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横浜FM?浦和(’08) 

いやー。

J1第1節 浦和 ●0?1○ 横浜Fマリノス(日産)

今年も気持ちを盛り立てるのがなかなか難しそうで。少なくとも序盤戦は。


どうも。本館で岡田ジャパンのお守りに追われていてすっかり放置していましたが、今年もよろしく。
そんなわけで自慢じゃないですが、チーム作りの過程とかはほとんどノーチェック(三都主離脱の報には頭を抱えましたが)だったんですが、久しぶりに見たレッズは、オジェックレッズは、どうだったかというと・・・・なーんにも変わってない何にも起きてないと言った方が正確かな。

試合前の監督談話では「今年はとても良い準備が出来た」とかのたまっていたそうですが、2期目突入で、去年と違って仕込みの時間も一応取れて、まだ当然連戦の疲労とかも無い状態で、プレッシングだかポゼッションだか4バックだか、さぞかし去年棚上げしたオジェック色のかけらでも見えるかと思えばそんなこともないし。
ならば少なくとも、当分いないことが分かっているポンテの穴をケアする為に、本気で代役を発掘するなりポンテがいなくても出来るサッカーを目指すなりした形跡があるかと言えば、そんなものもさっぱり僕には見えませんでした。

直接的な”代役”候補としては三都主くらいしか見当たらなくて、だからこそ僕は頭を抱えた(↑)わけですが、仮に健在でも今日の相馬のところに単純に入れてもそういう態勢にはなりそうもないし。
セカンドストライカー的には優秀である山田キャプテンも、単独でゲームメイク出来ないのは分かり切ってるのに、2トップとの関係性を見る限り単純にポンテの代わりに入れているようにしか見えないし。中期的に山田さん使うなら、それこそはっきりプレッシング・サッカーで守備力を生かすなり飛び出しのスペースとタイミングを確保するなり何なり・・・・

やめた。いやだからもうそういう個別のことじゃなくて。
何かやりましょうよ、何か。狙いましょうよ。シーズン頭くらい。なんでこんな、集合して2日で出来そうなチームにしかならないのか。それも多分、監督がいなくても作れる。
サッカーが好きだからorサッカーに興味があるから監督業やってるんですよね?違うんですか?違うのかもしれないですね。そこが最終的にこの人への疑問。
・・・・ああ、去年も書きましたねこれ。だから、変わってないんですって。(笑)
結局どうしようもない本能なんでしょう、この安全/安定志向は。メンバー固定問題含めて。リアリズムですらない。

あのですね、例えば本当に戦術/組織志向の監督とかだったら、ワシントンとポンテという絶対的な選手(ついでに小野)の不在なんて、ある意味チャンスなわけですよね。自分の色にチームを染め上げる。密かにホクホクしてもおかしくないくらい。
それで去年ワシントンや小野とぶつかったとか、そういうなら分かるんですけど。人一倍選手の資質に依存する癖に、人徳は無いわコミュニケーション能力は低いわ。押し出しだけ厳格だわ。

頑迷さと無能さでは代表監督時のジーコを彷彿とさせますが、少なくともジーコには通すべき我が、理念が、スタイルがあった。
何で今更&開幕早々怒ってるのか分かりませんが(笑)、どうやら必死に繋いで来た去年のチームに対する連続的なストーリーが途切れて、いきなり実態と無防備に向き合ってしまったらしいです(笑)。レッズ・ファンとしての勘が錆び付いたというか。

もういい。今年は日和見なしで。嫌なもんは嫌だ。後で盛り返して恥掻いても気にしない。(笑)
同じ我慢を2年は出来ない。恐らく選手も出来ないでしょう。


試合は一言で言うと、「似た者どうしの対決」
システムは勿論、”選手の能力のとりあえずの組み合わせ”という性格も。マリノスは「桑原監督」から余りにも予想出来るような感じで、まあ何というか。いい選手いるのに。
・・・・そうなんですよね。ぶっちゃけ同条件で見て、我ら”世界3位”チーム(笑)が、Jリーグ7位チームに必ずしも選手の質で勝ってるとは言えないというか、結構負けてたというか。それが現実で、そういう結果。軽くガクブル。高原とエジミウソンが、まだ名前だけだったというのもあるんですが。

まあ単純にマリノスがいい選手揃えているということでもありますが。山瀬ボランチは無いよおと思ったけど、こっちの不出来もあってなんだかんだ攻撃に絡んで来てたし。実は松田1ボランチなのかなあれ。(→と思ったらこんな意見が
こっちもポンテの完全復活さえ果たされれば、あらかたの帳尻は合うんでしょうけどね。少なくとも去年並みには。でもやだそんなの。


もう選手の「底力」とか期待する気にはなれません。
普通に根本的変化(監督交代)を期待します。その為の我慢の前半戦。早漏でも何でも、それがサッカー・ファンとしてむしろ健全な態度でしょう。”通”気取りはやめ。(笑)

でもなあ、弱いチームにはちゃんと勝っちゃったりするんだろうな。今年も阿部先生あたりには得点の臭いがプンプンするし。・・・・いや、さすがにでもポンテ(と監督)抜きはきついか。どうする?どうなる?’08浦和レッズ。(変な締め)


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メモ:”無我”と”縁” 

天龍八部〈6〉天山奇遇天龍八部〈6〉天山奇遇
(2002/08)
岡崎 由美、金 庸 他

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金庸ファンの皆様どうも。
放置中もポツリポツリと過去ログに拍手が来るのが、微妙にプレッシャーなアトです。(笑)
順番としては『侠客行』の(3)なんですが、書こうとしている内容がカブリそうなのでこっちでやっておきます。
一応、”「仏教」小説としての『天龍八部』(4)”ですが、(1)(2)(3)の続きではないので、特に前のを確認する必要は無いです。

無我と縁
改めて作中に引用されている経典の文言を総チェックしてみて、取り上げるとすればこれかなと。他は本編中に解説がついているor普通に読めば分かるものか、言い方が仰々しいだけで大した内容ではない(笑)と思われます。

まずは引用箇所を。


「衆生は無我にして、苦楽はにしたがう。たとえ栄誉を受くるとも、過去の宿因のなせるもの、今はこれを得ようとも、縁が尽きれば無にかえる。何の喜ぶことあらんや。得失は縁により、心には増減なし。」

(単行本6巻p.181)



「み仏の教えでは、万法はこれの一字です。『諸法は縁より生じ、諸法は縁より滅す。我仏大沙門、常にかくのごとき説をなす。』」

(単行本6巻p.285)


いずれも小坊主虚竹の言で、面目躍如ですね。段誉の引き方だと、どうにも薄っぺらくて仕方ありません。(笑)
前者は文中にあるように少林開祖の達磨さんの言葉(曇林『入道四行観』)、後者はずばりお釈迦様(”我仏大沙門”)の言葉とされるもの(馬勝『地蔵本願経講記』)ということ。

以下とりあえず文中語それぞれの標準的定義。(参考にしたのは各Wiki、及び財団法人仏教伝道協会「やさしい仏教用語」

”衆生”・・・・生命あるものすべて。

”無我”・・・・”我”が無いこと。

 ”我”
 ・狭義にはバラモンの”アートマン”、意識の最も深い内側にある個の根源を意味する。
 ・広義には自分も世界も全てを含めた、個々の存在の実体のこと。

従って”無我”も、

 ・永続的な確固とした「我れ」、主体が無いという意味(狭義)と、
 ・「世界のすべての存在や現象には、とらえられるべき実体はない」という意味(広義)

と、二つの場合がある。

”縁”(”因”と”縁”)

・因とは結果を生じさせる直接的原因、縁とはそれを助ける間接的原因、外的条件。
・過去の宿因。(↑引用部分)

 ”縁起”
 ・「因縁生起」(いんねんしょうき)の略。「縁って起こる」こと。
 ・世界の一切は直接にも間接にも何らかのかたちでそれぞれ関わり合って消滅変化しているという考え方。

”法”(万法、諸法)

1.「法則」「真理」。教法、説法。時に「秩序」「掟」「慣習」。
2.存在。具体的な存在を構成する要素的存在。

・・・・ここでは主に2の意味と考えられる。


(”無我”と”縁”の関係)


釈迦がさとったように、いっさいのものは、独一存在でなく、無我である。しかし、すべてが無我でありながら、価値を持ち、存在性を持ちうるのは、すべてが縁起であるからである。この関係においてのみ存在者は存在性を獲得することができる。

”縁起”Wikiより)


あらゆるもの、個物には実体は無く、「無我」である。その意味で区別は無い。
しかし同時にあらゆるものは関係性の中にあり、それぞれの関係において生起する。だからそれぞれの関係の個別性具体性によって、束の間意味や価値や個別的存在性が規定される。彼が彼であるのは、彼の持つ「縁」による。

ただしその「縁」が尽きれば(縁の影響の範囲を越えれば)、彼が彼であった根拠や個体性は失われる。すなわち『縁が尽きれば無にかえる』『縁より生じ、縁より滅す』。(↑)

・・・・まあ仏のスケールでは無でも、凡俗のスケールでは有みたいな話です。(笑)
究極的には無いけれど、とりあえずは有る。あるいはそれぞれの「縁」の実効範囲内でなら、有ると言っても当面差し支えは無い。


というようなことを押さえつつ、話を金庸に戻します


”無我”と”縁”と金庸のストーリー 

天龍八部〈7〉激闘少林寺天龍八部〈7〉激闘少林寺
(2002/09)
岡崎 由美、金 庸 他

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承前
”「仏教」小説としての『天龍八部』(5)”兼、”『侠客行』(3)”。テキトー。(笑)


『天龍八部』の”無我”と”縁”

前回確認したそれぞれの概念の定義に従って、引用部分の意味自体はだいたい分かると思いますが、ではそのことの『天龍八部』的意味は何か。

改めて『天龍八部』というこの長い小説の内容を見てみると、ありていに言ってかなり悲惨な話だと言えると思います。
特に申し分の無い好漢蕭峯の救いの無い運命や、だらしないけれど憎めない(笑)、段正淳とそれぞれに可愛げのある女たちの末路は、何もそこまでしないでもと、作者金庸を恨みたくなる向きも少なくはないでしょう。

そのやや乱暴とも思えるやり口はともかくとして、こうしたストーリーの意図自体は割合明白で、つまりは個々の人間の人柄やら意思やら努力やらといった”関数”だけでは推し量れない、「人の世のままならなさ」「運命の皮肉」、こうしたこれまでの金庸の作品にも度々登場してきた要素・観念を、”仏教”を明示的なモチーフとしたこの作品でより徹底的に追究する、ある種のこの世の”真の姿”として読者に示唆するという、そういうことだと思います。

そうした把握、世界観の理論的前提が、『無我』であり『縁』であるわけですね。
元々この世(の存在)に確たる実体、根拠は無い。無我である。だから物事の成り行きも、あっさり言ってしまえば偶然である。善意悪意の差に本質的意味はないし、誰かの努力が結果に与える影響なども、どうしようもなく限定的なものである。
・・・・つまりそれらは言ってみれば直接原因たる「因」であるわけですが、実際の最終結果はそれに加えて間接原因としての「縁」が大きく影響していて、その部分は人間には制御不能であるし不可知であるということです。


(”縁”についての注)

ちょっと段取り悪いですが(笑)、ここでもう少し『縁』について説明しておいた方がいいかもしれません。つまり、「縁とは具体的に何ですか?」という問いには意味が無いということについて。
なぜかと言えば、それはそもそもが機能的定義であると考えられるからです。

では縁とは本来何かと言えば、要するに”縁”して機能しているもののことだと思います。中身は知らないが、ある程度特定可能な”因”とは別に、その時その最終結果をもたらした間接原因、それを”縁”と呼ぶということ。縁として働いているものが縁。
・・・・何か誤魔化しているように聞こえるかも知れませんが(笑)、こういう概念の使い方というのは割合あって、例えばかの現代物理の「量子力学」の「量子」なども、どれが量子かと問われても、示すことは出来ないんですね。「原子」や「分子」のような意味で「ある」わけではない。ただ問題となる物理現象のプロセス内で、ある特定の機能の仕方をしているもの/領域を「量子」と名付けて、説明の便宜とする、理論の機能性を確保するというそういうものです。それで用は足りている。(参考)

『縁』という概念も大きくはその類だと思います。そもそも仏教は、それこそ「原子」や「分子」のような”実体”的概念から出発するというスタイルをとらない(”無我”)ので、ますます問題ではないわけです。

*ちなみに前回の『入道四行観』の引用では、「過去の宿因」という説明がなされていますが、これはよくある通俗的な解釈を便宜的に採用したものか、あるいは単なる慣習的な語り口なのではないかなあと思います。というのもこの箇所自体が、仏教の哲理を語ったものというよりは、世人への直接的な戒め・訓話の類に見えるからです。
・・・・もしくは翻訳者の意訳のし過ぎも少し疑っているんですが(笑)、原文をご存知の方がいたらお教え下さい。


金庸的ストーリーにとっての”無我”と”縁”

仏教色の強い(あからさまな)『天龍八部』においてはかなり極端ですが、多かれ少なかれ、金庸作品におけるストーリーが、主人公や登場人物たちの意思や本意と無関係or裏腹な展開を見せるということは、金庸作品の基本的特徴として前にも述べました。時に悲劇的に、時に喜劇/シュール/スラップスティック的に。

金庸の「仏教」がどこまで本気なのかは僕は知りませんが(笑)、それらがどのくらい直接的に仏教思想由来であるかは別にして、やはり金庸のこの世の出来事の把握の仕方、見切り方、運命観みたいなものの根底には、こうした達観や諦観が色濃くあるのだと思います。
創作上の趣向やスタイル意識は意識として、だからこそ金庸はこうしたストーリーを書きたがる、書かずにいられないのだ・・・・と、言うことを『侠客行』編の(3)として書こうと思っていたんですがもういいですね。(笑)

侠客行〈第3巻〉侠客島の秘密侠客行〈第3巻〉侠客島の秘密
(1997/12)
金 庸、岡崎 由美 他

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侠客行〈3〉侠客島の秘密―金庸武侠小説集 (徳間文庫)

一見冗談のような偶然任せの超展開も、つまるところこの世で日々起きている、もっともらしい意味や因果関係があるように見える”現実の”出来事も、一皮向けば同じくらい馬鹿馬鹿しい、まともに努力するのが空しくなるような訳の分からない、制御不能の偶然の帰結なのではないかという、(金庸の)直観や虚無感の反映であると。


もう一つ、アウトテイク集的なものを書いて、”「仏教」小説としての『天龍八部』”編終わり。

天龍八部〈8〉雁門悲歌天龍八部〈8〉雁門悲歌
(2002/10)
岡崎 由美、金 庸 他

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その他金庸と仏教 

天龍八部〈5〉草原の王国天龍八部〈5〉草原の王国
(2002/07)
岡崎 由美、金 庸 他

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早くキリをつけてしまおう。まあ大した話ではないです。(笑)


「頓悟」と「漸悟」、と金庸の武術修行


「玄難大師は禅の理に精通しておいでゆえ、禅宗の要旨が『頓悟』にあることは存じておられよう。棋道においても同じこと、十にもならぬ神童が、しばしば一流の名手を破る。」

(単行本5巻p.247)


少林派とのからみもあってでしょう、金庸の仏教の多くが”禅”であり、また少なくとも作品内では決まって『頓悟』の優位を語っているのは、何冊か読めばすぐに分かることだと思います。

ここで『頓悟』とは、またそれの反対である『漸悟』とは何かというと、


一足とびに究極の悟りに至るのを頓悟、漸漸に順序しだいを経て悟りに進むのを漸悟という。

「松風>茶道レポート凌亂>頓悟主義と漸悟主義について」


ということです。
修行や悟りのプロセス論として、特に禅や各種の「道」においてよく問題となる対立。
その細かい話や金庸がどういう理由であそこまではっきり頓悟の優位を語るのかは置くとして、ともかく金庸作品では、頓悟の優位はお約束として確定しているわけです。

そこから僕が想像する、言っておいた方が面白いかなと思うのは、例の金庸の主人公たちが身につける奇妙奇天烈な武芸の数々、特にしばしば「あんなにあっさり上達するのはおかしい」「理屈だけでああも簡単に出来るものか」と慣れない人からはクレームが出ることも無くはない(笑)独特の修行と上達の世界観、その背後にこの『頓悟』の思想があるのではないかなということ。

・・・・いや、そんな真面目な話ではないんですけどね(笑)。基本的には単なる金庸の稚気、悪ふざけなんでしょうけど。ただその”悪ふざけ”を支える屁理屈として、こういうものが用意されているのではないかな、そう考えると一応は納得できるかなというそういう話です。


”人無我・法有我”説

すっげえ細かい話で興味無い人はスルー推奨。


部派仏教になるとこの定型が形式化し、説一切有部(せついっさいうぶ)においては、要素である法の分析にともない、その法の有(う)が考えられるようになる。元来の初期仏教以来の無我説はなお底流として継承されていたので、人無我(にんむが)・法有我(ほううが)という一種の折衷説が生まれた。
この「法有我」は、法がそれ自身で独立に存在する実体であることを示し、それを自性(じしょう)と呼ぶ。



このような「法有我」もしくは「自性」に対して、これを根底から否定していったのが大乗仏教とくに龍樹(りゅうじゅ)であり、自性に反対の無自性を鮮明にし、空(くう)であることを徹底した。
(中略)
このような「縁起―無自性―空」の理論は、存在や対象や機能などのいっさい、またことばそのものにも言及して、あらゆるとらわれから解放された無我説が完成した。龍樹以降の大乗仏教は、インド、チベット、中国、日本その他のいたるところで、すべてこの影響下にあり、空の思想によって完結した無我説をその中心に据えている。


・・・・いずれも Wiki”無我” より。

前々回説明したことと合わせて簡単に言うと
1.仏教以前のインド思想の、「我」(人/自分や世界の実体)の実在説。
2.それを否定した原始仏教の「無我」説
3.そこから世界については実体性を回復させた部派仏教の「人無我・法有我」説
4.最終的にやはり全て無我であるとした大乗仏教(以降)の「空」。

何を問題にしているかというと。
金庸が”無我”的な、”縁”主義的なスタンスで、主人公ら登場人物の「自由意志」や「努力」の影響力を極小化する方向の、ある種「運命論」的なストーリー展開を重点的に行っているという話を、前回まででしました。

ここらへんに関して、かつて僕は(やや留保的な書き方ですが)『射英雄伝』の項で、郭靖の”成長”や”自己実現”とのコントラストとして、「ギリシャ悲劇」という例を挙げました
代表的には「オイディプス王」。”父を殺し、母を犯す”という予言に逆らう為の人間側の努力にも関わらず、気が付けばそれと知らず正に予言通りの人生を歩んでしまったオイディプスの悲劇。

これがつまり、世界の主役はある種の「運命」であり、その前には個人の意思など無に等しいという、古代世界にかなり共通する世界観の表現なわけですが。
そして金庸の”運命論”的表現も、単純な先祖帰りではないにしても、基本的にはそうした古代的古典的な文学表現・世界観と、近代的個人主義的なそれとのハイブリッドの一種であると、そう僕は認識しているわけですが。

この認識にそう大きな間違いは無いと思うんですが、ただその時金庸が想定/イメージしている言わば”人無我”は、いったいどういう構図の元のものなのかなという。
つまり人は無であるが運命や世界(とその背後にいる神々)は有であるギリシャ悲劇は、ある意味「人無我・法有我」説に立っているわけで、それは人間の『自由意志』に対する神の『恩寵』の優位を基本的に語るキリスト教(例)なども大きく言えばそうでしょう。
・・・・というかこれが一番素朴・普遍的な古代/前近代的な考え方なので、「法」(世界、神)まで無我だと言い切ってしまうところに、仏教の特異性があるんだと思うんですが。

結論は特に無いんですけどね(笑)。今回調べていてちょっと考えてしまったというだけで。
禅である、大乗仏教であるという意味においては、デフォルトで「空」である、両方無我であるということになるかも知れませんが、そこまでは考えていないような気もしますし(笑)。さて。


ああ、めんどくさかった。これで”仏教”話は終わりです。
なかなか思ったようには説明できないものですね。もうちょっと上手く出来ると思ってたんですけど、言いたいことの半分も言えなかった。修行します。(笑)


浦和?名古屋(’08) 

困ったもんだな。

J1第2節 浦和 ●0?2○ 名古屋(埼玉)

それなりに書こうと思ってたことはあったのに、今朝の各所の”オジェック解任”の大合唱に、そわそわして地道なこと書く気分じゃなくなっちゃいました。(笑)


まあ変な皮算用してても仕方がないので、ぐっとこらえてまずはやはり目の前の試合のおさらいを。

先発メンバーは故障離脱のトゥーリオの代わりに阿部がDFに下がり、阿部のところは細貝で穴埋めしただけの、基本的に開幕戦と変わらないメンバー。
別に「この布陣に自信がある」とかではなくて、オジェックなりに変化の可能性もあれこれ考えなくはなかったんだけど、何せ頭が固いので思考がループして、結局気が付けばこうなってしまうということなんだと思いますけどね。多分動かせない前提や何としても避けたいリスクが、人一倍沢山ある人なんでしょう。

しょうがないんですよねこういうのは。性分というか、基本的な思考様式なので。ほとんど自分ではどうしようも出来ない。オジェックが「6週間かかる」のも、また柳沢が「QにB?ルがK」たからびっくりしてしまうのも(笑)、要は同じことで基本的に彼らの思考が平面的で瞬発力に欠けて、選択肢間の優先順位の思い切った整理や、理性と感情を協働させた大胆な決断が出来ないせい。
・・・・別に嘘ではないわけですし。オジェックの見込みでは実際6週間かかるんでしょうし、急にボールが来たら誰でもびっくりするかもしれない。うんうん、分かる分かる。世間話としてならね!

ただそうして行った単なる欠員補充の為の玉突き人事異動が、それで実現した”ボランチ細貝”が、結果的にかなりの部分攻撃の活性化に貢献することになったのは、これで結構オジェックも悪運強いなと、ゲームの時点では思ってましたが。(笑)


実際相対比較だけで言えば、開幕戦に比べて改善したところは随所に無かったわけではなくて。個人的にはエジミウソンも相馬もこの試合は見せ場を作りましたし(特に相馬は狙いのあるいいプレーをしました)、トップ下山田さんは相変わらずでしたが、武骨ながら意欲的な細貝の攻撃参加に誘発されて、ともかくも何とかしようという必死さの感じられる、人数かけた攻撃も何回か見られましたし。

ただねえ、言いたかないですけど細貝ですからね。ボッティとかではないわけですから。
いるはずのボッティがいなかった神戸が開幕戦で組み立てに苦労するのは大いに納得ですが、細貝がいるいないで/細貝のプレーで攻撃の質が左右されるって、いったい元となっている水準がどれだけ低いんだという。そんなトップチームって。

勿論これは別に細貝自身を問題視しているわけではなくて、気が付いたらえらい地盤沈下が進んでるなあというそういう嘆きです。
去年と比べてそんなに大きくメンバーが変わったわけではないので、レッズ自慢の局面局面、個人の頑張りによる下支えというのは、今季もなされていないわけではないでしょう。ただ”支え”る基準自体が余りに低いというか、穴が大き過ぎて埋め切れなくて、その徒労感で緊張感にも注意力にも早めの限界が来てしまうというか。

こんなレベルでいつまでもああだこうだやっていては、ポンテが復帰しても今更どうもならないところまで、崩壊が進んでしまうのではないかという。


結局変な言い方ですが、自分たちに飽きてしまっている感じはありますね。自分たちの「強さ」そのものに、「勝利」そのものに。
単なる勝ち慣れでも油断でも無いし、自信を失っているわけでもない。ただ今までのやり方で勝利を目指すことに、目標としての価値を見出せなくなっている。全力を発揮する為のテコを失っている。「未調整」なのは確かだけど、本当に深刻なのは(6週間先の?)「調整」作業そのものに、今の延長線上でチームを仕上げること自体に情熱を湧かすのが難しくなっているのではないかというそういう感じがすること。今凄くサッカーをつまらなく感じてるんじゃないでしょうかねえ、レッズの選手は。

ギドの時と、ぎりぎり’07年の途中までは、レッズの”スタイル”の問題は、要するにイデオロギー、好みの問題でしかなかったわけですね。
でも’07年を崩壊すれすれの状態で戦い終えて、命綱のポンテを失って、方向性はどうであろうと、監督が誰であろうと、何か新しいこと知的刺激を与えられることを、何としても今年は始める/取り組ませるべきだったわけですよね。それはもう、”サイクル”の問題として。じゃないとチームが持たない。

オジェックの無能も確かに問題だけど、それより無策の方が、今年はより問題。
このまま呆れて例えば次の移籍期間に啓太なりトゥーリオなり阿部なりが海外に行っちゃったりすると、本当に一つのチームが終わっちゃいそうで怖いです。特に僕のように’06年から本格参加(?)している人には。栄枯盛衰は世の常でそれは今後も受け入れるとしても、せっかく長期契約してくれたポンテと共に歩むはずだった、愛着ある、尊敬すべきチームのサイクルが、こんな唐突に終わっちゃったりしたら。(しかも不在の間に?)


・・・・と、ある意味バイバイ!オジェックの希望が囁かれるからこその、思いっ切りの悲観を披露してみたりしますが。(笑)
真面目にもうほんとに、『王様は裸だ!』という叫びが、あちこちから聞こえて来ているような心地がする今日この頃です。

しかし「ウチの練習は試合形式が中心だが、」(キャプテン)って、それじゃほんとにジーコじゃないですか。確か就任当初は色々細かく教えてて、”ギドとは違う”なんて話も聞こえて来た覚えがあるんですが、ガセだったのか。一人の人がそんなに変わったりするものなのか。元々そうなのか、無力感でやる気を失ってでもいるのか。

とにかく何か、変わって欲しいです。監督がチームを変えるか、チームが監督を代えるか。
僕もそろそろ、何か違うことを書きたいですし(笑)。いっつもおんなじだもんなあ。


お早いご決断で 

08.03.16 ホルガー・オジェック監督の契約解除について(公式NEWS)


浦和レッズは、2007年2月より指揮を執っておりましたホルガー・オジェック監督との契約を解除いたしましたので、お知らせ致します。


新聞報道にあったように、ナビスコを見てからだろうと思ってたので、ちょっと驚きましたというか書いたばかりだった前のエントリーが、変な空気になっちゃったじゃないかというか。(笑)

こうして見ると名古屋戦で、2点差つけてきっちり負かしてもらったのは良かったようですね。失点そのものはある意味回避不能のヨンセン・ヘッドと都築のチョンボだったので、いくらかは良い材料も見えた中でその失点内容でこの最終結果というのは、ひょっとして運命かなと終わった時点でも思ったりしましたが。
やっぱりこう、責任ある立場の人が「動く」には、それなりの流れというものが必要なので。特にこの国では。

理想を言えば、去年の時点でレアルばりに(注・デルボスケ、カペッロ)ばっさりやってくれないかなと思ってはいたんですが、十分に速断ですしかなりベストなタイミングでしょう。
仕事の内容はともかくとして、ちゃんと契約結んでやっているオジェックとしては、任せておいてこれかよと文句つける権利は十分にある気の早さと。そしてリーグ中断&ナビスコで調整可能という、後任に優しいタイミングと。

田嶋幸三がいらんこと言ってたらしいのは、FIFAがらみで親交があったりするんでしょうか。
結局就任前の技術委員としてのFIFAカンファレンスをスカパーで見た時の、「何も伝えたいことが無い人に見える」という印象がそのままで、そのまま過ぎてやんなっちゃいますけど。
真面目ないい人なんでしょうし、”技術委員”や”コーチ”としてならいいところがあるのかも知れませんが、人間を相手にして人格的に積極的に何かを表現しなくてはならない、監督としての必要なクリエイティヴィティには恐ろしく欠けていたと、向いていなかったと、かねてからの主張を繰り返して一応まとめておきます。

『知性』にも色んな種類があるんですよね。


08.03.16 ゲルト・エンゲルスコーチ、監督就任について(公式NEWS)


浦和レッズは、ホルガー・オジェック監督の契約解除に伴い、ゲルト・エンゲルスコーチ(50歳)が監督に就任いたしましたのでご連絡致します。


そして後任。特に何も。(笑)
個人的に京都で天皇杯制した時の3?4?3サッカーは大好きでしたが、それを期待しているわけでもやるべきだとも特に思いません。とにかく特に何も思いません。(笑)

つまりオジェックの場合は「強化」が不足だったというよりもほとんどチームの邪魔をしていた/蓋になっていたというのに近い感覚だったわけで、そういう意味では後任の積極的能力とかは当座問題にならない。問題にはすべきですけど(笑)。世界のウラワたるもの、本格的な「次」探しも、引き続き行うべきですけど。

それと僕がオジェックに「何かやれ」とキレてたのは、新”戦術”を注入しろとかそういうレベルではなくて、勿論そういうのも考えては欲しいですがそれ以前に持てる素材を活かす為の最低限の”創意工夫”をやってくれ、感じさせてくれというそういう次元なわけで。

例えば隣の青い芝の話をすれば(笑)、最近はどちらかと言えばメンバーの固定や戦術のマンネリを問題視されることの多い西野ガンバですが、それでも毎年開幕に当たっては、必ずその幅の中で新しいシステムや新しい運用のアイデアというのを一生懸命西野さんは提示してくるわけで、結果元の木阿弥だったりもするんですけど(笑)でもそれがあるからまた期待したり愛したりしながら、長期政権に付き合ってもいけるわけですよね。

そういう普通の振れ幅というか細部への興味というものがオジェックからはいっさい伝わって来なくて、アクション/リアクションとかいうとりあえずの理念構造くらいしか本当に無くて、だからいったんそれに従ったファーストトライが挫折すると、後は何も無くなってしまうわけで。

だからまあ、普通にやってくれればいいわけですけど、後任監督には。サッカーに/レッズに興味を持って(笑)。とりあえずは。


ただ厳しいですけどね、現状は。パサー不在という事実は誰が監督でも同じですし。
オーソドックスに組み合わせるだけでは、なかなかチームにはならないでしょう。だからこそ時間のある内にちゃんと準備すべきだったわけですけど。
会見では早速「攻撃的」とか「3トップ」とかのたまってるらしいですが、それ自体はともかくとして、なんかいきなり自分を追い込んでるようで冷や冷やしますが。(笑)

実際1or3トップ(の真ん中)要員が不在なのは、ヴァリエーション狭めてはいますよね。パッとしないついでに高原人柱はありかも知れないし、意外とエジミウソン面白いような気もしますけど。実は達也は上手いですけどね、さすがになあ。
まあポンテ復帰のXデーあたりを睨んでぬるく見守りますから、頑張って下さい。

ちなみに担任も代わったし、トゥーリオくんは保健室通いはいいかげんにするように。・・・・え?拗ねてサボってるわけじゃないの?(笑)


ナビスコホーム神戸戦 

ま、こんなものか。

ナビスコ杯第1節 浦和 ●0?1○ 神戸(埼玉)

良いとは言えないけれど悪くはなかったと思います。”エンゲルス監督”から想定されるものとしては。相手強かったですしね。


エンゲルスが3?4?3(だよな?)をやりたいのは、3?4?3をやりたいからというのが基本なわけでしょうが(笑)、結果的に計算できるトップ下or司令塔不在のチーム事情と合っていて、そういう意味ではスムーズな新機軸に。
ついでに言うとそれなりの選手が沢山いるけど決め手に欠ける現FW陣の顔ぶれからしても、調子や状況でとっかえひっかえし易そうでそれもグー。こういうめぐり合わせは意外と大事ですよね。

仮にこのまま行ったとしてメンバー揃って来たらどうなるかと考えると、三都主は相馬のところでも梅崎のところでも問題無いですが、ポンテが右ウィングに入っちゃうと現在の一番の武器の永井のクロスが使いにくくなる、あるいは”3?6?1”っぽくなっちゃうなと思いますが、さすがに平川のところに入れるのは無理があるか。でも「超攻撃的」だそうだから・・・・(笑)。まあいいや。

本当の問題は京都の時みたいにハイプレスで”果敢”な感じが、人柄的にもエンゲルスの本意なんだろうけど、浦和の選手層だとどうなるのかなというそっちかと。仮に折衷的ビッグクラブ的に落ち着くとして、その場合エンゲルスの統御力や持ち味はどうなるのか。


とまあ厨的な思考は色々と走りますが、選手の方も心機一転のこの試合では、”走”るとまではいかなくても”動”いてはいましたよね、脳が、ハートが。
それは単に気分が変わったとかこれまで出場機会の無かったメンバーのアピールの意欲というだけではなくて、チームに蓋が重しが無くなって、動かそうとすれば動きそうな、そういう健康な空気が戻って来たから。ようやく普通にサッカーが出来る。

ただまあ、逆に「普通」でしかないという限界・現状というのも一方ではあって、改めて今自分たちが手に持っているものはなんだろうと省みると意外と頼りないというか、とりあえず(A・G・Fとの)”4強”からは謹んで抜けさせていただいて、しばらく放っておいてもらえないかなという。(笑)
別に引き下がる気は無いですけどね。ただドレッシングルームをチラチラ覗いてもらいたくないだけで(笑)。そこを出て行く時は改めて、何事も無かったように”大物”づらさせていただく予定ですけど。わらわの席はどこじゃ。これ下郎、寄るでない。

名前の力というのは大きいです。そしてかけがえの無いものです。得るのは大変だし、キープしてればいざという時必ず理論的な狙い以上の変な力として役立ってくれるものです。
だから虚名だろうと鼻持ちならなかろうと、なるべく手離すべきではない。その時々のチームの実質とはまた違う動きをするものなので、一方で反省しつつ謙虚になりつつも、別に排除する必要も無いので。

ある種「虚名」で稼いだ時間、確保した”遊び”を利して、その間に実質の充填にいそしむ的な。そういうものが無いと、長期間/継続的に、トップではいられない。
だからトゥーリオの根拠不明の負けん気とかは、やっぱり財産なんですよね。知らずチームの最大輪郭線が押し拡げられる。中身は多少スカスカでも。(笑)

ただやばいかも知れない方の「普通」もあって、それはエンゲルスの監督としての格・総合力。まだ本当のところは分かりませんが、あまり大層なことは期待できそうな見込みは無いので、チーム/選手との相互作用でどれだけ幸せな落ち着きどころを見出せるか。グイグイ引っ張ってってくれれば、それに越したことは無いですが。
とりあえずどれくらいのプレッシング・スタイルを考えているんでしょうねえ、それが当面の一番のクリア項目になるか。それを実行させられるかバランスを崩さないで出来るのか。攻撃はある意味その延長と、やはり個々人の資質で、自然に導かれるのではないかと。


まあエスクデロが見られて良かった。高崎が見られて良かった。梅崎は元々厚かましいので、出りゃそれなりにはやるだろうと、心配はしてなかったです(笑)。オジェックのチームだと浮いた可能性が高いですが。
エジミウソンはこんな感じの扱いでいいんじゃないですかね。色々出来ますが、レッズでの個性は自力で証明して欲しい。山田さんは今の内にリハビリしていて下さい。去年末の「復活」が鮮やか過ぎたので、つい怪我上がりだということを忘れていました。都築のメンタルが少し心配。

楽観はしてませんが前向きではありますよ。何であれ相応しいと感じる運命なら受け入れる準備はありますし。
ただフロントにはあくまで「ビッグクラブ」の自意識の下に、後任や補強については休まず考え続けて欲しいと願います。みんなで動かしている”プロジェクト”なんですよねビッグ・レッド・マシンは。こういうの他に無いから。


しかし神戸は、鹿島を除けば今Jリーグで一番信頼性の高いチームですね。しかも飛び道具つき。
去年からそうでしたけど、いよいよ継続による蓄積が感じられるレベルになって来ました。
あの”楽天”がねえ。(失礼笑)


ナビスコアウェー京都戦 

いやー、負けないで良かった。

ナビスコ杯第2節 浦和 △3?3△ 京都(西京極)

それなりにいいところも見えているだけに。とりあえず、”繋がった”か。


梅崎がかなり広範囲&自由に動いているので、システムの表記とかは非常に難しいんですが、要するにエジミウソンをトップに残して、その後ろを梅崎と永井が臨機応変に使うみたいなそんな感じか。めんどくさければ3?5?2でもいいですし、3?5?1?1または3?4+変則3トップみたいな言い方をしてもいいし。根本的には、「”3トップ思想”の3?5?2」とでも言うべきか。
実際の機能性を見ると、平川と相馬の両翼も含めて、「エジミウソン以外は全員サイドアタッカー」みたいな、下手すると昔の韓国代表的に見えなくもなく(笑)。プラスするところの梅崎の機転。

いずれエンゲルスの得意のスタイルと、レッズの選手層及びこれまでの流れとの折衷型で、準備期間が少ない中で、混乱を避けつつでもなるべく活性化と新しい色をという、苦心の結果なのか半ば成り行きなのか、今イチ判断が出来ませんがとにかくそういうバランス。
梅崎のここまでの機能性、全体への目配りの良さというのは、正直僕も予想外。自分が動きながらチームも動かすという、そこにもっと分かり易い柏木という表看板もいて、なるほどあのユースチームが強かったはずだなと。

ハットトリックのエジミウソンは、オジェックがこの選手を欲しがったのはむしろ動きの質と量によるチームへの献身、つまり”ワシントン的でない”部分だったんだろうと思いますが、ともかく現状ではむしろ真ん中にいてあまり動かずに最後のところをきちんとやってくれというそういう(むしろワシントン的な)役回りで、まだあまりチームに馴染んでいない本人にはシンプルでありがたかったらしく、はっきりとメンタルの改善が見られていますね。
それで実際決めるんだから大したものと言えば大したものですが、じゃあ高原が帰って来たらどうなるのかとか、そこらへんは不透明ですがまあ今はそこまで考える余裕は。

ボランチ山田も、少なくともトップ下よりは現在のコンディションでは随分ハマりは良さそうで。


繰り返すと僕がエンゲルスor”レッズの監督”に求めていたのは、「とにかく何かやれ」「何か起こせ」ということで、それで実際何かやって何か起きて、確実に風通しは良くなっているし、個々の能力もポジティヴに表現されるようにはなっていると思います。これとて”やっ”たからと言って必ずそうなるというものではないので、少なくともそういう意味では合格というか上出来というか。ある意味もう満足。(笑)

後はクオリティ、または最終到達点という話になるわけですが、それについてはどんな監督でも保証の限りではないので、まあこれから期待して見て行きましょうという要するにそういう話で、更に言えばこうして動き出して初めて、「さあ選手ども、頑張れよ」と、そう厳しく要求するリアリティが、僕の中にも出て来ます。

・・・・まあ不安はありますけどね、(最終)クオリティには。エンゲルスのサッカーというのはいかにもチャレンジャー型で、少し狭いというかその場限りの感じはしますし、単純にケツが軽いというか穴が開きやすいというか。スタイルなのか精度なのか、多少後者の疑いもあります。
それが勝利を義務付けられたorレッズのスケールのチーム/クラブに相応しいのかという疑問はありますが、一方で元々の腰が重くて分厚いチーム体質と、上手く混ざればいいバランスかもと一応は思います。

分かんないっすね。ただこのまんまこんな感じの試合を続けて、”ソツが無い”というある意味最大の(近年の)チームカラーを失ってしまうのは嫌だというか、多分それでは戦闘力自体も大したものにならない。・・・・言い換えると選手の能力の合算自体は、そこまで決定的に(アジア含む?)他チームに対して優位ではないと、今季の戦いの中で感じているということでもあります。でもやりようによってはやはり”圧倒的な”レッズにもなり得ると、なんか凄く微妙なライン。

現に監督はエンゲルスで、出来ることしか出来ないわけですけどね。心情的にはとても応援してますし。無いものねだりなのかも知れない。
ただやはり前監督に必要以上に落とされたという感覚があるからでしょう、全くの”新チーム”に向かう心の準備は正直出来てません(笑)。大きな継続性の中の変化・刺激という範囲で、とどめたいという未練がある。(みなさんは?笑)

まあポンテのコンディションが戻らなかったりしたら、諦めるでしょうけど。そもそも今年はまだ「強く」すらなっていないわけですし、どんな意味でも。
”予想”の問題としては、ここから数試合、何はともあれ勝って行きさえすれば、前チームの余韻・威光を引きずりながら、『レッズ力』と『エンゲルス力』の融合はある程度自然に達成されるのではないかという感じはしますけどね。今代表に行っているメンバー及びトゥーリオの順次の合流を消化しつつ。勝てればね。そうでないと「作り直し」感がより鮮明に。

新潟、清水、磐田か。失礼だけど、何とかなりそうな相手ではあります。その後に鹿島というのは、チーム作りのスケジュールとしてはある意味とても分かりやすいかも。1試合1試合、何とか。


ディフェンス陣の落ち着きの無さが、コンビネーションの問題なのかメンバー落ちor変更の問題なのか、それとも”神話”的なディフェンス力が失点という結果として崩された動揺によるものなのか。全部だとは思いますけど。守れないレッズは、やっぱり困るな。
頑張れエンゲルス。・・・・という、取り留めのない締めで失礼(笑)。いやあ、分かんないっすよ。

京都のパスワークの鋭さはいつもああなのか。久さん選手交代上手いし。


17.過去の不確定性(1) ?「行為」と「記述」 

金庸の次の本が借りられないので、氷結コンテンツ化していた「多重人格」部門を解凍。

イアン・ハッキング『記憶を書きかえる』要約の続き。

記憶を書きかえる―多重人格と心のメカニズム記憶を書きかえる―多重人格と心のメカニズム
(1998/04)
イアン ハッキング

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なんと前回は’06.10.24で、前の内容など誰も覚えてないでしょうが、基本的に1章ごとに把握出来る本なので、まあ読めばだいたい分かるかなと。
初見の人は、一応「はじめに」だけ目を通していただくといいと思います。


(テーマ)

ほとんど文法に近いものを哲学的に分析することは、記憶と多重人格の問題にとって手助けになるかもしれない。


私が述べたいのは、過去の人間の行為の不確定性である。
この場合、不確定なのは、われわれの行為に関する何事かであって、その行為に対するわれわれの記憶ではない。



「行為」と「記述」

意図的な行為とは、「ある記述の下」でなされる行為である。


「記述」・・・・物理的動作そのものとは別の、(行為の)描写や意味付け。例えば『殺す』という概念があるから『殺人』が出来る。そして『殺意』も持つことが出来る。


新しい記述が利用できるようになり、それが広まったとき、または、それについて発言したり、考えたりしてもかまわないような事柄になるとき、わざわざ選んで行えるような新しい物事が生まれるのである。


多重人格は、不幸な個人になるための新しい方法を供給した。


以下、実例。

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浦和?新潟(’08) 

トゥーリオが躍ると、レッズ!という感じがどうしようもなくします。

J1第3節 浦和 ○3?0● 新潟(埼玉)

無闇なスケール感が素敵。(笑)


夜中書きかけた内容が次々と翌朝の新聞記事等に肯定されて、逆にパクりみたいになって困ってしまったんですが。さっさとアップしておけばなあ。
仕方ないのでむしろ積極的にパクりっぽく。(笑)

・”ボランチ”トゥーリオ

>ボランチは千葉・渋谷幕張高1年時以来でプロ初。
>28日の紅白戦(非公開)でテストしたが、MF鈴木との初コンビは連係不全だった。
>しかしブラジル・ミラソウ時代に司令塔を務めた男のゲームメーク能力は絶妙だった。

(報知)

初でしたか。試合中の変更もしくは上がったまま勝手に残っていたことは(笑)、ギド時代に何度かありましたよね。
その範囲で見る限りは、さほど適性があるようには見えませんでした。”ラストパス”や”一発の展開”は出来るんですが、それ以外の繋ぎの部分の感覚に繊細さが感じられなくて。

(エンゲルス)
>闘莉王とも話はしていて、面白いと思ったし、いいタイミングだと思った
(J’s Goal)

ただ今回の場合は
1.どうせ長谷部も小野もいない
2.一方で啓太&阿部のコンビの重苦しさが目に余る(細貝で違いが作れるくらい)
3.新チーム形成過程で何でもやれる、やりたい
4.色々溜まっていたトゥーリオのガス抜き
という具合にトライの動機付けがあって、「いいタイミング」だったわけですよね。

それ以上の狙いがある可能性としては、アフターゲームショーで野々村さんが言っていたようにプレッシング用、全体の守備ラインを押し上げる尖兵というそういうことは無くはないかも。
それと勿論、エンゲルス自身が言っている、”リーダーシップのあるトゥーリオのプレー機会・関与を多くする”というそういう狙い。ポンテ不在という状況下で。

>ボランチ闘莉王はセルティックMF中村俊輔も提案していた奇策だった。
>「(代表には)体格の強い当たり負けしないボランチが必要。闘莉王は足元の技術もある
>し、ヘディングも強い。絶対にボランチでもいける」と語っていた。
(報知)

なるほどねというのと、どことなくジーコ的なモデルだなというのと。(笑)
なんだかんだ申し子でしたからね、彼は。

レッズにしろ代表にしろ、それ以前に「最終ラインのトゥーリオ」の存在価値が余りに大きいので、恒常的にどうかというのはよく分かりませんね。攻撃参加のスタイル自体、あくまで”リベロ”的なものだと思いますし。
リンクするというより突然やって来る。実在のモデルとしては稲本とか福西に近いスタイル。福西なんて僕はあれは、「中盤のリベロ」だと思ってますけど。(笑)

とりあえずエンゲルスの心積もりとしては、次節以降梅崎の代表疲れが取れて頭から使えるようになった時に、山田キャプテンをどこに使うか(ボランチに戻すかサイドに回すか)で、どれくらい重点を置いているかは分かるのではないかと。
正直いずれ中盤で人が余りそうなので適当なところで帰って欲しいような気はしますが(笑)、ただ上で言ったハイプレス速攻スタイルの駆動力という意味でなら、かなりわくわくするイメージ&使用価値の高いオプションではあると思います。


・エジミウソン”造反”

>エンゲルス政権でついに造反者第1号が出現!
>「どうすればいいのか自分でも分からない。毎試合代えられている」
>後半23分、途中交代を命じられた浦和FWエジミウソン(25)が激怒。
>ベンチの指揮官に対し、右手を何度も上げながら抗議を表明するとロッカールームに直行した。
>試合終了後は関係者控室のレストランにこもり、ミーティングにも不参加。
(報知)

ああ、「怒り」ポイントは”毎試合”の方だったのか、”古巣相手”ではなくて。
いずれにしてもこの試合のエジミウソンは本当にやる気満々で、僕も交代自体は「エッ」と思いましたけどね。特に必要性があるとも思えなかったし、むしろチームのバランスの崩れが心配だったくらい。いかにも機嫌損ねそうだなとも思いましたし。

理由としては連戦に備えて、代えのいないセンターFW要員を休ませたかったということかなとは思います。エジミウソンは軽んじられていると感じているようですが、実際には間違い無く”ニュー・レッズ”のキー・ポイントになっているわけで、彼の1トップorセンターは。

>藤口社長は「FWなら当たり前だよ」と話していた。(スポニチ)

まあね、限りなく勘違いだと思いますけどね。(笑)

それにしてもついこの間まで人見知りを心配されていたエジミウソンが、調子が上向くにつれてワシントンに負けない癇癖の強さの気配を見せているのは、なんだかなという。そういう選手を狙ってるわけでもあるまいし。(笑)
ニュアンスはもっと子供っぽいですけど、結構な俺様というかお調子者。あの場面に限らず。”人見知り”の件と合わせると、要するに「感情的」な選手ということになりますか。
ただし他ならぬ浦和レッズでは、自己主張はするだけしておかないと立場が築けないでしょうから、そういう意味では悪くないというか、何とか一定範囲に抑えて良い化学反応を期待しますというか。

戦術的には十分に効いているんですよね、上でも言ったように。オジェックが漫然と高原と並べていたエジミウソンを、センターor1トップ気味に役割をはっきり決めて、その下を他の選手に自由に使わせるようにしたことは、今のところのエンゲルスの施策の一番分かり易いヒットなわけで。

ここらへんは”エンゲルス得意の3?4?3”と見せかけて、実際は(少なくとも僕が意識して見だした’06年以降の)レッズと3?6?1との、不思議なくらいの相性の良さが上手く出ているという意味合いの方が大きいかなと。
決してそういう起用の為に獲ったわけではないエジミウソンですが、ともかくもそれを気持ち良くこなしてくれているのはかなりラッキーですね。ワシントンほどのキープ力は無いですがその分反転・突進のスピードはあるので、”動けるワシントン”という感じでより縦に速い3?6?1サッカーの中心に据えることが出来れば、何とか「大型補強」辻褄は合うかなと。

・・・・別にフロントの助け舟を出そうとしているわけではないんですが(笑)、例え後付けだろうと獲った選手、特に高い選手にはちゃんとそれなりの役目を与えないと、やっぱりチームとしてうまくないのでね。それも出来れば単に”能力”ではなく、戦術・戦略的に。


しめ。

勝って当たり前のチームが疑われていた。
サポーターのために走りたいと思った」(報知)


うなるトゥーリオ節。意訳かもしれませんが、”疑われていた”という表現がセクシー。
二つ前のエントリーで、「根拠不明の負けん気でチームの最大輪郭線を押し拡げるトゥーリオの力」とか書きましたが、正にこれ。『勝って当たり前』。そしてそれが同時に浦和レッズの特殊なプレゼンスだというのと。
まずブチ上げる。そしてそれに責任を持つ。その確信犯的誇大妄想のダイナミズム。
とすると今のこのチームの”サイクル”を支配しているのは、ポンテではなくてトゥーリオの方なのか。


エンゲルス自体についても書きかけたんですが、また今度。連戦だし。適当な新聞記事も見当たらないし。(優先順位変わってる)


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