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<真理への意志> 

あなたはフロイト派?それともジャネ派?


僕自身は明らかにフロイト派ですね。あくなき<真理への意志>の持ち主。当面の現実との適合性や、直接的な実用性への関心はあまりない。適宜、という感じ。委細面談応相談。ちなみに僕の普段の用語法としては、<知への愛>と言った方がしっくり来ます。

たださすがに19世紀の啓蒙知識人フロイトとではそもそもの<真理>という概念・感覚の保持の仕方が違うので、結果的な作業や見かけの印象は結構違うと思いますが。
具体的に言うとフロイトがやっているような『特定化』というようなアプローチはとらない、そういうアプローチで真理に至れるとは思っていない。むしろ間違いの元だと思っている。便宜的な特定化は勿論しますが、それはいつでも迷いなく叩き壊す/捨て去る準備前提。
・・・・「考える」というのは無限に続く自己否定の過程です。一日200回くらいは死んで、そのたびまた甦りましょう。(笑)

それとフロイトが<真理への意志>と言う場合(言っているのはイアン・ハッキングですが)、それでもって何かを把握して他人にアピールしたり「人類」や「科学」に貢献したりする、そのことが大きな目的として中心にあるというニュアンスが感じられますが、<知への愛>というギリシャ的な用語法(フィロ=知、ソフィア=愛、つまりは”哲学”)で僕が意味しているのはもっと自己目的的な感覚ですね。
知/認識自体に価値があり、目的性があり、どうもその為に人間/人類は存在しているようにすら思える時もある、というような。

まああんまり説明する気はないですが、何らかそういうものを持っていない人とは僕は友達になれないようです。男でも女でも。


ちなみにフロイトの態度というのは、パッと見グロテスクで狂信的に見えるかもしれませんが、実は現代の「知」の感覚の基本はむしろジャネのよりこっちだみたいなところもあると思います。つまり(精神)医療の現場で言えば、例の『インフォームド・コンテント』というやつです。とにかく「本当のこと」を、「一人一人が」知るべきであるという。
実際にこの概念が日本で広がり始めた当時、精神鑑定の第一人者的存在として有名だった筑波の小田晋などは「騙す事も含めて治療だ」と反発したりしていた記憶があります。ジャネ的?いやむしろ伝統的。

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