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監督の『修正』能力(+) 

別ブログの基本的にはラモスをめぐるエントリーなんですが、オジェックにも流用出来るところがある気がするので抜粋・転載しておきます。(以下原文)



>「なぜ起こっているか」を述べることができる監督は(その内容が正しかろうが間違ってようが)いくらでも存在するが、「継続的に問題を修正することが出来る」監督は、世界中でもごくひと握りの存在であるという事実だ。

これは当面は監督の絶対能力の話のようですが、僕が見るに監督の”能力”に関する、その内容に関する普遍的に存在する「幻想」の話でもあると思います。
つまり・・・・ほとんどの監督は『修正』なんてしない/出来ないということです。

まず『修正』というピンポイント的な概念は、ある程度以上確立した「正/誤」に関する基準、それを含む一連の技術的戦術的体系の存在を前提とすると思います。
だから「問題点が修正される」という時、事態の本質は”問題点”の存在ではなくてむしろ修正を可能にするような”基準””体系”が存在していること、言い換えれば既にある程度以上チームが上手く行っていることにある。

だから確かに問題点が『修正』されることはあるとしても、それはある種誤差の問題として日々ひっそり行われるのであって、実際に我々外野が騒ぐに至るような危機的な事態における「監督」の「問題」としてはメインなタームではない
別な言い方をすると、崩壊や大きな欠陥が露わになってしまっているような体系(チーム)の内部で、個別の問題を個別に修正するのは困難を極める。

見えてしまっている時はたいてい既に手遅れである。ことは『修正』の範囲を越える、チーム作りそのものの問題であることが多いというか。

>チームがなかなか勝てない、という状況は、大半の場合、指導者の「勝たせるためのアイデア」が枯渇していることを意味する。(中略)「彼にまだアイデアが残っているかどうか」。

ではどうするかということで「アイデア」。微妙に原意とは違うかもしれないので注意。
あるアイデアが(あるいはアイデアの不在が)多くの問題点を露呈してしまった時に、実際に行われるのは『修正』ではなくて次のアイデアへの乗り換え、切り換えである。
ある・・・・というのはつまり、ほとんどの監督が行なってかつ成功しているのは、むしろこっちの方法に見えるということですが。あんな女(男)のことは忘れて次の幸せを探せばいいさ。

丸っきりの乗り換えというよりは、問題点の修正(というか克服)を、最初のアイデアとそれに基づく体系の内部でシコシコ行なうより、それを発生させた環境ごとガラッと変えながらやった方がかえって効率が良い、プラスαが見込める。勿論気分転換にもなる。
これにはかなり個人差があって、それこそ手を変え品を変え目先を変えて、時に問題から逃げているだけに見えるような人もいれば、かなりの程度前の体系との論理的連続性をキープして、とっさには変えてるのかどうか分かり難い人もいる。

恐らくは後者に近い人の方が監督としてグレードが高い、信頼性の高い人と言えるのでしょうが、前者タイプでも十分に(あるいはかえって)有効性が見込めることも多いように思います。
つまりそれくらい(サッカーの)監督の仕事というのは刹那的な部分があって、一流だろうが二流だろうが寿命に限界があるのは同じ、「継続的に問題を修正することが出来る」監督は、世界中でもごくひと握りだということですね。

それは1チーム内での一つ一つの作業・アイデア単位でもそうですし、その監督の仕事単位でもそう。
「一流」「名将」と呼ばれているような監督でも、たいていは特有の欠点・限界を持っていて、あるチームの監督として露呈したそういう部分はアイデアの切り換え切り換えで交わしつつも結局は解消されずに終わり、結果職を離れたその監督は次の職場に迎え入れられますが、そのチームでも基本的には似たようなシークエンスを辿ってまた次の職場へ移る、これが実態なのではないかなと。



・・・・後半部はあんまり関係ないですが、これをオジェックについて当てはめてみると『修正』ということ、それの可能性/有効性について、あまりにも文字通りに考え過ぎているのではないかという疑いになりますかね。
その背景にあるはずの、あるべき全体や体系についての把握がお座なり。ラモスは「理論がない」わけですが、オジェックは「理論でしかない」

”ポゼッション”だの何だのという、スローガン的な理屈は理屈として、そもそもどういう風に動くチームにしようとしているのか。それがないからジクジクと細かい『修正』(のつもりの)作業を果てしなく繰り返すことになる。
前回就任時は超典型的な(ドイツ的)3?5?2のカウンタースタイルという「器」が先にあって、そこにまつわる様々伝統的なディテールやイメージがそこらへんを代行してくれて、オジェックはある意味決まり切った『修正』作業を真面目一本にやれば良かったんでしょうが。

『修正』なんてものはチーム作りの本体たり得ないし、逆にそっちを押えないと『修正』自体もうまくいかない。という。


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