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郭靖の”成長”と『射英雄伝』(2) 

射雕英雄伝―金庸武侠小説集 (1) 射雕英雄伝―金庸武侠小説集 (1)
金 海南、岡崎 由美 他 (2005/07)
徳間書店

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(1)より。


”空っぽの器”としての郭靖

「教養小説」という文学史上の概念は、現代においてはより一般的なものとして、ストーリーの基本構造として、実際には特に意識されることもなく使われていることが多いのですが。

更に教養小説について

主人公の精神が外部の世界や周囲の人間関係、さらに文化的環境との接触、交渉によって、ある一定の調和した人格形成をする過程を描いた魂の発展・調和小説である。迷いのなかに、内省する魂の発展を通して、その時代の人格的理想像を描きあげていく小説である。
(南坊義道『現代創作入門』)


結局(小説における)”成長”をめぐる、ここらへんのこだわりが僕に余計な深読みをさせた原因なわけです。つまり・・・・郭靖に「内面」はあるのか、発展する「内省する魂」というほどのものがあるのか、ということ。

確かに郭靖はストーリーの進行に従って様々なことを吸収し、考え方も時々に変わって行くわけですが、それら全部ひっくるめてどうも何か薄っぺらなような、郭靖自身は何も実質的な変化は最初から最後まで起こさずに、ただ「郭靖」という名の”空っぽの器”の中身が時々で入れ替わっているだけに見えてしまう部分があるんですよね。
変化が起きない、というよりも、変化すべき実体がそもそもないというか。

言わばその「郭靖」という名の空っぽの器の、”中身”を注ぎ替えて行くのが黄蓉を筆頭とする郭靖が道々出会う人々というわけで。


(参考)阿部敦子さんの”郭靖の2段階報仇説”

『きわめつき』204ページより。なかなか見事な分析だと思います。

1段階目

彼女(郭靖の母親)は幼い郭靖に大きくなったら父の仇を討つべしと教え聞かせます。(中略)郭靖は当然のようにその名(段天徳)を胸に刻み成長していきます。
しかし、実際に段天徳にめぐり合ったときの郭靖の様子から、仇討ちはかれにとって、その他の社会的ルール同様、疑問なく従うべき規範ではあっても、内側からかれを律するものではなかったような印象を受けます。


2段階目

ついに郭靖自身も、心の底からの憎しみに煮られる思いを味わうときがきてしまいます。江南七怪がひとりをのぞいて東邪に惨殺されてしまったのです。
師の仇を討つべし。このときばかりは郭靖の動機も完全に自発的なものでした。義務として仇討ちに臨んだのではなく、自らの激しい怒りに突き動かされて、東邪を殺さざるをえない衝動を感じたのです。


・・・・このパースペクティヴで言うならば、郭靖は郭靖なりに変化しているということになりますね。それは郭靖という一人の人格の内面が変化したというよりも、最初には存在しなかった内面的動機や「自発性」が、ある時点で生まれたという形で。

なるほどなと感心しつつも、基本的には僕はこれはかなりな深読みの類だと思います(お前が言うな)。金庸がこういう意図を持って描き分けていたとは思えません。
こういう指摘自体は肯定するでしょうが、この二つの”報仇”の性格の違いをさほど重大なものとしないような、基本的には単なる「型」の違い、”器”の中身の違いに帰着させるようなそういうより遠い視点からの、割合平坦な筆致で郭靖の半生を書いている。意図的な変化があるとすれば、「仇討ちやら武芸やらにそもそもどんな意味があるのか」という、作中でも明確に書かれているそっちの大きな価値観の方。

ともあれこうした阿部さんの”深読み”のモチベーションとして、『射英雄伝』という作品における郭靖というキャラの描写に対する、僕同様の違和感、物足りなさみたいなものが原文の行間から伝わって来たんですが気のせいでしょうか。(笑)


(3)へ。


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コメント

どれが好きか

特にはないですが・・・・。好きなディテールやキャラがそれぞれにあるだけで。

凄いと思うのは『鹿鼎記』の知的スタミナと、『神雕』の延長での『倚天』の分厚さ。
馬鹿馬鹿しさに圧倒されたのは『侠客行』。(笑)

人に1つだけ薦めるなら『笑傲江湖』かな。僕が初めて読んだのもこれですし。
あと基本的に拳法よりも剣術が好きです。綺麗で。

>もう(その2)書き終ったけど出し惜しみ

先生、またそんな殺生なことを……(笑)

郭靖の成長についてですが、う~ん、彼についてはなんとなく金庸は何も考えずに書いてる気がして^^;あ、でも確かに最後にジンギスカンに説教してましたもんね。いつの間にか成長してたのか~。

>いずれにしても小心な僕の論述の勢いを殺がない内容かどうか、チェックの上で時期を見て下さい。(笑)

ん~、そんな大した変更はないんですが。でも万が一楊過さんの勢いが削がれるようなことがあってもマズイので(笑)やめときますわ。



そうそう、全然関係ない質問なんですけど、楊過さんて神雕以外だとどの金庸作品がお好きなんでしょうか?

つづき

>”教養小説”の起源

僕も「成長」は「進化」の個人版だろうという立場から、啓蒙思想の直接的影響は大きいだろうと思います。ただそこにいたる連綿と続くあれこれがあったという話。
・・・・そうですね、「子供」という概念の発明とも大きな関係がありそうですね。

>その手直し部分を見ていくだけでも、けっこう参考になるんじゃないかと思うんですよ。よければここに私の知ってる部分を書き込みましょうか?

長さにもよりますが、メールで送ってもらうか、いっそ『金魚雑記』でエントリーにでもしてもらった方がベターな気も。
いずれにしても小心な僕の論述の勢いを殺がない内容かどうか、チェックの上で時期を見て下さい。(笑)

もう(その2)書き終ったけど出し惜しみ

日付が変わったらアップします。(笑)

>金庸のいう「郭靖の成長」とは、武芸に限ってのことなんじゃないか

いやあ、そんなけったいな書き方はこの段階ではしないんじゃないかと思いますが。それだと黒風双殺か西毒かみたいな話になっちゃいますし。
普通に「仇討ちやら武芸やらにそもそもどんな意味があるのか」ということに”成長”して気付いたと、そんな感じの読みでいいんじゃないですかね。それ以前に郭靖がそういうことにこだわっているように見えないんで分かり難いですが。

>「水」と「器」

うーんちょっと僕のここでの(「器」の)用語法と違っているようなのですり合わせが難しいですが、「人格者」「徳」へのこだわりが中国人は強いというのは一般論としてあるかも知れないですね。”人治”の国ですから。
ただ日本でもタスク型よりコミュニケーション型のリーダーが好まれるとかいう話もありますし、そんなに極端な違いはないような気も。詳しく(?)は(その2)でも。

郭靖の成長

こんにちは^^
いきなり郭靖に対する鋭いツッコミから始まってるので、今後どう展開していくのかドキドキしてます(笑)

個人的には、金庸のいう「郭靖の成長」とは、武芸に限ってのことなんじゃないかな~と考えてます。実際、射雕の中での彼は徹頭徹尾「単なる良い人」なだけ、という気がしますし。むしろ郭靖というキャラクターの輪郭がハッキリしたのは、神雕における楊過との対比の上にあるんじゃなかろうかと。

>ただ「郭靖」という名の”空っぽの器”の中身が時々で入れ替わっているだけに見えてしまう部分があるんですよね。

同感です。
金学の始祖・倪匡が郭靖を「あまりにも非現実的なキャラクターだ」と評してる通り、彼には実体がない。
「老子」に「上善は水の如し」とあるように郭靖は「水」であり、黄蓉や丘処機らのような「器」がなくては、形すら定まらないという気がします。
以前に中国の武侠ファンBBSで日中の英雄比較をしたことがあるんですが、その際に私が「日本人は才能あるリーダーを好む」と書いたところ、中国の人に「日本人は小器用な『器』タイプを好むが、中国人は人格者を好む」と言われ、ああなるほど、だから中国の武侠ファンはああも郭靖をありがたがるのだな、と納得しました。
要するに楊過のような「器」タイプよりも郭靖のような「水」タイプが、今なお中国人の心中における理想像なんじゃないかと思うのです。
そういう意味で射雕は、中国人の心をくすぐる「お約束」に満ち満ちた小説だという気がしてなりません。

”教養小説”(ビルドゥングスロマン)なるものの定義をここで初めて知りましたが(笑)、私が思うにこういった「成長物語」は宗教改革やルネサンスよりもっと後世の、啓蒙思想辺りに根ざしてるんじゃないかと思うんですよね。なぜなら成長する物語とは児童書的な発想だし、児童書の由来は啓蒙思想にあるからです……まあそんなことはここではどうでもいいわけですが^^;

ところで楊過さんは、金庸が近年に全作品を手直ししたのをご存知でしょうか?もちろん射雕も他作品同様に手直しが加えられてるわけですが。
その手直し部分を見ていくだけでも、けっこう参考になるんじゃないかと思うんですよ。よければここに私の知ってる部分を書き込みましょうか?

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