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「竜の封印 ?神の系譜1」西風隆介 

神の系譜〈1〉竜の封印 神の系譜〈1〉竜の封印
西風 隆介 (2000/04)
徳間書店

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西風(ならい)と読むそうです。いかにも何か由来がありそうなPNですが。
筒井康隆・高橋克彦・南山宏と、豪華キャストの推薦者を引っ張り出しての徳間の大プッシュもけたたましい伝奇SFミステリー(?)ですが、本人は割りと飄々とした感じで好感が持てました。1955年生まれとそこそこお年ですが、少年少女の描き方なんて凄く伸び伸びした感じでいいな・・・・とは思いますが、逆にこれは古い描き方か、あるいは距離感があるから出来る描き方なのかなとも少し。売れてんのかね、よく知らん。

ノベルズ版のその”賛”つきの装丁を見て即座に連想しましたが、明らかにウブメでデビューした当時の京極が意識されていて(少なくとも売り手が)、内容的にも彷彿とさせる、あるいはいかにも”京極後”を感じさせる「情報小説」「思弁小説」。(どちらも筒井の評)

・・・・と、なんかネガティヴな紹介になってしまいましたが、普通に楽しいです。
特に京極『榎木津礼二郎』の例の「他人の記憶が見える」能力の可能性、あれを基本的には京極の仮説を引き継ぎながら(多分)、認知神経心理学とやらを踏まえて結構丁寧にフォロー/展開してあるので、京極好きな人も読んでみたらいいと思います。

詳しくは読んでのお楽しみということにしておきますが(笑)、とりあえず僕が思うに他人の「記憶を見る」あるいは「思考を読む」、いずれも十分に想像の範囲内だと思うんですよね。(僕自身そういう素養が無くも無いタイプの人だと思いますし。)
なぜかと言えば、実は人間は日々それをやっているからです。・・・・ただし対象は自分ですが。自分という名の「他人」。

つまり他人をどうこうするより前に、まず自分の「記憶を見」たり「思考を読」んだりしないと日常生活が送れないわけで、当たり前にやってるようで実はこれ自体一種の技術で、成功/失敗もあれば上手い/下手も歴然とある。
そしてこれが上手くなれば、またはそのプロセス・システムを深く明確に理解出来るようになれば、それの転用(”類推”ともいう)で自然かなり他人のそれへのアクセスも可能になるというそういうことです。

勿論その前提として我々が使っている「脳」というシステムの規格性・共通性、そしてそれぞれの脳・・・・言ってみればパソコンを繋ぐネットワークのようなものの存在を想定しなくてはいけないわけですが、そこらへんはネタバレにもなるので本編を読んで下さい。

最後に一言。自分で思ってるほど人は「個性的」ではないのです。
それは忌々しいことでもあり(笑)、一方では孤独ではないという喜びでもあるわけですが。

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水晶球に未来が映るわけ 

chrystalball

『竜の封印』の話の続き。最初に感心したポイント。

水晶球に未来は映るのか。
映る、と言えなくもない。「意識の操作”外”の予測」が見えることは考えられるし、「意識を遥かに越える量の情報の貯蔵庫」とのチャンネルに水晶球がなり得ることは確実に言える。
論理は以下の通り。

・水晶球/透明な球体は、光学的には何も映さない。従ってそれを覗き込んでも本来は何の視覚像も形成できない
・人が何かを見て意識がそれを知覚し(かけ)た時、その裏で脳はその対象を同定/認識する為に忙しく既知の情報から検索作業を行ない、意識に参照材料を提供しようとする。
・水晶球を覗き込む時、何も見えないにも関わらずそれを知らない意識は必死に何かを見ようとする。
・それに応じて脳の方も、「見えない何かに対する参照材料を探す」という不可能な作業を懸命に行なう。
・結果外界(水晶球)から視覚像形成のための手がかりを何も得られない意識は、内界(脳)が提供した参照材料、つまり自分の記憶の中のイメージの方を「見」ることになる。

・・・・まずこれが基本的な構造。

・ここに「未来」を知ろう、見ようとしている人がいる。
・その為に水晶球を覗き込むが、当然何も見えない。
・しかし脳は「未来を見たい」という意識の要求に合わせて律儀に作業を行ない、関連のありそうな情報/イメージを供給し続ける。
・十分な時間・環境下で水晶球を見続けると、供給された情報群は結び付いて組み立てられ、有意味で生き生きとしたヴィジョンに成長し、「未来が見える」。
・脳は意識が通常処理するよりも圧倒的に優れた質・量・幅の情報を有しているので、このように期せずして意識の操作よりも脳の作業の方が主体となるような状況下では、思わぬ含意に富んだあるいは冷徹で客観的な予測力を備えたヴィジョンが形成されることもある。

こんな感じ。なかなか面白いでしょ?
ちなみにこの説に従えば、色や模様付きの、つまり何かが「見えてしまう」水晶球を使うのは無意味だ、インチキだということになりますね。


まあ「未来を見る」というのは分かり易い例でしかないので、より本質的にはこうした(水晶球を覗くというような)一種の感覚遮断、外的刺激の限定を継続的に行なうと、通常は外界からの雑多でかつ(知覚可能な範囲の)決まり切った刺激への反応に右往左往している意識が、自らの脳というより巨大で豊かな情報源と直接繋がれるようになるということです。

本来意識はむしろ外界への反応の為にあり、脳もその準備に向けて用意されているのでそれはシンプルに言えば「脳の誤作動」(作者)であり、ざんない言い方をすればその時その人は”幻覚”や”妄想”に捕らわれているとも言えるわけです。
しかしやり方によっては確かにより深い知見を得るチャンスでもあり、古来様々な宗教・神秘主義体系はそれを知っていて意図的にそのテクニックを活用していた、『汝自身を知れ』というデルフォイの神託はそういう意味だとそれが作者の説くところ。

外的刺激の継続的限定、つまり”孤独”は人を哲学者にするというわけでもありますが。
僕?日常的に脳の誤作動を起こしている孤独な哲学者ですよ、はい。(笑)

(追記)
本書では特に触れられていませんが、いわゆる「想像」というのも限定的な脳の誤作動とそう考えて間違いないように思いますね。幻覚・妄想まではいかないけれど、外的刺激・情報から直には導き出せない、その分を密かに脳から融通している特殊なタイプの思考。

広島?浦和 

広島?浦和(●1?4○)

・立ち上がりの悪い浦和と完成度の低い広島とでソロソロとやってる内に、アクシデント2発(ジニーニョ退場&小村チョンボ)で早々に試合が決まってしまってあらららという。
・ジニーニョのレッドは親切に(?)解釈すると、引っ掛けたプレーよりもその後で蹴りに行ったように見えるのが理由かと。
・中盤でまずきれいにラインを作ってその後機を見てブレイクに行くという、今季の形は一応見えた感じの広島。
・ただそのライン/ブレイクのどちらに比重がかかってるのか、つまりバランスを取ることが目的なのかブレイクの為の予備動作なのか、そこらへんのニュアンスが半々という感じでまだよく分からない。
・同様にそのラインブレイクが、きっちり戦術的合意で行なわれてるのか戸田らの自主判断で行なわれているのか、それも見てて良く分からない。どちらかというと後者っぽく感じるけど。
・ともかく止まった状態から動かすには少し広島の個力はパンチにかける気がするけどどうか。今後ともお手並み拝見。
・浦和は割りとテキトーだけど今のところそれがむしろ懐の深さみたいな出方をしてて、底が知れない。誰かが何とかするという感じ。
・ワシントンはめでたく”おまけ”の地位を得て快適そう。
・相馬は最低。絵に描いたような空回り。逸るのは分かるけど真横にスライディングタックルするなバカ、傷害未遂で刑事告訴するぞ。
・赤と紫って派出でいい。


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浦和?C大阪 

誰か浦和を止めてくれ。
違うな。誰か浦和を止める奴はいなかったのか、具体的には小野とワシントンの加入を。(J’s Goal

単に戦力が分厚くなったという以上の意味合いを持つ人事だったと思いますね、実に得難い巡り合わせの。
・小野の加入によって三都主が普通にいい選手に見えた来た。
・小野と三都主が揃ったことによってワシントンが”難しい選手”じゃなくなった。(既述)
・元々いい選手ではあったが浦和に似つかわしくない(?)高級感で微妙に浮いていたポンテが、小野の加入でピタッと収まった。
・・・・要するに無闇にかき集めていたように見えて、妙に辻褄が合ってしまったという感じ。

もっと簡単にあるいは具体的に言うと、「似たようなテンポの足元の柔らかさが自慢の選手が期せずして集ってしまった」ということで、その結果”ゆったりしたダイレクトパスの交換によるパスサッカー”という、えらく高級感の漂うものが自然に実現してしまって。それほどはっきり『戦術』ではないと思うんですけど。(笑)

いやあ、しかしなかなか壮観でした。そうそう見られるレベルのものではないというのと、多分李さんが目指したのは大雑把に言うとこんな感じのものだったんだろうなというのがあって、二重に感慨深かったです。
まあかなり即興的なので、「王者」時代のヴェルディと李ヴェルディの中間くらいですかね、ニュアンスとしては。話の種に見とくといいと思います。

完成度としてはそれほど高くないというか、はっきり言ってこれといって攻撃の形は見えない、ひたすらボールが動くだけでいつシュート/ゴールが生まれるのか見当もつかないようなところもありますが、とりあえず回してればその内相手が力尽きて紛れが出て来るのも時間の問題というか、今のところそんな感じで結果的に圧勝してますけど。そこらへんの受け身さも李ヴェルディ的。

繰り返しますがここまで趣味的なものが当初から意図されていたとはとても思えなくて、能動的なブレイクがお馴染みトゥーリオの突進くらいしか見当たらない(それはそれで逆にずっパマり)現状にブッフバルトはさぞかしイライラしているだろうなとは思いますが、ここは一つ抑えてもらって(笑)この路線を究めてもらいたいと思います。しょせん他人事ですし。

・・・・いや、でもホント揃えようとしてもなかなか揃わない都合のいい組み合わせですよ。小野がいつまでいるのか田中達也がいつ復帰するか、それによってまたガラッと変わってしまう可能性も大きいですし、しばらくは楽しませてもらいたいです。相馬とか出さないでいいから。(笑)

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浦和についての雑感 

しかしあれだな、李さんが丹精込めて作り上げたチームよりも適当に寄せ集めたチームの方が瞬間クオリティが高いように見えるのは結局最後(もしくは最初)は個人能力だということかな、現実は残酷だということかな。優勝はブラジルだということかな。
まあ小野は凄いということでもあるか。そりゃ李さんも欲しがるさ。


というわけで巨大戦力の浦和ですが、マリなりジュビなり(その他一時的に燃え上がったチームたち)が掻き集めていた時に比べてそんなにガツガツしてないというか、大らかな感じがして個人的にはさほど目障りではないのですよね。

それは一つには元来このチームは物持ちの良さに特徴があるという印象があって(笑)、つまり財政状況の詳しい変遷は知らないんですが昔から割りと人の出入りにはピリピリしていないというか家族的というか、当座役に立とうが立つまいがとりあえず置いておく、来る者拒まず去る者追わず的な振る舞いが結果的に見えて、その余裕が近年の金満雄飛路線の中で今の幸福な編成を束の間生み出したみたいなそういう感じがします。
褒めてるのかけなしてるのかよく分かりませんが。(笑)

例えば初年度から3年で2点くらいしか取ってないのに、気が付けばいつもレギュラー格のFWとして出ていた堀孝史とか。
あるいはこれも初年度に僕が目を付けたただし大学出の有望新人DFで、最近見ないなあどっか消えたのかなと思ってたらオジェック体制(’96年頃)になってから何事もなかったかのように主力選手として復活して来た西野努とか。

かの山田暢之だって、あんな見るからに大層な素質を持った選手がこれだけ長い間はっきりしない存在感でい続ければ、普通は心機一転で一回はどこかに出るものだと思うんですけど。ただただい続ける、モノになるまで、または役に立つ時の為に。(笑)
多分例の桜井様をタダ同然でウチがゲット出来た件も、そういう浦和の大らかな(?)人事体質と無関係じゃないと思います。


近年はすっかり移籍市場独り勝ちの憎まれ役に定着してますが、そういう風に元々殿様なのと、実はそんなに正直スカウテイングが上手い/戦略的なチームにも見えなくて、エジムンドを筆頭に効率の悪いことも沢山している。それこそ以前の在籍時の小野だって、人気に惹かれて入ってはみたものの、若い小野自身の影響力の限界もあって結局は宝の持ち腐れのまま何となく円満に海外に送り出してちゃんちゃんというよく分からない存在に見えました。

だから本当に豪腕化したのはJリーグ実績のある有力選手(+α)を金に糸目をつけずにピンポイントで獲得出来るようになったここ数年ということになっているのかも知れませんが、ともかくそうした無駄も含めてあるいは無駄を恐れず、集めるんだ、抱えるんだという包容力がなんか他のチームの「積極補強」とは違う厚味・余裕を感じさせるんですよね。”ビッグクラブ”の名に相応しいというか。(笑)

だから現在の「余裕」を絵に描いたようなスタイルはその象徴的帰結だろう、一種の”ご褒美”だろうとつい運命論的思考に走ってしまいそうになるんですが。


しかし小野シンジはびっくりしてるんじゃないですかね、行く前と帰った後でのサッカーの体質の変化に(笑)。さてはエメルソンの脱走も実は天啓だったか。(ほら運命論)

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Fマリ?浦和戦 

J2に落ちて良かった・・・・なんてあちこちから物が飛んできそうなことを口走りたくなる(笑)ほど楽しい試合でした。
つまりこの試合を利害やジェラシーと無縁の気楽な立場で見ることのできた喜びということですが。(J’s Goal

キリキリ緊迫しつつしかし強豪どうし互いに落ち着きを保って、無闇にテンションを上げて綻びが生まれることも無かった前半。
しかしその終了間際の浦和の先制点をきっかけに、時間の経過と共に徐々に明らかになって来た両者の現在のスケールの差そのままに、あらゆる局面で優位に立った浦和が夢のサッカーで押しまくってあの岡田マリノスを完全に『折って』しまった後半。

惜しむらくはロスタイムのFマリ大島の”追撃”ゴールで、「驚異的な負け試合」ならそれらしく額面通り沈黙していればいいものを、まったく余計なことを。せっかくとめどなく涌き出ていた僕の脳内麻薬の流れが一瞬途切れてしまったではないか。(笑)

ちょいちょい書いているように僕は岡ちゃんを尊敬しているので、別にFマリをそれほど憎んでいたりとかそういうことはないわけです。
ただこの試合に関してはもう一方的に浦和目線で、レッド・ビッグ・ウェーブにノリノリで、行けえやれえ押し潰せえ皆殺しだあと血に酔って喜びまくってました(笑)。・・・・その割りには点入らなかっですが、まあいいです。

勿論岡田マリノスも並々ならぬいい選手の集まったよく訓練されたいいチームです。ただそれはあくまで「人為」のレベルで、言ってみればいちJリーグを勝ち抜く為の効率性というような日常的な地平に自ずと縛り付けられたものなので。
それに対してある種の天啓と幸運に象られた今年の浦和は今正に「天国への階段」を昇りつつあるチームなので、戦いの場が地や人の局面に落ち着いている段階ならともかく、いったん天の局面が顔を覗かせ始めるともう到底人為で対抗出来るような存在ではなくなってしまうのです。


・・・・すいません、飛ばし過ぎました(笑)。僕は血は冷たいですが神経は過敏なので、こう見えて興奮しやすいのです。いったん回路が開かれると脳内麻薬の分泌が止まらなくなるタチなのです。(バレてるか)

いやしかし実際不思議なくらいに圧倒的な勝負でしたね。途中からマリノスの選手たちは技術・戦術以前に”気”を挫かれて、何が起きてるんだろうという不安げな顔でほとんどいいところを出すことが出来ませんでした。
岡田監督は主に攻撃面での何も出来なさを嘆いていましたが、それは守備でも同じでそれほど決定的に崩されてもいないのに、確実に隙を見付けられて狙いのあるパスをばしばし通されてしまっていました。あれは正に「力の差」と言うべき風景で。ワシントンへの対応なんかも、今更分ってるだろうに馬鹿正直にやられ過ぎです。

個別に要因を挙げることは出来るでしょうが、それ以上にやはり僕は上で”スケール”と言ったもの、想定している水準の違いによる動員出来るダイナミズムの大きさの差みたいなものを強く感じてしまいました。
そこらへん名うての現実主義者であると同時に鋭敏な感受性も併せ持った岡ちゃんが感じないはずはなく、会見での陰惨なまでの敗北感漂う表情がすべてを物語っていたと思いますね。

これを受けてどうするのか。「浦和以外に勝てばいい」と割り切るのか、それとも何らか対抗出来るものを自分のチームに醸成することを目指すのか。・・・・実は一番の心配は、次当たるまでに浦和が別ものになっていないかどうかということだったりしますが(笑)。ほんと諸行無常にも程があるんだからサッカーのチームって。天高く舞い上がれ、そして燃え尽きるまで戻って来るな。

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ナビスコ:浦和?FC東京 

ナビスコ:浦和?FC東京2?0

・こちらは逆に(原文ママ)浦和の基盤の強固さを感じさせる試合。
・単に「層が厚い」というだけでなく、メンバーが6人も入れ替わっても揺らがない、むしろかえってクリアに見えた共通感覚の浸透性が。
・Fマリ戦の脳内麻薬に支配される前の時間帯(笑)にも感じてたことですが、強力な前へのベクトルを伴いつつダイレクトでポンポン回すパスの感覚が、チームレベルで保持されているのが感じられました。
・小野とワシントンは本質的にはその上に被せたデコレートで、だから必要があれはFマリ戦のようないきなりのスピードアップも出来るという。
・....単に鈴木啓太が凄いという可能性もありますが。
・バックパスの強弱一つにも次への展開の意図を感じる、優れたリーダーになっているようで。いつの間にか。
・トゥーリオもリーダー。小野はコンダクター?長谷部は斬り込み隊長。ポンテは頼れる兄貴。おまけに重鎮(笑)ワシントンと賑やかな限りですが、それで別に混乱はしていないという。(あ、監督もいた。)

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