の概念は、さまざまな光景を思い出すことだという点を、言っておきたい。
多くの場合、これは物語によって提示される光景を思い出すことなのだが、やはりそれは、様々な光景やエピソードについての記憶であることに変わりはない


もし回想(含むフラッシュバック)が、光景やエピソードを思い浮かべる(そして、それらを時折、記述したり、物語として語ったりする)ことにたとえられるとすれば、その回想は、その他の思い出す行動と、本質的に異なるものではない。


(後)へつづく。


17.過去の不確定性(3) ?「記憶」と「物語」(後) 

(前)から。

物語と原因

記憶は物語そのものではないが、物語として表現されることにより特定の機能を持つ。

物語は原因を要求する。(中略)おとぎ話はおとぎ話的な因果関係を創造する。


因果論の鎖が緊密なものになればなるほど????すなわち、病因が特定化されればされるほど????物語はそれだけ見事なものになるのである。


多重人格は、取り戻された記憶に対して、最も利用しやすい物語の枠組みを提供するのである。


人が自分の過去の致命的な部分をうまく想起するのは、人がそれを首尾一貫した物語に形作る技術を獲得したときであるというライルの主張に、同意する。それこそまさに、多重人格の因果論的知識によって提供されるものである



まとめ:暗示と多重人格

暗示と医原性に多重人格の起源を求めるモデルが、多重人格について懐疑的な者から、次々に出される。
しかし、多重人格の擁護者たちは、自信たっぷりにそうしたモデルを否定する。


私も、そうしたモデルは、貧弱で皮相的なものだと思う。(しかし)


(「物語としての記憶」に理論的免疫のある)
精神分析と密接な関係を持つ研究者たちを別にすれば、取り戻された記憶に取り組む臨床家たちは、多重人格の兆候をあまりにも素直に受け入れてしまう。


つまり両者に問題がある。

多重人格に肯定的な臨床家による、患者への「暗示」が存在するように見えるからといって、多重人格が虚偽だor本来的に医原性だということにはならない。記憶はそもそもが物語的に編集されることによって確定・想起されるものなのであって、”多重人格”という「物語」に沿っている構造が見えるからといって、その記憶が特別に作り物なわけではない。

一方でいったん”多重人格”という物語が、ある時代ある文化の医者と患者たちによって共有されると、患者の記憶(の想起)がその物語に効率的に沿う形でなされる傾向があるのは確かである。
従って、そうした患者たちの記憶や症状が、よく知られた”多重人格”の物語に符合的であるからといって、一足飛びに診断を下すことは控えなければならない。

まとめて言うと、過去においても現在においても、何らか”多重人格”的症状・現象は実在したであろうが、今日の『多重人格』が今日のようであるのは、今日流布している”多重人格”という「物語」の影響によるところが大きい。


18.虚偽意識(1) 

虚偽意識と虚偽記憶

虚偽意識という言葉で私が表そうとしているのは、ごく普通のことだ。つまり自分の性格と過去について、全くの虚偽の信念を形成した人々の状態のことである。


虚偽記憶とは、虚偽意識のごく一部にすぎない。「虚偽記憶症候群」[補1]は普通、ある人の過去において、絶対に起こらなかった出来事の記憶のパターンのことをさすためである。
出来事の思い出し方が不正確だ(ほとんどの出来事の記憶はそうだが)ということではない。むしろ、その出来事らしきものが、起きていなかったということなのだ。



虚偽記憶の種類

実際のところ、その(↑)症候群は、矛盾記憶症候群と呼んだ方がふさわしい。なぜなら、その見せかけの記憶は、単に虚偽であるだけでなく、あらゆる現実と相反するからである。(中略)これは、<虚偽記憶症候群財団>[補1]が宣伝している類の「記憶」である。


単純虚偽記憶というのは、今述べた矛盾記憶の例とほぼ同じ内容で言えば、そのおじが、記憶の中で、本当の加害者である父親を隠蔽するためのものになっているというものである。このため、その記憶はあらゆる現実と矛盾するわけではないが、過去は根本的に作り直されている。


関連するもう一つの記憶の欠陥は、不当忘却とでも呼ぶべきものである。
これは人の性格または本性にとって不可欠な中心事項を、その人の過去から抑制することである。
私が述べているのは(自分による)(無意識の)抑圧ではなく、(誰かまたは何かによる)(故意の)抑制である。


”欺瞞記憶”

矛盾記憶、単純虚偽記憶、不当忘却(中略)とその他の可能性を合わせて、欺瞞記憶という見出しの下にまとめてみよう。
私がこうした複合語を次々造語しているのは、厳密に言えば、我々が関心を持つのは記憶ではなくて、見せかけの記憶や記憶の不在であるということを示すためである。


欺瞞記憶の中に、私は、見せかけの記憶や、記憶の不在、過去についての明確な事実の不在(≒虚偽記憶)を含めることにする。



虚偽意識と欺瞞記憶

記憶政治学[補2]がおおむね成功したために、われわれは自分自身を、自分の性格を、自分の魂を、過去によって形成されたものと考えるようになった。


このため、現代において、虚偽意識はしばしば欺瞞記憶を含むことになる。

虚偽意識が成立するためには、われわれが何者であるかということに対するわれわれの認識の一部として、欺瞞記憶が使われているに違いない。


・・・・どういうことかと言うと、「自分」=「自分の過去」(の蓄積)という認識が自明視されるようになった現代においては、(現在の)自分についての誤った”意識”は、誤った”記憶”によって形成されているはずだと、論理的にはなるということ。

しかしこうした認識、結び付けは、かつては必ずしも一般的ではなかった。

デルフォイの神殿に刻まれていた「汝自身を知れ!」という銘文は、記憶に言及したものではない
この言葉が要求しているのは、自分の性格を、自分の限界を、自分の必要を、自己欺瞞的な自分の性向を知れ、ということである。すなわち、われわれは自分のを知らねばならないと言っているのである。


記憶政治学が現れたことにより、ついに記憶が魂の代用品となった[補3]



・・・・総括的な内容で読解に必要な前提が多いので、次にまとめて(補)をつけます。

(2)へ


18.虚偽意識(2) 

(1)より。
[補]を付けるとか言ってましたが、ちょっとやってみたらそれほどの必要性を感じなかったので、ともかく先に進ませてしまいます。参照リンクくらい後で付けておくか。


欺瞞記憶は常に虚偽意識をもたらすか

(ジャネのケース)

私の考えでは、ピエール・ジャネほど、体系的に欺瞞記憶を研究した人はいない。
ジャネは至高の動機からそれを行った。彼の患者たちはひどく苦しんでいた。

患者たちの症状を引き起こしたのは、誤って思い出されたトラウマだった。(中略)
ジャネはこれらの女性に催眠術をかけて、こうした出来事は起こらなかったのだと信じ込ませた。(中略)どちらの場合も、ヒステリー症状は消えた


マリーとマルゲリート(↑これらの女性)は、自分で記憶を抑制したのではなく、ジャネが抑制を行った。そのため、私の定義に従えば、彼女たちは(中略)不当忘却したのである。
われわれは、これらの女性が虚偽意識に苦しんだなどと言うべきであろうか?


つまり”至高の動機”、治療や患者の現実の苦痛を和らげるための「不当」忘却であるという、倫理的な観点と、実際に「忘却」(とそれによる治癒)が成功しているという、現実的観点と。
少なくともジャネの患者たちは、虚偽意識に”苦しんで”はいないように見える。

(ゴダードのケース)

おそらく不当忘却であったと思われる、歴史上の別の例に目を転じよう。
ゴダードの治療した十九歳の女性バーニスは、四歳の交代人格、<不愉快なポリー>を持っていた。バーニスは繰り返しゴダードに、父親との近親姦の話をした。ゴダードは彼女に、恐らくは催眠術を使って、それが空想であると信じ込ませた


バーニスは、確かに欺瞞記憶を持っていた。マルゲリートやマリーとは違って、私は、彼女もまた虚偽意識を持っていたと思う。
と言うのは、一九二一年であれば、われわれも、彼女も、また彼女の属していた社会に住む人々も、彼女の人生における単なる出来事と考える程度の出来事や行動様式を、彼女が忘れていなかったからだ。近親姦は彼女の成長、彼女の家族、彼女の少女時代に関する、きわめて重大なことだった。


19世紀後半から20世紀初頭にかけて活躍したジャネとの年代的ギャップ(つまり近親姦の影響をより重要視する社会の変化)と、推測されるゴダードの治療のやり口の粗さから、バーニスの忘却は不完全であったということ。


虚偽意識はなぜいけないか

”功利主義的”観点

・バーニスには妹がいたので、父親による近親姦がもし事実であったなら、ゴダードの誘導した不当忘却によって、せっかくバーニスが発した”警告”が無にされた可能性がある。

・もしバーニスが1951年に生きていたら、仮に不当忘却が成功しても、巷に飛び交う近親姦≒性的幼児虐待にまつわる様々な情報や言説に刺激されて、バーニスは事実を思い出さないまでもなにがしか強い不安感に苛まれたであろう。

・そうでなくても不当に忘却させられた記憶/虚偽に基づいた意識は、いつ引っくり返るか分からない。(それを分かっていたジャネは、再度の催眠治療の為に自分は患者より長生きするつもりだと、冗談めかして言っている)

・基本的には「セラピー」というのは功利主義的/実用主義的なものであり、上記のような実害が無ければ虚偽意識そのものには反対する根拠をもたない。

道徳的観点

私はそれでは満足しない。われわれは、魂と自己認識について、別の見解を持っている。(中略)
それは完全に発達した人間とは何かということについて、われわれの心に深く根差した確信と感受性に由来する。それは西洋の道徳の伝統???バーニスも、ゴダードも、そして私自身も持つ道徳の伝統???の一部をなしている。


先取り的に結論だけ言うと・・・・

自己認識は、それ自体が価値をもつ美徳なのである。
人々が感傷的でない自己理解を得ることで、自らの本性を満たすようなやり方を、われわれは高く評価する。


これらの価値観が、虚偽意識はそれ自体が悪であると示唆するのである。



詳しくは次で。


18.虚偽意識(3) 

(1)(2)より。
もうちょっと。もうちょっとだ。


「個人」についての(西洋の)道徳


一、アリストテレスの『目的論』

(神と離れた)個人が存在する目的は、自意識を持つ完全な個人に成長することである。(決定論・運命論的な「成長」「成熟」)

二、ジョン・ロックの『唯名論』

記憶が個人のアイデンティティの基準であり、本質である。(事実性/社会性を主眼とする合理主義)
・・・・法的責任主体としての「個人」。

三、カントの『自律』(倫理学)

人間は道徳的な自己を構築することに責任がある。(自由と選択。後述)

四、記憶政治学(記憶の科学)

個人は記憶と性格によって構成される。”二”の強化版科学版。
記憶の正確性や一貫性、それに基づく性格の安定性こそが、個人の根源でありアイデンティティである。

(注)
基本的に”三”の立場に立つ筆者にとって”四”は、個人の現在や未来が、記憶、つまり偶然的な過去の経験のありようによってのみ決定されてしまうという受動性、無責任性において、不十分な考え方である。



「自律」と「自由」 ・・・・”三”について

その道徳理論を特徴づけているのが、カントであれ、ルソーによるものであれ、ミシェル・フーコーであれ、変わりはない。(中略)
彼らは、自分自身の性格、自分自身の成長、そして自分自身の道徳性に対する責任の取り方を自覚することを求めた。


・・・・「自律」

これらの哲学者は、自然界の万物と同じく、われわれ人類は、生まれつき目指そうとする、完全に定義された目的を持っているという古代ギリシアの観念を克服した。(>一、アリストテレス)
と、いうよりも、現代においては、われわれは、自分で目的を選ばねばならなくなったのだ。(中略)
われわれは、なぜその目的を選ぶかを理解しない限り、完全に道徳的な存在とはなりえないのである。


・・・・「自由」


「自律」と「自由」の観点からの、ゴダードによるバーニス・Rへの治療の批判

彼女は再構築され、ゴダード博士の住む男性支配世界、つまり娘を犯すような父親はほとんど存在せず、あまり丈夫ではない若い女性が、パートタイムの秘書として働ければ、治療は済んだとされるような世界の中に組み込まれたのである。(中略)
既に(近親姦によって)かなり弱められていた女性としての自律は、いかなる形のものであれ、事実上、抹殺されたのである。



ではどのようなセラピーが望ましいか ?現代の多重人格セラピーの問題 

(現代アメリカの多重人格セラピー/運動への)
慎重な懐疑論者たちが心配するのは、多重人格セラピーを受けて、一ダース以上の交代人格たちと懇意になり、そうした交代人格たちは幼いころに、性的虐待を含むトラウマへの対処の手段として形成されたと信じる患者たちのことなのである。


これは今日典型的な多重人格の症例・セラピーの、事実としての”否定”ではない。

幼いころの虐待の記憶らしきものが、必然的に悪いとか、歪められているというような出過ぎた意味ではない????それも真実そのものなのかもしれないから。


そうではなく、(それらの”セラピー”の結果)最終製品としてできあがるのは、念入りに加工された個人であって、われわれ人間を、個人として成立させるために必要な目的に向かって努力する個人ではないという意味である。
すなわち、自己認識を持つ個人ではなく、(多重人格をめぐる出来合いの物語に自分をはめ込むことによって)自己理解をしたつもりになって、口だけはよく回るが故に一層悪い個人なのである。


彼らが尊敬するのは、クライエントに自信を持たせ、自分の人生を生きていけるように支援する臨床家である。


過去と虐待者への被害者意識を煽るだけでなく。
ここらへんをフェミニズム的な観点で言うと、

あまりにもたくさんの多重人格セラピーが、暗黙のうちに古い女性のモデルを強固にしている(中略)
すなわち、勇気を持ち続けることができずに、弱い女性としての自分自身の物語を、過去にさかのぼって創造する受動的な女性という


自分は虐待の被害者(でかよわい女性)なのだから、無力なのは仕方ないのだ、という逆の安心感。


(結論)

以上は基本的に、セラピーの効果・妥当性という、功利主義的な観点によるものだが、

私の考えでは、彼ら(慎重な懐疑論者たち)が心の中で疑っているのは、多重人格セラピーの結果は、ある種の虚偽意識ではないかという点である。これは、深遠な道徳判断の問題である。


”虐待”を中心とする特定の病因論の枠組みに進んで飛び込むことによって、真の自己認識の機会をあらかじめ奪われてしまう。

個人というものは成長し、成熟して、自分自身を知るようになるという考え方に、虚偽意識は反している


それは人間であるとはどういうことかという問いに対してわれわれが持つ、最良の見解に反しているのである。



・・・・最後に自分の言葉でまとめて、終わりにします。


『記憶を書きかえる』 ?序説(1) 

記憶を書きかえる―多重人格と心のメカニズム記憶を書きかえる―多重人格と心のメカニズム
(1998/04)
イアン ハッキング

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延び延びになってましたが予告しておいた” まとめ”を、今年中にやらなければと改めて手に取ったら、実は”序説”の項をやってなかったことに気が付きました。
当時(’05.8月)は多分必要無いという判断だったのだろうと思いますが(マジ覚えてない(笑))、むしろまとめというか頭の整理には必須な感じなので、順番変ですがそそくさとやります。

これを皮切りに、トントントンと、出来れば今回初めて読んだ人でも一応の理解が出来るようなまとめに、なればなあと。


記憶への関心と記憶の科学

幼児虐待が引き起こすと言われている多重人格の治療は、失われた苦痛の記憶を思い出すという作業になる。
年老いてゆく人々がアルツハイマー病を恐れるのは、それが記憶の病とみなされているからだ。
脳の科学的研究は、生化学的な手法で心の中へ踏み込むというきわめて異常なものだが、その主たる研究対象は記憶である。

このように、ただ一つの言葉のもとに、驚くほど多様な関心が引き寄せられている。すなわち、「記憶」という言葉に。


昔から人々は記憶に強く引きつけられてきた。(中略)しかし、記憶が科学として研究され始めたのは十九世紀後半にすぎない。
特にフランスの研究者たちは病的な記憶に対象を定めており、多重人格はそうした新しい科学の一部として一八七六年に姿を現した。


二十五年前(注・1998年刊)には問題にもされなかったこの病(多重人格)は、現在では北米中に蔓延している。
(中略)
人格断片への解離は(現在の理論によると)長い期間忘れ去られていた子供時代の虐待によって引き起こされる。
このように多重人格は、それ自体は小さな問題だとしても、記憶に関するパラダイム的な概念なのである。

・・・・つまり暗に、「記憶に関するパラダイム的な」 転換が、”記憶の病”としての多重人格の、現代の北米における「蔓延」を生んでいると、言っているわけですね。


記憶と魂、科学と宗教

それまでの科学は、魂そのものの研究からは除外されて来た。(中略)
記憶の科学は魂を知識に、そして科学に置き換える方法を提供するものだ。
かくして精神の闘いは、魂そのものではなく記憶という限定された分野で展開されることになり、しかもその記憶に関して、当然持つべき知識が存在するはずだと考えられるようになったのだ。


この書き方には少し注意が必要かも知れません。
まず”限定”という言い方ですが、筆者はこの”限定”を批判しているわけではありません。単に事実・・・・”事態”と言った方がいいかな、それを描写・追認しているだけです。
ただではこの動き全体を肯定している、認めているのかというと、それもそうではありません。結局のところ、「魂を記憶に置き換え」る、この行為自体の正当性を実は認めていないのです。”置き換えられない”と言っていると、いっていいかも知れませんが。
しかしそれは、宗教や伝統的な考え方の立場に立って、「魂」の”神秘性”を支持しているというそういう意味でもなくて・・・・。次。


私は魂が、単一のものだとか、本質そのものであるとか、一個のものだとは思わないし、さらに言えば、ものだとさえ、思っていない。
魂は個人のアイデンティティの不変の核を示すものではない


順番逆ですがまず特に後半部分について、この書き方は僕はちょっと問題があると思います。
魂が「個人のアイデンティティの不変の核を示す」かという設問は実際には存在していなくて、「個人のアイデンティティの不変の核を示す」もの、それを『魂』と呼ぶ/呼んで来たわけでしょう。言わば定義というか、”名前”のことなわけで。ここをつつくのは、違うのではないかという。少なくとも特定の宗教/宗派の、特定の『魂』概念を攻撃するような意図があるわけでなければ。ずばり”キリスト教社会”においてすら、もっと緩く、『魂』という概念・言葉は、受け止められているはずです。
実際に言いたいことは前半部分であり、また以下のようなこと。


私は、魂はそれよりももっと控えめな概念であると考えている。
魂とは、個人の持つ様々な側面を奇妙な割合で混ぜたものなのである


つまり「単一のもの」でも「一個のもの」でもないということ。何が。個人が。または「個人のアイデンティティ」が。元々
本来人はそういうものであり、ここでは特にそう言ってませんが、だから「多重人格」も殊更驚くようなものではないと。(”人格”の定義は措くとして)
ここにもう一度「魂」という言葉を組み込んでみると、筆者のやったように「魂は個人のアイデンティティの不変の核を示すものではないと言うのではなく、「個人のアイデンティティの不変の核」という意味での(としての)「魂」は存在しないと言った方が、分かり易いのではないかと思います。

では個人のアイデンティティはどのように保持されているかと言えば、「様々な側面を奇妙な割合で混ぜたもの」として、存在しているわけです。
・・・・混合物がアイデンティティだと言われるといかにも不安というか、虚無的に聞こえるかも知れませんが、例えば僕はここらへんを、「関数」や「数式」というイメージ/比喩で、ある時期から把握して来ました。つまり「様々な側面」や要素が、ある(例えば)数学的法則性に従って処理される、「割合」が決まって来る自分なりのパターン、傾向、”数式”、それが『自分』の、『自分』らしさの本体であるということ。
”これ”と指せる実体・要素としての「本当の自分」はいないけれど、決してランダムでも無秩序でも、無個性でもないというわけです。
ていうか”僕”も”あなた”も、要素自体はだいたい共通しているわけです。結構ありきたり。だからそこに違いを作ろうと、一生懸命資格を取ろうとしたりする人もいるわけですけど(笑)、問題は要素ではなくて要素の処理パターンなわけですね。それとてかなりの共通性はありますが、逆にどうやっても完全には一致出来ないという逆側の悩みも人間には存在しているわけで、そこに「個性」は否も応も無く、存在するわけです。

だいぶ僕の意見が入ってしまいましたが(笑)、本題に戻って「ものだとさえ」と青字で強調した部分、それが何を意味するかというと、僕の語感だとそれは特にその前の部分で言えば「本質そのものであるとか」と親和性があると思うんですが、要するに(固定した)実体としての自分自身(の核)という把握、それを否定しているわけです。
・・・・分からないか、つまりですね、「もの」として魂が無意識にイメージされてしまっていたからこそ、「記憶」という別種の”もの”(物理・化学的過程)に、置き換えられるという隙が出来てしまったということです。魂という”もの”と、記憶という”もの”。哲学的にはある意味同カテゴリー。

ここらへんについて補完的に引用すると、こんな感じ。

魂を考えることは、あらゆる発言の源となる一つの本質、一つの霊的地点が存在することを認めるのとは違う。


要するに伝統的・宗教的な、”魂”観ですね。

まとめて言うと、筆者の言う”魂”、僕の言い換える個人のアイデンティティは、

 1.単一性を属性として持っていない。
 2.”もの”ではない。実体でも特定の要素でもない。

この二つのことが、やや癒着気味に語られているというのが、僕の読解。


一回切りますね。ではどうなってるのかというのが、次。


『記憶を書きかえる』 ?序説(2) 

(1)より。

アイデンティティの不動の基盤は無い。では?


人間を「つくりあげる」

私が記憶と多重人格の研究を始めたのは、ある種の人々(≒現代の”多重人格”者)がどのようにして現れたかを考えていたときのことだ。
(中略)
多重人格の話は、非常に複雑なように見えても、実は、人間を「つくりあげる」話なのである。


「現れた」(る)も「つくりあげる」も、要は同じ種類の概念。

多重人格という”病気”にかかった、のではなく、多重人格者というタイプの人間に”なった”、形成されたということ。
「複雑なように見えても」というのは、「異常・例なことのように見えても」とでも言い換えれば、よりニュアンスが伝わるか。
要は”人格””形成”である。人間形成というか。


現在、多重人格についての議論では、子供のときの記憶、つまり取り戻されるだけでなく記述し直される記憶が争点になっている。


直接的には”虐待の記憶”を”取り戻した”、元・子供たちの告発と記憶の正当性・事実性が、少なくとも一部疑惑の目にさらされていること。(該当箇所)
しかしそれは必ずしも詐欺や意図的な虚偽ではなく、成長した子供が大人になってから抱いた観念、与えられた知識によって、自ら思い込む、実際に「記憶」が”形成”されるらしいことが分かっている。


取り戻された記憶が過去を変える。
過去は再解釈され、組織化し直され、現在の人生にうまくつながるように変えられる。


そしてそれは別に多重人格者や精神障害者特有のものではなく、広く人間の記憶一般に見られる現象である。
また”無”から”有”がねつ造されたりする極端なパターンもあるにはあるが、多くは”解釈”や”組織化”のレベルで、しかし現在を生きている当人にとっての意味・機能としては、ほとんど「違う事実」に近いような変更が、しばしば無意識に行われている。


私は、単に人間をつくりあげるということだけでなく、自分の記憶を書き直すことによって自分自身をつくりあげるということを論じなければならない。


では筆者はこれを嘆かわしい”誤り”だと考えているのかと言えばそうではなく、

 1.まずそれはほとんど人間の記憶にとって本質的で不可避の過程・作用であり、
 2.そうやって生きるのが人間というものであり、また「記憶」自体、そもそもそういうもの(事実性ではなく利用可能性)だと考える
   べきである。
 3.そしてそれは、ただ生きるのでも過去(=記憶)の結果として受動的に生きるのでもなく、あるべき自分として能動的に生きると
   いう、古来人間にとっての道徳的義務だと考えられて来た、その考え方に合致することにも繋がる。(該当箇所)


・・・・なぜ最初の時にこの『序説』を飛ばしたのか分かりました。ここだけ読んでもよく分からないからです。(笑)
全体を読んだ後なので、僕は補完しながら説明出来ますが。
同じように全体を読んだ(当たり前だ)訳者北沢格さんによる”あとがき”からも、関連して抜粋しておきましょう。

著者の考えでは、過去の記憶が曖昧だというよりは、過去そのものが曖昧なのである。
現在の観点で過去を見ることは、無意味だからだ。
(中略)
(あとがきの)冒頭で触れた「自分探し」の話で言えば、自分を「探す」のではなく「つくり上げる」という意識を持つことが重要だ、というのが著者の考えではないだろうか。


ここで、(1)で述べた”アイデンティティの不動の基盤の不在”ということと、繋がるわけですね。

まず過去そのものが曖昧だとはこの場合どういうことかというと、「客観的事実」(性)が無いとは言わない。言わないけれど、どのみち”現在”を形成しているのはそうした事実性そのものではないということです。「機能」としての過去の曖昧性というか。
学者が一生懸命研究している人類や国家の「歴史」ですらもそういう傾向は強いわけですから、そうしたことのなされない、あるいはたまたま一人の精神科医が” 研究”しただけの個人の「歴史」など、甚だ当てにならないか生兵法であり、それにより不幸な間違いや争いも起こったりするわけですけど。
「現在の観点で過去を見ること」は、言うなれば事実性の問題に加わるところの”史観”の問題、それによる更なる研究や確定の困難という事態を指しているか。

というわけで「真実の」「理想の」自分を求める、それはいい。
しかしそれを過去やありものとしての基盤に”探し”ても、そんなものは見つからないよと。あるいは過去は過去でしかないよと。
むしろ過去(の記憶)は単なる”材料”の、大きくはあるけれど一部だと割り切って、あくまで意思的主体的に、あるべき自分を「つくって」いく、それが正しい道だよと、哲学者としての筆者は言うわけです。


何か過度に「道徳」的主張のようにも思えますが、要はどのみち、今この瞬間も、人は様々に複雑な要素の束として、「つくられ」ているわけです。否応なく。
またそれは繰り返しますが、確定した「過去」(の「記憶」)の、整然とした「結果」としてではなく、かなりランダムに。(だから根拠を過去にのみ求めても、失敗するかイデオロギーにしかたどり着けない)

ならばその過程を、より望ましい方へ、積極的にということですね。どうせならちゃんとやろうという。
そのことと医学的科学的な多重人格のあれこれのディテールとのより直接的な関連については、それを含めたまとめという形で、次に書きたいと思います。年内にいけるか?(笑)


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