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金庸の格闘描写の評判 

『書剣恩仇録』より。


『夢の記録』さん

日本の時代小説との違いその一、殺陣。 日本のだと一撃必殺、静から動の変転をいかに見せるかに 力が注がれる。一方、こちらの殺陣は演武という言葉が ふさわしい、連続した舞のようなやりとり。 西遊記の孫悟空がガチガチやりあうのを思い出す。


同感ですがこれは特に金庸がそうなのか、逆に”一撃必殺”派の古龍が例外的なのか。知ってる人がいたら教えて下さい。


『Trivial Journal 2.0』さん

日本のチャンバラよりも、どっちかというと「リングにかけろ」のファイナルブロー合戦の趣きが強い。


印象論としては分かりますが、僕の意見はノーですね。むしろ手続きをちゃんと描きたがる人だと思います。クドいというか(笑)。その上で”ファイナルブロー”で飛ぶ。

(以上、’07.2.21)


武侠ノススメ さん (→閉鎖  現・新版”Kizurizm”

再読して思ったことは、何より格闘描写を読むのが苦痛であるということである。(略)
武器や技がわからないと読めないというのも大きいが、文体がいまいちすっきりしていないのだ。(略)
金庸の文章は意味を追いかけるだけでいっぱいいっぱいになるのに対して、山田風太郎の場合は蛍火の驚愕した顔、切り落とされた腕、左衛門の惨とした顔、そして喋々……映像が浮かんでくるようである


この方の言いたいこと自体はよく分かります。ただちょっと真面目に読み過ぎかなと。「追いかける」必要はそもそもないんだと思うんですよね。”劇的描写”というよりは言葉の遊びなわけで。馬鹿話を文章のマジックであたかもそこにあるように錯覚させてくれる楽しさ。(だから映像化したものをあまり見たいと思わないんですが。)


まあしかし毎度次から次へと呆れるほどけったいな修行プロセスとけったいな武術を考え付くものだと感心しますが、それらが少なくとも作品内では結構な完成度の論理性を持っているのでつい説得されそうになります


以前書いたことの引用ですが。むしろ詐欺師の口上を聞いてるとでも思った方が良い。(笑)

ただ言わせてもらうとカンフー映画などを見ても少なくともフィクション上の中国武術の本領は、むしろ金庸的な”おしゃべり”、半ば自己目的的なやりとりの引き伸ばしにあるのであって、本質に迫ったり決着をつけたりというのはある意味お楽しみの終わりなわけですね。
古龍みたいなのはどちらかというと日本の空手とか剣豪ものとか、あるいはよく形容される”ウェスタン”の早撃ちとかそういう類に近くて、「過程」の描写はなるべく簡潔に、その分を意味付けや抒情性に割くというそんな感じですね。大雑把に言えば勿論風太郎先生も。


書剣恩仇録における点穴の研究

というところで(?)こんな労作も発見。(笑)
アホだこの人。詐欺師金庸の煽りを受けて立ったんですね。すげえ。


金庸『書剣恩仇録』における格闘描写(富山大学卒業論文題目)

おまけ。こんなテーマで論文書けるんだ。楽しいね文学部は。(笑)
ちなみに僕の専攻は経済学と心理学でした。まあいたって不真面目でしたけど。基本独学派。

(’07.3.2)


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