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『魂』と『本質』 

”「人格」と「本質」””「人格」と「魂」”、併せた解。


まずおさらいとして、僕の『魂』の定義を抜粋してみますと

『人格』の背後or奥底or前提にあって、より必然的で永続的で、その人がその人である「本体」を担うもの

『人格』の偶然性の背後に感じられる、その人がその人である本体性一貫性かたち


と、あります。そしてその中身の例(候補)として、

・”輪廻”の究極的主体
・”前世”の経験・記憶・人格(の残滓)
・集合的無意識や人類的情報プールからその人用に型取られた素材
・DNA等受精卵の時点で持っている遺伝情報
・胎児期にホルモンや母体の経験/感情によって決定的に形成される何か
・乳・幼児期に刻み付けられる親や周囲の世界からの臨界的影響
・ともかくも”ものごころ”つく前のその人
・ともかくも”自我の目覚め”前のその人
・現在のその人(の『人格』)を形成したある決定的な経験or時期以前のその人


などと挙げています。

僕の『魂』もグルジェフの『本質』も、ともに(一方の)『人格』の偶然性や表面性との対照として、何らか必然的深層的な何かを意味しようとしているのは同じですが、反面無視出来ない違いもあります。


<構造>と<機能>の違い

<実体>と<現象>、あるいは<もの>と<こと>などでも可。

つまり僕の『魂』という説明が、何らか『魂』という”もの”、実体、存在、構造を主に示そうとしている、予感しているのに対して、グルジェフの『本質』はそれが何かは気にせずに、ともかくそういう現象について、「本質」として機能している”こと”についての論だということです。
言わば名詞と動詞の違い、仮にグルジェフのそれが名詞的に把握出来たとしてもそれは形のない機能を便宜上文法上そのように語っただけ、動詞が転じて動名詞になったようなものだとそういうことです。

分かり難いでしょうからさっさと具体的な話に移ると、つまり僕の例示中の「DNA」やら「胎児(期)」やら「乳・幼児(期)」やらの”生物学的な”説明がその”実体”性の最たるものです。”物質”性というか。
また並べるだけ並べて決定はしていないものの、そのどれかが選択されることによって『魂』の発達・完成の時期が一律で決め得る、物理的・生物学的に確定し得るような可能性も僕の説明は含んで示唆しています。
(イメージ的には「輪廻する魂」や「前世の人格」などは、実は非常に”実体”性の濃い説明であると思います。そういう”もの”、そういう”ひと”。)

それに対してグルジェフは、その『本質』として機能しているものが何に由来し、どんな(生物学的)構造や基盤を持っているかについては特に触れていません。
また発達時期についても、「十二歳」までの場合もあれば「五、六歳」の場合もある(抜粋3)、要するに人それぞれだとオープンに設定しています。更にここは非常に大きな違いかもしれませんが、僕の『魂』がいずれにせよタイムリミットつきなのに対して、グルジェフの『本質』は原則的には(彼の”ワーク”によって)いつまででも発達・発展可能だとされています。逆に言えば、生物的に特定できるような類のものではないということかも知れません。


違いの理由

僕が例示の中心に生物学的知見を置いたのは、まずは出発点が「アルツハイマー」(や「多重人格」)という正に生物学的医学的現象であったからであり、また元々個人的に、人間の発達に関して割りと生物学主義的な早期完成説の立場に重きを置く人だからでもあります。(つまり生物的なシステムが固まる割りと早目のある時期以降、人は根本的にはほとんど変わる可能性を持っていないとする立場。)

しかし同時に『魂』という現代ではかなりキワモノという面もある言葉に一定の具体性と信頼性を補強して、それによって”『人格』と『魂』”の相関関係/ダイナミズムの説明をスムーズにしようというそういう意図も強くありました。
目的はあくまで二項関係の展開とそれによる多くのことの説明可能性なのであって、”実体”の確定自体に重点はなかったわけです。

それが例えば

実際にはこれは定義そのものであって「中身」の特定にはあまりそぐわない概念


という、多分その時は何が言いたいのか分かり難かったろう注釈(言い訳ともいう)であったわけですね。あるいは

・ともかくも”ものごころ”つく前のその人
・ともかくも”自我の目覚め”前のその人
・現在のその人(の『人格』)を形成したある決定的な経験or時期以前のその人


という最後の方に繰り出した一種の”操作的定義”は、グルジェフが『本質』について行なっている純・機能的説明と同じような性格を持った説明だとも言えると思います。


結論

というわけでそんなに僕とグルジェフは違うことを言っているわけではないと思いますが、構造なのか機能なのか基準がフラフラしている僕のに比べてグルジェフの説明は遥かにすっきりしていてインパクトがあるなと思ったので、お客様により美味しいものを食べていただこうと(笑)補足的に提供してみたわけです。

グルジェフが<構造>面について考えていないことはないとは思いますが、”神秘思想”と括られる中でもグルジェフは例えば「アストラルボディ」がどうしたとか「霊界」がどうしたみたいな”実体”論的議論には全くと言っていいほど参加しない人なので、ここらへんはやはりこの人のポリシー、説明のスタイルなんだと思います。あくまで論理的・言語内的説明の範囲で説明できることについてのみ語るという。

まあともかくこうした二項の関係性で考えてみると、結構読解の糸口が見えそうに感じるものがあるんじゃないかと思いますが。恥ずかしながら(笑)僕の”愛”論なんかはその一例ですが。
今のところ特に正解があるわけではないので、理論的洗練は各々が自分の都合に合わせてすればいいのさというそういう感じ。


次でラスト。


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