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4.幼児虐待(つづき) 

幼児虐待の科学性

(1)いわゆる“虐待の連鎖“について ・・・・「虐待をする親は自分も子供の時に親から虐待を受けている」

「後者(虐待の連鎖という概念)は事実上、臨床家と社会福祉事業に従事する人たちの大多数が信じる根本原理となり、一般人にとっても常識となった。」

「それにもかかわらず、幼児虐待が『受け継がれてゆく』という問題を扱った専門的な文献は少なかった。」

「そこで、証拠を要求する嫌疑論者に対抗して結集した肯定論者たちは、二つの理由から自らの立場を固めた。」
「第一に、その主張が正しく聞こえること、すなわち、この主張は、子供の時の経験が大人を形成するという二十世紀の信仰(次項参照)と適合するからである。」
「第二に、虐待を行なう親が、自分は子供のときに虐待を受けたと断言するだろうというのは、いまや既成事実となっている。つまり、そのように言えば虐待行動に説明がつき、したがって、その罪も軽くなるからである。」


(2)幼児虐待の発達への影響について

「性的な反応がねじれるだけでなく、あらゆる愛情の反応が歪んだ。虐待を受けたのは乳幼児の身体ではなく、人生そのものだった。これこそまさに多重人格を扱う臨床家たちが暴き始めたことだ。」

「幼児虐待の悪影響についての知識は、驚くほど貧弱な状態にある。」
「フィンクラーとその仲間は一九九三年に「一九八五年以来・・・・性的に虐待された子供に特に焦点を当てた研究は爆発的に増えた」との見解を示した。しかし、そうした研究の結果は満足のゆくものではない。『自尊心の動揺と子供の生来の素質や傷つきやすさの役割は、十分に確証されていない』からだ。」

「性的虐待の研究にせよ、肉体的虐待の研究にせよ、こうした研究はすべて社会的階級に無関心にことが多い。」
「虐待で生命を落とす子供が、貧者であることは明らかである。米国では小さな子供を抱えた貧しい家庭が利用できる公的基金は、一九八〇年代に毎年実質的に削減されてきたのだが、その一方で毎年毎年、ますます多くの幼児虐待の恐怖が語られつづけたのである。」
「一九九〇年、大統領の諮問委員会が、幼児虐待の問題は『国家の急務』であると発表した。(中略)しかし、この委員会は、汚物、危険、尿臭の漂うホール、壊れたエレベーター、割られたガラス、食物プログラムの短縮、銃器といった不愉快な話題のことは省略していた。」

「幼児期の虐待が成人期に機能障害を引き起こすという主張は、知識というより信仰に近い。(中略)統計的な関連が確認できるときでさえも、それは想像以上に地域的なもののように思えるのである。つまり、ニュージーランドにおける長期的研究によると、成人女性の精神医学上の問題と虐待の関連性は、貧困に比べると低いことが分かっている。」


新しい道徳・人間観

「幼児虐待と抑圧された幼児虐待の記憶は、大人へ成長するときに大きな影響を与えると考えられている。私が関心を持っているのは、そうした命題が正しいか誤っているかということよりも、そうした仮定に導かれて人々が自らの過去を新たに書き直すに至る過程なのである。」

「個人は自分の行動をそれぞれ違った風に説明し、自分自身についても違った風に感じる。過去を記述し直すとき、われわれは皆、新しい人間になる。」



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