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”早撃ち”と”早刺し” ?古龍(2) 

辺城浪子〈1〉 辺城浪子〈1〉
古 龍 (1999/06)
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承前


西部劇の”(拳)銃”と古龍の”剣”

上の『辺城浪子』(1)の紹介文には、「チャイニーズ・ウエスタン!」などという文字が躍っていますが、確かに古龍の世界にはそういう表現が似合う要素があります。
吹き抜ける風の音が聞こえそうな荒涼とした風景。肩寄せあって生きている自存自衛の閉鎖的な人々。それぞれに過去を背負った口数少ない男たちが、半ば出会い頭に繰り広げる血なまぐさい決闘。(勿論勝負は一瞬)
ちなみに金庸の場合は、「中華ヤクザの出入り」とか言われちゃいます。(笑)

また古龍の”剣”(刀)一筋には別の特徴がありまして、それは「斬る」よりも「刺す」ことに重きが置かれていること。これは同じく”速い剣(刀)”であっても、日本流の『居合い』(斬り)などとは違う点でもあります。
勿論古龍でも普通に斬ることはよくありますが、それはどちらかというと日常的な次元の戦いの場合が多く、剣客どうしが改まって雌雄を決する場合はたいていはいかに速く相手を刺し貫くか、そこに両者の・・・・というか作品世界自体の焦点が暗黙の内に集中して行くというそういう強い傾向があるように思います。

古龍世界最大絶後のヒーロー”小李探花”(『多情剣客無情剣』)の得物が「飛刀」、つまり投擲用の短刀で、刀とはいうものの刺す以外の使い道が無いのが一つの象徴ですが。男の戦いは黙って刺す。

こうした武器観念は中国における刀剣自体の実際の技術体系に由来するというよりは(多少はそれもあると思いますが)、古龍個人の”戦い”に関する生理や美意識に根差しているように感じられます。
冒頭に挙げた「ウエスタン」風味と合わせると、要するに西部劇のガンマンたちが銃を使うように古龍の剣客たちは剣を使っている、銃弾を”撃ち込む”かわりに剣先を”刺し込む”、そういうことなのではないかと思うんですが。


銃と剣の違い ?古龍の格闘描写の不可能性

しかし銃と剣には当たり前ですが、無視出来ない違いがあります。
銃ならば弾は常に真っ直ぐ(厳密には違いますが五感のレベルで言えば)に飛び、何メートル何10メートルの互いの距離をものともせずに一瞬の内に(これも厳密には違いますが)相手に到達し、狙いさえ正確ならば誰が撃っても確実に急所を射ち抜いて致命傷を与えます。通常の装備では基本的に防御も出来ません。シンプルなものです。

刀剣の場合はそうはいきません。距離が離れているならば自分の足で体を運んで腕を伸ばして武器を相手に届かせなければいけませんし、届いたとしても反らしたり抑えたり最悪急所以外を差し出してかばったり、いくらでも邪魔することは出来ます。
言い替えると「狙う」という意思と「急所を刺し貫く」という最終結果の間に、膨大な過程が挟まっているわけです。普通に刀剣本来の限界性を受け入れて使うならともかく、一撃必殺の便利な道具として銃の代わりに使うには、実際には相当な無理があります。闇討ちならまだしも特に決闘では。

そこを敢えて押して”銃的”に剣を使うことによって、古龍の格闘描写は単に「簡潔」というレベルを越えた極端な省略、無描写無説明という特徴を持つことになります。
例えばこんな感じ。以下全て『辺城浪子』から。

弧を描いた刀光が、傅(フ)紅雪の左頚部の大動脈へ斬りこむ。
傅紅雪は避けも受けもしなかった。
いきなり踏み込んだ。
左手の鞘が、がっきと湾刀を遮り、刀身も抜けた。
どすっ。なんぴとにも形容しがたい音。
公孫断自身にすら、何の音か分からなかった。
痛みはなかった。ただ、胃の腑が急に収縮したのを感じ、吐き気を覚えた。
公孫断はうつむいて、おのれの腹に刀の柄を見た。
漆黒の柄。
柄だけを残して、刀身は腹に丸ごと没していた。


”刀身”が”抜けた”後、具体的に要するに何が起きたのかは、公孫断は勿論、傅紅雪や古龍に聞いても分からないだろうと思います。


咆哮とともに突っ込んだセツ大漢の五十三斤の大斧が、一陣の狂風と化した。
花が薙ぎ払われ、刃風に乱れ飛ぶ。そして、ふいに風の唸りが止み、ひらひらと花びらが舞い落ちてきた・・・・・・。
斧を高々と振りかぶったまま、仁王立ちのセツ大漢は微動だにしない。
傅紅雪は斧の真下にいた。刀が漆黒の柄を残して、深々とセツ大漢の心臓を貫いている。


途中の互いの位置関係すらさっぱり分かりません。
次は集団戦闘。


稲妻のような刀光が、練り絹の尾を引いて乱れ舞う。
刃の噛み合う音はなかった。傅紅雪の刀を遮れるものはいない。
聞こえるのはただ、悲鳴、絶叫、刀が肉を割りつけ、骨の砕ける音・・・・・・
いずれも肝を潰し、吐き気をもよおす音ばかりだ。


ちょっと009が加速装置を使った時とかをイメージしてしまいましたが。(笑)
ちなみに刃を折る目的でもない限り、基本的に古龍の剣戟で刃と刃が「噛み合う」ことはまずありません。剣を振るう行為が具体性を帯びるのを、黴菌のように忌避している感じです。


無言で抜き放った剣が、虹の尾を虚空にたばしらせて、傅紅雪の喉を突く。(中略)
傅紅雪は避けも受けもしない。いや、身ごなしさえ目にとまらなかった。
馬芳鈴が見たのは、稲妻のような光だ。
刀光一閃!緋牡丹の花弁が開くように、鮮血が丁霊甲の肩からしぶいた。


相手(丁霊甲)も相当な達人なんですが、作者に抵抗を禁じられているのでいかんともし難いのです。(笑)


「速いから」と言えばそれまでですし、一つ一つは見事な象徴表現ではあるんですが、こうして並べると”作風”として正当化された、ある種の「手抜き」が常態化しているのが分かると思います。

これは余談ですが、よく古龍の(金庸に比べた)”モダン”さを表現する言葉として「映像的/映画的」というような言い方がされるんですが、実際には古龍の描写をそのまま映像化するのは不可能だと思います。
どんな凄い/大げさな技でも(金庸が描くような)、時系列に沿ってそれなりに描写されていれば、後は多少補完しながらワイヤーでもSFXでも何でも使って撮れなくはないわけですが、古龍のはなんかそれ以前。肝心な部分は異次元で行われている(笑)。少なくともワンカットでは絶対シーンが成り立たないと思います。

前回書いたようにこうした描写スタイルの背景には、古龍の言ってみれば武術オンチが存在しているのではないかと僕は疑っているわけですが(笑)、しかし一方ではそれは古龍一流の狙いであり、またそこから他に類を見ない「技」と「心」の独創的で感動的な融合が達成されていると、次にそのことを書きます。


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