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「個人」と「責任」 

多重人格ノート更新。
相変わらず「記憶を書きかえる」10章『記憶以前』で立ち往生中ですが、今回の箇所はちょっと面白いかもしれません。

というのは西洋社会における”トランス”状態の歴史の一幕として、近代法で言うところのいわゆる(最近何かと評判が悪い)「責任能力」という概念の起源が覗けるからです。
簡単に言えばそれは中世の神学及び教会法における”魂”に関する尖鋭的な意識に基づくもので、それは当時でも世俗の感性とは少し乖離したものであったらしいと言うこと。

そうは言ってもその”魂”に関するキリスト教の意識が、そのまま今日の我々が立脚している「近代的個人」や「(法と契約に基づく)近代社会」という概念の母体となっているわけで、簡単に虚妄だと言うわけにはいかないわけですが。ゆえある虚妄というか。

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