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14.記憶の科学 

・・・・記憶に関する観念の変遷。「自我/魂」と「意識」と「記憶」。

命題

1.記憶の科学は十九世紀後半に登場した新しいものであり、それと共に、新種の真偽判断、新種の事実、新種の知の対象が現れた。
2.それまでは個人の
(社会的)アイデンティティの基準として見なされていた記憶がを解明する科学的手がかりとなったために、記憶の中にある事実を見いだすために記憶を調べることを通して、霊による魂の支配は排除された。そして、記憶についての知識が、霊の役割を果たすようになった。
3.背後には
「記憶の中には発見されねばならない事実が存在する」という観念の台頭がある。
4.その結果、これまでは
道徳と霊という観点で行われていた論争が、事実に関する知識のレベルで行われるようになった。



例証(命題1についての)

1879年7月12日、パリ<生物学協会>でのドラネ博士の発言。

「劣等民族の人々は、優等民族の人々よりも記憶がよい。」
「成人女性は、成人男性よりも記憶がよい。」
「青少年の方が、成人よりも記憶がよい。」
「知性に劣る者の方が、知性に選れた物よりも記憶がい。」
「地方人の方が、パリ市民よりも記憶がよい。」

・・・・記憶は劣等性を客観的に示すとされていた。

”記憶術”

「プラトンから(中世最盛期を経て近世)啓蒙思想に至るまで、記憶術以上に熱心に研究され、尊重されたものは他にない。」
「後世、本は最後の拠り所とすべき客観的権威になったが、当時はそうではなく、記憶術の添え物にすぎなかった。」

(特徴)
・記憶術は、騎士道と同じく、少数の人のためのもので、(雄弁家や学者などの)最高位の職業についた人だけが利用するものだった。
・記憶術は“技芸“である。つまり、記憶の方法を知ることであって、記憶が何かを知ることではない。
・記憶術は外向的なものだった。記憶術の要点は、望みの事実、物事、文章を瞬時に想記することを実現するものであり、自分自身の経験についてのものではない。


”記憶の科学”の誕生と多(二)重人格 ?リボの研究(主に命題2,4について)

[前提]

『最初に、”自我”を、意識状態から区別される実体と見なす概念を捨てることにしよう。(中略)私は、意識のある人を、複合物、つまり非常に複雑な状態の結果と見なすような、同時代人の意見に賛成する。』(リボ『実証心理学論文』1881年)


「”自我”は、自分自身に対して現れるものであるため、その瞬間の意識状態の集合になっている。いわば、その瞬間における視野のようなものなのかもしれない。」(ハッキング)
『それぞれの瞬間、絶えず更新され続ける現在においてのこの”自我”は、おおむね記憶によって育てられる。』(リボ)
『要するに、”自我”は二通りに考えることができる。実際の形態から考えると、それは意識の状態の総和である。他方、過去との連続性の点から考えると、それは記憶によって形成されるものである。』


[本論]

「リボが取った戦略は、という宗教的・哲学的観念を攻撃するのではなく、代用品を提供するというものだった。」
「単一的な”自我”を研究する代わりに、記憶を研究すべきなのだ、と。」


「”ニ分化”の症例を示すフェリーダとそれに続く者たちは、人間がただ一つの、超越的で、形而上的もしくは霊的な、自己や自我によって構成されているのではないということを示すのに、申し分のないもののように思えた。」
「これらの人々は、二つの人格を持ち、健忘による欠損部分を別にすれば、それぞれの人格が、連続した正常な記憶の鎖によって結びつけられている。」
注・つまり彼らの”正常”も”異常”も、要するに記憶の問題である。


・・・・命題3については次章で。

「現代の感受性の一面が、信じられないようなことの中で目をくらませている。すなわち、忘れ去られていたことこそ、われわれの性格や人格や魂を形成しているものだ、という観念である。」




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