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『碧血剣』各論(1) 

碧血剣〈2〉ホンタイジ暗殺 碧血剣〈2〉ホンタイジ暗殺
岡崎 由美、金 庸 他 (1997/05)
徳間書店

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(総評)より。


ある主人公の半生

幼年時代

明朝悲劇の功臣である父・袁崇煥を早くに失い、その支持者たちによって構成された愛国秘密結社”山宗”の希望の星として大事に守られ、英才教育を受けて育つ。

少年時代(前半)

”山宗”の瓦解により武林の名門”華山派”に引き取られ、人里離れた高山の修行場でひたすら武芸の修行に打ち込む。3人しかいない第一世代の弟子の一人としてその奥義の全てを伝授され、また併せて”鉄剣門”の筆頭弟子木桑道人、既に故人である伝説の剣客”金蛇郎君”の武芸をも会得。若くして当代随一の実力者となる。

少年時代(後半)

満を持して山を降りる。主な目的は
・父の仇を討つ。(今上帝崇禎を殺す/倒す)
・関外満清族の中華侵入を阻止し、漢族国家を立て直す。
・その一助として、華山派の師穆人清も参陣している李自成の農民反乱を助ける。
の三つ。

しかし実際にやったことは
1.超絶トラブルメイカー美少女”夏青青”の尻拭い(と、なし崩しの恋愛ごっこ)
2.くだんの”金蛇郎君”の秘められた過去の謎解き(と、その一環としての宝探し)
3.焦家一党と”仙都派”の喧嘩の仲裁
4.ふと思い立って満清族の皇帝ホンタイジ暗殺を試みるが失敗。囚われて親父の顔で逃がしてもらう。
5.そうこうしてる内に上記李自成が都を落としに迫って来たので、居合わせたついでにちょっと内応。
等々。ちなみに数字は優先順位です。印象順位というか。番外として”木桑道人の碁の相手”というのも挙げるべきかもしれません。

少年時代の終わり?青年時代以降

気が付くと中華が居づらくなって来たので、飲み屋で知り合ったガイジンから小耳に挟んだ噂話を頼りに、仲間を引き連れて一旗挙げに国外脱出。


・・・・多少デフォルメ入ってるのは勘弁。悪意がこもっているように見えるのは気のせいです。(笑)
でもホント何もしてませんよね気が付くと。袁承志って。泰山、いや華山鳴動、小猿一匹。



袁承志というキャラクター

ほぼ余談なので読み飛ばしてくれても構いませんが。いくつか確認事項。


・袁承志は馬鹿ではない。

こんな(↑)調子なので、どうも郭靖(『射英雄伝』)や張無忌(『倚天屠龍記』)あたりと一緒くたにボンクラ系主人公の一人として認識される傾向がありますが(笑)、実は賢いんですよね袁承志は。翻訳ですが早い時期に”怜悧”などという形容が進呈されています(1巻p.98)。これはかの黄蓉などとも共通する形容詞で、手元の辞書によると「かしこいこと。りこう。利発」とか。
”怜悧”。見よこの涼やかな字面。・・・・いや、単に僕が好きなだけですけど(笑)。漢字っていいなあ。

・袁承志は若様である。

言わすもがなと言えば言わずもがななんですけど。
大功ある将軍、しかも科挙出身の教養人である袁崇煥の遺児で、みんなに大事にされてお坊ちゃまもいいとこ。陳国公の次男陳家洛(『書剣恩仇録』)とどっちが格上なのかはよく分かりませんが、ともかく筋目としては郭靖なんかではなくてそっちに近いタイプ。(にも関わらず印象は山猿っぽいですが)

・郭靖との同型性

こっからは僕の主観。
一つは幼年時代と少・青年時代との対比。多少オツムの差はあれどどちらも子供の時は骨っぽくて、果敢な行動力があって、いかにも”原石”という感じでした。さぞかし行く末はと思いきや、出来上がったのはなんか常に他人任せ成り行き任せのただの人の好いアンちゃんで。
腕白猿小僧時代→正義感の強い直球少年時代→スーパーサイヤ人になって微妙に邪悪味も加えた青年時代→巨大な使命感と自己犠牲、裏腹の変わらない理屈無用の戦闘マニア性をしぶとく併せ持った味のある壮年時代と、見事に一貫性とそれぞれの時代なりの精彩を表現し切った鳥山悟空という実例を知っている僕(ら)には何とも物足りなく思えますが、『碧血』『射』と2回繰り返してるからには金庸的にはこの描写でOKということなんでしょうね。

もう一つはいいかげん耳にタコの”成長”、あまり変わらないという問題。ただし袁承志の場合は「変わるまでもなかった」という感じですが。
立派な血筋と恵まれた天分、幾人もの優れた師匠の教えを受け、にも関わらず結果的には大してやることがなかった(笑)というそんな態で。ちょいちょいとそのたびちょっと頑張れば十分。元々馬鹿じゃないしぃ。お勉強(武術の稽古)だけはちゃんとやりましたよ僕という。

関連して郭靖との似て非なるところを言ってみると、同じく「父の仇を追う」宿命を授けられながらも、父の顔も知らずまた要するに私怨であって、いずれ復讐という行為の意味を深く考えざるを得なかった郭靖に対して、父親の記憶への自然な愛着を持ち、またその父親が同時に重要人物でありその仇を討つことが国家的大事と結び付いていて、取り立てて大きな疑問なく人生の目標を手にすることが出来た袁承志。
描写の問題とかは置くとして、設定的に郭靖と比べても袁承志の葛藤やそれによる成長とかは浅くならざるを得ないところがあるわけですね。

・・・・実際問題としては、ほぼ純分量的に話はほとんどそんな次元までは行ってないわけですけど。さわりだけというか。さすがにこれではマズイということで(笑)、『射』では金庸もそれなりに頑張ったんだと思います。


で、結論ですが。袁承志大好き!(爆)
いやあ、素直でおっとりでいられるならそれが一番ですよ。無駄な苦労はしばしば人の魂を腐らせる。
人生腹六分だよ。ねえ?袁承志。

さっさと行きます。(笑)


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