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”多重人格ノート”  

多重人格障害(解離性同一性障害)に関連する書籍の読書録です。
同系統の本を立て続けに結構読んだので、読みっぱなしもなんなので形にしておくことにしました。ただ一応の読者を想定しないと書き難いのと、怠惰の虫が騒ぎ出すのを防ぐために(笑)この場を利用して公開させていただくことにします。

構成としては全体の要約ではなく、僕が特に関心をひかれた箇所の抜粋を提示するという形でまず内容を紹介し、その後でそれに対する僕なりの考察ないしは解説が続くというものにします。

では暇な人、関心を共有する人はどうぞ。

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総評 ?(共)著者ラルフ・アリソンについて 

「私」が、私でない人たち―「多重人格」専門医の診察室から 「私」が、私でない人たち―「多重人格」専門医の診察室から
ラルフ・ブリュースター アリソン、テッド シュワルツ 他 (1997/08)
作品社

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先駆者にして異端者。多重人格界のユング?

アメリカの精神科医として最も早い時期から「多重人格」という独立した精神障害の存在を認め、治療に関わった一人。そして多くの多重人格者の内部に存在する、セラピストに協力して治療を助ける守護者的人格”Inner Self Helper”(以下ISH)概念を定式化し、後の多重人格治療の大きな指針・共通言語を提供する。

一方でその自らが見出したISH人格たちとの見ようによっては”教祖と司祭”的な緊密な結び付きや、人格たちが語る心的世界に関する宗教的とも言えるイメージへの屈託の無い信頼の表現から、その治療実績には十分な敬意を払われつつもある種”イッてしまった人”として異端視されている部分もあるよう。治療上必要と認めればエクソシズム(悪魔祓い)の真似事なども恐れず実行し、活動の初期においてはそれが元で深刻な職業上の危機に見舞われかけたことが本書にも書かれている。

ある時期国際学会の主導などもしたが、その後巻き起こったアメリカにおけるブームとも言える多重人格”運動”の勃興やそれに対抗するように出て来た「虚偽記憶症候群」一派の反・多重人格運動、また精神医学界内部における「多重人格」から「解離性同一性障害」への公式診断名の変更をめぐる論争などからは距離をとり、そういう意味でも現在は孤立した存在になっているらしい。(ちなみに僕がネット上で少し議論した日本人の若い精神科医は、この本を読んでいなかった。)


あれやこれや印象としてはあくまでセラピスト、職人気質の現場の人で、”ISH”という重要な理論的貢献をしてはいても理論家・学者としての性格、エゴはほとんど持っていない。そのため決して「難解な」タイプの文章ではないのだが、たまに余りにも物言いがストレートで果たしてそのままの意味で受け取っていいものか悩んだり、また体系的整理の効率からするといかにも無雑作に概念が作っては放り出されている為に相互の関係が見えずに理解に困難を覚えることがある。ちょっと思い出したのはユングの文章だったりするのだが。

上でも述べたようにユング同様アリソンも時に神秘主義者的な扱いを受けることがあるが、後日取り上げるイアン・ハッキングの学史的良著「多重人格と心のメカニズム」によると実際アリソン本人が神智学(ロシアのブラヴァツキー夫人が創始した近代ヨーロッパの代表的な神秘主義運動。キリスト教を軸としつつも古今東西のほとんどあらゆる神秘・宗教思想を一つの流れの中に融和的に位置付けようとした。)への理論的依拠を明言していたそうだから、無罪とはとても言えないかもしれない。

ただそうした”裏事情”はとりあえず置いて虚心にこの本を読めば、浮かび上がって来るのは患者の苦痛を取り去る為には自分の学者的こだわりや職業的エゴをいとも簡単に棚上げ出来る誠実でフットワークの軽い信頼出来るセラピストの姿であり、またひいては患者やその障害に代表される自分の外からやって来る「経験」や「世界」に対して極度にオープンなある意味非常にタフで尊敬に足る人物の姿である。別の言い方をすると彼は瑣末な理論知の干渉の到底及ばない豊かで深い感情を伴う経験・直観を味わって「しまう」タイプの人であり、それがアリソンの学説を通常の学者的配慮を大きく逸脱したものに否応無くしてしまう。

だから結局アリソンの「理論」というのはアリソンその人なのであり、基本的には彼を尊敬し彼を引き継ごうとした多くの後継者たちが、次第に彼の概念を意識的無意識的に脱色・中性化してやがては距離を取るようになるのは無理のないことなのかもしれない。本当にアリソン理論を使えるのはラルフ・アリソンただ一人なのだ。
ここらへんは例えば「元型」や「集合的無意識」についてユング本人が書いたものと、後の”ユング派”と称する人たちの文章とを読み比べる時の僕の違和感と再び重なる。あれ?こんな薄い話だったかな。俺の知ってるのとなんか違う。

・・・・まあユングほどの天才でも気○いでもないとは思いますが。アメリカのそっち系の人らしく、単に悪ノリ、脳天気と感じることもままあります。そういう人の本です。


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”ISH”(Inner Self Helper)について/抜粋 

抜粋1 患者ジャネットのISH”カレン”の登場 ・・・・ISHの基本的性格と役割。

「聞いて」と、後にカレンと呼ぶことになる声は言った。
「私は、あなた(ジャネット)を助けようとしている。ずっとあなたを助けようとして来た。」

「私はあなたの知らないことをすべて知っている。どうすればリディア(ジャネットの悪しき交代人格)を追い払えるか、私は知っている。」

「私はあなたの唯一の希望(中略)。私は強いから。私は強い。」

(なぜジャネットの知らないところでDr.アリソンに電話をかけたかについて)
「もしアリソン先生が知れば(中略)、あなたをもっとよく助けられるから。あなたが勝つのを、リディアに勝つのを助けることができるようになるから。」



抜粋2 ISHカレンとオリジナル人格ジャネットとの関係

「私は強い。だけど、あなたに信頼されなければならない。私たち、あなたと私が、リディアを永久に消してしまうためには、あなたに信頼されなければならない。」

「私はとても強い。その強さをあなた自身が望まなければならない。私を外に出させて、お願い。」
「ええ・・・・・、いいわ・・・・・、けど、アリソン先生と話をしてる時に出てきてくれない?どうやったら、あなたの好きな時にあなたに出てきてもらうことができるの?」
「ジャネット、私はリディアと同じやり方はしないの。自分を押し付けたりはしない。これは、あなたが望まなければならないことなのだから。自分でそうしたいと望まなければならない。(中略)私はいつでも出てくる、ジャネット。あなたがそうさせてくれれば。」



抜粋3 ”カレン”の心理テスト

このテストはどういう性質の人物であるかを知るためのものだ。(中略)
テスト結果は、カレンが完璧な人間(完璧に欠点のない人間)だということを示していた。通常の人間ではこんなことは不可能なので、テストの点数をつけた精神科医は、彼女が欠点を隠そうとしているのだと判断した。



抜粋4 ある(別の患者の)ISHの説明

「私はたくさんの働きをしています。私は良心です。必要があれば罰を与える者ともなります。教師であり、疑問への回答者です。」

「私は将来の彼女の姿ですが、完全に同じものではありません。彼女は感情の表現手段を持っていますが、それは私には必要のないものです。将来の彼女は私の論理的思考能力と、物事を客観視する能力を持つことになります。」



抜粋5 アリソン自身の説明

正常な(つまり人格分裂していない)人間では、これは個人の最善の部分????「良心」あるいは「超自我」と呼ばれる部分だ。

セラピストは多重人格者の中からこの存在を呼び出すことができ、治療のために助けてもらうことができる存在なのだということを理解しておいてもらいたい。

(抜粋4を承けて)
これは正しいのか?わたしにしわからない。(中略)ただ確実なのは、どの患者の<ISH>も、このような発言内容は一致していてそれだけは信頼性があるということだ。



抜粋6 ISHの存在論(1)

これ(ISH)は交代人格というより、独立の存在であるとわたしは考えている。

一人の人間の中に<ISH>が六つ存在しているのに会ったことがある。それぞれがまぎれもなく<ISH>で、はっきりした上下の階級があった。最下級の<ISH>はセラピーのとき最初に現われ、最後にはオリジナル人格に統合された。もっと高位の<ISH>は統合されないように思える。彼らはオリジナル人格の霊的な指導者として存在しつづける。患者が統合されて一人の人格となった後でも、心の中に別の存在として残りつづける。



抜粋7 ISHの存在論(2)

「そうなっても(人格統合後も)私はずっとここにいて、ただ独立といっても、あなた方普通の人と同じように、ごく細い線で全体と区切られているだけです。」

「もし私がいなくなれば、彼女には身体しか残りません。私を一部だけ残して取り除くこともできるでしょう。しかし私を全て取り除いてしまえば、彼女は抜け殻になります。」
(抜粋4の<ISH>の言。)




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”ISH”について/考察(1) 

”抜粋6(1)”でギャッ!と放り出してしまった人も多いと思う(笑)。いかにも宗教的なヴィジョンである。
ただそのこと自体、増してやその「真偽」について僕ごときが何か述べるつもりは毛頭ない。ここで考察したいのはあくまで精神医学上の概念としてのISH(Inner Self Helper)の、提唱者ラルフ・アリソンとその後である。
僕の見た限り、上は本職の精神科医から下は2ちゃんの解離性同一性障害関係のスレッドまで、また多重人格/解離性同一性障害に対してその治療者がどのような立場を取ろうとも、少なくともそういう障害の実在を認めている(認めていない人もまだまだいる)人ならばあまねくこの概念に親しみ、共通言語として使用しているようだ。ただその意味内容には一定のばらつきがあり、特に開祖ラルフ・アリソンの意図を忠実に解釈しようとすると少なからず首を傾げたくなるような使い方も多く目に付く。

簡単に言うと今日ISHという概念は、多重人格者の内部に存在する多くは知的で理解力があり、治療者の助けとなるような人格一般に比較的緩い意味で使われているようだ。場合によっては単に知的で人格群のリーダー的な人格、あるいは時に自殺や自傷行為に走ったりもする、苦悩するオリジナルやその他の人格に対して保護的に振る舞う人格もそう呼ばれたりする。

なるほど確かにそうした人格は内部に存在し(Inner)、患者自身(Self)を助ける人格(Helper)であるわけだから、逐語的には間違いではないのかも知れない。くだんの若い精神科医のようにラルフ・アリソン個人への特段の敬意も無いまま、それでも何らかそうした存在、概念の有効性が広く認められて話が通じるという状況は、逆にある意味ひどく提唱者冥利に尽きるとも言える。ただそれでも僕としては今一度、この非常にインスピレーション豊富な概念の本義を問い直したい衝動に駆られる部分がある。


先に結論的に、僕の読解によるアリソン版ISHの特徴、もしくは本来の意味をまとめてみるとそれは大きく以下の2つの点にあるように思う。
1.それらは「全知」の存在である。
2.それらは完全に非個人的、非感情的存在である。

1は別に森羅万象神の如く知るということではなくて、その患者の生誕(時に受胎)から人格分裂も含む発達の全プロセスを、伝聞や調査によるのではなく直接的に知っているということである。
例えば有名なビリー・ミリガンの24の人格の一つで、担当医師にISHであると名指しされていた「アーサー」は、いかにして人格間の記憶の欠落を埋めているのかと聞かれて「(他の人格の記憶を元にした)演繹法です」と答えている。後にビリーには<教師>といういかにもそれ風な人格が現れて自らの直接的な記憶によってアーサーにも知り得なかった人生遍歴の実際を示してくれるのだが、とにかくここでのミリガンの担当医師の用法はアリソン流のそれには厳密には当てはまらない。

2はアリソンが繰り返し「単なる交代人格の一つではなく、独立した存在である」と強調していることだが、僕流に言い換えると彼らは積極的個性や個人的欲望を持たず、自ら固有の人格として現実世界で生きようとしたり多重人格につきものの人格間の主導権争いや政治に関与したりはしないということである。
再びアーサーを例に採ると、彼は確かに基本的に常にビリーの人格グループ全体の調和や幸福を図り、自ら定めたルールは厳格に適用しようとする公平無私に近い人格だが、実はそれは「気取り屋で仕切り屋のイギリス人」アーサーの個性であり、好みでもあるのだ。だから時に彼は実害というよりは好き嫌いである人格の行為を裁いたり、人格全体が気に添わない状況に置かれると拗ねて引きこもったりもする。

2に関して更に重要かもしれないのが、前述のイアン・ハッキングの伝える「ISHは駆け引きをする」という、アリソン以外のセラピストには一般的らしい経験である。つまり確かにセラピーに大いに有用な協力者的人格は広く見られるが、それらは多くの場合自身のエゴでもってセラピストと向き合い、戦略的に情報を提示してセラピストを操ろうとし、時には人格全体というよりは自分個人の身の上への配慮に務めたりもする。決してアリソンが描写するような守護天使的人格ばかりではないらしいのだ。

(つづく)


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”ISH”について/考察(2) 

以上が僕が考えるアリソン流ないしは本来のISH概念と汎用化したそれとを区別する大きなポイントだが、ではなぜ僕はこの区別にこだわるのか。それはアリソン流のISHと一般的なISHでは、臨床的に期待される役割は基本的に同じでも、全体の風景が全く違って見えて来るからだ。

つまりアリソンのISHが存在する世界では、いずれにしろ統合の道には幾多の困難が待ち受け、現実的には失敗の可能性が少なからずあることは覚悟しなくてはならないにしても、何が正しい道なのかを完全に知っていて無私な態度でその達成に協力してくれる存在を頼りにすることが出来る。またはその背後に言わば「神の恩寵」に満たされた完成された秩序が予感される。非常に性善説的で予定調和的な世界観である。仮に今回失敗しても当然の連想として”死後の救い”のようなものも期待されるだろう。

しかし頼りにすべき”ISH”が上記の「アーサー」程度の存在でしかない場合はそうはいかない。彼らはまともに精神分析などしていたら何年かかるか分からない患者の人生に関する情報を一気に、かつかなりの確度で与えてくれ、しばしば治療方針そのものの確立さえ助けてくれるが、所詮はただの頭脳明晰で内部事情に通じた(何せ文字通り”内部”にいるのであるから)一人の人間ないしは人格でしかない。事実の誤認や解釈の歪みは避け難く混じって来るだろうし、何か超自然的な力の関与が事態を最終的に収拾してくれるだろう的な期待を抱くことも出来ない。彼らが知的であればあるほど逆に、科学と精神医学の容赦無い技術戦とそこにおける敗北の可能性のただ中に当事者たちは取り残される。

どちらが正しいなどということは僕には言う資格も必要性も無い。あえて言えば両方が正しいのだろうと思っている。アリソンにはアリソンという特異な個人に相応しいISHが見え、あるいは現れたのであり、そうでない人にはそうでないような形でのみISHらしき人格が見出された。あるいはそういう当たり障りのないタイプのISHのみが報告された。そういうことなのではないか。
アリソンにはアリソンの過剰な期待やナイーヴさが、そうでない人にはISHがアリソン的な現れ方をすることを許さないような視野や態度の限定性という問題があるのかもしれない。少なくとも僕がアリソン的なISHであったら、そこらのチンケな精神科医の前になど姿を現してはやらない(笑)。大人しく処方箋でも書いてろと話の分かりそうな奴が出て来るまで鼻毛でも抜いている。

とにかくそういう訳で既に確立した共通言語としての”ISH”という概念の価値は価値として認めるにしても、僕としてはアリソン的なISHのみをその語で呼び、それ以外のちょっと気の利いた人格程度のものとは区別したい気持ちが強くある。
治療の実際の問題としては特に上の1で述べた「全知」性、つまりその提供する情報が直接的な記憶によるものなのか推測や伝聞でつぎはぎされたものなのかというのは、場合によっては大きな違いになることもある気がする。勿論2の問題、彼らの語る認識が個性という名の偏見や自己保存の打算によって歪められていないかにも、常に警戒が必要であろう。


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内部世界 

内部世界の視覚化

多重人格者の(頭の)中の「人格」たちは、彼らの”住んでいる”世界をどのように視覚化、イメージ化して認識しているのか。
概ね共通する点と、(恐らくは)それぞれの患者・人格の想像力の癖によって変わって来る点、随時例示して行く。

?例1 :患者”シルヴィア”の交代人格”リーン”の場合

「私が行った最初の場所は入り口のすぐ近くだ。”待合室”のようなものと考えてもよい。交代人格は出入りをする時、この場所で”待たされる”。私はすばやくそこを通り抜けるが、他の人格は数秒かかると言っている。(中略)誰か待っている人がいれば交代は瞬時に行われる。」

「誰かが待ちきれなくて無理に出ようとすると額の上の方に痛みのような感覚が生じ、それは移動して目の痛みとなる。この感覚は偏頭痛の軽いものに似ている。身体をコントロールしている人格は、誰かが無理に出ようとするとこの痛みを感じる。」

「この場所の色は、壁の染みのように交じり合った色だ。大きい染みや小さい染みがある。」

(解説)
”待合室”の存在や、そこで混乱が生じた時の(外に出て生活している)人格が感じる局部的頭痛はほとんどのケースで報告されている。

「さらに頭の高いところへ進むと、色は純粋になり、明るくなる。(中略)色は青と黄色で、赤が少々入っている。」
「私にとってそこは瞑想の場所だ。そこに行くと安全で保護されているという感じを受ける。そこから出てくる時、誰でも幸せで昂揚した気分になっている。」

「後頭部は、茶色と黒を混ぜたような暗い褐色だ。」
「空中に巨大な物が浮かんでいる。大きくギザギザして角が尖った岩のように見える。身を隠したいと思ったらこの場所が最適だ。」
「そこに行くとぞっとする。見えない何かがこちらを見つめているような気がするからだ。窮屈で息が詰まるような感じだ。」

「いつまでもそこにいたいと感じる場所がある。そこは明るくて清潔だ。(中略)比較的広く、私たち全員が入ってもまだ余裕がある。」
「まわりの色は柔らかく、明るい色合いの緑と赤と茶色と金色で、まわりの全てが溶け込み、ゆるやかに変化している。」

「私たちはみな自分の”地獄”を持っている。シルヴィアの心の奥深くに入った時にそれを見た。悪い考えや記憶、悪い出来事、憎しみや怒りなどの押し殺された感情が、隠されて、あからさまに、おぞましい怪物の姿となってそこにある。」
「怪物は黒くて大きい。何かのエネルギーによってかき乱される時以外はたいていじっと動かずにいる。」
「そこにいた時、体が重くなり棘で覆われているような感じがした。怪物とあまり長く接していると簡単に彼らの仲間になってしまう。」

(解説?)
いかにもアリソンの患者らしく、非常に宗教的なイメージである。知る限り一般的なものではない。
・・・・ただし締めの部分で”リーン”はこう書き添えている。「私はこのようなことを書くのは許されていなかった。一部は内密の話だ」。また「二十人の患者に同じ質問をすれば二十の違った答えが返ってくるだろう」とも。

視覚化とは少し違うが、内部世界の他の空間的側面について同様に”リーン”の報告。

「移動の方法も変わっている。自分のエネルギーの流れやまわりのエネルギーに運ばれてある場所から他の場所へ移動する。」
「簡単に移動出来ることもあれば苦労する時もある。外にいる人格がエネルギーを沢山使ったりストレスを受けていたりすると、移動は滝を遡ろうとするようなものだ。ストレスのない状態では楽に移動できる。」
「感覚や感情といったこだわるものがない時には、私たちはいつもあちこち漂っている。」

(解説)
何ともコメントのしようがないが、いずれにしても後で述べる「共在意識」のありようや統合プロセスの進捗具合によって、同じ患者の中でもこうした空間的表象は大きく変わって来ると思われる。隔たりが大きければ大きいように、小さければ小さいように表象される。この時点で既にシルヴィアの内部世界はかなり安定した秩序を持っていたのではないかと印象的には感じられるが、特には記述はない。


人格どうしのコミュニケーション

これも共通点と相違点、両方が見られるので随時例示して行く。まずは再び”リーン”の報告から。

?例1 :患者”シルヴィア”の交代人格”リーン”の場合

「私たちの間のコミュニケーションは、遠くに離れていても溶け合い、”話し合う”ことができる。」
「個別的なコミュニケーションの時は邪魔が入らないようにまわりを覆って溶け合う方法を選ぶ。こうすると、私たちは一つの存在として行動できる。」


・・・・しばしば多重人格群の中で形成される”党派”的なものの具体的ツールの候補として、後段の報告内容は興味深い。

「たいていはこのやり方だが、感情の波をやりとりすることもできる。」

「私たちが言葉で会話できることを思い出してほしい。」


・・・・人格どうしの”膝詰め談判”は多重人格エピソードの名物風景である。
・・・・よく外に出ている人格が中のどれかの人格に呼びかけて、その結果見つかったり見つからなかったりしている時はどちらを使っているのだろうか。


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「統合」のプロセスについて/抜粋 

多重人格治療のプロセス全体(後日)から、特に統合前後のドラマについての記述。

抜粋1

患者は自分で<統合>が近づいているのが分かる場合が多い。
成人の患者の場合、身体を支配しているのが<オリジナル人格>でない場合にはとくによくわかるようだ。

(解説)「オリジナル」人格と「ホスト」人格 ・・・・必須の基礎知識。

「オリジナル」というのは出産時か受胎時か受胎3ヶ月時か、とにかく遡れる限り最初期のアイデンティティを持っている人格。そういう意味では”本来の”自分。それに対して「ホスト」というのは起源はどうあれ現に外に出て身体を支配し、社会的な活動をしているつまり他人が(しばしば自分も)その人そのものだと認識している/する人格。アイデンティティではなく機能により定義される概念。

言ってみれば”元祖”と”本家”であるが、この2つは往々にして一致しない。なぜなら定説によれば典型的な多重人格(障害)は激しいストレス体験に「オリジナル」が耐えられない時、これに対処するために交代人格・別人格が形成されることにより生じるのであるから、「オリジナル」は嵐の過ぎた後戻ってまた「ホスト」として人生を継続することもあれば、傷付いてそのまま心の奥深く引きこもって交代人格がその後を引き継ぐ(引き継がざるを得ない)こともよくあることだからだ。この場合その人格は「ホスト」ではあるが「オリジナル」ではない。

なお通常統合治療はそれが長年ホストとして機能していたかいないかにかかわらず、オリジナルに他の人格を統合して恒久的にホスト化するという方向で行われる。


抜粋2 患者”ヨランダ”の統合前夜

(注:このヨランダはオリジナルの戸籍名そのままで長年ホストとして生きて来たが、オリジナルではない。)
治療がすすみ<統合>が近づくと、彼女はそれを複雑な思いで待っていた。<統合>しなければ精神的に健全になれないことはわかっていた。しかし<統合>すれば、新しい誰かになってしまう。彼女は、それが自分の「死」を意味することにも気付いていた。

彼女は<統合>が近づいた時、自分の家にいた。そして部屋にテープレコーダーを持ち込み、座って話し始めた。

「わたしは変化しようとしています。わたしは同じ人間ではいられない。」

「時間が来たわ。悲しみはありません。悲しみではなく、恐れ・・・・、知らないものに対する恐れです。」

「だけどわたしは喜んでこれをやるわ。”一つ”になるために必要だというなら右腕を切り落としたっていい。」

ヨランダの声は疲れていた。話はとりとめもなくあちこちに飛んだ。非常に弱々しく、死の床にいる病人が話しているように聞こえた。あと数時間で「彼女」は思い出に過ぎなくなる。

「わたしはいろいろな意味で成長しました。わたしは六歳でも七歳でもない、八歳でも九歳でもない。わたしはその全部の齢です。」

ヨランダが「さよなら」を言うのを聞いて、テープが終わるのだなと思った。だが、しばらくしてまたヨランダの声が聞こえた。

「アリソン先生、行ってしまう前に言わなくてはならないことがたくさんあります。(中略)今でも先生に教え導いてほしいと願っています。わたしは学びたい。もう会えないかと思うと寂しい。でも、わたしはもうすぐ一つになる。一つになって先生と会える。」

ヨランダの<統合>は静かに起きたらしい。死と再生は穏やかに起こった。少なくとも心の中で激しい苦闘や叫びがあったとしても、隣人たちにはわからなかったようだ。



抜粋3 患者”カーラ”の統合

ヨランダの体験はわたしが出会った中では典型的なものではない。他の患者たちは激しい苦闘を経験しているものも多い。

彼女(カーラ)の<統合>は劇的でスリルに満ち、死ぬほどの苦しい戦いとなった。すべては彼女の頭の中で行われたのだが。以下の「苦闘」の描写は、その時点で観察したものと、「一人」になったカーラが後日に思い出してくれたものだ。

カーラは広い戦場を見た。<オリジナル人格>と暴力的な<悪の交代人格>が、全身を鎧で覆って対決し、生命を懸けた戦いをはじめようとしていた。二人とも相手の喉元を引き裂こうとしていたが、「アナ」と「ゾーイ」が二人を引き離している。

この患者は何年にも渡って三〇から五〇の交代人格を出現させてきた。その人格たちが監査役のようにずらっと並んで見ている。


・・・・これはむしろ「内部世界の視覚化」の華々しい例として目を引くものかも。明らかに想像力のありようによって具体的な形態にかなりの可塑性があるのが窺える。全交代人格の注視するアリーナ!何とドラマチックな。
この後二人は頭の中で生きるか死ぬかの激しい戦いを繰り広げ、現実でも自分の喉を締めようとしたり転げ回ったりと大騒ぎを演じ、Dr.アリソン以下見守る数人が致命的な負傷を防ぐためにそのたび物を片付けたり気を配った。勿論結果は<オリジナル人格>の勝利。


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「統合」のプロセスについて/考察 

書き方にもよるのかもしれないが、基本的にアリソンの事例はどれもやけに鮮やかだ。統合の「瞬間」をくっきり切り取る描写など他の本では見たことがないし、何よりもほとんどの場合統合のプロセスとは糠喜びと落胆の繰り返しで、いったいいつ統合に成功していたのか果たしてこれを完全に統合された姿と信じていいのか、最後の最後まで医者も患者も疑心暗鬼の生煮えでうろうろしているというのがむしろリアルな姿に見える。

まあ万事孤高のラルフ・アリソンだから、要は腕が違う、人間の出来が違う、そこらの事例といっしょにしてもらっては困るという反論も特には否定しないが。

ヨランダの例で言えば統合の主体であり最大の受益者であるオリジナルでも、元から我欲の無いISHでもない()つきの”ヨランダ”の、自らの死を何らか意味する<統合>への積極性、勇敢さ、悲愴な覚悟には感銘を覚えると共に、よく説得出来たものだなともっとドロドロメソメソした他の医者の患者の例を思い浮かべて不思議な気持ちもする。

可能性としては本書には特に書いてないが、この”ヨランダ”はオリジナルそのものではなくてもオリジナルとかなり近い、早くに引きこもったオリジナルの可能態/大人版のような人格で、理論的にだけでなく実感として本来自分は<オリジナル>と一体の存在であることを強く感じられる人格なのかもしれない。まあ完全な推測。


カーラの例についてはまず単純にこの戦いに負けてしまったらどうなってたのだろうという疑問が湧く。というのはアリソン自身も定式化しているように(後日)、統合治療はたいていまずほとんどの患者に存在する恐らくは人格分裂の原因を作った虐待者・攻撃者への怒りや憎悪に由来する、あるいは攻撃者を内面化した結果としての、アリソン風に言えば<悪の交代人格>の力を少しずつ削ぐところから始まるからだ。そうして差し迫った危険を無くした上で一つ一つ人格が多重化した原因を取り除いて行き、全体性の再構築に取り掛かる。

その場合最終的に問題になるのは特段”悪”ではないそれぞれの交代人格の無理解や自己保存欲であり、グズグズウダウダはしてもこんなノるかソるかのハルマゲドンみたいな事態にはまずならない。というかしないはず。アリソン自身は「ハルマゲドン」敗北後の<負の人格統合>の可能性についても「理解しておかなければならない」と不吉なことを書いているが・・・・。(ちなみに幸いにして経験はないらしい。)

ここでも僕なりの推測を述べておくと、実際には暴力的で否定的な人格(”迫害者人格”という言い方が一般的)は必ずしも最初から目立って大暴れするとは限らず、先の「地獄の怪物」ではないが人格構造の奥の方で鳴りを潜めていることもままある。後で取り上げるサラ・E・オルソンの例のように、一種の人格グループ内の自治機構が協力して封じ込めていたりすることもあるようだ。

そういうケースではとりあえず目に見えるトラウマや問題を処理して人格構造が整理されて統合が進んで行くと、むしろそれによって隠れていたそういう人格が出て来やすくなったり統合過程の終盤になってやっとセラピストがその存在に気付いたりということが起きる。そうして最後に残った最大の問題人格(ラスボス?)とそれまでの治療で力を蓄えて態勢の整ったオリジナル人格の最終決戦、それが上のカーラの例なのかもしれない。

これは多分それなりに確度の高い推測だと思うが、それにしても2例しかあげていない統合の具体例(注)の一つとしてカーラのような例をあげるのはちょっと問題があるというか要はアリソンの趣味なのではないかと、そんな気がしないでもない。いずれにしてもアリソンの症例というのは非常に物語性が豊かで、アリソンがそう導いているのか、そういう医者にはそういう患者が集まるのか。

(注)
後で確認したところ、アリソンは少なくともあと一例、「エニッド」という患者の詳細な統合例をあげていたので訂正しておく。
ちなみにこの患者も、「カーラ」同様統合間際にかなりの物理的危険や敗北の可能性を感じさせるような迫害者人格との激烈な闘争を演じて見せている。


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その他目を引かれた記述 

交代無しの他人格の召還

「リディアと話がしたい。リディア、あなたと話がしたいの。わたしはわたしをコントロールしている。完全にコントロールしている。どういうことかわかる?わたしはあなたと話がしたいけれど、わたしがコントロールしているの。あなたが出てくるのを許可します。あなたが出てこられるのは、私が許可した時だけよ。わたしはわたしをコントロールしている・・・・」

・・・・前述した”ジャネット”が自発的に編み出した方法。この後実際に”リディア”(とISH”カレン”)が登場して、両者覚醒したまま会話を交わすのがテープに録音される。


発達早期(の経験)と交代人格発生についてのアリソンの発見・見解

<多重人格性障害>を理解するにつれて、患者はほとんど、片親あるいは両親から望まれないか、またはそんな風に感じてしまう状況に置かれていた経験があるということがわかった。

・・・・胎内での”人生”経験の意味。

交代人格が作られるには時間がかかり、子供が何らかのショックを受けてから最初の分裂を起こすまでには、長い間暴力的な、あるいは放置方の親からの影響ょ受けつづけているのではないかと考えていた。しかし、現在では、出産の瞬間に交代人格が作られる場合もあることがわかってきた。

・・・・ホントか?(補足:胎内で”人生”が既に始まっているとすれば、そこでの「経験」の帰結としてこういうこともあるのかもしれない。)

あるケースでは、<ISH>の話によれば、患者の心はきわめて精神的能力が強かったゆえに、誕生の瞬間に二つの平行した人格に分裂したという。二つの人格は協力しあって機能し、並外れた形で生を共有してきた。

・・・・マジで?


「ポップアップ」現象

・・・・一応専門用語のよう。患者が極度に混乱、動揺している時に不随意に起きる。

次の日、キャリーが会いに来た。だが、彼女自身はいなくて「他の全員」がいた。彼女は次から次へと交代人格を切り替えた。まるで早送りの映画を見ているようだった。絶えず顔が変わりつづけ、誰と話しているのかわからなかった。



統合に際しての身体症状

「今週は地獄のような苦しみでした。頭の左側が猛烈に痛んで、身体が傾いていました。」
「今、脳の中に不快な感覚があります。」

・・・・前出の”ヨランダ”の報告。興味深いがどの程度の一般性があるのか、どういう生理的プロセスと関係しているのか今のところ僕には分からない。


[結語]

アリソンには他にも(多重)人格の構造やこの障害に関するいくつかの独自の理論があるが、独自過ぎて重要性の判断が難しいので今回は取り上げない。
この本を皮切りに色々と勉強して、その後知恵で時折批判めいたことも書いたが、尊敬に値する人物が書いた感動的な本であるのは間違いないように思う。


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