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横浜FC?浦和 

根占かよ。

J1第34節 浦和 ●0?1○ 横浜FC(日産)

完膚なき終わり。矢尽き刀折れ、もう帽子からウサギも出ません
ていうか・・・・帽子どこ?


はいさっさと終わらせましょうねえ。

勝ち負けなんてのは分からないものですし、増してや現在の浦和の得点力では、どこが相手だろうと先に1点でも取られたらきついのは当然のことなんですが。
ただそういうこと以上に、浦和が最初から見るからに集中を欠いているのに驚きました。全然ネジ巻けてねえじゃん。ことここに及んで。

鹿島戦で数的優位に逆に浮き足立ったのはまあ、理解&想定の範囲だったんですけど。
あの被先制点を取り返せないのも、情けないけれどでも仕方ないという部分はあるんですけど。
締めるなら今しかないというこの試合でこれは・・・・。本当に壊れてたんですね。
天皇杯を見ていたら、予測出来たことなのかな。


入り方としては、結局どうしようとしたんでしょうか。気合入れ直して前から積極的に行こうとしていたのか、現状を鑑みて慎重に立ち上がろうとしたのか。
前者、だけど足並みさっぱり揃わず空回り、もしくは特に何の意図もなしのどちらかかなという感じですが。

どのみちレッズが勝つには、どうせ「支配」なんて出来ないんだから、とにかく試合を落ち着かせて(もしくは沈滞させて)先制点だけは許さず、90分の内に何かでどうにかして点を取って守り切ると、ほとんどそれだけしかなかったように思います。
リードしてしまえば誤魔化し切る力はあるはずですし、展開によっては点差を開いて結果的に楽勝もあり得る(それにしても問題は最初の1点ですが)と、そういう風に思ってたんですが。

どうなんでしょう、この程度の見込みも甘いくらい、インフラレベルで崩壊していたのか。
いずれにしてもはっきりしない立ち上がりで、むざむざ先制点を逆に与えては前提からしておかしくなるわけですが。

1試合休んだポンテとワシントンを筆頭に、さすがにみんな必死になって、最近の中ではむしろ動きはあった方だと思います。
鹿島戦と違って、早い時間(前半17分)に点を取られて何としても点を取るぞという大雑把な意思統一は、少なくとも出来ていた時間も長くありましたし。

ただ何かが違う。動いてはいても本当の連動性、細かいタイミングの合わせ(またはそれを可能にする真の運動量)は無かったし、何より落ち着きが、少しずつの我慢がそれぞれに足りなくて、本当に点の入りそうなチャンスに出来ていないことが多かった。
焦っていたのか、それとも自信が無いのか。今更”優勝のプレッシャー”でもないでしょうし、どちらかという後者かなと感じましたが。レッズをレッズたらしめて来た「神通力」を、何よりも自分たちが信じられなくなっている。神は死んだ。

だから”プレッシャー”と言うのなら、優勝ではなくて「勝利」や「得点」のプレッシャーかと。もっと端的な。


それでも一応様々形は作れていたわけで、みんな同じく心が折れかけているのなら、その場合その中で何とかするのが”ストライカー”の役回りなわけですが、今年はプレー外で好感度下げつつプレーではそんなに弱いところを見せなかったワシントンは、久々に「力み過ぎ」の十八番を発揮してしまってさっぱり予感が無く、コンディション面で同情はしますが達也はやっぱり達也で、今年途中からずっと見せている変に見切りの早い、思い切りのいいと見せかけて実は逃げてるようなプレー選択で、とてもそこらへんでチームの平均以上のものは見せられずに埋没。

永井はまあ、再三貴重なサイドのチャンスメイクで貢献していたのでOKかなと。ワシントンがいると(中央では)動き難い感じは相変わらずですが、彼なりには戦っていたと思います。
・・・・やっぱトゥーリオいて欲しかったですかねえ。もう少し体が動ければ、阿部は何かやってくれそうな気配は見せていたんですが。そすがに物理的に限界が。

そしてポンテ。終盤これまでほぼ孤軍奮闘引っ張って来たこの人が、この試合も”奮闘”の挙げ句ついに壊れてしまった60分過ぎのシーンは、あまりにも出来過ぎた「終わり」のシーンで。
代わりに入って来た小野は予想外・・・・と言ってはなんですが(笑)ちゃんと試合に入ってそれなりのプレーをしましたが、どのみちポンテに及ばないのは分かり切っていることで、算数的にプラスになりようがなく。間が悪いんだよねえ、この人(笑)。せめて鹿島戦なら”プラス”になったのに。

でも啓太も言っているように、「浦和のサッカー」ではあったんですよねこの試合も。クオリティが低かっただけで。むしろ今まで勝って来たのが凄いんで、”精神力”でこんなにサッカーというのは変わるのかという、ある意味驚異の見本でした。


・・・・せっかくだから痛恨の記念(?)に、印象的な選手コメントを書き留めておきましょうか。

鈴木啓太
「結局自分たちのサッカーができなかったのと同時に、これが自分たちのサッカーなんだと、矛盾しているが、そんな風に感じている。」
「ただ、こういったことを続けていたら、自分たちで優勝することは難しい。」

岡野雅行
「終盤は引き分けOKみたいなこともあって、チームとしての勢いが落ちてしまった部分はあったと思うし、そのツケを払うことになってしまったのかもしれない。」
「攻撃にパターンがあまりなかったし、終盤はただ蹴ってるだけだったと思う。」
「今年はACLもあるし、開幕前はチャンスがあると思っていたが、いざ始まるとほとんど出番はなかった。(中略)あまりチームに入れない部分はあったと思う。試合数が多かった分、試合にあまり出てなかった選手にはそういう気持ちがあったかもしれない。」

長谷部誠
「(FCWCが控えているが?)本当にJリーグを取りたかったので、簡単には切り替わらない。自分たちの力の無さが全て。今は何も考えられない。」

岡野冷静ですね。こういうタイプのコメントをする人なんだ。啓太のはさすがに重い。
簡単には切り替わらない。うむ。ていうかもう、総括して今年終わりにしてしまいたい気分ですが、一応待ちますか、10日後を。総括の文句はもう浮かんじゃってるんですけどね。(笑)


僕も今まで色々見て来ましたが、相対的に正味”贅沢品”でしかないところもある薄目のJリーグの「優勝」の中で、これは「降格」や「昇格失敗」にもさして劣らない、本当に精神的に”落ちる”「優勝失敗」だと思います。”残念”ではすませられない。健闘を称える気にもほとんどならない。
自分ごとだからでなくね。何か起きてはいけないことが起きたような。


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弱り目に祟り・・・・ 

目。

ロブソン・ポンテの怪我・帰国について(公式)


問題の横浜FC戦の負傷を、出来過ぎた「終わり」のシーンなんて書いちゃったことに微妙に罪の意識が。ごめん、俺のせいだ。(違うけど)

これが天皇杯なら、すわ早引けの口実か?などという疑惑も浮かぼうってものですが(笑)、今年に限ってそれは。
本当に駄目なんですねえ。お大事に。ゆーーーーっくり休んで。


ただ困るのはこれでますますクラブW杯の位置付けが難解になることで、つまりJのV逸でようやくフロント側から出て来たオジェックへの疑問の声、それによるクラブW杯での”追試”という意味合いが、ちょっとボケてしまうかなというのが。
どんな監督であれ、ポンテ抜きでレッズの「本来の」力なんて、出せなくて当然ですからね。

一応こういう話

オジェック更迭も…クラブW杯次第で(スポニチ)

にはなってますけど、ニュアンスが分からない。
日本サッカー協会的に祈るように擁護/なるべく事なかれなのか、それともニュートラルなのか。
藤口社長ってどういう人なんでしょう。(いや、単純に知らないんですけど。”三菱と全日本の選手”としてしか・笑)


とりあえずの楽しみはこれでしょうけどね。

浦和小野がクラブW杯でアピール誓う(日刊)

でも1人だけ元気でもなあ。パスに走ってくれる人がみんな力尽きてそうだし。(笑)

・・・・なんか湿っぽくなっちゃいましたね。トホホ。
気分転換にテンプレート変えてありますが、あんまり赤くなくてごめんなさい。(笑)
看板に偽りありだ。どうもいいのが無くて。

ていうか正直オフモード?(金庸モードというか)


金庸の作り方(?) ?『連城訣』評(1) 

連城訣 上 (1) (徳間文庫 き 12-21 金庸武侠小説集) 連城訣 上 (1) (徳間文庫 き 12-21 金庸武侠小説集)
金 庸 (2007/04)
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2巻ものなんで、きれいに2回で終わらせましょう。(笑)
そんなに書くこともないし。


金庸の”名場面”

読み直しで1巻の途中までつらつらと読んでいて、はたと気が付いて笑ってしまったんですが。
それは何かと言うと、前半の中心となるかの陰惨で救いの無い、”冤罪と牢獄”のシーン/エピソード、それから後半の中心となるチベットの雪山の洞窟とそこに渦巻いた複雑な葛藤劇、どちらも非常に印象的で記憶に残っていたんですが、しかしそれが同じ一つの話の中の場面だということは、その時になるまですっかり忘れていたからです。(笑)

勿論個人差のあることで、誰もがそうだということはないでしょうが、全作中でもかなり存在感の薄目の作品ですし、意外とそういう人はいるのではないか、あるいはこの作品についてそうでなくても、似たような散発的な記憶の仕方を金庸の”名場面”についてしてしまうことは割合あるのではないかと想像しますがどうでしょう。

一つ一つの場面の作り方は素晴らしい。名人である。ただ話全体がある意味単なる「場面の足し算」みたいなところがあって、実はどれがどこ(の作品)に来てもそれはそれで成り立つような。仮想の順列組み合わせというか。
この作品の場合、2巻本ということもあってそこらへんがよりはっきりと、つまり第一巻「菊花散る窓」(牢獄)と第二巻「雪華舞う谷」(チベット)と、2つの別のヴィジョンを合成してでっち上げた話みたいなそんな印象もあります。


『連城訣』という作品

基本的には僕は、ポリシーとしてなるべく後知恵やタレコミ的な周辺情報は入れたくない人ではあるんですが、この作品については後書きにある金庸自身の解題は全面的に重視せざるを得なくて、つまりこれは「生家の先祖が直接関与した冤罪にまつわる実話」を基に膨らました例外的な作品であるからですね。
そういう意味では恐らく本当に書きたかったのはやはり前半部分の”冤罪”のエピソードであって、それ以後/全体については、娯楽小説として成り立たせる為に半ば無理矢理付け足して膨らませて、何とか一つの作品としての体裁を整えたという、そういう性格の作品のように思います。・・・・だから僕が上で言っているのは、当たり前と言えば当たり前の話なんですけどね。(笑)

またさほど人気が無い(?)中でもこの作品の”異彩”として強い印象を与える、主人公狄雲に降りかかるあまりと言えばあまりの不幸・不運や、悪い奴嫌な奴、あるいは出て来る人間のほとんどが、露悪的なまでに人間の嫌な面をこれでもかと見せ付けて来るダークでダウンな作風。
これもそういう狙いをあえてコンセプトとして作ったというよりは、元になる実話のそもそもの悲惨さや、あるいはよく言われる法治の行き届いてない、腐敗や強欲や暴虐に塗り潰された(ある時期までの)中国社会の現実、それらをある意味素直に反映させた結果なのではないかなと。

・・・・ただその中でも、むしろその暗さ・重さ・絶望感を逆手に取って”不具にされても使える究極・最強の奥義”(「神照経」と「連城剣譜」)の話として、ちゃんと武侠の快楽、一発逆転のカタルシスを、全体のトーンを失わずに成立させる金庸の才覚はやはり大したものだなと思います。


金庸の作り方(?)

改めて言うとこの作品は、1巻本の『雪山飛狐』に次ぐ、金庸作品の中では2番目に短い”長編”小説であります。

かつて僕は『水滸伝』と金庸作品との類似性として、「各パート・エピソードと「全体」や「本筋」とのゆる?い関係」ということを書きました。これはつまり今回の1項目目と似たようなことで、部分が部分として独立的に存在しているという話。それによって1本の小説としてのまとまり感や流れ感みたいなものが、若干薄く/頼りなく見える傾向があると。

前回書いた時はそれは基本的に金庸の長大なタイプ(数的にはこっちがメインですが)の作品を念頭において、「あえて言えばほとんどが”余談”である」「何が核なのか中心なのか、分かり難いところがある」という意味合いで主に書いていました。
今回の『連城訣』は短い作品でそういった面は余り目立ちませんが、代わりにむしろ、「長かろうが短かろうが」「中心だろうが枝葉だろうが」、要するに「部分・場面の足し算構成である」というある意味より本質的なところに注目が行っているという、そういう話になりますか。

いずれにしてもそうした構造の有力な理由付けとして、前回『水滸伝』との比較論で述べた”講談”(調)という出自・源流、元々一つ一つの話として読み切りで語られたものを後に一つのものとして構成した(講談)、そういうものを典型的な「物語」として基本イメージとして抱いているという推定は、同様に使えるかと思いますが。

そしてこの『連城訣』の場合は、2つ目の項目で述べた特殊事情、”実際のエピソードを元にやや無理矢理長くしている”ということにより、そうした手順が透けて見えやすいという特徴がある、そこらへんに興味を惹かれたというそういうことです。
付け加えるとすれば”長い”と言っても”短い”ので、物量に圧倒されずに構造を見て取り易いと、そういうこともあるかも知れません。(笑)

・・・・次は内容面の話を。


連城訣〈1〉菊花散る窓 連城訣〈1〉菊花散る窓
金 庸、岡崎 由美 他 (2000/01)
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金庸の”厭世” ?『連城訣』評(2) 

連城訣 下 (3) (徳間文庫 き 12-22 金庸武侠小説集) 連城訣 下 (3) (徳間文庫 き 12-22 金庸武侠小説集)
金 庸 (2007/04)
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(1)


『連城訣』のハッピー・エンディング

香香公主の悲劇的な死を態良く綺麗事にまとめてしまう『書剣恩仇録』、主人公一行がバタバタと慌ただしく”新天地”に旅立ってしまって何のこっちゃという感じの『碧血剣』、どう言い繕っても誤魔化したとしか見えない(笑)ご存知悪名高い『雪山飛狐』のそれと、金庸作品のエンディング本編に比べて余り出来が良くないというのは、定評に近いものがあるのではないかと思います。
上に挙げたのは初期の3作で、そういう意味では全体的に未熟な分、不細工さも目立つのでしょうが、その後の『射雕英雄伝』『倚天屠龍記』などのスタイル確立後の作品においても、基本的な事情はさして変わらないように思えます。・・・・総じて言えば、”ハチャメチャ痛快な本編”に対する、”妙に意味性が勝ったわざとらしいエンディング”という関係。

なぜそうなのかというのは今は置くとして、そういう中でこの『連城訣』のエンディングは、個人的には珍しく落ち着きの良い、”美しい”と言っても言い過ぎでない、そういうエンディングになっていると感じます。
それぞれに俗世での希望を失い、疲れ果てた狄雲と水笙が、2人の束の間の心通わせた地、当時は敵味方の間柄ながら、思えば他の誰とのそれよりも”真実”に満ちていた時間を過ごしたチベットの雪洞に、申し合わせたように再び集い、その後の人生を穏やかに過ごすのだろうことが暗示されるあのエンディング。

一種の定型であり、出来過ぎた甘い夢ではあるわけですが、いつに無い(笑)説得力というか自然さを感じました。


”不幸””悲惨”とのコントラスト

そうである理由は割りとすんなり推測がついて、それはそこに至る過程、二人がそれぞれに味わう不運や裏切りや絶望が、十分な説得力と分量をもって描かれていて、読者(僕)も心の底からうんざりし、最早そうするしかない二人の選択・行動に納得感を感じるからだろうと思います。
つまりきちんと「落としどころ」に落とされているから、内容的には”甘い夢”でも抵抗を感じない、むしろ諸手を挙げて二人を祝福したくなるという。

逆に言えばそうでない金庸の「エンディング」類は、意図は分からないでもないがそこまでの追い込み、リードが甘い・不十分であると、そういうことになるかも知れません。
・・・・よくよく考えれば形としては『碧血剣』の”新天地”などと、似たようなパターンと言えばそうなわけですよね。あんな仰々しくはないですが。


金庸の”厭世”モチーフ

これはまた、エンディングとして出来が良いばかりでなく、金庸作品中に繰り返し出て来る”厭世”モチーフ、”脱俗”願望の、非常にコンパクトで厭味のない好サンプルであると、そういう風にも言えると思います。
恐らくだから金庸としてはある意味いつものやり方ではあるんでしょうが、それが”エンディング”としての出来の良さと同じ理由、不幸や悲惨の前振りの説得力によって、端的なリアリティを持った。

そしてそれを生んだのは「実話」を元にしたというこの作品の成り立ち、言い換えればその金庸個人にも因縁の浅からぬ実際の冤罪事件のインパクト、悲惨さ、やり切れなさ、それへの作家としての技巧・意匠のレベルをある意味越えた感情移入、それが作品の根幹に存在していつも以上の迫力・説得力に金庸の筆を導いたのではないか。

・・・・こう書いてしまうといかにもフィクションは事実に勝てないみたいな短絡的な話になってしまいそうですが(笑)、別にそういうことが言いたいわけではないです。
例えば金庸に限っても、後の『秘曲笑傲江湖』などでは似たようなモチーフをより大部の作品(全5巻)全編に渡って徹底的に追究して、娯楽小説としてのとてつもないクオリティとのむしろ相乗的なバランスの中で、十分な説得力をもって描くことに成功していると思います。


金庸の”厭世”観

だからこの作品の自分的な固有の位置付けとしては、クオリティ云々というよりもそうした”いつもの”モチーフ、それに込められた金庸の「本気」が一瞬垣間見えた気がするという、そういうところにあるかなと。そのきっかけとして「実話」への感情移入があった。
つまり「作家」の部分のみならず「個人」の部分も強めに出ているということで、そういう意味では同じく(”続編”という)特殊事情によって例外的に感情的になった、「個人」の部分が色濃く出ている『神雕剣侠』と、似たような性格もあるかなと思います。(どちらも暗めの作品ですね(笑)。)

で、やや唐突なまとめ方になりますが、僕がこの作品にかこつけて(?)言いたいことがあるとすれば、それは「金庸の”厭世”観/”脱俗”願望は結構本気である」ということです。

・・・・つまり確かにまずはそれは中国の伝統的文人・知識人共通の理想であり、憧れの境涯であるでしょう。また詳しくは知りませんが金庸の重要な思想的背景であるらしい仏教においては、言うまでもなくこれは根底に流れている感受性・価値観で、そういう意味では一般的なものであるでしょう。
だから基本的にはスタイル/約束事として、あるいは社会的存在としての作家としての方針としてそういう内容を金庸は常に作中に含ませるわけですが、ただそれは必ずしも格好をつけてるわけでも説教を垂れているわけでもなく(笑)、何かの機会には生(なま)の形で噴出する、個人としての金庸の心の叫びみたいなものでもあると、そういう風に僕は感じます。

なぜこんなことをわざわざ言うかというと、金庸作品のこの部分をどう捉えるか、感情移入するかどうかによって、金庸の読み方やキャラクターの評価は結構変わって来るように思うからです。
具体的にはあまり現代日本人が相対的に習慣化している、西欧的キリスト教/ヒューマニズム的な見方・価値観で、安易に解釈して欲しくないなと思うわけです。それは金庸の作品の、少なからぬ重要な部分の読み落としに繋がると。


それと(それこそ)個人金庸が現実に見せている旺盛な社会・政治参加の意欲や、人後に落ちないという噂の経済的貪欲(笑)などをどう考えるかですが、そこらへんはまあやはり中国人≒儒教人としての社会観・ライフサイクル観なのかなあと。
つまり元気な時は目一杯参加して、その後隠退するという。そこらへんが自明の前提としてスタイル化されている。まあ分かりませんが。(笑)

とりあえずこんなところで。


連城訣〈2〉雪華舞う谷 連城訣〈2〉雪華舞う谷
岡崎 由美、金 庸 他 (2000/02)
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CWC準々決勝セパハン戦 

これは、何というか。

CWC準々決勝 浦和 ○3?1● セパハン(豊田)

これも浦和なのか。まあ、そうか。


不思議な試合でした。

まあ”休養十分”の浦和と、ある意味今季初めて「浦和よりシンドそうな」対戦相手(笑)であるセパハンとのマっチアップで、あからさまに事なかれ、あるいは”前半は死んだふり”作戦で出て来ないセパハンに対して、無風で攻勢に立つことになった浦和。
とは言えただでさえ無戦術なところにその代わりに頑張ってたポンテが離脱して、ほとんどやってみなければ分からない白紙の状態で、さあどうなるかという。

結果的には吉と出て、積極的なチェックから素早くボールを動かしてのオープン攻撃という、ある意味教科書通りのプレーを少なくとも後半足が止まるまでは形を崩さずやり切って、3?1の完勝。
パチパチパチ。

では”完璧な””最高の””素晴らしい”内容だったかというと、そうとも僕には思えず。
上で「教科書通り」と書きましたが、こんな陣容でこんなサッカーを今季やったてみたことはないわけで、当然最初は探り探りの不安な感じはありました。
楽な攻勢で&相馬が個人的に時間を稼いでくれていた割りには、結局ゴール前で人が足りない場面が多かったですし。いずれ時間の問題だったとは思いますが、得点は結局いずれも個々人の”スーパープレー”によってしか生まれなかったわけですし。

何より(”スーパープレー”の部分を除けば)別に浦和じゃなくても出来る、または1年orここ数年の蓄積が無くても出来るようなサッカーで、そういう意味でどこか遠いというか、その程度のもので通用するんかいな、あるいは仮にボコられたりした時にどう受け止めたらいいんだろうと、そんな気持ちもありますが。


とは言え残り戦力や時間、今持っている材料で提供出来るものはほぼ十二分に提供して見せたわけで、この舞台で。そういう意味では天晴れではあるし、またちょっと前の”悟りの境地”サッカー同様、「これが今のウチです」と言うしかないものではあるのかも知れません。

”成功”の要因としてはここらへんか。
 ・セパハンがヨレヨレで、十分に「練習する」余裕を与えてくれた。
 ・ポンテがいなくなって、すっきりと「教科書」を学べた。”白紙”が良かった。
 ・一方で”トップ下”長谷部の献身的なスタイルは、案外ポンテに似ていてリズム的な違和感は
  そんなに無かった。(小野だったらヤバかった?)
 ・相馬の確変

相馬について言うと、まず相馬がこれまで概ねレッズで駄目だったのは、要するに細やかな順応性に欠ける、「出来上がった」チーム(レッズ)に合わせることが出来ないというのが大きかったと思います。(細心過ぎるところもあるくらいの平川とは対照的)
例えばその前にヴェルディでアツを押し退けるまでに成功した時は、基本的に万事ヌルい(笑)当時のヴェルディの中で、そのヌルさにずっぽり埋もれていたアツに対する相馬のKYな勢い、それはある意味ではやっぱり「浮いている」わけですが、チームとして(or監督が)むしろ相馬の勢いの方に標準を合わせようと舵を切ったこと、相馬自身が主力であり基準となることによって、良い面がどんどん出て来たわけですね。

そして今回レッズはある意味いちから、”白紙”からチームを作り直していた面があるわけで、そこに相馬の推進力がハマった、相馬のリードにチームが従う形になったという、そういう巡り合わせの良さがあったと思います。

それにしても端的に一つ一つのプレー精度が高かったとは思いますが、なんぼDVDを見たからと言って急に上手くなるわけはないので(笑)、これもまあ、広い意味での集中力の問題なんでしょうね。
要は「型」でプレーする、「自分のイメージ」(のみ)でプレーする、または「決め打ち」の選手なんですよねこの人は。だからその「型」がはまってたりあるいはそれをチームメートが尊重してくれるような状況なら、オートマチックに正確にもプレー出来る。


まあ同じく「出来上がった」チームに対する”新入り””外様”どうし、オジェックが自分の色を出して成功する鍵を相馬が握っている面があるということは、開幕間もない頃に言った記憶はありますが。(限りなく思い付きのレベルですけど)
いや実際、相馬本人は「冷遇」「不遇」と感じているかも知れませんが、結構オジェックは相馬を重視&好んでいる面はあると思いますよ。ただ”信用”はしてないだけで。(笑)

まずはめでたい。次の相手は今度こそセパハンじゃないので(笑)、勝っても負けてもこれでようやく「クラブW杯に出た」という実感を胸に、シーズンを終える事が出来ます。1年の苦労が形になって良かった。オジェックもこれで続投確定か。やるなら徹底的に自分の色を出して欲しい。今度こそ。

・・・・あと2試合は出来るらしいので、テンプレートを”オン”モードに戻しました。(笑)


CWC準決勝ミラン戦(1) 

色々と面白かったですね。書きたいことが沢山ある。

CWC準決勝 浦和 ●0?1○ ACミラン(横浜国際)

とにかく、最後にとても”浦和らしい”試合をしてくれたことに満足。(あ、最後じゃない・笑)


沢山あるので部門別に。

・コンディション

正直今年は基準がよく分からなくなりつつはあるんですが(笑)、浦和の方に特別、あるいは”中2日”ゆえ殊更という部分は感じられませんでした。雨が心配されましたが気温・ピッチも、特にハンデとなるものではなかったようですし。
要するにこの日見せたものが、ほぼ現有メンバー/現体制での全てと諦めはつくそういうコンディションだったかと。

ミランの方は普段見てないので確か(しか)とは言えませんが、遠征疲れが無いわけはないですしまた「準決勝」という肉体的精神的ピーキングの問題もあるでしょう。
そして何より漂ってくる何とも言えないドヨーンとした雰囲気(笑)が、決して調子のいいチームのそれでないことは、初見でも十分に分かりました。

総じて言えば「出て来ただけの底力はあるけどピークではない両チームが、しかし大事なものを賭けてそれなりに死力を尽くして戦った」という、いかにも”トヨタカップ”らしい試合だったかなと。その一翼を担えた喜びみたいなものがなくもないかなと。(笑)


・守備面

ACL終了後の清水戦で、僕はCWCへ向けての残り試合の課題として、「プレスとリトリートのバランス」(の発見)ということを特に挙げました。
その際に念頭においていたのは、どちらかというと両者を二分化した「使い分ける」というイメージで、例えば直前準々決勝セパハン戦のプレスモードを承けた酩酊さんの”展開予想”なども、基本的にそういうイメージで書かれているように見えます。(違ったりして)

そうなってしまうのは問答無用で運動量を奪う今季の日程とオジェックの曖昧なチーム運営により、それぞれの状態のレッズが何やら別のチームのように見えてしまうところがあるからなわけですが、実際蓋を開けてみたミラン戦の戦いぶりは、至ってノーマルというか言われてみれば当たり前というか、さすがレッズだなというか。

つまりまずプレスで押さえにかかり、それをかいくぐられても慌てず騒がず注意を切らさず、ある意味押されるままに退却守備に移行するという、そして持ち前の最終退却線での強さを十分に発揮するという、破綻の無いもので。
言うなれば”二分化”されずにちゃんと連続的に、「守備」という一つのものとしてマネージされていたというか。・・・・もうちょっとプレスで引っかけたかった気はしますけどね。

ちなみに長谷部のコメントからすると、プレスをかけるゾーンとかも、セパハン戦のように(というほど明確には分からないんですけど)”とにかく行く”というものではなくちゃんと考えられていたらしく、ここらへんはまあ、2試合目の落ち着きかなという。
ただ全体的な印象としては、そういう”戦略””作戦”というよりも、ミランという大きな圧力によって、レッズが持っているレパートリーが上手い具合にスムーズに組織化された結果の秩序という印象が大きいんですけどね。

ただ逆に殊更練らなくてもこれくらいは出来る、即ち「オジェック体制」(という条件)下での来季のバランスの雛型みたいなものが、見えたようなそんな気にもなる戦いぶりでした。
一転「長谷部残留」なんて話もありますし(笑)。ポンテが間に合わなければ尚更開幕はこれが基本かと。

ま、失点シーンは凄く予感がありましたけどね(笑)。直前の後半数少ない乾坤一擲の得点チャンスをものに出来なかったので、当然反動は来るしバランスは崩れてるし。
「攻めさせられた」とまでは思わないですけど、誘われるように「攻め逸り」みたいな格好にされた。ミランに逆取られてはね。


・・・・長くなりそうなので二つに分けます


CWC準決勝ミラン戦(2) 

(1)より。

・攻撃面

ほぼ駄目でした(笑)。前半を中心にチャンスはありましたけど、それはどちらかというと、ミランが遊んでくれたというかダラダラしててくれたおかげというか。締めにかかられるとほぼお手上げ。

ただやはり言い訳したくなるのは、達也がいなかった、ポンテがいなかったという恨みはどうしても大きいかなというのは。
それは単純に彼らの個力ということではなく、日本人(のチーム)がヨーロッパの強豪と、特に一発勝負で戦う上では欠かせないスピード/アジリティで掻き回す、一発かますという要素がすっぽり抜けていたということで。

ワシントンも永井もある意味”ヨーロッパ的”な選手ですからね。それがJリーグではアドバンテージなわけですけど、「本物」相手では分が悪い。
特にワシントンはもう少しアジリティがないと、自分の間合いに持って行(って”怪物”ぶりを発揮する)くことが出来ない、密集をかいくぐれないので、ここらへんがこの人がヨーロッパではなく日本にいる理由かなという気もするわけですが。

総体的には最大の問題は、「ボールをキープ出来ない」「時間を作れない」ということだったと思います。それは長谷部がさすがにセパハン戦のようには出来なかったということでもありますし、再びワシントンにいつもの盤石感が望めなかったということでもありますし、1人1人が少しずつ余裕を奪われたということでもあります。
そういう意味でもポンテがいればなと。トップ下は長谷部のままでいいから、2トップワシントン/ポンテとかだったら結構面白かったかなという。

その中で残念だったのは、相馬を活かし切れなかったことで。
本人は「全然駄目だった」的なことを言ってますが、僕は必ずしもそうは思いません。
特に前半は十分に脅威を与えていたと思いますし、チームとしてもっと相馬のキープ力を意図的に使えれば、2トップが果たせなかった「前線のポイント」という役割をサイド高い位置でこなせたんじゃないかと思います。
・・・・本人は”抜き切る”ことに変なこだわりを持ってるので、そこらへんが見えてないんだろうと思いますが(笑)。もう少し持ってればいいのに、妙に諦め良くボール離しちゃって。

まあ急造チームですからね、所詮。そこらへんの辛さはありました。「教科書通りで恐る恐るのカウンターだった」(ガゼッタ記者)。いや、全くおっしゃる通り。正直意志不足だったと思います。どこかに一つ、頼れるところがあれば。


・総評、その他

・怖い怖くないで言えば城南一和の方が怖かったような気もしないではないですが(笑)、でもレッズが1点も取ってない(or追いついてない)から「本当の本気」が見られなかったというのも、あると思います。

・永井ってやはり”ウィング”なんだなあと。本質的or世界基準で見れば。いい意味でも悪い意味でも。それこそ3トップの右とか。
ともあれここ数試合、なけなしのサイドからのチャンスメイクご苦労様でした。重宝しました。

・阿部の「アジア仕様」のところが露呈されてしまったような。身体能力、対応、コース取り、全てそれなりだけれどどれも少しずつ足りない。
この人こそ”海外”に出て、そこらへんの再調整をして帰って来て欲しい気がします。

山田さんのトップ下起用はびっくり。爆笑、感激、そしてこの1年のオジェックを全て許してしまいそうになりました。(笑)
てっきり右に入れて細貝ボランチだと思って、なんでわざわざ長期故障明けの選手を(トゥーリオ退場を承けた)守備の手当てに?と疑ったんですが、そうですかイチかバチかの方でしたか。それ正解。

・しかし惜しかったですねえ。決まりそうでしたね。決めて欲しかったですねえ、山田さん。
決まったら確実に泣いてましたよ僕は(笑)。やっぱり特別な選手だ。

・ひょっとしてポンテ間に合わず長谷部シエナなら、開幕山田さんなんでしょうか。ワクワク。

・再び守備の話をすると、つくづくレッズの選手は大したものだなと。最低限のコンディション、チームマネジメントが確保されてさえいれば、例えミランが相手でも臆せずきちんと間合いを測って注意を持続して、戦術とは別にそれぞれがそれぞれの局面でちゃんと自分のケツが拭ける。

・と同時にマンU戦の時も書きましたが、レッズ全体に何とも言えない”ヨーロッパ風味”があって、そこで「文体」を共有出来ることもこの落ち着きの源かなと。
「セルティックだ」というセードルフの即レス(笑)も、「セリエAでUEFA杯出場権(5?6位)を争うことは可能」というイタリア人記者のいやに具体的な見立ても、そうしたリアリティや地続き性を表わしているかと。

・カカの本当に「凄い」のはヨーロッパ・サッカーの進歩の弁証法の文脈によっているので、日本のチームが相手する場合は、むしろもっと分かり易いクラッキの方が怖かったかもなとか。鬼ドリブル的な。(笑)


ぐわー、勝ちたかった。少なくとも点取りたかった。何とかならんかったかおい。
距離感が中途半端なんでいらつきますね。次の同種の対戦機会作るのがまたひと苦労で。ふう。


CWC3位決定戦エトワール・サヘル戦 

なんか気が抜けました。オフィシャルも次の試合終わっても前の試合の更新しないし・・・・(笑)

CWC3位決定戦 浦和 ○2?2●(PK4?2) エトワール・サヘル(横浜国際)

でも選手は全く気を抜かず、実に相手なりの「いつもの」戦いをしてくれました。ミラン戦も含めて。
はっきり言いましょう、Jで優勝を逃した理由は”コンディション”です。それ以外の何物でもない。
それが分かった試合。


せっかくアフリカとやれるのにチュニジア(アラブ系)かよと、戦前はちょっと罰当たりなことも考えなくはなかった(笑)んですが、エトワール・サヘルは実にいいチームでした。嬉しかったです。
嬉しかった・・・・というのは、つまりこの現チュニジア代表を6人だか7人だか抱える擬似代表チームが、2002年に当たったチームとは比べるべくもない強いチームだったことで。

別に僕も隈なく見てるわけではないですが、はっきり言ってアジア+アフリカという巨大な括りで見て、一定期間前向きに継続的に強化に勤しんでいる(成功失敗は別にして)国って、ほとんど日本だけみたいに見えるところがあるんですよね。他は軒並み内部の政治や経済でごたついてぐるぐる回ってるか、単発かやる気が無いか。
そういう意味で、チュニジアの5年半前との単純比較で着実に見える強化の様子は、サッカー・ファンとして嬉しかったというか。それにしても体格向上し過ぎだろうとは思いましたが(笑)。こんなデカくなかったよなあ。

まあエジプトなんかもかなりまともに見えますし、北/アラブアフリカというのはそうい意味でいいエリアなのかも知れないですね。僕が知らないだけで。


ともかく予想以上の高い身体能力と予想通りの技術水準、それから想定の範囲内ではあるけれどかなりきっちりした戦術的統率で向かって来たサヘル(という略し方のニュアンスが分からなくて困る・笑)は、あえて言えば(今季の)浦和より少し上のレベルor上の状態のチームだったと思います。純サッカー的には。怖いと言うほどではないけれど、負けても仕方が無いかなという。

言ってみれば”あの時”の鹿島と似たような相手で、それを浦和は何とかいなしつつ、ピンポイントの個人技で勝利という最終結果をほぼ収めることに成功したわけです。(むしろ都築の”自責”に敬意を表する意味で、90分で勝った筈の試合ということに認定します。(笑))
だからもう少しだけコンディションがまともなら、絶好調の鹿島にもこういう試合が出来たはずと、今更思ってしまったということで。

サヘル的に言えばボカ戦に続いて、「申し分なく”健闘”したけど何かが足りなかった」という感じの試合で、そういう意味ではいかにも第三勢力的な戦いぶりで、反面浦和の試合巧者ぶり、雰囲気強豪国のサッカーっぽさ(笑)というのは、ここでも際立っていたと思います。


まあ別に酩酊さんのような問題意識に水を差すわけではないですが、僕が今回の”クラブW杯での浦和レッズ”ということで関心があったのはほとんどただ一つ、「チームの態をなすかどうか」、応援していい、「頑張れ」と言って酷でない状態なのかどうかだけだったのでね。
そういう意味では、改めてその復元力と収拾力には驚きました。期待以上でした。どんなメンバー、どんな戦術でも、やりながらどうにかこうにかチーム/試合の体裁を整えてしまう力。(最低限のコンディションさえ整えれば)

勿論それだけではこれ以上上のレベルには行けないでしょうし、恐らくはかなりの部分偶然的にこういうチーム風土を醸成することに成功した現在の浦和レッズという貴重な資源を、来年も凡庸な監督の手に委ねざるを得ないことには忸怩たる思いはありますが。

それを踏まえて、あるいはそれはそれとして、来年のレッズのサッカー的な目標はもう見えたような気がしましたけどね、僕は。例えばこの試合の内容からでも。
それは・・・・全部やるということです。プレッシングも、リトリートも、ポゼッションも、ドリブル&個人技一発も。少なくとも僕が責任もって言えるここ2年の間にレッズが提示して来たそれぞれのレパートリー、それらを全て当たり前のスタイルとして使いこなせるようにすること。

別にそんな凄いor独創的なサッカーをする必要は無いし、期待できないでしょうが、少なくともそれを達成する必要はあると思います。現実的な目標でもありますし。それで十分。それでもう一回チャレンジ。
特にこの試合で改めて感じたのは、ポゼッション/パスサッカーの必要性ですね。それは”いいサッカー”とか何とかいうモラリズムの問題ではなくて、はっきり言って「まずパスを回せないと、日本人は勝負にならん」という当たり前の事実です。それこそチュニジアのチームに対してでも。そういう観点からの。
そこにレッズならではの決定力や個人技を、+アルファとして置くという、そういうバランス。


それと「監督オジェック」の存在との関係をどうイメージしたらいいのかというのは、よく分からないんですけどね。オジェック”が”、やるのか。オジェック”でも”、やるのか。だってオジェック自体が分からないんですから。
勿論分かってるところも沢山ありますが(主に悪い意味で・笑)、中核部分は全然。今年よりは楽だろう来年の日程の中で、オジェック自身も再チャレンジではあるわけですよね。必ずしもこれは皮肉ではなく。いくつかやりかけたことの真価を、来年こそ。

オジェック自身には別に期待してませんが、オジェックをいち要素として含み込んだ浦和レッズには期待してますよ。
差し当たってはポンテ不在(出遅れ)時の過ごし方が鍵ですかねえ。その間に上手いことチームが出来て、そこにポンテが”加わる”感じになれれば。そういう意味では長谷部には残留して欲しいですけどね、今こそ。山田さん?はまあ(笑)、さすがに「司令塔」ではないので、「トップ下」ではあっても。第3のFW的というか。ちょっと企画がずれてしまう。この試合もそうでしたが。気合入れてショートカウンターでもやるなら面白いかもしれないですけど。

噂されるエジミウソンでは3?6?1は無いでしょうけど、やっぱりポンテ+もう一枚オフェンシブがいないと、どうしても慣れ親しんだ省エネカウンターor決定力一発ツモサッカーに流れそうですよねえ。それで勝てちゃうし。とすると4バックか、やっぱ。ブツブツ。
梅崎ねえ。どうなんだろう。


ええ、とりあえずクラブW杯のまとめ。(笑)
1.チームの崩壊傾向に歯止めがかかり(底を打ち)、来年への継続的希望が持てた。
2.相馬が今度こそ(?)チームの一員になれた。
3.山田キャプテンの早期復活の確認

あたりが「成果」ですかね。あと賞金。(笑)

ただ2.は三都主が戻って来るとまたどうなんだろうという。あるいはどっちか4バックのサイドちゃんと出来るようにならんかなという。まあいいや(笑)。陣容固まるの待ちましょう。


よく見ると 

永井がなんか面白いこと言っているような。

【FCWC エトワール・サヘル vs 浦和】試合終了後の永井雄一郎選手(浦和)コメント [ J's GOAL ]

ただしっかり守って攻めるという形はできた。
去年は前から前からという形だったが今年は、引いて守るということが徹底できた。
ミラン戦も前半まではいい形で守れていたと思う。


ちょっと文脈的に唐突な感じもするので、ひょっとしたら誤解か深読みになっている可能性もあるかも知れませんが、素直に読めば永井の認識では「去年」=’06年『前から前から』というサッカーをやっていて、『引いて守る』『しっかり守って攻める』というサッカーを覚えたのは「今年」=’07年からだということになっているんですかね。

だとすれば非常に同意できる部分があります。
僕自身、’06年のレッズは別に”リアクション”スタイルをあえてとっていたわけではない、あるいは攻め達磨だった前半と省エネサッカーだった後半と、本質的な違いは実は無いということを、去年の総括として書きました
後によく使った言い方としては、”ギア”が違うだけだと。あるいは同じ”ポゼッション”の積極性が違っただけだというか。

そこまで言えるかどうかは疑問のところもありますが、『引いて守る』スタイルという意識、あるいは特別なスタイル意識はなかっただろうとは思います。


それが監督が代わったどさくさで、あるいは代わった監督が要するに他サポ等の外野と同じ立ち位置で”リアクション”だと追認してしまった、複雑な内実がラベリングされてしまった。・・・・それ自体は致し方ないところがあると思いますが。

で、その認識を前提として、逆側に「ポゼッション」や「プレッシング」が旗として掲げられた。
そして(元々普通にやってもいたが)改めて”スタイル”として言挙げされたそれらが、体力的戦術的理由で中途で放り出された時に、残されたもの、もう一回逆側にあるものとして「リアクション」が認識され、選択された。
そしてレッズは”そういう”チームとなり、その繰り返しの中で勝ち点を拾いつつ、しかし一方でジリ貧化、あるいはリアクションと極端な前がかりの中間がごそっと抜けた不安定な状態になった。・・・・・と、僕は認識しているわけですが。


まあ上の永井の発言自体は、要するに「引いて守ることを覚えられて良かった」と言っているわけでしょうけどね。だからミランにも対抗出来たと。
どうなんでしょう、’06年のチームが当たったらどうなっていたのか。さすがに記憶も遠くなってますし、正直僕も良く分かりません。物差しもないし。対ミランの安全性ということなら、確かに今年の守り慣れは役に立ったということはあると思います。ただ基本的な中盤力が低くなっているのも確かで、そういう意味で’06年のチームにも、別な形の守りの強さが期待出来たかもしれない。

攻められたのかどうか、は、それこそ分からない。日本代表がイタリア代表に攻められる程度には攻められたかも、とか誤魔化しておきますか(笑)。プラスするところのポンテとワシントンの個力。
まあぶつけてみたかったのは確かですね。プレッシングとパスサッカーの淀みない融合度という意味では、間違い無く日本人ベースでの最高峰の一つだったと思いますし。特に激しく攻めながらのあの安定感というのは、独特のものでした。

とにかく永井的な認識だと、むしろ「いかにカウンターの精度を高めるか」が次の課題ということになりそうですが。ただし、永井は監督じゃない(笑)ので、実際は分かりません。


というわけで別に結論は出ませんが、今のレッズのように「作った」というより「出来た」「なった」面の強いチームにおいて、個々の選手がどのようにチームを認識しているかというのは、かなり興味深いところで。


均一性と複層性(1) 

仮に”?ガンバとレッズ”みたいなサブタイトルをつけると、凄く嫌な感じになると思いますが。(笑)
とにかくそんな話です。
ちなみに「重層性」だと”良い””高等”みたいなニュアンスが強くなる、つまり最初から価値の優劣が入って来る感じになると思うので、「複層性」の方に。一応、気は遣っている。(笑)


僕自身はそれについてさしたる見解は無いんですが、浦和レッズの「クラブ」運営の優秀さ、手腕の確かさということについては、既に定評のある、あるいは証明済みのことと言っていいのだろうと思います。
ただではもっとミニマムな、フィールドレベルの話、より純サッカー的な話になるとどうか、何かちゃんとした方針やブログラムがあるのかというと、正直言ってあまり見えないところもあるように思います。どういう「クラブ」にしたいのかは分かるが、どういう「チーム」にしたいのかは今イチという。

歴史的に見れば、スタート時の箸にも棒にもかからない(失礼・笑)状態から、ドイツカラーを手がかりに徐々に形を作って、やがて”ビッグクラブ”的意識の萌芽と共に、まずはオフトという”ポゼッション教師”を招き、次にその結果を犬飼社長(&ギド)が破壊的に拡張し、時々の在籍選手の色に適当に染まりながら、ある意味成り行きでここまで来た・・・・というように外野からは見えます。(違いますか?)


その陰に、ということでもありますが、ある時期以降のレッズの特徴としては、はっきりと”移籍市場の王様”、エメルソン、山瀬、三都主、トゥーリオ、阿部と、国内の1級の活躍選手・実績選手を買い漁って(あ、エジムンドもいた・笑)、危なげなく戦力強化を繰り返す非常にかわいげのないチーム(笑)ということが挙げられると思います。

それを指して”巨人軍”的な言い方をされることがよくありますが、僕がよりピンと来る比喩としては競馬の”社台グループ”(Wiki)の方で、細かい配合理論(戦術?)やロマンがどうとかいうよりも、「いい種牡馬をいい牝馬に」「黙々と大量に」つけ続けることによって確率を上げる、必然としての実りを手に入れようという、捻りが無いと言えば捻りが無い、鷹揚と言えば鷹揚なスタイル。
巨人(や”銀河系”レアル)みたいな夢の選手を独占して夢のチームをみたいな、ガツガツした感じは受けない。

実際個々の施策には特にこれといったヴィジョンの閃きを感じないことも多くて、エメルソンに山瀬をつけてもどういう仔が生まれるのかイメージ出来ないとか、エジムンドみたいな力馬をオフト・レッズの固い馬場で走らせるのは無理があるんじゃないかとか、首を捻ることもままありました。(笑)
ただ失敗を気にしない、必ずしもピンポイントの成功を必要としないのがレッズのいいところ、強味であるだろうとは思うんですが。当事者の”つもり”はつもりとして、結果的総体的にね。

まあ近年はとにかく、サンデーサイレンス(ポンテ)の導入が大成功でしたね。(笑)


で、いきなり話変わってちょっと前になりますが、12/9フジの深夜にやっていた『日本サッカーの救世主を探せ!?世界に通じる10代とは?』の中で、メッシ等と(ガンバJr.ユース)宇佐美の比較の流れから、「日本版バルサ」としてのガンバの下部組織の優秀性の話が取り上げられていて、それを見ていて自分的にいくつか像が結ばれたところがあったんですが。

簡単に言うと
1.僕はガンバのサッカーに魅力を感じない。
1‘.ついでにバルサにもそんなに魅力を感じない。
2.一方で僕はレッズのサッカーにとても魅力を感じる。
2’.ついでにバルサより(”銀河系”含む)レアルの方に遥かに魅力を感じる。

その理由。

更に細かく&個人的に言うならば、
1’’.僕は開幕以来の緑者ではあるが、実は讀賣クラブ?初期ヴェルディのサッカーが別に好きだったわけではない。
2’’.では例えばどの時期の”ヴェルディ”のサッカーが好きかと言うと、筆頭は’96天皇杯優勝時のレオン監督時代、ある意味最も「ヴェルディらしくない」と言われていた時代のそれである。

その理由。・・・・なお、ヴェルディとレッズそのものの比較はいずれまたの機会に。


(2)につづく。


均一性と複層性(2) 

(1)より。

要はガンバやバルサ、あるいはヨミウリ/ヴェルディ、あるいはアヤックス的なそれも含めた、しっかりした下部組織に基盤を置いた一貫性・統一性のある、均一性を特徴とするサッカーと、そうでないもの、たいていは「買い取り」型のチーム作りによるサッカーとの対比ということでしょうが。

つまり通常はほぼ無前提的に、前者が「良い」もので「理想的」で、「模範的」なものとされることが多くて、総論としてそれ自体に特に反対する気は僕も無いんですが。
ただ実際問題として、退屈なんですよね僕にはそういうチームは。たいていは。どんなに颯爽と足並み揃えてもらっても。勿論ものによっては面白く感じることも感じる部分もありますが、確率的には。その丹精込めて築き上げられた「模範」性とは裏腹に。

別に批判してるわけではないんですけど。人為としては、「方法」としてはそっちが常道になるのは仕方が無いとは思いますし。ただカラダの反応なんで(笑)、こればっかりはしょうがない。

では逆にレッズや(銀河系的)レアルやレオン・ヴェルディやらのどこが面白く感じる(た)かというと、それはだから”非・均一性”ということになりますね、論理的には。
それだけでは説明にならないので(笑)更に言いますと、実態としてはそれぞれのチーム・それぞれの時期ごとにケース・バイ・ケースですが、あるいは「複数の原理の混在」(レッズ)であろうし、あるいは「異質な原理のハイブリッド」(レオン・ヴェルディ)であろうし、場合によってはそれこそ「無原理」(銀河系レアル)かも知れない。

とにかくそうしたタイプのチームの持つ厚みや奥行き感、時にそれ以上の混沌感、それらと対峙する時に初めて真に僕は興奮する、知的なチャレンジを感じる、あるいは包まれて幸福感を感じる(笑)。らしい。


再びレッズのクラブ運営&チーム作りの話に戻りますと。
Marioさんに(コメント欄)何の気なしに(笑)「バイエルンみたいなチームにしたいんでしょうが」と言われて、そうなのかな、そうなのかもな、どうなのかな、と素でマゴついてしまったんですけど(笑)。どういうチームにしようとかあるのかな。勿論「強いチーム」「世界に通用するチーム」とかいう抽象的なのはあるとしても。

まあクラブの考えなんかにわか&兼業ファンの僕には実際分からないわけですが、あえて色々なクラブ/チームがある中で、大局的に見たレッズの純サッカー的な価値・存在意義ってなんだろうと改めて考えてしまったら・・・・それは即ちなぜ僕が今更レッズに恋したかということでもあるわけですが、とにかくそういうことに思い当たったということです。

実際問題単一原理的でない”いい”チームが、ある程度以上安定的継続的に存在することってそう多くないんですよね。少なくとも僕が感銘を受けるレベルのものが。
いいチームを作ろうという時はどうしても統一性・均一性を整える事がまず先に立つ、非・均一性は普通は単なる中途半端や曖昧や混乱のことであるというのと。勿論”銀河系”や”FCハリウッド”は高い確率で単なる仇花に終わるか、資金的に続かないというのもありますし。レッズの僕が言うところの(笑)”社台グループ”的な鷹揚さと安定感、将来的な継続可能性って、結構レアな気がするんですが。”Jリーグ”というステージが程々でいいのかも知れないですけど。

勿論一般にクラブ運営として「レッズを真似しろ」なんてことは言えませんし(笑)、またレッズに「下部組織を軽視しろ」と言う気も勿論ありません。もうちょっと何とかした方がいいんじゃないかとも思います。
ただサッカー・ファンとしてはレッズの複層的な感じが好きだ、あるいは両方のタイプのいいチームに常にいて欲しいということ。どちらが実現困難かと言えばレッズ的な方だと思うので、今のバランスを大事にして欲しいなと思うわけです。やり過ぎず手を抜かず。

・・・・ああ、ただせめて外国人くらいはなるべく外から買って来て欲しいとは思います。J内での引き抜きじゃなくて。J全体の収支の為に。


(追記)
ふと思ったんですが、戦術的にはっきりしないのもある意味”味”なのかもなとか。(笑)
イタリアの「ビッグクラブ」とか、どんなに買い漁ってもやることがたいてい決まり切ってるので、強引な割りに貧乏臭く見えることが多いんですよね。レッズは何が出て来るかよく分からないので、その分おもちゃ箱の楽しさはある。


『天龍八部』の評判 

再読終わったし書きたいこともちゃんとあるんですが、今いちエンジンがかからないのでまたこっちを先に。ダルいんですよねちょっと、これ。
それにしてもググってもほとんどがドラマ版の話で、そんなにみんなNECOチャンネルなんて見る環境あるのかなという。(笑)
まあ割りとローカルのケーブルで入ってるという話は聞きますが。


『天龍八部内容紹介』 (「金庸ロードショー」さん)

この作品、個人的にそれなりに面白かったのだが、後で考えてみると、壮大なスケールの物語のわりには、ストーリーのどこに焦点を置けばよいのかとなると、「?」である。キャラクターを楽しむという点では面白いが、ストーリーはいまいちよくわからない。勧善懲悪という概念もこのストーリーではかなり薄い。最後は一体何が悪なのかわからなくなるのも特徴だろう。一応、喬峰?遼、段誉?大理、慕容復?燕というお国の事情を抱えるストーリーなのだが、この小説は、それぞれの生き様を書いた物語だと思う。


共通して戸惑い気味の感想の多い作品で、代表的にはこういう感じ。
特に価値観的なまとめ方が難しい(”勧善懲悪という概念もこのストーリーではかなり薄い”)のは、結局は仏教的色彩が意識的に強いということだと思いますが、じゃあ分からない読者が無知かというとそんなこともなくて、はっきり言って分かるようには書かれていないと思います。


たぶん、この『天龍八部』は金庸小説の応用編のような感じだと思う。金庸小説に慣れた人にとっては面白いかもしれないが、他の作品を知らない初心者にとっては、なんだこれは?と思わせるような要素もあるのではないか?


僕が一種の集大成だと位置付けたのも、だいたいそんな感じです。


『天龍八部2』 (「ダイエットに挫折して飲んだくれる俺。」さん)

読み終えてみて、この物語のテーマを考えてみるに、全ては因果の流れの中に・・って事だったのかな、と。民族の対立もそうだし、登場人物全てが自分の意思とは関係なく因果の流れの中で彷徨ったりあがいたり、そして最終的にそれを断ち切れた者、断ち切れなかった者がどうなって行くのか、という物語でした。


その「価値観」や「仏教」の問題を、”予備知識”ではなくて、”書いてあること”から精一杯に読んだ、ちょっと偉そうな言い方かも知れませんが(笑)とても「誠実な」読解だと思います。
いや、なんか凄く正しい読み方だなと。ま、いいですけと。(笑)
で、実際そういう内容なんだろうと思います。分かり難いですが。


『金庸の世界・天龍八部』 (「風街浪漫」さん)

そして最後に、虚竹、段誉にまで出生の秘密があったのだが、これまた驚愕せざるを得ないほどに稚拙な内容となっていることである。

単行本の帯には、『金庸文学の最高峰!』とうたってはいるものの、私には人間関係を極端に狭めたことで、壮大な失敗作に終わってしまったと思えて仕方がないのである。


よりストレートな悪評。(笑)
「内容」はともかくとして、まとめ方が雑過ぎると感じるのは確かですね。作者自身、感情移入追いついてないだろ、という。正直終盤は不愉快な箇所が少なからず。食えるか、こんな冷えた肉。
意図的に(感情移入を)排した、あえて(仏教的に)非情に書いたというところはあると思うんですが、それを加味しても、小説として上手くいっていないという印象は変わらないです。


おまけ。

『天龍八部(全5巻)』 (「まお飯店」さん)

蕭峰が死んだ後、「降龍十八掌」と「打狗棒法」が後世(射雕時代)に伝わってるというのが少し不思議です。


・・・・はっ?!そう言えば。(笑)
理屈だけなら、慕容の連中が伝えてくれそうですけどね。(笑)


さあて、年明ける前に書けるかな。


仕事納め ?二股の賦 

やっぱり金庸は今書く余裕が無いので、こっちを先に。本当は「年始の挨拶」で書こうかと思っていた内容なんですが(笑)。というわけで年始の方はスルーしますので、ご了承を。(?)


何はともあれまずはレッズサポの皆様、今季はこんな(緑との)二股野郎にお付き合いいただき、ありがとうございました。
正直分離独立しばらくは(経緯)、かなりビビりながら日和りながら書いているところもあったんですが(笑)、なんか思いの外温かく、あるいはいい感じの距離感で受け入れられている気配がほんのり伝わって来て、嬉しかったです。

まああれですね、対象が緑だろうと赤だろうと、何色だろうとなんだろうと、要するに同じタイプのお客さんがつく、あるいはどこにでも一定数の”そういう”人がいるということかなあと、そんな感じも少ししますが。
・・・・あ、でも”拍手”の基準はこっちの方がだいぶ優しい感じで、本家でスルーされた心の傷をこっちで癒やすみたいなこともなくはなかったです(笑)。やっぱ”赤”は情熱的ですね!!

ちなみに「分母」自体はさすがに本家の方がひと回り多いんですよ、試合日(後)どうしの比較でも。腐ってもホーム。例えサポの絶対数では大負けしてても。(おい)


緑と赤に対する気持ちの違いは、一言で言えば「情」(じょう)「恋」ですかね。家族と恋人というか。当然ながらその「恋」自体はそろそろ不可避的に冷めつつはあるわけですが、まあそれなりに順調に愛に育ってるかなという。ちょっと前までは自分もそうだったくせに(笑)、レッズについて通りすがりで適当なこと言われると、結構カチンと来る体にはなってます。

更に個人的に面白かったのは、2つのチーム、2つのカテゴリー(J1とJ2)の視点で、半ば強制的にJリーグを沢山(単純に倍だ)見せられる中で、明らかにJリーグに対する入り込み方、距離感が変わって来たというのが。別に熱心にサポーター活動をしたりはしていないんですが、何かしら自分なりに(Jリーグに)「住んでいる」という感覚が育って来た。
ぶっちゃけ実はそんなに特権的にサッカーが、増してやJリーグが好きな人でも無かったので、不思議な感じです。


それはそれとして、「強制的に」と書いたのもダテではなくて(笑)、結構しんどい時もありました、この1年は。2試合必ず見て2試合必ず書くのは。別に物理的時間的にはどうということはないんですけど、飽きるんですよね、やっぱり。サッカーにというより自分の脳の働きに、自分の言葉に。
これで結構一つの作業の根気自体はある方だと思うんですが、しかし量はどうあれ同種の作業の繰り返しはかなり苦手なので。端的に言うと緑であれ赤であれ、後の方、日程的にその週の2試合目の方に取りかかるのは、毎度割りとしんどい。

ボヤキついでにこんなデータを。

’07ヴェルディ月別成績

 3月 3勝1分
 4月 1勝6敗

 5月 4勝1敗1分
 6月 2勝2敗1分
 7月 4勝1敗2分
 8月 2勝1敗2分
 9月 5勝1分
10月 4勝1分(1敗)
11・12月 1勝2分

’07レッズ月別成績

 3月 2勝1分(1勝1分)
 4月 3勝1敗1分(1勝1分)
 5月 1勝4分(2分)

 6月 4勝
 7月 (1敗1分)
 8月 5勝1分
 9月 3勝1敗(2勝)
10月 2勝1分(2分)
11・12月 2敗2分(1勝1敗1分)



()内はJリーグ外、つまりACLとナビスコと天皇杯。A3とクラブW杯本戦は、半ばエキストラなので外してあります。
で、結構似てるんですよね、成績が(笑)。
つまり「立ち上がりは上々、しかしその後1回ドーンと落ちて、後巻き返して駆け抜け・・・・そうだったけど最後バタバタしてリーグ優勝逃がす」という。(笑)
ちなみにがほぼ低調期。レッズはヴェルディよりもスタートダッシュは長かったけど、その分ラストのモタモタも長かったというそういう感じ。

同じ”低調”でもヴェルディなら負けるところをレッズは分けるのがだいたいなわけですが(笑)、それにしてもよく似てました、体感的にも。喜びも苦しみもちょうど2倍。
終盤のレッズのは主に疲労ですけど、4月の終わりから5月の頭あたりの、両者ともに戦術的未整備による不調がモロに重なっていたあたりは、ユニフォームは違ってもダラダラした似たような試合を立て続けに見せられて(書かされて)、正直サッカーが嫌いになりそうになりました。(笑)


ま、こんな感じで。来年もよろしく。
ついに同じカテゴリーということで、僕が”自分ダービー”に煩悶する姿でも、楽しみにしていて下さい。(笑)


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