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ナビ準々決勝清水?浦和、浦和?清水(’09) 

対清水2連戦2連敗。

ナビスコ杯準々決勝第2戦 浦和 ●0?3○ 清水(日本平)
J1第20節 浦和 ●0?1○ 清水(埼玉)

愚直な浦和と”試合巧者”の清水。去年までと真逆ですね。


少し空くので、まとめ的に書いてみますと。

最大の問題は・・・・つまらないことかなと。
いや、マジで。煽ってるわけでも叩いてるわけでもなくて。
勿論いち観戦者として、実際に退屈で少々往生してるというのも事実ですが(笑)、それだけではなくて勝てなく/点が取れなくなっている理由の根幹そのものに、”つまらな”さ、”退屈”さが、巣食っているのではないかというそういうこと。

つまらないんですよねえ、ほんとに。それは、具体的な比較としては、(プロ1年生の)栃木や富山と比べてもという、そういう次元で。別にリーガやらプレミアやらとか、そういうことではなくて。
簡単に言うと、単調だということですが。意外性、意表を突かれる瞬間が無いという。栃木や富山と比べても。だから見透かされる。

もう少し細かく言うと、敵の注意や意識を、「切る/切れる」瞬間が無いんですよ。最初から最後まで、全部見られている。
フィンケ・レッズの”単調さ”については、「崩しのアイデア」や「チャレンジ」が無いということがよく言われるわけですが、それについてはあんまり僕は同意しません。むしろよくやってる方だと思います。エジ・タカ・ゲンキは(多少のずれはありますが)ここしばらく揃って好調でしたし、それも含めて前の方の/最後の方の工夫やクオリティは、悪くないと思います。そこで頑張って、でもこの結果だという、そういう認識。それをもっと頑張れというのは、ちょっと無理やりかなと。

では何かと言うと、問題はその前ですね。「回せてるけど崩しが・・・・」的な言い方の、その「回し」の部分。
・・・・どう言おうかな。
そうですね、例えばなぜカウンターや速攻だと、点が入り易いかと言えば、攻撃の始まりの部分に対して注意の空白がある、意識が追い付いていない、あるいは守備側の反応の統一性の整備が遅れるからなわけですよね。そこに更にひと工夫ひと技術加えれば、割と簡単に、ゴールは破れる。もちろん単純に、人数の問題もありますけど。

逆に”ポゼッション””アクション”での得点の難易度が高いのは、敵が待ち構えている/注意しているところに仕掛けるからですね。その為により工夫が要る。
つまり、カウンターや速攻時には、「状況」が作ってくれていた”空白”を、自力で作らなくてはいけない。それが出来れば、後は基本的に同じはずです。

で、その為に問題になるのが「回し」、または初期段階の作り、における工夫や変化なわけです。
Jリーグで代表的なのは、例えばビクシー名古屋の左右に大きく素早くボールを動かす動きや、鹿島のリズムの変化や集中力(とそこから来る初動の隠れた速さ)、それに勿論、好調時のガンバの全てのパスに込められた細かい緩急や角度の工夫みたいなもの。
いずれも分かっていても、意識を切られる、ボールの行方を見失う瞬間を、守備側にもたらすわけです。

つまり今のレッズに欠けてるのはそれで、その後に来る末端の工夫や技術は悪くないと、僕は思ってるわけです。そこだけにそれ以上を求めるのは、みんながみんな、待ち構えていても防げないクリロナ級のドリブルをしろマラドーナ級のパスを出せ的な力ずくの話で、「方法」の話とは言えないと思います。
勿論、常により以上を求めて行くこと自体は間違ってはいませんが、「問題」意識のバランスという点でね。

要はその”前”の段階で幻惑出来ていないから、後が苦しくなる。頑張ってもなかなか追い付かないという、そういうこと。


でですね、実はある時期まで、フィンケ・レッズにも”幻惑”に足る「回し」、初期段階の作りの工夫に相当するものは、あったと思うんですね。
つまり、例の”密集”やら”接近”やら言う言葉で語っていた、あれですが。あの独特な人とボールの動き、そこにまず注意を引きつけて、それへの対応に力を使わせ、あるいは一転して大きな展開をするという形で、ある時期までの今季のレッズは、攻撃を進めていた。戦績そのものは出来過ぎというかビギナーズラックみたいなところも確かにあったとは思いますが、実際に内容は充実していたし、その方向での”発展”の道も見えていたと思います。

例えばもし”今の”レッズを前提に、ここまで述べた自分の認識に基づいてテコ入れを考えるとしたら、それこそ名波みたいな、低めの位置ではっきりした変化をつける、独自のゲームヴィジョンを持った副司令塔的な選手を補強したいとそう考えると思いますが、本来はそんなものは必要としていなかったんですよね。
”チーム”としての立派な作りの動き/工夫がまずあって、その上にポンテの技術があり、更に山田直輝の超絶ムーブがあった。実際に強かった、面白かったんですよあのチームは。面白い分、強かったというか。捉え難い、意表を突く部分・瞬間が、随所にあった。単純なクオリティや成功不成功以前に。構造として。

それが・・・・5月の代表休み兼ナビスコの期間あたりで、メンバー落ちの中やむを得ず誤魔化しサッカーをやって、しかもそれで何となく結果も出てしまったことから、見失われた。メンバーが戻って来ても、それは忘れられたままになった。
それが”成熟”である可能性もずっと考えては来ましたが、やはりただの堕落だと。陳腐化だと。スタイルの曖昧化だと、結論付けてしまいたい、今はそういう気持ちです。こんな何となくボールを繋いでゴール前になって急に必死になるようなサッカーは、やっぱり駄目だと。”パスサッカー”舐めんなよと。最初から最後まで、全部しれーっと見通されてるじゃないか。騙してナンボの、パスサッカー。

少なくとも目指していたものとは思えないし、”成熟”するにしてもそれはもっと先の話だったろうと。
つまり、非常に聞き苦しい主張かも知れませんが(笑)、今行き詰っているのは僕が好感を持ったあのチームとは、似て非なる別のチームだということ。
”この”チームを救うなら、名波ですかね、やっぱり。(笑)


だからね、”発展途上”と言われても、素直に受け止められないんですよ。
つまり”発展”という言い方には、現状あるものに”加えて”何かを更にという含みがあるわけですけど、むしろここに来るまでに、取りこぼしてしまったものがあるだろうと。早い段階でのボタンのかけ違えがあるだろうと、それが今日の議論から出て来る視点。付け足す前に、むしろ一回戻れと、そっちが言いたい感じ。

ちなみに混乱を避ける為に断わっておくと、最近まで僕が言っていた”発展”否定論は、「もう基本的に完成して、これ以上の奥は無いんじゃないのか」という、そっちの視点。
どのみちどうも、リキ入れてこのチームの行く末を見守る熱意が失われているのは、同じですが。

運動量が足りない、暑いというのも、よく言われるわけですが、どうなのかなという。
むしろ「運動」の向ける先が曖昧化しているので、それで動けなくなっている部分が大きいのではないか。故障前からの山田直輝の上滑りとか、象徴的ですけど。今でも重要な選手ではあるんですが、前向きに「活かす」と言うよりもとにかく動き回って、何とかしてくれみたいな、そういう位置づけになってしまっている。ヴィジョンの欠陥を動きで補うって、どこの岡田ジャパンだよという。

実際駄目な試合は、バテてるというより動きが無くて最初から駄目というケースの方が、主に見えますが。
勿論動かないよりは動いた方が、事態は良くなるでしょうし、だから暑さも日程も当然関係はあるわけですけど、それはちょっと無理やりな論点というか、そこまで動かないと機能しないというなら、それは要するにトータルでは実行不能なサッカーということに、なってしまうんではないかなと。

うーん、だからですね、運動量の問題は、チーム状態の悪さの「原因」であるよりも、「結果」である面の方が大きいのではないかなと、そういうことです。


もうこんなに書いちゃったか、まだ書きたいことはあるんですが、横着して2試合セットなんて習慣つけたのが悪いんだな。(笑)
いやなかなかね、1試合1試合について書きたいことが、余り無くてね。
こういう(まとめ的な)形なら、あるんですが。
代わりばんこに好不調があるだけで、結局同じなんだもん。勝っても負けてもという、意味も含めて。

今回の岡崎は、良かったと思います。
特に走りながら強いシュートを打つ、体の強さが。
これが”試合評”。(笑)


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G大阪?浦和(’09)+少々 

インターバルでひと息ついた効果は一応見えた気がしますが、それだけにおつりの無さが。

J1第21節 浦和 ●0?1○ G大阪(万博)

今見せられるものは全部見せてる。フィンケも口ぶりとは裏腹に、”必死”。


試合としては、両者ともに、正に「決定力不足」。
それがああいう結果になったのは、浦和にとっては弱り目に祟り目ですが。
シュート自体はどちらも別に入っておかしくないものも多くて、”たまたま”という面も実際にあると思いますが。(フィンケの言う通りに)
勝ったかもしれないし、調子良くカウンターを決められて、惨敗したかも知れない。

最近ようやく僕も、「浦和のDFラインのやや不用意な高さ」が、気になり始めて来ました。
なぜそこだけ”ちゃんと”してる?という(笑)。他は駄目なのに。
根本を認めていれば、欠点そのものは割と無視する人なんですけどね。
綺麗に描かれる、独特の斜めのラインの揃った動きが、逆に腹立たしい。(笑)


書きたいこと自体は実は結構あるんですが、内容的には「コラム」か、もっと言えば早くも「総括」に近いタイプのもので、”試合評”としてあげるのは不誠実だし、さりとて折り入ってぶち上げる元気も無い。「総括」するには、勿論早いし。(笑)
目の前の試合そのものから感じることは、もうすっかり薄くなってしまいました。
勝っても負けても想定の範囲。何か浅い狭いところで、パシャパシャパシャパシャ。

もしフィンケ(サッカー)が僕の考えてる通りだとすれば、続投決定らしい来年は、非常に厳しいものになりそう。
成績がというより、見続ける行為が。
オジェックは嫌いだった。エンゲルスは嫌いではないけれど、途中からはボロカスに言わざるを得ない内容だった。
フィンケは・・・・”好きじゃない”という感じ。積極的な興味を失っているというか。そこそこは頑張ってるし、こちら側の感情の出し所が。

フィンケの「失敗」(するとすれば)の仕方には、ある意味興味がありますけど、そんなふざけた見方を1年も2年もは出来ない。


この間(かん)のマスコミ主導の”空中戦”について言うと、フィンケの言うこともトゥーリオの言うことも、どちらも分かるは分かる。
・・・・ていうかそもそもトゥーリオは「フロント」に向かって言ってるのであって、別にフィンケに噛み付いてるわけじゃないしね。結果的に方針への批判にもなり得るけど、言ってるのは一般論というか根本論というか、「俺はどうありたいか」という真っ当な話。素直過ぎる、というのはあるけど。(笑)

フィンケの「レッズは(歴史的にも現状的にも)必ず優勝しなくてはならいランクのチームじゃない」というのはまあその通りだし、そのことを基本的にサポが了解しているのも、確か。
ただあんまり最初から表立って言われると萎えるのは仕方ないし、それはオフトの十八番の「3位以内」と比べても(笑)。あの時は状況的にも、かなり妥当でもあったろうし。

つまりやはり、少なくともフライブルク(の相対的位置)と全く一緒に扱われては、それは困るというのはあります。
トゥーリオは要はいつでも”勝ちたがり”クンではあるんだけど、一方で「レッズがここまで(常に優勝を狙う)たどり着いた歴史は重要だ」という認識は、とても正しいと思います。トゥーリオも僕も(笑)、生え抜きではないけれど。
そう簡単に、諦めていいものか。たどり着いたこの地位を。

冷静な認識は認識として、ベストを目指すのは当然だし、相対的に浦和がかなり上のランクにあるのも事実だし。
新潟だった大分だって、優勝を狙うのがJリーグだし。
・・・・ていうかさあ、今季のレッズのチーム編成の消極性/放置ぶりは、別に”優勝”とかじゃなくて、普通のJ1チームの基準で考えてもちょっとおかしいでしょう。援護はどうした?!と、前線から声が出るのは当たり前。

フィンケとフロントの間で、どんなやり取りが事前にあったのやら。
”趣味”でサッカーやることに慣れたフィンケと、金なり交渉の面倒事の労なりを惜しみたいフロントとの、妙な利害の一致というか。最近の左サイドバックをめぐる動きを見ると、とても大きなヴィジョンで静観していたようには、見えません。

それに言わせてもらえば、山田直輝やトゥーリオの無理のさせ方は、とても「達観」している監督のものとは思えないですし。
その基準で見て、三都主がある種「干され」た状態にあったという認識が、客観的にそんなおかしいとは思えませんけどね。決してフィンケの説明、コンディションで使わなかっただけというそれだけで、納得は出来ないでしょう、本人も。ベンチには入ってるわけだし。

まあ使わないのは別にいいし、それは結局、戦術的にサッカー的に、使うに足るとフィンケが評価していなかったという、それだけのことだと思いますが。


総体としては、むしろフィンケが”マスコミ”に「反撃」してしまったゆえに、まんまと”対決”構図が描かれてしまったというのはあると思います。オシムもそうだけど、いったいそんなに日本語のマスコミを、見てるのか気にしてるのかと、少し不思議な感じはしますが。
つまり繰り返しますが、トゥーリオはフロントに文句を言っただけなので、”第三者”でいれば良かっただけだと思うんですけどね。
あるいは「中間管理職」(笑)。俺も辛いのよ、言わないけど、みたいな。(?)

こんな感じです。


・・・・忘れないように予定論旨だけ書いておきますか。

・フィンケのスクール。
・浦和の学生サッカー。
・その”パスサッカー”は「誰の」もの?
・なんか日本の「若手理論派監督」じみて....
・フィンケが見逃していた「ドイツ人」要素。
・”フライブルクの”フィンケは、つまるところ”ドイツの”(またはヨーロッパの)フィンケ

一部重複してますがこんなものか。
どうも臭いだけ嗅がせてすいません。こういうことを書かずにすむような状況に、なればいいんですが。

あんまり漠然と「擁護」したり「長い目」で見たりしていると、じゃあどうなったら切るのかというのがね。
そうしたくなる妙な”神話”性を、フィンケが持っているだけに。
むかーしの日本競馬の、鳴り物入りの「輸入種牡馬」というか。(笑)
2代前の「英国ダービー馬」みたいな。まあ普通にドイツでもいいけど。(笑)

判断するこちらの見識自体が覚束ないので、結局成績で判断するしか。
僕も分からんのですよ。みんな分からん。田舎もんなもんで。
産駒が走らなければ、普通に廃用・返還ということで。
馬場が合わんということも、あり得るし。

まだ、いいですけどね。良い時期があり、悪い時期があり、もう一つくらい、”時期”を待ってあげても。
あくまで公平性の観点で。
でも”フィンケ”だからという擁護・期待の仕方は、もう駄目かなと。
むしろ「公平」に、切る時は切るべき。


浦和?柏(’09)、広島?浦和(’09) 

気が付けば6連敗。

J1第22節 浦和 ●1?4○ 柏(埼玉)
J1第23節 浦和 ●1?2○ 広島(ビッグアーチ)


ただどうも何となくという印象が強いというか、1試合1試合が印象に残らないというか。例えば大敗したからといって、だからショッキングというわけではない気がするのが。


つまり何と言うか、始まった時点で既に”終わってる”感があるんですよね、ここんとこは。
一つはやはり、”負け癖”という問題と、もう一つは内容に変化が無くて幅が無くて、刺激が(特に選手にとって)足りなくて、最初だけは一応それなりに気を張って頑張ってはみるけど、それでひとたび悪い結果が出始めたり形勢が不利になってみると、ああやっぱり駄目かとなる、か、巻き返す為踏ん張る為の拠り所が無くて、後はズルズル最後まで行って、だから最終スコアもあんまり関係無いし、試合トータルの印象も似通ったものになる。

最初はまあまあだけど後で駄目になる、というのは、字面だけ見ると「スタミナ」「運動量」の問題・不足に見えなくはないし、当然ながら、そういう要素もあるんでしょうけど。
でも実際に僕の目に映る今のフィンケ・レッズの姿が、過去に見た様々なチームのどの類型に最も当てはめやすいかというと、それはズバリ、「戦術の無いチーム」。気合だけで何とか頑張ろうとして、でもたいていは駄目な。

無い、わけはないんですけどね。それが売りのはずだし。あると言えばある。
でも現状だと要するに掛け声だけで、選手たちの「宿題」にはなっていても、戦う上での「助け」にはなっていない。無いも同然。それでも頑張れるのは、トゥーリオだけ(笑)。得点者、トゥーリオ、得点者、トゥーリオ。まあ半分、結果論のこじつけですけど。(笑)
とにかく『戦術』というのは、勝つ為の、戦う為の”術”なので、演じる為のものでも遂行することに意義があるものでもないので、戦う役に立っていなければ、あるいはいかなる意味でもそのレベルに達していなければ、実質的には、無いも同然なので。少なくとも目の前の事実としては。

欠点があるとか、攻撃がとか守備がとかいうよりも、取り柄が無い、チームになってない、ほとんどそういう状態に、見えますが。
事実としてはね。(笑)


ここでフィンケの”戦術”の根本(的問題)とかには、話が行きそうで行かなくて(お前が行かさないだけだ)、今回は少し、上でも言った「運動量」という問題について、ちょっと整理してみようかなと。
まあ結果的に多少は”根本”にも、触れることになるでしょうけど。・・・・別に勿体ぶっているわけではなくて、単に今覇気が無いだけなので(笑)、勘弁して下さい。

フィンケの戦術が人一倍運動量を必要として、だから夏になったらどうなるのかという声は早くから聞かれていて、実際それで駄目になったと、そういう整理は一応は可能だとは思うんですが。
でもどうもそういう整理がしっくり来ない、運動量の低下は、サッカーの質の低下の「原因」というより「結果」に近いのではないか、”運動”の目標やそれについての意識付けや統一性の喪失や混乱が、結果として”量”の低下を、量の使い所を失わせているのではないかということを、この前チラッと書きましたが。

今回もう少しマイルドに言い直すとすれば、運動量の低下は、「原因」でもあるけれどそれは始まりではなくて、”とどめ”なのではないかなと。これなら各試合における最初はそんなに悪くないけどじき駄目になるという、現象とも、折り合わせやすいかと。・・・・別に合わせるのが目的なのではなくて(笑)、実際こうも思ってるのは確かなんですけど。

分かり易く言うと、今のチームにより運動量が加われば、選手がもっと死に物狂いで頑張れば、あるいは完調の山田直輝がいたら、どうなるかという設問。(フィンケの注文通りに?)
悪くはならないでしょうね。当たり前か(笑)。ましにはなるでしょう。でもそこまでな気がする。
例えば攻撃では、フォローは増えるかも知れませんがそれだけで、下手すると混雑して効率が更に下がるかも知れない。守備では取られた後のリカバリーや、それ以前に味方のカバーリングは向上するでしょうけど、ただそれがそれぞれの個人的な無理やりな頑張りに終始して、かえってある瞬間ブツンと糸が切れたような大決壊を引き起こしそうな、そういうイメージも浮かぶ。

繰り返しになりますが、別に浦和の選手も特別に怠け者でも負け犬でも馬鹿でもないはずなので、本当に”運動”の必然性が見えていれば、より動けるはずですよ。一部ポンテのような、リアルにコンディションに問題のある選手は別にして。
それが見えないから、どうしても躊躇したり見てしまったりで、結果的に”今は必要だった”という場面でもタイミングでも人が動いていなくて、そこにおけるサッカー的ロスが得点機会の喪失や失点機会の創出(?)に直接結び付いて、ああやっちゃったという。そこから焦ったり空回りしたりして、その内には本当に動けなくなって、おしまい。

ただここに闇雲に運動量を増やしてみても、下手な鉄砲的にたまたまジャストな動きになることもあるにはあるだろうけど、そんなのでチームが良くなるとは思えないし、勿論持たないし。
梅崎が頑張ってみました。悪くはないです。少し元気は出ます。で?という。
不調に沈むチームの中で、実は原口はかなりコンスタントに力を出していて、「本物」に近付きつつあるような気がしますが、それが”チーム”としての力になってるようには、見えませんし。

要は問題は”質”が悪いということで、それで”量”も足りなくなって、その”量”の足りなさが、”質”の足りなさを強調していると。そして最終的には、量の絶対的不足で、崩壊と。とどめ
大したこと言ってないですね(笑)。ある見えている現実の側面を、言語化してみたという、それだけ。(笑)


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