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3.運動(3) 

”運動”の勃興と展開

「先に私は、ある運動が成功するには、偶然と必然と制度が必要であると述べた。アリソンとエレンベルガーとウイルパーは、夜空にまったく偶然に現れた流れ星だった。」
「一九六〇年代の終わりになると、幼児虐待がアメリカの政治的・社会的論議の重要な題材として成熟し、まもなく急進的フェミニズムの中心的な論題になっていった。それと同時に、制度が、一握りの孤立した活動家の手から多重人格を受け継ぐことになる。」

年表
1975 オハイオ州アセンズで多重人格に関するシンポジウム開催
1979 アリソン『多重人格の覚え書き』配布。
1980 DSM??発行。(初の公式化)
1982 『タイム』誌が特集を組み、多重人格の社会現象化を予言。
1983 「多重人格及び解離研究国際協会」創設。第一回年次総会。
1987 DSM???R発行。(認定基準の緩和)
1988 『解離???解離性障害における進展』発刊。(初の本格的学術誌)


多重人格運動の現代的課題

・健康保険

「精神医学的障害は二つのタイプに分かれる???その時代に手に入る医薬品がタイプと、そうでないタイプである。医薬品がどれほど高価だとしても、長期間にわたる心理療法よりは安いため、保険業者は医薬品による治療の方を好む。」
「そう遠くない将来、解離性同一性障害に対して、さまざまな薬品が使われることもあるかもしれないが、特効薬の存在を信じる人などいないだろう。したがって、薬品を使わない解離性障害への治療への保険適用範囲をできるだけ拡大することが、多重人格の医学部門の、最重要課題になるだろう。」


・大衆化と専門性

「スピーゲルはこの障害の名称を変えようと苦闘し、クラフトは多重人格のサブカルチャー化を激しく批判した。」

「パットナムは多重人格運動の大衆主義的基盤について、『北米のMPD文献に質的な散らばりがあるということは、この症候群に向けられたセラピストの視点にばらつきがあることを反映している』と、深刻な懸念を表明した。」
「彼はセラピストの訓練方法にも不安を覚えた。そうした訓練の多くは、金を払えば誰でも資格を取れるような安易なやり方をしていた。」

「この(運動の)最終的な所有者は誰か?訓練期間で何年も経験を積み、高度な資質を身につけた臨床家か?それとも、多重人格者たちの文化を歓迎し、交代人格の開拓に精を出す患者とセラピストたちの大衆主義的な同盟か?運動は完璧に分裂する可能性が出て来た。」



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