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浦和?大宮 

大宮の都合と浦和の都合が、悪いぶつかり方をした感じ?

J1第24節 浦和 ●0?1○ 大宮(埼玉)



交代でも出て来なかったのでコンディションかなとも思ったんですが、その後特にそういう話は無いようですね。>平川

という前提で、疑問百出の『先発・相馬』を含めた僕なりのこの試合の見方を示してみますと、要はオジェックが意図的に尻を叩いて、「(最初から)大きいギアでやるぞ」というそういうメッセージの一つであると、そういうメッセージ下の試合だったのではないかとそう思っています。

涼しくなって思い立ったのか、「9月になったらそうする」とでも決めていたのか、ここのところのヌラリ妥協体制、”自然体”レッズを払拭して、もう1回気合入れる、あるいはやっぱり自分の色を出すぞというそういう決意。
まあそうなる可能性については一応は考えてはいましたけど(末尾)、このタイミングとは予想出来ませんでした。

・・・・というのは別に後で改めて考えたわけではなくて、普通にそう感じながら見ていたんですが、誰も特に言ってないようなので少し不安になってます(笑)。そう見えませんでした?


具体的にはまずはヌラリ平川からイケイケ相馬へのスイッチ、それから序盤から妙に積極的に上がる堀之内、そしてお得意の(?)「見る」姿勢が影を潜めて、何かに駆り立てられるように、ある種ぎこちなく、前から前から突っかけようとする全体の姿勢。
違和感を表明する人もいる「闘争心を見せて戦った」というオジェックコメントも、ともかくも指示を実行し”よう”としてくれたという、そういう意味でなら分かりやすいかなと。

結果としてはこれもオジェックの言うように、機能しなかったわけですけどね。
僕の言い方からするとただやらされていただけでロクに「見て」いなかった、主体的にゲームに入れていなかった、持ち味が消えていたということになります。これは今季の「オジェック色」の濃い時期全般に言えることかもしれませんが。

客観的な状況としては大宮の出方、監督が代わって「攻撃的」になったということで、どんなだろう、ほんとならやりやすいかなと思っていたら、嘘だった(笑)。・・・・いや、あれを単に「守備的」とは僕は言いたくないですけどね。大宮伝統の2枚の壁できっちりねっとりスペースを埋めるオランダ方式を基盤にしながら、ボールを取りに行くポイント、そこから森田に当てて押し上げるカウンターアタックの形・距離感、完璧に計算してその通りにゲームプランを遂行した、見事な戦いだったと思います。

そこに覚束ない足元で前へ急ぐ空回りレッズは飛び込んで行ってしまったわけで、甲府とは言いませんがいつもカモ相手にやっていることを、逆にされてしまったような格好。実に間が悪かった。


たらればを言えば、例え大宮がそういう構えでも、こちらも負けずに緩く構えてちゃんと日和見(?)してれば(いつものように)、あそこまでズルズルとはまり込んでムードが悪くなることはなかったと思います。低調なのはローギアなせいだと納得してられますし(笑)、少なくとも途中でギアを「上げる」という選択肢は残された。
選手の選択肢はあるようでないので、せめて試合運びくらいは柔軟性を確保しておきたいんですけどね。

ただ例え試合の入り方にスムーズさを欠いたとしても、結局90分間で引いた相手を崩せなかった、それどころか何ら変化らしきものも生み出せなかった(それが人によっては無気力に見えたところでしょう)のは大いに反省または自戒すべきところで、ここらへんはまあ、多少”劣化コピー”の限界みたいなものを感じなくはないです。
・・・・つまりどうにかなる当てがあるなら「反省」すべきですが、無いなら「自戒」にとどめて、出来ることを有効にやることに専念すべきかなと。

個人的には神戸戦から、ちょっとポンテの様子がおかしい、特に精神的に落ち着きがない感じで、いつもの精度・冴えが見られないのが気になる&直接的な敗因の一つかなとも思ってます。(理由は分かりませんが)
色々あるようで要するにポンテというところはありますからね、このチームは。プラスなんだかんだワシントン。思い出したように山田さん(笑)。これがレッズのヨソと比べた場合のスペシャリティ。
・・・・あ、トゥーリオは”スペシャル”というより”ユニーク”ですね。”エキストラ”(オーディナリー)というか。正直今も失念して書いてました(笑)。出没は頻繁だけど、計算してはいけない要素。


今後ですが。
僕の上の読みが正しければ(正しくなくても?)、この中断期間といよいよ本格的に涼しい(つか寒い)気候を利して、オジェックはプレッシング&ポゼッション体制の再建を目指して来ると予想されますが。さて。
どのみちこの日の大宮はかなり難敵な部類だったと僕は思いますけど、それはそれとして「攻め切れない前がかり」の怖さというのも改めて感じてしまいました。(それと「仕切り切れない指導」と。)

まあA3後?7月の中断前の、誰もが認めるあの今年の”ピーク”のチームは確かに魅力的ではあったので、あれが再現出来るというなら続きをやるのは大いに結構ですけどね。
とりあえずやっぱりワシントンには、なるべく早期の復帰はお願いしたいところです。どういう体制にしろ、一つの重要な保険にはなる。”頼り”とまではいかないとしても。駄目ならさすがに補強は必要なんじゃないでしょうかね。一応「世界一」目指すわけですし。小池というわけには。気配も無いのは予算がほんとに締め切られてるんですかねえ。


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金庸読者の方々へ3 

結局ともかく総評だけ最後まで書いてしまうことにしました。
それに伴って過去に書いたレビューも、作品ごとのカテゴリーは廃止して、内容によって(総論)(各論)にカテゴリー分け。
・・・・ただし単に既に書いたものをバラしただけで、特に改訂とかはやっていません。改めて見てみると一部読めたものじゃないところがありますが(笑)、まあキリがないので当分放置。

では『飛狐外伝』から再スタート。



金庸読者の方々へ2(’07.7.5)

相変わらず書き方に悩んでいて、それによってモチベーションも上がらないで困ってますが。

基本的にはスピード感/リズム感が(”レビュー”を)書き始めた頃とずれて来ているんですよね、あんな無時間的にまったり書くぞという感じではなくなってしまっている。
しかもそうして書いたものを具体的にどういうタイプの人が読むんだろうというイメージが、始めて半年以上経ってもさっぱり形をなして来ない。何も考えずに勢いでさっさと書いとくべきだったなあ。(笑)

根本的には「書評ブログ」という一般的な軽い感じに早く近付けたいんですよね、それで色々なものを取り上げたい。
で、その折衷案的に考えたのは、それぞれの作品ごとに、「書評」的に『総論』を総論としてバーッと書く。これが本線。で、その後作品によって書きたいディープな語りがあれば(たいていはありますが)、それを『各論』としてまたそれぞれに書くというそういう形態。

後に書く余裕が出て来るだろう、金庸以外の作品の「書評」は、上の『総論』部分と並列されるわけですね。・・・・分かります?(笑)
まあ僕以外には大して意味のないこだわりなのかも知れませんが、位置付けや全体の構図が見えないとさっぱり書く気がしなくて。


ともかくそういうわけで、当面次の作業としては『神雕剣侠』の総論を書くということになります。既に書き始めていた”楊過と黄薬師と黄蓉の比較”云々の話は、その後の各論の筆頭ということで。
何とか頑張って『神雕』を仕上げた後は、まずは『射雕』までの作品について、既に書いたことを総論/各論という形態に従って再整理すると。その後は『飛狐外伝』以下について、”総論”のみを先にバーッと書くか、それとも一つ一つ各論を含めて片付けて行くか。

はあ。なんか阿呆みたいですね。
内容自体はとっくに、ほとんど半年前から頭の中に仕上がってるんですけど。
まずは出来れば明日あさって一杯で、何としても『神雕』総論を書く。と、宣言して縛りをかけておかないといつまで経っても腰が上がりそうにない。(笑)

そんなわけで。週末ゲーム禁止。



「金庸読者の方々へ」(2007/6/22)

『神雕』編を勢い良く始めたまま、怒涛の放置に突入してしまってどうもすみません。
別にやる気がないわけではないんですが、書くこと・・・・というより書き方/ハードルの上げ方に再考の余地があるなと悩んでいる内にレッズの日程が俄然密になって・・・・いる内にひょっこり今更『フロントミッション3』

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とか始めてしまって、どうもまとまって構想を練る頭の余裕が。

まあレッズが暇になる7月には、ちょうどフロントミッションも落ち着いてるでしょうから、そん時は必ずという感じで気長にお待ち下さい。


『飛狐外伝』 ?お仕事モードの金庸先生(1) 

飛狐外伝〈1〉風雨追跡行飛狐外伝〈1〉風雨追跡行
(2001/09)
岡崎 由美、金 庸 他

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『雪山飛狐』編(1)(2)
更に参考、『金庸先生の執筆環境』


『飛狐外伝』の基本性格

まず基礎知識の確認。

・’60年発表。’57年に書かれた『雪山飛狐』”前伝”(3巻作者あとがきより)。『雪山』主人公胡斐の成長過程を描写。

・上記『雪山飛狐』も掲載されたメジャー紙「大公報」から独立して、自ら主宰する「明報」創刊後の、『神雕剣侠』(’59)に続く第2弾作品。(『金庸先生の執筆環境』

・実際に掲載されたのは新聞ではなく、「武侠と歴史」という小説雑誌。それにかなり手を入れて(主に削除)、他の新聞小説作品と文体等を揃えたのが現在読める単行本版。

・同じくあとがきによると、”武”と”侠”の内、意識的に”侠”の面を追求してみることがメインの狙いであったとのこと。(後述)

・・・・基本的な印象としてはやはり『雪山飛狐』と同じで、申し分なく面白いけれど掴み所がない、バイオグラフィ全体の中で見るとあっても無くてもいいような気がする、というもの。
勿論『外伝』の場合は『雪山』の”前伝”である、主人公胡斐の”若き日の姿”が見られるという意義が最初から折り込み済みなわけですが、”若き日”とは言っても『雪山』の胡斐も十分に若い、大したタイムラグもギャップ感もあるわけではないので、正直有り難味は薄いです。(笑)


『飛狐外伝』の特徴

内容的にはともかく、主に構成面とそこから来る印象には、『飛狐外伝』にはそれなりに特徴的なものがあると思います。

1.続編/シリーズ系作品としての特徴

時系列が逆なのですんなり「続編」と言えないのがめんどくさいんですが(笑)、ともかく、『神雕剣侠』ともある意味共通する特徴。

具体的には”前作”『雪山飛狐』の余韻、及び既に世界観が存在・共有されていることから可能になる、説明も前振りもなしに、いきなり本題に入ってぐいぐい進むスピード感のようなもの。
そのオープニングのスピード感に導かれて、あるいは単刀直入感を基本として、その後のストーリーも語られる。

2.コンパクト仕様の金庸

前段「基本性格」で述べたように、単行本化に当たって金庸はかなりバサバサと、雑誌連載用に(新聞小説形態と比べて)冗長になっていた部分を削ぎ落とす作業をやったそうです。
そのせいと、それから1.で述べたスピード感の恩恵の相乗効果でしょう、『飛狐外伝』は何と言うか、”核”だけが剥き出しにされて並べられているような、ある意味無雑作な凝縮感というものが全編に感じられます。

元々「息もつかせぬ怒涛の展開」「名場面の連打連打」みたいなものは金庸作品の定評のあるところなんですが、それでも『射雕英雄伝』を筆頭とする他の作品には、それなりの起伏なり装飾性なり、構成美を意識したようなものがそれぞれに見られると思います。
しかし『飛狐外伝』にはそういうものはほとんど感じられません。別に破綻しているわけでも流れが切れるわけでもありませんが、何かもっと無作為に、時間通り単純にエピソードが並べられているような印象があります。

・・・・そうですね、金庸作品一般が「満漢全席」(岡崎由美氏)だとすれば、『飛狐外伝』はその”弁当”版という感じでしょうか(笑)。同じ質の料理を、ただし出す段取りとかはさほど気にせずにともあれ召し上がれと品数も落として、四角い弁当箱の中にとにかく詰めましたという感じ。
メインの商品にはなれないけど美味しくて食べやすい。ちょっとくらい冷めてても安心?!(笑)


(2)につづく。


『飛狐外伝』 ?お仕事モードの金庸先生(2) 

飛狐外伝〈2〉愛憎の父娘飛狐外伝〈2〉愛憎の父娘
(2001/10)
岡崎 由美、金 庸 他

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(1)より。


『飛狐外伝』の”お仕事”性

表題ですが。
基本的には『雪山飛狐』について書いた「射3部作の狭間で穴埋め的に書かれた地味な作品」ということですね。積極的な存在価値の薄い。(1)の”お弁当”性ということも含めて。
同じく(1)で、金庸自身が解説で”侠”に重きを置いた作品であると書いているということを書きました。具体的にはこう。

およそ武侠小説の主人公というものは、富貴貧賤に拘らず、威武に対して不屈であるものだ。これらは大丈夫足るべき三つの標準であり、それらをなし通すことはさして困難なことではない。


そこでわたしは、本書において胡斐にさらなる要求をつきつけることにした。「美色のために動かず、哀懇のために動かず、面子のために動かず」という課題を与えてみたのである。


・・・・以下それについて実例が挙げられるのですが、正直ぴんと来ないというか、そう言われればそうかなというくらいの感じです。金庸自身も「さほど深みのあるものにすることはできなかった」と述懐しています。

要するにこれも前作『雪山飛狐』の”嵐の山荘ミステリー”性と同じで、まず埋めなくてはいけない連載枠があって、それに対して後付け的にやや無理矢理付与した「テーマ」「趣向」の類なのではないかと、僕などは思うのですが。


『飛狐外伝』の”お仕事”性?

何か悪口のようになってしまいましたが、それもこれも、全部で15作くらいしか書かなかった金庸の他の作品が、押し並べて一作一作キャラが立っている、それとの比較の上での話ですね。

そもそも繰り返し書いているように、金庸というのはある種の余技というか、新聞を中心とする自分の総合的な文化活動の”一環”として時限つきみたいな感じで『小説家』をやった人で、極端に言えば「企画もの」なんですね(笑)。(ペンネーム)”金庸”という企画というか。
だから”何となく”書くなんてのはほとんど定義矛盾なわけですが、それに一番近い、「いつもの金庸」それ以上でもそれ以下でもない作品が『飛狐外伝』(シリーズ)だということです。

・・・・と、いうものとしてリラックスしてこの割りと淡々とした作品を読んでいて、改めて思うのは「巧いなあ」ということ。今更ですが。
それもこう狙ったとか特別に趣向を凝らしたとかそういうことではなく、もっと身についた巧さ。シーンやエピソードを円滑に読ませるための。逆にあえて”狙った”風のものというのは、必ずしも成功してないようにも見えるんですけどね、他の作品を見てると。(笑)

具体的に『飛狐外伝』で特に見事な、ハイライト的なシーンは、何と言っても最終3巻

飛狐外伝〈3〉風に散る花飛狐外伝〈3〉風に散る花
(2001/11)
岡崎 由美、金 庸 他

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”天下掌門人大会”でしょう。・・・・そう、”シーン”なんですよねこれ。P.104?261、ページ数にして150ページ余りに及ぶ長大な、でも基本的に1シーンの。
内容的には要するに全国から集まった武芸者たちが、皇族(福康安)の御前で入れ替わり立ち代わり腕を競うというそれだけの話で、いかにも冗漫になりそうなところを、各武芸者たちの錯綜するそれぞれの思惑を複雑に絡め、かつ分かり易く整理し、それをしかも飽くまで”武術”の激突として、それに載せて絶妙な押し引きの勘で最後まで飽きさせず緩ませず読ませる。小説というよりもむしろ舞台台本的ですが、万人垂涎の腕の冴えではないでしょうか。
勿論武術のバラエティも目が眩むほどで、実に楽しい。

ちなみにこの”1シーン”性、舞台の固定性は、何となく『雪山飛狐』の”山荘”を思わせるものがある、それに対応すると言えるかも知れないと評論家的には言っておきますが(笑)、まあ気にしないでいいです。


以上で一応の総評は終わりですが、ついでなのでかの『雪山飛狐』のミステリー、「苗人鳳と胡斐の決着」問題を含めた、飛狐シリーズの割りと真面目な”テーマ”性について思うところがあるので、次に各論として論じてシリーズについてのまとめとしたいと思います。


『飛狐』シリーズの「不可知」性 

『雪山飛狐』『飛狐外伝』総評。


胡斐と苗人鳳の”決着”の行方

『飛狐』シリーズ最大のミステリーと言えば、『雪山飛狐』

雪山飛狐 雪山飛狐
岡崎 由美、金 庸 他 (1999/02)
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のラスト、雪中の切り立つ崖において、主人公胡斐が父・胡一刀の仇でありかつ恋人・苗若蘭の父親でもある苗人鳳と、奇なる行きがかりから生死を賭けた立ち会いに及び、いよいよあと一手で止めを刺せるという段において大いに悩み、さてどのような決断を下したかということを描かずに話が閉じられている、その先がどうだったかという有名なそれであるのは言うまでもありません。

 百千もの想いが渦巻いた。
 かつておのれの父母を死に追いやり、おのれを天涯孤独の身に陥しいれた男。だがそれは天下に知らぬものとてない英雄であり、いとしく思う人の父でもある。理をもってすれば切るわけにはいかぬ。しかし切らなければおのれの生きる望みはない。壮年に達したばかりでやすやすと死ねようか。かといってこの男を殺せば、何の顔あって苗若蘭にまみえることできよう。生涯遭うのを避けねばならぬとしたら、そんな生き方をするより、むしろ死んだ方がました。
 打ち下ろすべきかどうか。思いは千々に乱れるばかり。相手を傷つけたくはないが、おのれの命であがなうべくもない。(中略)

 胡斐は無事に戻ってきて苗若蘭と再会できるであろうか。
 あの一刀は振り下ろされるのであろうか。


今回読み直してみてあれと思ったのは、最大のジレンマが「父母の仇」と「恋人の父」「尊敬に足る人物」ということにはなく、それについては”相手を傷つけたくはない”(つまり後者が重い)とある意味解決済みで、むしろ「やらなければ自分がやられる」というジレンマの方に重点があることですが。それはともかく。
この先について直接的な僕の想像を披露することはしません。いずれさんざん論じ尽くされていることでしょうし。

ただ「作品」という意味では”ぼかし”ているわけではなくて、これで本当に終わり、”答え”は無いのだと思います。
それはジレンマ自体がほとんど解決不能だというのもそうですが、と同時にその「解決不能」性が『飛狐』シリーズそのものの本質と関わっているように見える、そのように僕としては了解可能であるからです。


程霊素の死

このことに思い至ったの『飛狐外伝』3巻

飛狐外伝〈3〉風に散る花飛狐外伝〈3〉風に散る花
(2001/11)
岡崎 由美、金 庸 他

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における、胡斐を慕いながらついに報われず、彼の命を救うために死んで行った悲運の少女程霊素の死の場面を読んでいた時です。

 それとも程霊素は、このことをも予測していたのだろうか?程霊素は胡斐が自分を愛していないことを知っていた。自分が胡斐を愛するようには決して自分を愛してくれないことを。だったら、こんな結末を迎えるほうがよかったのではないか?恋人の毒血で自らを殺し、恋人の命を救うほうが。
(中略)
 少女の心ははかりがたい。ましてや程霊素のような少女が、心の底でほんとうのところなにを考えていたかなど、誰にも永遠に知りようがないのだ。(p.341)


ここのところはちょっとわざとらしいというか、クドい感じがするんですね僕は。
人の心が、増して死んじゃった人が何を考えていたかなんて、分からない、”知りようがない”のは当たり前のことです。ただそれを分かるような態で、あるいは”分からない”ことをめぐって何らかまとまった形を作るのが普通の意味での小説/フィクションというもので、自分で書いといて分からない分からないって、何のことだと。(笑)

言ってみればここは金庸がフィクションとして半端に投げ出しちゃってるところに、リアル/現実の不可知性が不用意に侵入して来ているような感じがします。
そういう”リアリズム”を主体とするような小説や映画のスタイルというのも確かにありますけどね、いつもは錯綜したジレンマをあっと驚く馬鹿馬鹿しい”超展開”で突破して見せるのが身上の法螺話の名手金庸が(笑)、今更リアリズムってあんたどのクチが言うかと。(笑)


『飛狐』シリーズの不作為性

ちなみに『外伝』のもう一つのカップル、「在家」と「出家」という結ばれない運命の境遇に最初から引き裂かれていた胡斐と円性の2人が、結局そのジレンマ通りに何も状況が変わらないまま結ばれずに終わってしまうというのも、同種の”リアリズム”のように感じます。(勿論『雪山』との辻褄の問題は前提としてありますが)

ではこれらのリアリズム的な展開や描写が、直接的に金庸のそういう意図であったかというと、そこまでは思わないんですね。
そうではなくて『飛狐』シリーズのお仕事性・手なり性、「企画」としての弱さ・消極性が明快な展開を決定させることが出来ずに、そこに上でも書いたようにリアルが、不可知な現実性がなし崩しに”侵入”して来ている、そのように感じます。

あるいは法螺話の名手であるのと同時の金庸の特徴である、”勧善懲悪”や”中華史観”などを筆頭とするお定まりの物語構造への反抗や相対主義、ある種の現実主義が、この比較的気合の入っていない不作為な作品においては、より”生”(なま)な形で出ているか。

いずれにしてもそういう風に「投げ出されている」ことを重要な特徴として持つ『飛狐』シリーズ、その内の1作である『雪山飛狐』ならではの、不可知である、解決不能であること自体をある意味での”メッセージ”として持つ、そういう「ラストシーンの謎」であると、何となくパースペクティヴ的には僕は了解に成功したというそういう話です。(笑)


まあ気持ち悪いには違いないですけどね。何とかしろよとは思いますけど。
とりあえずあえて決めれば胡斐には涙を飲んで苗人鳳をバッサリやっておいてもらわないと、『飛狐』シリーズの新作が書かれる可能性がなくなるので困るということは言えると思います(笑)。苗若蘭の機嫌取りなんぞ後で考えればよろし。


広島?浦和 

なんちゅうかほんちゅうか。

J1第25節 浦和 ○4?2● 広島(ビッグアーチ)

楽勝だけど気を引き締めるべき、ということを選手たちの誰もが分かっているだろう試合。


試合自体は総じて楽勝と言っていいのだと思います、繰り返しになりますが。
何せ広島に勝つ気がないと言うか、シーズンがここまで押し詰まっても、未だに自問自答モードというか目の前の相手が見えていないと言うか、試合が始まってるのに気付かずに、戦術練習のケーススタディでもやってるような感じでしたから。

途中までの作りとかは特に悪くないというかむしろ(点差がつくまでは)広島の方が良かったくらいですが、肝心のゴールに近付いて(近付かれて)からぐっとテンションや注意力が上がるべきところで、それまでと同じ淡々とした悠揚迫らぬ対応しかしてこないので、相対的に集中をアップしてプレー選択もきっちり狭めてぶつかる浦和を、どうそどうぞそんなに通りたいのならとスルー。
エリアがどこだろうとパスが通ったら1点、ドリブルが成功したら1.5点、シュートが決まったら2点とか、そういう別の競技をやっているようにすら見えたり・・・・は勿論しませんが、でも見えたかもしれません。(どっちや)

ハーフタイムのペトロヴィッチの指示は「バランスを考えろ」、バランス?そうか?むしろそんなことばっかり考えてるからいけないんじゃないのか?
”バランス”というのは要するに「俯瞰」でしょ?もしくは「傍目」(八目)。プレーしてる選手は目の前正面に相手がいるわけで、どう考えてもそれはメインの視線ではない。勿論大局は必要ですが、”小”局も”中”局も同じくらい必要で、それらと組み合わさることで大局観が初めてアドバンテージになり得るというか、それぞれのレベルを頻繁にフィードバックし合うことが真のゲーム・アイを形作るというか。

まあいいですけど(笑)。なんか敵ながら腹立って来てしまったので。
これが”いいサッカー”なのかな。東欧ではそうなのかな。オシムは大丈夫かな。(笑)
ともかく前回も前回ですし、えらく気が早く総括してしまうと、’07シーズンの広島は甲府に勝るとも劣らない、浦和”リアリズム”レッズの最高のお得意さんでしたというそういう感じ。


レッズはまあ、普通にやっただけですね。常に普通にはやれるのが偉いところですけど。
「プレッシングモードの蒸し返し」という中断前の僕の見立ての可否は不明ですが、今更やたら暑いわ代表組はしんどいわ、これからの日程も勿論しんどいわで、高望みせずに本当に最低限、必ず出来ることだけをきっちりやった感じ。正直立ち上がりは結構ソロソロという感じだったので、もう少しパンチの効いた相手だったらどうなってたか。少なくとも大半の時間帯を”消化”モードで過ごせるような、こんな楽な試合にはならなかったでしょう。
自説に固執するなら(笑)幸か不幸か大宮に出鼻をくじかれてしまったことで、オジェックが変な色気を引っ込めてくれたとかそういう可能性も。

もう一つの”自説”の「ポンテの不調」の方は、どうも当たってるような気配もあって困りもの。理由は良く分からないんですけどねえ、毎年のことながら(笑)、ポンテの好不調は。
あれで案外顔に出る人なので、精神状態が良くない/イラつき気味なのはすぐに見て取れるんですが、それが原因なのか結果なのか。満遍なくレベルの高い、ほとんど欠点のない人ですけど、ある意味最大の持ち味はそれぞれの(レベルの高い)プレーを出す時の、ちょっとしたタイミングのずらしや”気”を読ませ難い独特のリラックスした作法にあるので、テンパっちゃったり硬さが出て来ちゃったりすると効果半減というかMPの足りない魔法剣士みたいな変な使い勝手になる。

まあ”格闘戦にも一応対応出来る魔法使い”小野シンジにでも頑張ってもらって(笑)、その間に調子を取り戻してもらえると。エーテルいるかい?


今日は活躍の田中達也ですが、代表での不発の方も伊達じゃないというか、基本的にずっとプレーは同じで、試合によってそれがハマってるかハマってるかそれだけみたいな、そういうちょっと融通の利かない感じがしています。
「有効なプレー」のタイミングがどうも狭いんですよね。”一瞬”のスピードで抜け出してそのままシュートみたいな、そういうプレーが出来る状況ならキレまくるんですがそれ以外だと空回りみたいな。”圧倒”か、”カウンター”か、両極端でしか役に立たないというか。物理的な足回りはいいんですが頭の足回り(?)が雑というか一本調子というか。

決まった時が素晴らしいんで駄目出ししにくいんですが(笑)、例えば焦る必要のない場面でとにかく早くシュートを打ってしまって、FWがシュートして外したんだからどんまいなのかも知れないけど、それ本当に有効だと思ってやったのかゴールのイメージはちゃんと描かれていたのか、隅っこに呼んで問い質したくなったりすることがままある。
「FWとしてすべきプレー」の見本みたいなのが強烈に自分の中にあるんでしょうけどね、一回ほぐしてみた方がいいかもしれないというか、そうですね、久しぶりにトップ下で使ってみるとか。思い付きですけど。


というわけで久々ワシントンのふてぶてしく最後までじっくり見るプレーが、妙に頼もしく見えた日ではありました。
水曜勝てるといいですね。まだ”準々”なのか。先は長いな。


ACL準々決勝全北現代戦(ホーム) 

なんだなんだ。

ACL準々決勝 浦和 ○2?1● 全北現代(埼玉)

ほとんど”一夜にして出現”という感じのパスサッカーでしたが。(動ける内は)
ううむ。


オジェックに押し付け・・・・もとい、導かれた(笑)果てのべったり塗り潰すようなあれでもなく。
かといって勿論、毎度お馴染み一丁上がり!のカウンターモードの超効率アタックでもなく。
強いて言えば去年型の華々しくも隙のない”芸人たちの宴”を、より能動的積極的にしたような。
その分少し、足元が危ういところはありましたが。

現象的には専ら”プレッシング”に使われる/使われていた「運動量」を、パスコースを作る為のポジションチェンジ、出入りの頻繁さに振り向けたようなそんな態。
今石塚さんの解説を読みながら、そうなのか、そういうことなのかなあと尚も悩みながら書いていますが。普段やっていることをより”真剣”に、労を惜しまずやるとこうなるのか。ううん、そうかもしれない。

とりあえずこの事態が、ACLノックアウトステージへのモチベーションのフレッシュさによって自然発生的にもたらされたことには異存ないですね。それと普段やってるのが殊更カウンターという”スタイル”ではなくて、目の前の相手や状況への素直な最適化された反応であるのも間違いない。
だとすれば・・・・そうなるか。説明としては簡単過ぎて、なんか気が引けるんですが(笑)。”スタイル”も”戦術”も特には必要としない、それでいて緩まないバラけない稀有のチーム浦和レッズ。

あえて”スタイル”ということを言うならば、ワシントンと永井のプレイ”スタイル”の違いが、意外に大きく影響している感じはしますね、去年型との比較において。今年の、あるいは今の永井の柔軟に細かく広く動くスタイルが。
むしろ達也の方が決まった動きをする。その達也と中央にデンと構えるワシントンのコンビだと、中断前の、ぶっとい軸で正面から押し潰すようなスタイルになるのもある意味当然。だから今の軸は永井なのかもしれない。

ていうか1点目のポストプレイみたいなの今後も真面目にやる気があるのなら、是非代表の方にいらっしゃっていただくと助かります。いや、実際凄く真面目にやっていたと思うんですが。(笑)


その永井のポストからの長谷部の先制ゴール自体も、結構驚きましたね。「長谷部がシュートの時落ち着いてる!」。(笑)。いや、実際久しぶりに見る姿でした。ちゃんと計算ずくで1拍遅らせたりして。後半のスルーはやり過ぎでしたけど、ともかく調子取り戻してくれたようで何より。

戻っていないのがポンテで、動き自体は別に悪くないんですが、そこからのパスやキックの精度がポンテにしたらあり得ないほどの雑さで。さすがにどこか痛めてたりするんじゃないでしょうか、局部的に。ちょっと心配です。全体的に悪いのなら「コンディション」ということで、その内戻るだろうと構えてられるんですが。セットプレーとかもちょっと微妙にねえ。

前半の攻勢を支え、従って後半の沈滞の一因ともなってしまったのは(笑)、石塚さんもおっしゃる通り、確かに山田キャプテンだと思います。そんなにグリグリ勝負するとか切れ込むとかではないんですが、さりげなく高目のポジションを取って繋ぎに顔を出すことで、パスの回りに落ち着きと細かい変化を同時に与えていた。
結構名人芸ですよね、あれ。多芸な2番打者みたいなプレー(笑)。トルシエの時の明神と俊輔の間みたいというか。いずれにしても山田さんの位置取りというのは、ほとんど常に何らかチーム状態の指標になっていますね。山田さん発なのか逆に”センサー”なのか、今イチよく分からないんですが。(つまり”やっている”ポジショニングなのか、”なっている”ポジショニングなのか)

とにかく高い位置に山田さんがいる時のレッズのわくわく感はもう。何が起きるかよく分からないというのも含めて。(笑)


・・・・達也についてはまた少し思うところがあったので、明日にでもまた。
とにかく勝ちました。最後の1点はかなり悔しいし危険な匂いはありますが、まあ何とかしてくれるでしょう。この大会ばかりはほんとに、勝利!勝利!勝利!という感じです。まずは週末を無事に過ごしてと。
ああ最後に小野シンジ君、反省するように。状況とかは色々あるとは思いますが、ポンテとのプレッシャー力と確実性の差はあまりに歴然でした。交代投入選手としては、もし追い付かれでもしたらほとんど戦犯級だったと思います。


田中達也のプレイスタイル 

全北戦の達也。
かなり外しましたが、得点場面のスパッと一閃居合抜きはやはり見事というか、今ほとんど日本で彼にしか出来ない”芸”というか。

今季途中(6月A3)の復帰以来、基本的に’03?’04アテネ最終予選前後あたりのプレーを”ピーク”として、それとの比較、それへの回復途上という観点で田中達也を見て、注文などもつけて来たわけですが。
なんか違うのかもなと。あれから更に”変態”中で、別のプレイヤーになりつつあるのかもしれないなと、ちょっと思い始めています。


まず僕の認識する田中達也のプレイスタイルの変遷はこう。

1.帝京高時代

ドリブルからのスルーパスを得意とする「トップ下」「司令塔」で、言わば前園的なイメージ。

2.レッズ時代?(’01?’03途中)

縦に速いレッズのスタイルに合わせて、より「ドリブラー」「スピードFW」的側面に特化して、ウィングプレイなどのチャンスメイクやカウンターの先陣役として活躍。

3.レッズ時代?(’03途中?’04アテネ五輪?)

持ち前のドリブルスキルと超絶アジリティを、”ゴール””シュート”の1点から逆算的に駆使して爆発させる、「ストライカー」「点取り屋」スタイルへ変貌。

4.レッズ時代??(?’05.10右足脱臼骨折?’06後半復帰/再手術?現在)


問題はこの”4”なわけですが、『”3”への回復過程』ではなく、新たな脱皮、「ストライカー」スタイルの更なる厳格なシンプル化の途中なのかもしれないと、それが今感じていることです。

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横浜FM?浦和 

ふっ、今日はこれくらいで勘弁・・・・してくれてありがとう、Fマリさん。(笑)

J1第26節 浦和 ○1?0● 横浜FM(日産)

ああ、凌いだ凌いだ。家本にすら暴れる余地を与えない、静か?な試合。


言わずと知れた過密日程。しつこい残暑。勢いのある相手チーム。
正直今年の中でも1番に近いきつい条件で、僕が全北戦後に「週末を”無事”に過ごして」という表現を使ったのも、別にFマリを甘くやり過ごせると思ったわけではなくて、きつくなるのが分かり切ってるので、ぎりぎりまでその現実を直視しないでいたいというそういう心理の表れです。(笑)

そしてこういう時に決して対処を誤らないのが浦和レッズというチームで、一糸乱れぬ暗黙の了解(?)で、細心かつ決然と、いつにも増してスローペースのゲームを演出し切っていました。
はっきり言うと恐らくカウンターに”はめる”余力・余裕すらほんとは無くて、敵ながら見事だったFマリの攻撃を最後まで凌ぐ目算も特には無かったと思いますが、駄目なら駄目でしょうがないと、その代わりたまに来るチャンスにはこれもいつにも増しての集中力で、その価値をみんなが分かっているという感じの実に丁寧なプレーで掴みに行っていて、正直感動しましたよ僕は。

世評は知りませんが、これは「いい試合」と言うべきものだと思います。”いいサッカー”などという言い訳に頼らずに、ただ黙々と”サッカー”そのものに向き合っているチームならではの。
ここんとこらしくなかったポンテも久しぶりに、改めて研ぎ澄ました”技”を見せていましたし、そして決勝点の永井!永井!永井!。前の試合のポストプレーに続いて、実に大人というか男らしいというか、万事呑み込んで「分かってる。やるから。任せて」という感じの単に落ち着いているという以上の太い意思を感じさせる見事なゴールでした。

技術的にも相当の余裕を感じさせるキープ&シュートでしたよね。これまでの履歴を知らずに普通に見れば(笑)、明らかに国内ナンバー1クラスのFWですよ今の永井は。言い尽くされてますが元々肉体的資質も技術も、少し異次元の人ですしね。
何とかなりませんかね、やっぱり。代○の方。山田さんは年齢的にチーム事情的に諦めるにしても。具体的にそれほどの夢を見ているわけじゃないですけど、このクオリティをキープし続けるのなら、何かご褒美がないと嘘ですよ。

ある意味「後押し」なのが過密日程で、A3の時もそうでしたがそれと決めたら非常に丁寧に負担を均等配分するオジェックの律儀な選手起用で、ワシントンが復帰しても当分は出場機会に問題は無さそうですし。(ああでも代○戦自体が無いか。)
・・・・しかし鈴木啓太→内舘は、やりそうでやらないだろうなと思ってたらやりましたね。少しどきどきしましたけど(笑)。こんな競った展開でいいのかなと。細貝はどうしたというのもありますし。

まあでもFWはほんとに3人横並びでいいと思いますけどね。甲乙丙(笑)つけ難い。


いやあ、勝って良かった。幸せ。
スコアレスドローはおろか、結果負けてもこの試合に関しては、文句言う気は無かったんですけどね。FマリはFマリなりに本物だったと思いますし。攻勢に安定感があった。正直運も良かったと思います、決められなかったのは。

でももうやだなこんな試合(笑)。きついって。
戦いぶりに満足していただけに、早く結果が欲しくて、2分毎に時計を見ながら授業の終わりを待つ学生みたいな気分で、そわそわと落ち着かなく見ていましたよ。むしろサポさんたちも、変に盛り上げて場を熱くしないでくれ?と(笑)。店じまい店じまい。

というわけで(?)僕も今日はここまで。


ACL準々決勝全北現代戦(アウェー) 

ともかく大きな怪我は無かったようで何より。

ACL準々決勝 浦和 ○2?0● 全北現代(全州)

いい審判でしたね。良過ぎてちょっと冷や冷や(笑)。少しくらいはあっちの贔屓しても恨まないよ?


試合の方はなんつうか、あまり言うべきことがないですね、見ての通り。
はっきり言うと相手にならない、おとといおいでという感じ。色んな意味で。
開始早々の先制点の時点で、既にサッカー的には敵でないことが分かってしまっていましたが。

1戦必勝態勢で向かっている浦和レッズに対して、ポンテのところか、跳ね返りに詰めるところか、いっそキーパーが死ぬ気でキャッチしてしまうか、どこかでプレッシャーを抵抗を見せられないようなチームが勝てるわけがない。日頃のJの相手と比べてもね。
これだけ実力が足りないと、ああいうホームの煽りは力になるよりむしろ負担になるのではないかというそういう感じ。

勿論その後あんな見苦しいプレーを繰り返して来た相手に同情する謂れはないんですが、例えば代表の日韓戦でも、いつからでしょう多分加茂/トルシエあたりの日本が本格的に強くなって来てからは、「日本には勝利以外あり得ない」という不条理な信念が、マスコミレベルではともかく現場レベルでは目に見えて薄れて、そりゃ勿論しゃかりきにはなって来ますが勝利の絶対性に対する”本気”度は内心かなり常識的なレベルに落ち着いてしまって、それでもやらなければ勝たなければという余計なプレッシャーに苦しんでいる様子が気の毒に見える時があります。

むしろ本当に韓国代表が”圧倒”的に強い時はほっとしたりして。(笑)
良かったね、アジアの虎さん。ちなみにこっちが見てるのはアジアじゃなくて世界だけど。
そりゃ選手は馬鹿じゃないから分かりますよね。相手が十分に強いのも場合によっては尊敬に値するのも。実際日本が強くなったからこそ、現場レベルでの、あるいは潜在的な日韓関係は随分良くなったと思いますが。騒いでるのはサッカーとあんまり関係無い人たちでしょう。

ともかくこちらのホーム、あちらのアウェーである埼玉で終了間際に全北現代が取ったこの前の1点は、全北現代の”底力”を示すというよりはアウェーの劣勢から開き直って気楽に攻め立てられたからこその、ある意味あれしかないという流れのものだったようで。
まあレッズも数的有利の割りにそれほどパッとした戦いをしたわけではありませんが、ご存知の通り(笑)元々必要も無いのに本気を出すようなチームではありませんし、怪我とカードにだけ気を付けて、予定通りの逃げ切り。2点も取るなんて大サービスじゃないですか。(笑)


さて準決勝の相手はまたも韓国、城南一和に決まったそうで。
移動が小さいのはいいことですが、正直そのう、限界スレスレの戦いを続けている選手たちには大変申し訳ないお気楽な話なんですが・・・・もしここで負けてしまうと、結局今年は要はA3を2回やっただけみたいな何とも地味な感じになるので(笑)、是非とも勝ち抜いてせめて異人種の人たちとの戦い(?)を実現させてもらいたいもの。

いやあ、きついっすね。来年以降も当然この大会は続いて行きますが、浦和みたいなともかくも大人なタイプのチーム以外、Jの代表は勝ち抜くチャンスがどれくらいあるんでしょうか。”クオリティ”メインでどこまでいけるものか。
逆にそういう、あるいは普通の優勝チームがその内容通りに勝ち抜けるようになったら、そこでJのレベルはもう一つ上がってるんでしょうけどね。開幕からチーム状態にぶーこら言いながら、ある意味いつの間にかここまで来てしまった感もありますが、ひょっとしてかなりレアなチャンスかも知れないので、何とか最後まで勝ち切りたいものですね。


えー、その前に次どこだっけ。新潟か。ひーこら。


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