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15.記憶政治学(1) 

・・・・「記憶」をめぐる権力闘争。

記憶の政治学

「記憶の政治学という話は、比喩ではない。<虚偽記憶症候群財団>と、様々な記憶回復セラピーのグループの間の対立は、まさに政治的なものである。」(第8章参照)


「記憶の政治学には、個人的なもの共同的なものという、二種類のものが存在する。」

「人類学的見地から考えて、
ホロコーストのような集団記憶を、集団のアイデンティティと差異を堅固なものにする方法の一つとみなすことに不都合はないだろう。その見方からすると、ホロコーストの記憶の政治学は、昔からある、人間の営みの一例になっている。」


「これとは対照的に、個人の記憶の政治学は比較的新しい。」

「個人記憶の政治学は、そうした
(十九世紀に現れた様々な記憶の)科学がなかったならば、現れることなどなかったのだ」



ジュディス・ハーマン『心的外傷と回復』

『過去一世紀以上の間に三回、特定の形態の心理的トラウマの特定の形態が、大衆の意識に浮上した。そのたびごとにそうしたトラウマの調査が、政治運動と結びついて盛んになった』


「彼女の挙げた三例とは、ヒステリーと、シェル・ショック、そして性的家庭内暴力である。」

「ハーマンが挙げた三つの政治運動(
フランス共和性反戦運動、そしてフェミニズム)は、西欧とアメリカの歴史における、顕著な出来事である。」
「実際、彼女は、その研究は、恐らく誇張と思われる運動の
『中から成長した』と言っている。」


「私の説は、内容的にはハーマンの主張と完全に一致するものであるが、調査の方向は逆になっている。」
「私の疑問はこうだ。なぜ記憶の問題は、これらハーマンの三つの事例すべてにとって、中心的問題になったのか?これら三つは、一世紀以上も前に登場した、新しい記憶の科学に深く根差した記憶の政治学を、
大いに利用したのだ
(注)ハーマンは政治学(運動)が科学を発達させたといい、ハッキングは政治学の方が科学の成果を利用して成長したと言っている。



個人記憶の政治学の深層

「ある種の知識が存在し得ることは、当然とされる。個人にまつわる事実についての主張、つまり、悪徳と美徳についてのより大きな見方と結びついた、個々の患者やセラピストについての主張が、延々論じられている。」

「これら競合する主張の根底には、記憶についての事実、つまり、その上で位置を決めるべき真偽判断が存在するという知識
(が存在する。)
・・・・
14.の”命題3”


「科学と政治学は互いに作用し合うものではあるが、政治学を可能にするのは、根底に存在する深層知識....記憶と忘却には、何らかの真実が存在するという知識なのである。」
・・・・かいつまんで言えば、個人の記憶に重要性が(暗に)認められたからこそ権力闘争が起きるのであり、それは記憶の科学誕生以降の新しい現象だということ。



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