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ただひたすらに速い剣 ?古龍(1) 

陸小鳳伝奇 陸小鳳伝奇
古龍 (1999/02)
小学館

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格闘描写の「技」と「心」の7。ラスト。

香港の金庸と並び称される、台湾武侠のエース古龍の格闘描写の特徴。


速さと技術

宮本武蔵との対照においての佐々木小次郎については、”技巧主義と速剣主義”という形で技術主義・物理主義の一側面として挙げられていた「速さ」ですが、一般にフィクション上では時にそれの度を越した強調が、ディテールの消滅、技術性の否定に繋がっている場合も少なくありません。

分かり易い例で言えばやはり『ドラゴンボール』、レベルの上昇はまず何をおいてもスピードの爆発的向上として表現され、そこに差があるととにかく当たらない、よけられない、そもそも見えない、話にならない。
別な言い方をすれば攻撃が当たるかどうかは徹頭徹尾スピード/速さにかかっていて、そこに打撃の「技術」だとか「間合い」だとか、そういう複雑微妙な要素は存在しない。それがドラゴンボールの格闘世界。

あるいは後でまた述べる西部劇の”早撃ち”なども、しばしばあるレベルを越えてほとんど神秘的な超人の世界に足を踏み入れ、通常の射撃技術のリアリティや駆け引きなどはどこかへ放り出され、「念ずれば勝つ」みたいなニュアンスのものになったりします。


古龍の”剣術”

多種多様な武器・武術や拳法などが活躍する金庸とは違って、古龍の武侠世界は圧倒的にほぼ剣(及び刀)のみで構成されています。(読めた物は限られてますが、多分)
そしてその剣の巧拙・優劣を測る/表現する基準として古龍が用いるのは、ただ一点「速さ」、「どちらの剣がより速いか」です。勝負も一瞬でつきます。お約束のように丁丁発止と渡りあったり、柔が剛を、遅が速を制したりする多彩で饒舌、遊び心豊かな金庸のそれとは全く違います。

真に潔い(笑)ですし、実際シンプルな分鮮烈ではあるんですが、それが古龍なりの格闘理論だ格闘描写に対する哲学だと言ってしまうと、少し違う気がします。
そうではなくてむしろ古龍は実質的には格闘描写をしていない、(上で述べたような)「速さ」の全面的強調によってディテールを無化して、通常の意味での”格闘描写”を回避してしまっている、それが本当のところだと僕は思います。

理由としては一つは本来は(日本で言うところの)純文学を志していた人で、行きがかりで武侠小説なんてヤクザな世界で成功してしまったものの(笑)、必ずしもこのジャンルに愛情を持っていない、ディテールに浸るモチベーションがない。簡単に言うと武術なんて興味がない
ここらへん子供の頃から前身ジャンルを愛読していた金庸とは対照的なんじゃないかと想像しますが、そこから更に単純に知らない、細かいことを書くとボロが出る(笑)、間違っても金庸のようなもっともらしい素敵な大嘘は書けない、そういう事情があるのではないかと。

勿論もっと内的美意識的な理由とかもないことはないんでしょうが、ぶっちゃければこういうことなんじゃないかと、僕は読んでいて感じました。「剣」「速さ」、それに単純化することでガードを固め、他の部分で思う存分自分の表現を行なう。


・・・・”早撃ち”と”早刺し”編につづく。


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