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清水?浦和(’08) 

今イチつかみ所が無いような。

J1第4節 浦和 ○2?1● 清水(日本平)

まあ勝ってく内に分かるか。梅崎を上手く使いたいですね。


先制されつつ終始賑やかに(笑)攻撃を繰り返して、エジミウソンが軽くクオリティの違いなんかも見せちゃったりして結果勝ってるわけですから、めでたいはめでたいんでしょうけど。
それ以前にトゥーリオのほとんど決まったと思ったシュートとかオフサイドとか、まだ今季負け越しているチームには割りとキツ目のチャンス逃しもいくつかあって、そこでめげずに取り返したことには、天晴れと同時に胸を撫で下ろしたというのも正直なところで、結果にはほんと満足してますけど。

ただ”強い”のか”強くなる”のか、あるいは”圧倒的”かその気配はあるかと言われると、どうもよく分からない。


一つには失点場面の阿部の対応の軽さを筆頭に、守備の脆さ頼りなさというのが相変わらず続いていて、下手すると仕様として定着しかねない臭いを感じるということが。
”戦術”としてケツが軽くなるのなら、まあ仕方の無いことだし受け入れなくもないですけど。ただ体質としてルーズになる、出来ることやるべきことを常にきっちりやるという、ここ2,3年のレッズを支えて来た強みがあまり失われてしまうと、それはちょっと嫌かなと。
別にノスタルジーではなくて、戦闘力の展望としてね。

逆にではそのレッズの”強み”がどのように形成されていた(来た)のかということを考えてみるに、一つは「受け」中心の効率的な戦い方の中で、頭の中も効率的に整理整頓できて、余計なことはしない/やるべきことはやるという判断に、ほとんど間違いが生じなかったというのがあるでしょう。
そしてもう一つは、2代続けてそれほど厳格なオーガナイズはしない監督の元で、自分たちが考えてやるんだという自覚・習慣が身につく中で、また似たようなメンバー似たようなシステム・戦術で継続的に戦いながら、自然と洗練・研磨が進んだというそういう面と。

まとめて言うとそれほど系統だった、それこそオシムに訓練されたとかそういうものではないので、少しチームの戦い&メンバーに変化が起きた時に、改めて考えてしまうと実はよく分からないというか、すり合わせるよすがが意外と頼りないというか。そういうところはあるかなと。
そこらへんは、もし選手の自主性だけで足りなければ、やはり監督のフォローが必要になると思いますが。別に頼るということではなくて、どちらとも決められるようなことなら決める権利と責任は、当然監督にあるわけで。チーム/戦術の法的所有者というか。

普通のチームの基準なら、「いずれ慣れる」レベルのずれかも知れませんが、やはり僕は少なくとも”この”レッズには憎たらしいような強さ・ソツの無さを持っていて欲しいので・・・・と、これはやっぱりノスタルジーか。(笑)
エメ・達快速2トップの頃とかは、むしろ少し気が○ってるようなテンションのチームに見えましたしね(笑)、敵として見て。


ただまあそういう”体質”の問題は必ずしも守備だけの話ではなくて、「攻撃的」で、人数をかけて、3トップでと、それはそれでいいんですが、やはりいずれにしても効率や知性、狡さみたいなものは必要で。増して目標はクラブW杯制覇なわけですし。(そうなのか?笑)
そこらへん、梅崎が入るまでの攻撃は果敢でかつ個々のスキルの高さは十分に見せていたものの、あまり知的効率的とは言えなかったと思います。Jだから清水相手だから通じたという部分も。・・・・清水はレベルは低くないんですがテンションが低いので(笑)、オラ!と脅すと素直に引っ込んでくれるところがあるので、ヴォリュームには自信のあるレッズには去年に引き続いてある意味お客さん。いやあ、クォリティ的には微妙に負けてたよなあ、正直。覚醒が怖いわあそこは。

やはり色々いい選手はいた(いる)けど、ポンテという知性/中心の存在はかけがえが無かったわけで、それがいないならば梅崎にはいて欲しい。
先発じゃなかったのが疲労orローテーション的な意味合いならばいいんですが、基本ドリブラーだからと”スーパーサブ”的起用をメインに考えられていたりすると、ちょっともったいないかなと。そのまんまで達也が帰って来たら・・・・とか。

それとは別に梅崎が入ってからの選手の動きを見ていると、山田さんの時と比べて”2トップ+トップ下”的な色合いが急に濃くなって、永井の機能性も落ちちゃったりしていましたが。これが自然な役割分担なのか監督の認識・性格付け(つまり梅崎の)なのか。それ以前に(山田さんの時も含めて)基本システムをどう認識しているのか。
僕としては「3トップ」もしくは「2シャドウor2トップ下」的な認識のまま、コントロールもするという構えの方が、奥行きがあっていいなと思うんですけどね。

ポンテが帰って来てからの同時起用の可能性も睨みつつ。いや、この二人並んだら凄いと思いますよ。二人ともどちらかというとドリブラー体質で、よくある「パサー型司令塔2枚」ではないので、適当に役割を交代しつつ、並び立つのは割りと簡単だと思いますし。
・・・・高原頑張らないと、ほんと居場所無いよなあ。とりあえず今からでもポストプレーの練習しましょう。(笑)


とにかく「戦力」「攻撃マインドと流動性」「ソツの無さ」、3つ揃えた”圧倒的な”レッズの誕生を、期待して待っています。予感まではまだしていません。(笑)


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磐田?浦和(’08) 

得点場面だけは、”さすがの”レッズでしたが。

J1第5節 浦和 ○2?1● 磐田(エコパ)

両チームそれぞれに対し、ため息が出るような試合。


レッズの立ち上がりは酷かった。どれだけ酷かったというと、ヴェルディの方が強く見えるくらい酷かった。(笑)
勿論今ヴェルディとレッズがやったら、かなりの確率でレッズが勝つだろうとは思いますが、僕目線ではナビスコも含めてここ2週間ほどで合わせて3試合目の”対ジュビロ”というその体感比較で言えば、水曜日のヴェルディの方がこの日のレッズよりも、遥かにちゃんとしたサッカーをやる手強い相手だったのではないかと思います。

逆にジュビロの立ち上がりの良さ、(解説によると)「今季一番」の出来は、その前にヴェルディにやられかけた反省によって引き出されたものでもあるかなと。
それが途中から「そんなことあったっけ」という感じになってしまうのは、今のジュビロに全く芯が無い、”好不調”と言ってもほとんど気分のレベルだということを示していて。だからレッズは勝てたわけですが、それにしてもこんな試合勝っていいのか勝たせていいのかと、レッズジュビロ双方、ついでにJリーグにも問い掛けたい気持ちになりましたが。(笑)

それにしても静岡の2チームはレッズに優しい。
去年2ndの東海シリーズ(*)中のコンディション最低レベルのオジェック・レッズと、今のよちよち歩きのエンゲルス・レッズの戦闘力はだいたい同じくらいかと思いますが、結局全部勝たせてくれました。援護射撃なのか、それとも調子に乗らせておいての、鹿島による虐殺という同じオチへのフリなのか。
公平に見て1?3or4くらいの差が現状あるように見えます。とても去年のリベンジに準備万端とは言えない。今がピークかも知れない鹿島とは、一度ちゃんと戦っておきたいので、いちサッカー・ファンとしても残念な感じ。”覚醒の為の試練”にでもなることを祈っておきますが。

(*)確認したところ、”東海シリーズ”は1stの話で、その時の「出来が悪いのに勝っちゃっ
   た」印象と、2nd鹿島戦前の清水戦の、「疲れ果ててる割には楽に勝った」印象が混じ
   ってたようです。論旨的には結局問題無いような。(笑)



話戻してレッズですが。「立ち上がりが悪い」のを何か”癖”のような言い方をされたり、あるいはエンゲルスは「攻撃に傾いて守備が疎かになったかも」とか言ってますが、そういうレベルかなあれ?
あの寄せの緩さやこぼれ球orイーブンボールへの反応の鈍さというのは、ほとんどJ(1)リーグの水準をあり得ない割り方をしたものだったと思います。どんな戦術を取ろうと。

ていうか”プレッシングサッカー”という話はどうしたんだと言おうとしましたが、実際にはそんなことを言っているのは京都時代を参考に我々が勝手に言っているだけで、エンゲルスが言ってるのは(超)「攻撃的」ということだけなんですよね。知る限り。
ならしょうがないかと納得しそう・・・・にはならないですね(笑)。そんな馬鹿な。プレッシング抜きで3?4?3なんて危なくて出来るわけがない。

だから当然ある程度は折り込み済みで、実際就任当初は高揚感・危機感もあってそういう構えも見えなくは無かったと思うんですが、いつの間にかどっかへ行ってしまったというか、エンゲルスが厳しく駆り立ててる様子は無いというか。多少連戦の疲れは割り引くとしても。

僕が特にヤバいなと思ってるのは、実は後者の「こぼれ球orイーブンボールへの反応の鈍さ」の方で、これは直接”戦術”ではない、つまり仮にリアクションで行くにしても必要なことで、一種のプレー上の本能のようなもの。
それが機能していないというのは、チームがどこへ向いているかではなくてどこにも特に向いていないということで。この前の「強み」の中身の話と合わせれば、恐らく前に行くはずが行けていない、合意や意思疎通が無く”受けて”しまっているので、どのタイミングとの距離感で反応するのか連携するのかというのが、全く整理できていない状態なのではないかと。
・・・・整理そのものというより、整理されていないことによってそこの迷いが本能の発動を妨げているのか。阿部レベルの選手にすら、それが起きるということは。

どうすればいいかと言えば、プレス!じゃないでしょうかね。特に当てが無ければ。ヘタレを叩き直してまとめ上げる、一番簡単な方法。一応戦術にも沿っているはずなわけですし。それで少なくとも試合の入りと基本的な距離感とタイミングの整理は、ある程度自動的に出来るはず。
その先は結局”選手の自主性”になってしまうのかも知れないですが、とにかくこのままでは去年の疲れ果てる前の戦闘力に追いつくのさえ、難しいと思います。ヌルい相手専用の”攻撃”サッカーにしかならない。+ポンテか。


現状を見るにありていに言えば、エンゲルスが与えたのはリフレッシュ効果と選手起用の流動性、それと一方の”エジミウソンポスト”という軸。
まあ、悪くはないんだけど、エジミウソンの件以外は、要するにオジェックが抑え込んでいたものを取り去ったということで、「監督代行」としては合格というだけの話。5試合が終わってそろそろ「代行」の(影の)肩書きも取れて、本格的にこれからを展望しなくてはいけない頃ですが。

まあ、なんでしょうね。システム的には多分理に適っている/相性的に無理が無いですし、一つ一つの選手起用も、トゥーリオのボランチを筆頭に賛否・成功失敗はあっても、十分に面白みや期待感、熟慮やひらめきを感じるものでいいと思います。
戦術も基本的には間違っていないと思うんですが何と言うか、薄いんですよね。全体的に。優しいというか、物分りがいいというか。

それは持ち味でもあってフリューゲルス(のラスト天皇杯)でも京都(の天皇杯だけ?)でも、それで存分に円満に選手の力を引き出して”成功”したわけでしょうし、レッズでも今のところある意味成功しているわけですが。ううむ。
ただ過去の例や今の状態を見るに、やはり効果の持続性が短い監督なのかなあと。イージーカムイージーゴー。事前にも言われていたことではありますが。物分りがいいのはいいんですが、ちゃんと選手/チームとぶつからない、関わりが浅い、低い融点で形成された金属化合物(の脆さ)というか。

これはオジェック追い出しの時に言われていた、「選手が王様」云々とはほとんど関係の無い話だと思います。あくまでエンゲルス個人の資質。別に媚びているわけではなくて、そもそもストレス無く、無意識に選手に合わせられる、エゴを眠らせられる人なんでしょう。
多分基本的にフリューゲルスでも京都でも、そしてレッズでも、やっていること掲げている戦術は同じなんだと思いますよ。ただ理想と現実の和合が目にも止まらないスピードで進むので、京都で果敢なプレッシングサッカーになったものが、浦和では緩慢なポゼッションサッカーや腰が軽めのリアクションサッカーに、あっさりとなってしまうかも知れない。それでエンゲルス的に”矛盾”はない。結果に不満はあるかも知れませんが。


・・・・うーん、どうなんでしょうね。用兵のひらめきの良さを見てると、むしろ”そういう”人なのかなという気もするんですが、根本的に。
つまりあくまでオーガナイザーで、ある素材の要領の良い取りまとめが本分の人で、象徴的なスタイルの好みを一つ持ってはいるけれど、元々全く「戦術」の人ではない。”プレッシング”なんてする気はそもそもあんまり無いのかも。ドイツ人は基本こんな感じなのか。

今だ見えない、未来像。身軽にはなったけど、そのまんまどっか飛んでっちゃうかも。(笑)


17.過去の不確定性(2) ?「出来事」と「記憶」 

(1)より。


「出来事」と「記憶」

現在、ほとんどの人々は、記憶それ自体は、作動すると忠実な記録を残すビデオカメラとは違うという、ごく当たり前の考え方を受け入れている。

われわれは、経験した一連の出来事を、(中略)色々な要素を再配置し、修正して、それらを思い出す際に意味のあるものへと作り変えたり、時には、謎めいていて、矛盾すら生み出してしまうような構造しかもたないものへと作り変えるのである


活動そのものは記録されるが、<ある記述の下の行為>は記録されないのだ。


それが心象であれ、画面上のビデオ映像であれ、イメージというものは、「この二人の男は何をしているのか?」という質問に対する、十分な答えを用意するものではないのだ。


われわれが心理学的に興味を持つような思い出された過去とは、あいさつとか、取り引きの合意といったような(注・上”二人の男”)、まさに人間の行為の世界なのである。



(参考)”トラウマ”の実体 ?「意図」下の出来事と非個人的な出来事

現在、恐ろしい事故の犠牲者と時々面接するという、研究のようなものが行われている。
(中略)
トラウマの専門家はこうした出来事に強い関心を持って、犠牲者たちの記憶を(心的外傷後ストレスの症状と共に)何度も研究している。この分野の先駆者ルノア・テアは、(中略)彼女が単事象トラウマと名付けたものの犠牲者は、(例えば幼児虐待のような繰り返されたトラウマの犠牲者とは違い)何が起きたかについて明晰な記憶を保持していると、彼女は主張している。


しかし、私は、こうした事件と取り戻された記憶の間の、もう一つの相違点を指摘しておきたい。トラウマの本質的特徴は、人間の行為ではなかった。トラウマとなる出来事は、出来事そのものであり、意図や記述の下での行為は起こらないのである。


従って、わたしは、人間の行為によって引き起こされたトラウマに、個人の行動とは無関係な状況によって引き起こされたトラウマの結果を適用することに対しては、強い警告を発したい。



過去の”改訂”

新しい記述の下における古い行為は、記憶の中で再体験されるものなのかもしれない。
そして、もしこれらが純粋に新しい記述、すなわち、そのエピソード(記憶)を覚えたときには利用できなかったか、または存在しなかったような記述であるならば、ある特定の意味で以前には存在しなかった何事かが、現在、記憶の中で経験されていることになる。


私が言いたいのは、行なわれたことに対してわれわれの意見が変わるということだけではなく、ある種の論理的な意味合いにおいて、行なわれたこと自体が修正されるということなのだ。
われわれが、自らの理解と感受性を変えるにつれて、過去は、ある意味において、それが実際に行なわれたときには存在しなかった意図的な行為によって満たされていくのである。



(3)へつづく。


浦和?鹿島(’08) 

言ってしまえばモチベーションの差か。

J1第6節 浦和 ○2?0● 鹿島(埼玉)

さほど整然とはしていなかったけれど、とにかくプレス!をきっかけに眠っていた何かが呼び起こされていた浦和と、勝ち馴れて受け馴れて、いつも通りでしかなかった鹿島と。そして勿論、埼スタ力と。


ほらね!と言うほど効果的でも持続的でもなかったですが(笑)、対鹿島のホーム戦という自然な気合にも助けられて、立ち上がりからいつになく高いレベルでプレスの意識が統一されていて、試合の入りの問題はとりあえず解決されていましたし、中間グズグズしつつもともかく1試合を戦い切る最初の勢いやイメージは、生み出すことに成功していたと思います。
前節などは「今日もサッカーか」みたいな感じで、間欠的にしか注意力が働いていなくて、こんなんで鹿島とやったら相当ヤバイと、危惧したものでしたが。

こうしたハイプレススタイルの別の効用は、味方ながら微妙に気恥ずかしい、結果は出てるけどこんなんいつまでやるんだと思わざるを得ない、”中盤/トッブ下トゥーリオ”に、「高い位置でのプレス力」という一応の正当性が与えられるところ。フォローに奔走させられる他の選手的にも、なるべく納得しながらやりたいでしょうし。(笑)
ただそういうのが色々含めてどこまで狙いなのか、次の試合は同じようにやるのか、それとも鹿島戦でテンション上がっただけなのか、はっきり言って現状よく分かりません。

もう一つ、この日のプレススタイルを見ていて困ったもんだなと思わされたのは、プレスならプレスにかかりっきりで、その後の攻撃にまで頭が上手く回っていない、それまではダラダラしつつもそれなりにあった攻撃の深みやインスピレーションの余地が、ほとんど無くなってしまっていたこと。
はっきり言って加茂ジャパンとか思い出しちゃいましたよ、アタシは。(笑)

それだけ、レッズの戦術力のベースが落ち込んでいた、本当に個人の集合体になっていたんだなあということと。連想ついでに言えばファルカン・ジャパン的に。(?)
そしてもう一つ、プレス・スタイルもその可能性の一つとする、エンゲルスのリード力・包括力の、現時点での一定の限界が見えるような気がするというのと。

勿論今のレッズの選手一人一人の力・戦術眼は、当時の日本代表選手たちとは比べ物にならないほど本来的には余裕があるので、続けて行けば放っておいてもある程度形にはなると思いますが。


そうした現状の寒さとは別に、見てて漠然と思ったのは、どうせパサー不足なんだし、(プレスからの)ショートカウンター・スタイルに徹するのも悪くはないかなと。
それだけでは勿体無いような重量級の人材を揃えているので、ちょっと前までのリトリート・リアクションスタイルとはまた違ったえげつなさ・大人気なさでJリーグを席巻しそうで、それはそれでニタニタとサディスティックな想像が喚起出来て楽しいところではあります。勿論現在の「戦術トゥーリオ」との希望的整合性もあるというのは、上に述べた通り。

まあ結局ポンテが戻って来るまでは、そしてどの程度”戻って”来てくれるのかを見るまでは、なかなかリアリティのある完成像が描き難い感じ。エンゲルスが手なりでやっているだけでは、あんまり輪郭のはっきりしたチームにはどうもなりそうにない。
結局選手の配置と采配で、その時その時やる監督のように見えますね。良くも悪くも。だからこその「戦術トゥーリオ」のひらめきであるし、永井や梅崎の投入によるシフトチェンジの、度々の”成功”でもあるわけでしょうが。

・・・・それにしてもオジェック期も含めた序盤は永井が助けてくれて、その後梅崎が助けてくれてトゥーリオが助けてくれて、また今度は永井と、相変わらずレッズの”ローテーション・ヒーロー”システムは健在のようで。(笑)
当てになるようなならないようなエジミウソンが、それならそれで少なくとも、絶対能力分にコンスタントに一定の力を発揮し続けて、負傷者も代わる代わる帰って来て、高原だっていつかは何かやるだろうし(笑)、エスクデロだって一応いるし、何となく今年も”ローテーション”で何とかなりそうな気がしないでもないですが、さすがにちょっと飽きました
ローテーションならローテーションでいいですけど、もうちょっとベースを高く、”ヒーロー”に頼るのではなくプラスアルファとして使えるようなチームになってくれないと。


試合&鹿島について言うと、いつもの力は発揮して、見ての通り完成度の差は歴然というか、大人と子供に近いというか。
それがどうしてこういう結果になってしまったかというと、失点(こちらから言えば得点)シーン2つを見れば運が悪かった、たまたまちょっとした隙をピンポイントで衝かれたというようにも見えますが、総じて言うなら「大人」過ぎたのかなと。余裕があり過ぎた。

ここまで今季無敗&大連勝中の鹿島ですが、強さの特徴としては圧倒的にどうというよりも(スタイルの)「安定」と(戦術の)「良識」と「平常心」であって、集団的能動的に崩す技自体は持っていますが、まず”見て””受けて”、相手の「不安定」と「非常識」と「心の隙」を粛々と衝いて、労せずして/水が高きから低きに流れるように(笑)当然の対価としての勝利を手にするというそんな感じで。

ただでさえ勝ち続けているチームには慣性と受動性が生まれるものですが、鹿島の”泰然自若”ぶりというのはほとんど念仏でも唱え出しそうな俗っ気の抜けたもので(笑)、余りに心地よくて今更汚濁世に戻って必死に何かやるなんてのは沽券に関わるみたいな、極端に言えばそういう感覚がチームを捉えているのではないかと。
運動量はある、勝者のメンタリティもある、しかしそれらは全て要するに鹿島目線の、「鹿島の試合」という予定調和的なイメージの範囲で知らず知らず考えられているもので、はっきり言えば本当のペースチェンジやインスピレーションやトライというのは、なかなか出来ない体になっているのではないかと。

それくらい、クオリティは高いけれどある意味無抵抗な、ボーッと見てるとどこと戦っているのか顔が余り見えてこないような、そんな90分に僕には感じられましたが。それはむしろ、清水や磐田と比べても。・・・・井の中の鹿とは言いませんが。(笑)
勝った、というよりも、結局何もやって来なかったなという感じ。

それに対してそもそも”マイペース”が存在しないも同然のレッズの方は、拙(つたな)いながらも一つ一つ必死です。立ち上がりのプレスもそうだし、後半ポゼッションが取れていた時間帯の必死の攻めもそうですし、結局押し込められてからの守りもそう。
そして勿論、2つの得点シーンのここだ!という集中力もそう。そういう勘は、トゥーリオと永井は絶対外さないですからね。ちょっと相手が悪かった。

こうした”王者”的戦いと”挑戦者”的戦いの場合、90分だと結局王者が勝ってしまうこともなんだかんだ多いわけですが、どっこいこの”挑戦者”は腐ってもレッズで、今までの相手とはやっぱり違った。耐える自信と決める自信が。同じように立っちゃったら、クオリティ通りにボコれたかも知れませんが。去年の最終戦のように。(いや、あの時はむしろ逆か)


・・・・形而上的にはこんな感じ。
まあぶっちゃけラッキーだったとは言わざるを得ませんが。上手いことせしめた望外の勝ち点3だと。
特に鹿島のペナ角の”溜め”からの追い越し→サイド展開のパターンは、ほとんど名人芸で、分かっていても防げなくて何回かやられたと思いました。

次会う時にはどうなってるやら。お互いに。鹿島の場合は「あまりJリーグに適応し過ぎないようにね」と、来たるアジア(以降)の戦いに向けてアドバイスを送りたいですが。(笑)
レッズが勝てたのはいいかげんだったからですよね、ある意味。日本のチームにしては。


17.過去の不確定性(3) ?「記憶」と「物語」(前) 

(1)(2)より。

「記憶」と「物語」

思い出すという行動にもっとも似ているのは、物語を語るという行動である。記憶を表す隠喩は、物語である。


われわれは自分の魂を、自分の人生をつくりあげることによって構成する。
すなわち、過去についての物語を組み立てることによって、われわれが記憶と呼ぶものによって、われわれは魂を構成するのである。


記憶と光景

行為とは、ある記述の下の行為であると私は主張したが、私は、人間の様態を絶えず言葉で表現することが可能かどうかに疑念を持っている


想起が得意であるというとは、提示が得意であると言うことだ・・・・・・それは物語の技術なのである・・・・・・すると、思い出すことは、信頼のおける言葉による語りという形態を取り得る。」(ギルバート・ライル)
ライルが述べているのは、われわれが思い出したり、想起したり、追想するやり方の”ひとつ”は、物語によるものだ、ということに他ならない。このことは、思い出すことと、物語ることが”同一である”ということにはつながらない
ライルは、エピソードを想起することについて書いていたが、レッシングと同様に、彼は光景についても述べている。


いわゆる”フラッシュバック”について ?”光景”的記憶

(”迫真”性)

それは、おそらくは何の誘因もないまま、不意に取り戻される光景またはエピソードのことである。
脳裏をよぎる程度のこともあれば、どっと感情が押し寄せる場合もあるだろう。


記憶が直接的物語となるとき、その記憶は細部や、調子、内容の点で、誤ったものとなる。
しかし、フラッシュバックと取り戻された感情は????それらは真正の再体験なのである。


そうした記憶は、(その記憶の真実性について)何らかの特権を与えられている。少なくとも、そのような示唆がなされるのである。


(実態)

しかし、実際、フラッシュバックは、それほど堅固なものではない
最近の記憶セラピーはフラッシュバックを支援することで、フラッシュバックを安定させる
これに対して、ジャネとゴダードは、時には催眠術の暗示の言葉を二、三、加えながら、そうしたフラッシュバックを弱めて、除去した



”物語”と光景(フラッシュバック)

情動や感情のフラッシュバックは容赦なく真実を指し示しているという観念の背後にある、まったく別の要素について主張しておきたい。記憶を物語とする観念が一般に浸透していたということが、それに関係する。


論理的誤謬は、思い出すことと物語ることを同一視することから始まると言えよう。そのことが、フラッシュバックを、他の記憶とはまったく性質が異なるものに変えてしまう。


・・・・つまり、「物語としての記憶」(記憶が物語である)という側面を意識し過ぎる、固定的に考え過ぎるから、物語的でない記憶=フラッシュバックが特別に見え、特別な真実性を持つものと感じられてしまうということ。


文法の中で記号化される、思い出すという行動について我々が持つ共通の概念は、さまざまな光景を思い出すことだという点を、言っておきたい。
多くの場合、これは物語によって提示される光景を思い出すことなのだが、やはりそれは、様々な光景やエピソードについての記憶であることに変わりはない


もし回想(含むフラッシュバック)が、光景やエピソードを思い浮かべる(そして、それらを時折、記述したり、物語として語ったりする)ことにたとえられるとすれば、その回想は、その他の思い出す行動と、本質的に異なるものではない。


(後)へつづく。


17.過去の不確定性(3) ?「記憶」と「物語」(後) 

(前)から。

物語と原因

記憶は物語そのものではないが、物語として表現されることにより特定の機能を持つ。

物語は原因を要求する。(中略)おとぎ話はおとぎ話的な因果関係を創造する。


因果論の鎖が緊密なものになればなるほど????すなわち、病因が特定化されればされるほど????物語はそれだけ見事なものになるのである。


多重人格は、取り戻された記憶に対して、最も利用しやすい物語の枠組みを提供するのである。


人が自分の過去の致命的な部分をうまく想起するのは、人がそれを首尾一貫した物語に形作る技術を獲得したときであるというライルの主張に、同意する。それこそまさに、多重人格の因果論的知識によって提供されるものである



まとめ:暗示と多重人格

暗示と医原性に多重人格の起源を求めるモデルが、多重人格について懐疑的な者から、次々に出される。
しかし、多重人格の擁護者たちは、自信たっぷりにそうしたモデルを否定する。


私も、そうしたモデルは、貧弱で皮相的なものだと思う。(しかし)


(「物語としての記憶」に理論的免疫のある)
精神分析と密接な関係を持つ研究者たちを別にすれば、取り戻された記憶に取り組む臨床家たちは、多重人格の兆候をあまりにも素直に受け入れてしまう。


つまり両者に問題がある。

多重人格に肯定的な臨床家による、患者への「暗示」が存在するように見えるからといって、多重人格が虚偽だor本来的に医原性だということにはならない。記憶はそもそもが物語的に編集されることによって確定・想起されるものなのであって、”多重人格”という「物語」に沿っている構造が見えるからといって、その記憶が特別に作り物なわけではない。

一方でいったん”多重人格”という物語が、ある時代ある文化の医者と患者たちによって共有されると、患者の記憶(の想起)がその物語に効率的に沿う形でなされる傾向があるのは確かである。
従って、そうした患者たちの記憶や症状が、よく知られた”多重人格”の物語に符合的であるからといって、一足飛びに診断を下すことは控えなければならない。

まとめて言うと、過去においても現在においても、何らか”多重人格”的症状・現象は実在したであろうが、今日の『多重人格』が今日のようであるのは、今日流布している”多重人格”という「物語」の影響によるところが大きい。


ナビスコホーム京都戦 

やっと録画見れましたが。ううむ、執筆意欲が。(笑)

ナビスコ杯第3節 浦和 △1?1△ 京都(駒場)

出来が悪いというよりも、取り止めが無くてねえ。根本的に。


元々選手層が厚いのと、この前監督が変わって一回選手起用が一新(”半”新ぐらいか?)したばかりなので、首位チームを破った前節から4人(都築・堤・堀之内・平川)入れ替えても、解説者に「いよいよベストメンバーですね」と言われてしまうややこしい浦和レッズですが。(笑)

基本的には”休息”の方だと思いますけどね。都築・平川については少なくとも間違い無く。
堤・堀之内についても休息は休息なんですが、一方で連勝中も、体力的にと言うよりもプレー内容的に疲弊している、任に堪えかねているところがあったので、休養を口実に坪井・トゥーリオ・阿部の”格”的ベストメンバーに戻してみて、場合によってはそのまんまみたいな、そういう含みは無くは無いかなと。

ここらへんと関連してもう一つ考えるのは、トゥーリオを最終ラインに戻した意味で、これが戦術変更なのか、それとも2人休ませると最終ラインの頭数が足りないというだけのことなのか、それともやっぱり”ベストメンバー”なのか。

細貝はすっかりボランチで重用されてますし、軽く期待していた近藤はベンチにも入らないし、頭数が足りないのは確かだと思います。(あ、内館・・・・。いや、それは(笑))
だから言ってもナビスコですから、この試合限定起用という可能性は十分にあるとは思うんですけどね。しかし休ませたいというなら阿部だってある意味それ以上に休ませたいので、やはり”ベストメンバー”お試しという含みもあるのかな、それで(トゥーリオ不在で)前の方がどうなるのか注視という意味も含めてと。

と、特に結論は無いですがこんなことを考えながら、ボーッと見てはいました。
・・・・いや、むしろ結論は出たのか。トゥーリオがいないと前の方がアカンと。(笑)


本来的に駄目ということはない、やりようはある、ていうかトゥーリオ使ったらOKということすらないわけですけど、やっぱ”劇薬”なんでね。”抜いた”直後はえらいスカスカに感じますね。梅崎の奮闘にも関わらす。
しかし何でしょうね、この影響力は。前にいる間それほど素晴らしい活躍をしたわけでも、デメリットが小さかったわけでもないのに、やはりポンテ不在の今、レッズは”トゥーリオのチーム”なんですよね。戦術的チーム作り的には困ったものというか褒められたものではないとは思うんですが、一方で「リーダー」ってなんだろう、「プレーメイカー」ってなんだろうみたいなことを考えさせられるところではあります。

それと梅崎の動きが、出来不出来以前になかなかレッズの一部になれない。文体が違うというか。
なんか鋭過ぎるんですよね、オシャレ過ぎるというか。本気出されるとついていけないところがある。むしろエジミウソンのてきとうなヌルさ、いい加減さの方が、早くもしっくりは来ている。
僕が責任を持って語れるギリギリの時期ですけど、ポンテなんかも結構最近までそういうところはあったと思うんですが。能力は申し分なく高いんだけど、なんか”浮い”てる。中心というよりプラスアルファ/確変要因というか。それでも梅崎よりは”パサー”性が高かったから、気が付いたら立派な「司令塔」になってましたけど。

戻って来て組んだら、お互いに有益というか、ワンランク上のものをレッズにもたらす・・・・あるいはレッズに要求することになるかも、とか思ってますが。
ちなみにワシントンは絶対能力は高いですが、所詮田舎のプレスリーでしたから、実にちょうど良かったように思います。あそこ”止まり”でもありましたけど。


しかし。
それもこれも、チームが受け止められる、いやもっとはっきり言うと、監督が扱えるか導けるかにかなりかかっているよなというのが、やはり目下のところの一番の気がかり。
結局のところ、特にどこにも行こうとしていないというか、ピンポイントの狙いは持っていないように感じますね。”中で””上手く””回そう”としているだけで。どういう理由があろうと、継続性を重視するのなら、こんな簡単にトゥーリオを戻したりしないでしょう。ナビスコ完全度外視しているとか、この日ははっきりとリアクションモードにしたとかなら別ですけど。(そうではないですよね)

勿論レッズの豊富な戦力を前提に、Jリーグ制覇を目指す戦略としては、一つの方法ではあるわけですけど。そして”回”し方に独特の上手さも、随所に感じられるんですけど。
ただやっぱり、半ば絵に描いた餅ではあっても、「クラブW杯での再挑戦」というのが念頭にはあるので、ただこれ繰り返してどうにかなるレベルとはとても思えないという物足りなさ・不安は、どうしても残ります。別に画期的な戦術なんて望まなくても、何となくでやれるとは。それならエジミウソン程度の補強では駄目ですよ。外国人DFは獲るという話は、どっかで出ていましたけど。

せめて何らか一本芯の通った状態は作っておかないと。


まあ「代行」監督に言っても、最初から栓の無いことではあるんですけどね。そもそもJでこの先どうなるか、ACLを勝ち抜けられるかどうかすら現状では何とも言えないわけですし。
でも”これから”と言っても、ポンテ・三都主が復帰して高原が復調するくらいしか特に期待感が・・・・て、これだけでも十分に凄いんですけどね、本当は(笑)。Jリーグで戦うだけなら。

だからまあ、本当の危機感は無いし、でも本当の期待感も無いし、エンゲルスは素晴らしい監督ではないにしても丸っきり無能というわけでもないし、何よりいい人だし。(笑)
どうもこう、実に燃えにくいチームになってますね、今のレッズは。まあこの日の内容だけからは、これからどんどん負けて行って、”アツく”なって来てもおかしくはないですけど。(笑)

とにかく、近い将来かやや近い将来か、次の監督交代の機会には、フロントさんには是非お茶濁しではない、本気の人材選択をお願いしたいもの。それが”世界基準”の看板掲げた義務というか。
じゃないとほんとに「巨人」みたいな(選手)投資の仕方に見えて来てしまいますよね。牛刀をもって鶏を裂き・・・・切れないとか、みっともない事態に。実際ACLで早期敗退したら、モチベーションのコントロール結構難しくなって来るんじゃないかなと。


ああ、不完全燃焼。永井だけは、相変わらず空飛んでますが。(え、代表ですって?)


浦和?大宮(’08) 

新装ダービー?

J1第7節 浦和 △0?0△ 大宮(埼玉)

冴えない試合ですが、一方でそういうものとしての落ち着きも。


始まってすぐ違和感を感じたのは、大宮との試合なのに中盤に変なスペースがあること。
おかしい。こんなの大宮じゃない(笑)。やっぱ2ラインビシッと敷いて、蟻の這い出る隙間もなく埋めてくれないと。
なんかつまんないなみんなおんなじで。別にいいじゃないか人とボールが動かなくても。(適当)

レッズの方はまあ、いつも通りというか近況通りというか。鹿島戦の一瞬の盛り上がりは、やっぱりモチベーション・危機感の問題だったのかなという。
エンゲルスはいくつかの原則や重点ポイントを自分なりに押さえつつ、おおむね3?4?3でなるべく”ベストメンバー”を組むという、そんな感じでやってるんでしょうけど。

それは例えばまずDFラインでは、ナビスコで休ませたメンバーを復帰させての再びの堤?堀之内?阿部のトリオ、この前は色々考えましたが、結局これを”ファーストチョイス”と割りとはっきり考えているようで。
坪井のプレーが特に悪かったともこのトリオが特に上手く行っているとも思いませんが、堤の”抜擢”というのは一つの新風だという自負があるのか、あるいは「勝っているメンバーはいじらない」というよくいうセオリーに忠実なのか。このこだわりは少し意外でした。

前線では高原をリハビリとプライドのケアを兼ねて先発で使い続けると、これ自体はまあ、反対ではありません。一種の「外国人選手」ですしね。
ただ使い方としては実はそれほど優しくはなくて、高原の適性がオーソドックスな2トップにあるというのはこれは誰もが認めることだと思いますが、そこは3トップというチームの基本構成の方を優先させて、その範囲で何とかしろと、そういう感じ。

その中でも高原の位置としては、センター/ポストマンの地位はエジミウソンで確定されていて、残りのウィングor2シャドウのどちらかが当てがわれているわけですが、これはエジミウソンを優先した上での消去法というだけでなく、あえてどちらのタイプかと言えばこっちだと、エンゲルスは考えているように見えるんですが。
だから交代も永井をセンター要員として残しての、「田中達也・梅崎」という(”同タイプ”の)投入になった。あるいは腰の悪い永井に負担をかけてでも、そこそこ好調だった高原をセンターに残して使うという選択肢は、最初から存在しなかった。・・・・永井の”センター”適性そのものも十分に怪しいのは、去年まででもこの試合のプレーでも、自明ではあると思うんですけど。

これははっきり言ってどちらも別に「向」きはしないので、低レベルの比較にはなるんですが、高原が”ウィング”的なプレーが出来たのはジュビロで得点王を取ってドイツに渡った前後の体力の本当のピークの時だけで、それ以外は連携で活きる万能型調整型のFWか、あるいはここ2,3年で開眼したという一瞬の抜け出しで点だけ取る純正ストライカー的なプレー。
後者のプレーに冴えが見られないのがどこまでコンディションでどこまでチーム戦術なのかはよく分からないんですが、ともかく「3トップのウィング」というのは、多分プロ入りして以来、一番向いていないポジションなのではないかなと個人的には。

じゃあポストマンが向いているかと言えばそれも言うほど向いてはいないんでしょうけど、でもウィングプレーで問われる絶対的な威力に比べれば、日本&レッズの他のFWのレベルとの比較上もう少し面目を施せるものを見せられるだろうし、「とりあえずこなせる」だけでも戦術的な意味/存在価値はあるかなと。

何よりこれからのACLとの二正面作戦のことを考えれば、エジミウソンとの互換性というのは、もう少し今から準備しておいた方がいいんじゃないかと、個人的には思いますが。手持ちの”資源の有効活用”という意味で。
・・・・まあほんとのことを言えば、無駄に名前が大きいので、どっかの外国クラブにレンタルにでも出せないかと、扱いずらいな互いにとって不幸な現状だなと、そう思いますが。2トップ基本で行くのでなければ(オジェックはそのつもりだったんでしょうけど)、高崎やエスクデロに機会でも与えた方がよっぽど。


そうした「高原の優先起用」と現状での「永井の存在の絶対性」、それから達也という今まで永井が担っていた役割を担いそうな選手の復帰からのトコロテンという意味合いもあっての、割りと消去法でのこの日の「ボランチトゥーリオ」だったんだろうと思うんですが、これはうまくなかったですね。非常に中途半端。
1列前なら心置きなく攻撃に重心を置いて、その勢いでプレスの尖兵にもなりやすかったですが、大宮の中盤が積極的だったこともあって、後ろも気にしつつ、でも本当の”ボランチ”のプレーなんて元々出来なくて。

ならばいっそ普通に最終ラインに置くべきなんでしょうが、トゥーリオを中盤で使う、”戦術トゥーリオ”というのは現状エンゲルス・レッズのシンボル的なものでもあるので、何か引っ込みがつかなくてそのまんまという感じ。
引き分けという玉虫色の結果を受けて、今後どうするのか。冒頭のDFラインの”トリオ”へのこだわりからすると、多分とりあえず継続なんじゃないかと思いますが。戦術の追求にはそれほど厳しいものはなくても、選手の配置には結構こだわりがあるのかなと、得意分野だけあって。


と、色々の事情であんまりクリアでないチーム状態のまま、押されつつもまずますの前半と選手交代の不発もあって駄目駄目の後半を過ごして、結局0?0である意味大過なく終わったわけですけど。全体の感想としては、さすがだなというか、なんだかんだ強いなというのが実は一番に。
・・・・いや、何言ってんだと思うかも知れませんが(笑)、やっぱ90分は長いわけですよ。それなりに好調で上昇気流の大宮を相手に、出口が見えないまま、別に引きこもるわけでもなく、結局破綻しないでやり過ごすというのは、これで結構底力のいるものなんですよね。(と、素直に破綻してしまう降格圏チームとの兼業サポとしては特に)

これはもう一つ言うと、”エンゲルスのレッズ”という戦いに、早くも選手たちが慣れ始めたかなあとそういうことでもあります。
それほど明確な指針もないけれど、それなりに考えられた配置とひらめきのある選手起用で、その時その時何となくやっていく、今の状態は好調でも不調でもなく、だいたいこんなものであると。多分これからも。たまにやられてその後奮起したり、重要な試合では頑張っちゃったり、いずれポンテが戻って来れば、それなりにまとまってまたJリーグレベルでは”強い”レッズが帰って来ると、何か見えるようで逆に嫌ですが。(笑)

ここがプレミアやリーガやセリエならば、ただ日々勝ってるだけで嬉しいんでしょうけどね。
勝つなとも喜ぶなとも言えないし、悩ましいところです。レッズのファンって難しい。
・・・・ま、この日は勝ってないわけですけど(笑)。忘れそうになりました。どうも雑談ぽくて申し訳ありません。しばらくこんな感じか?


京都?浦和(’08) 

うーん。

J1第8節 浦和 ○4?0● 京都(西京極)

誰が書いても同じような感想になりそうな試合。


ナビスコ含めて短期間に同じ相手と3戦目という、日程上の不可抗力もあって、なんかもう、倦怠感の極致。やっている人はそれはそれで大変なんだからと、高原の決め勘とトゥーリオの制空力という2つの”本領”を、ちゃんと覚えておいてあげなくてはと、自分に言い聞かせておく必要があります。(笑)
ほら、寝てないで拍手ーーー、拍手ーーーっ!

いや、おめでとう、高原。さぞ辛かったでしょう、ここまで。
しかし負けないねえというか負かされないねえ。これで2分け挟んで5連勝、数字だけ見ればどう見ても、「新生レッズ、快進撃」の4月ですが。でも”調子に乗る”気配は微塵も。毎試合、今日はこれからどうなるんだろうと、途方に暮れる(笑)立ち上がり。
・・・・ただこれで高原がコンスタントに決めるようになったら、彼自身の非レッズ的な(?)生真面目な存在感からも、さすがに「強い」感は出て来るんじゃないかと思いますけどね。少なくとも他チームにとっては。


それにしてもどうしてこの試合が4?0の最終結果になるんだというか、それまでのナビスコの京都の頑張り(というかほとんど貫禄)はどうなるんだというか、なんて無駄な力の配分なんだ悲し過ぎるよ京都さんというか。そんなにパンパシに出たいのかという。

試合内容的には、よくある風景と分かり切っている実態が、それぞれ非常に強調されて極端な結果になったというそういう感じ。クドいデジャヴというか。(だから「倦怠」)

”よくある風景”というのはつまり、「いいサッカー」をしていた格下のチームが、それを結果に反映しきれないでいる内に眠っていた格上のチームがのそのそ起きて、適当に振り回した豪腕がポコンポコンと命中して、適当ゆえに尚更格下チームの尖らせていた神経を痛打して萎えさせて、そのまま流れが戻らずに最後まで・・・・というアレ。
浦和的には行くわけでもないあえて受けてるわけでもない、どうしようもない立ち上がりから、その時間を何とかやり過ごしてその後少しだけ頑張って最終結果の帳尻を・・・・という、そういう意味でも最近の”よくある風景”。

”分かり切っている実態”というのは、「高原は2トップ向き」という例のアレですね。永井の好調ゆえの自信からの、かなりはっきりした”トップ下”的プレーの機転と、”1トップ”エジミウソンの不調ゆえの(笑)、なし崩し的存在感の低下により実現した。
立場が安定してから見せた、シュートチャンスの捉え方と技巧は、いい意味での”分かり切っている”要素でしたが。なんか早くも、ポンテ復帰後に発揮されるだろう、”分かり切った”強さの青写真(赤写真?)が、垣間見えたような気がしました。

前線が安定したことにより、本来の二の矢三の矢という位置付けに戻ったトゥーリオの飛び込みの迫力は、”分かり切って”いても腰が抜けそうな(笑)類でしたね。
ちなみに「平川の左」というのも、地味に去年以来、結構欠かせない潤滑油というか隠し味だよなあと、”分かり切って”いつつ実感したところもありましたが。(しつこい?)


しっかしなあ。”プレッシングスタイル””攻撃的3トップ”と、こうやって次々と当初エンゲルスに期待・予想された特徴が剥げ落ちて行って、それでチームが安定して行って、それでめでたしなんでしょうか。・・・・ていうかまあ、安定はしてないんですけどね、特に前者が剥げ落ちたことによる影響としては。(立ち上がりが)「駄目」という意味では安定してますけど。
むしろ頼むから「駄目」な間に、どこかちゃんと虐殺してくれ額面どおりにとも思うんですけど、もう遅いか今更面倒かという気も。(笑)

しかしなんで負けないかねえ。どうしようってんでしょうかね、サッカーの神様は。このまま行かせるつもりなのかどこかで大恥掻かせるつもりなのか。
ある意味では高原がラストピースとして入って来た時に、こういうチームになる、つまり互換性のある駒を駆使して戦術的に磨き上げたチームというよりは、一種の総決算というか”Jリーグオールスター”的なベタな感じのチームになるというのは、監督が誰という以上に選手の構成として、何となくイメージ出来たところではあるんですが。その中で梅崎の名前がどうも浮いた感じに見えたというか。

つい最近までは(笑)むしろ高原を消して梅崎を光らせる方向で、何とか僕は想像力を掻き立てようとしていたわけですが。でももうこの流れは止まらない感じ。


それにしてもこのまんまで最後まで行けるはずはないですけどね。この先日程なり対戦相手のレベルなりがきつくなって行った時に、それでも勝ち切る為には結局引きこもり/省エネスタイルぐらいしか、現実性が感じられません。それでしか取っ散らかったところをまとめられる感じがしないというか。
ポンテ三都主揃い踏みによって、もう少し自然的耐久力のある中盤になったりもするかなと、一応は期待したりしますが。(ただしその場合梅崎の地位は?)

以上、誰もが感じそうなことを、まとめてみたつもりの感想。(笑)


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