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12.最初の多重人格(1) 

・・・・多重人格の症例史パート2。


”多重人格”者ルイ・ヴィーヴの発見

「では多重人格が登場したのはいつのことだろうか?一八八五年、七月二十七日の夕方近くのことである。」
「その日の午後、シャルコーの弟子で、ビセートルにあるパリ男性用精神病院に勤務していた一流の医者、ジュセール・ヴワザンは、一八八三年八月から一八八五年一月二日まで彼が治療していた、一人の患者のことを、ある会合で紹介した。」
「ヴィーヴは、はっきり区別がつく八つの人格状態を持っていた。(中略)今まさに、多重人格の言説は、ふさわしい地位を与えられたのである。一年もたたないうちに、現在使われているような『多重人格』という表現がイギリスの印刷物の中に現れ(た)


ルイ・ヴィーヴの生涯

1863年2月 パリで生まれる。母親はアルコール依存症の娼婦で、暴行や放置を繰り返す。
          幼い時から吐血や短期間の麻痺などの激しい”ヒステリー”発作。
         8歳で家出。
1871年10月 衣服の窃盗で教護院に送られる。2年後刑務所農場へ。
1877年3月 クサリヘビに怯えて気絶。その晩痙攣が起こり、両脚が完全に麻痺
→「愛嬌のある」「素朴」で「利発な」人格に変貌
1880年
 精神病院に移った2ヶ月後、50時間に及ぶ痙攣発作が起こり、回復後近い過去の記憶を喪失<。
 性格も元の粗暴で貪欲なものに逆戻りor変貌。→金と看護人の持ち物を盗んで逃亡。
 逮捕拘束再入院。その後も様々な身体症状を示す。
1881年 回復、退院。
?1883年7月 実家に戻ったのを皮切りに、発症→入退院、窃盗癖→発覚を繰り返す。
1883年8月 ビセートル精神病院に入院し、ヴワザンと出会う。無数の治療・観察を重ねる。
1885年1月 発作後看護人の金と持ち物を盗み、再び脱走。
→海軍入隊→窃盗発覚→責任能力なしと判断されて軍病院入院。ブーリュビュロによる治療。→ラ・ロシェルの病院に転院。マピーユとラマディエによる暴力的治療。
1887年 ラ・ロシェル退院。以後消息不明。


ルイ・ヴィーヴの”二”と”多”

”二”

「彼には、お互いについて知らない二つの人格があった。大人しい人物には対麻痺があるのに対して、凶暴な人物にはそれがない。犯罪者のタイプには刑務所農場での事件や(中略)それに続く麻痺の記憶はない。」
(二重人格の)プロトタイプと違う唯一の点は、途方もなく凶暴な人格が「正常状態」とされ、“第二様態”の方が従順で、敬虔で、ものうげであるという点である」

”多”

「しかし、従順な状態にも変種があった。例えば、毒蛇に会う前で、麻痺を知らない様子ながら、従順であるという場合もあった。」
「さらに、催眠術をかけたときに、(中略)十六歳六ケ月で、刑務所農場での生活を知っているものの、クサリヘビにはまだ会っていない『ある種の第三状態』に入ることがあった。」


(以上全てヴワザンの観察)


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