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金庸の作り方(?) ?『連城訣』評(1) 

連城訣 上 (1) (徳間文庫 き 12-21 金庸武侠小説集) 連城訣 上 (1) (徳間文庫 き 12-21 金庸武侠小説集)
金 庸 (2007/04)
徳間書店

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2巻ものなんで、きれいに2回で終わらせましょう。(笑)
そんなに書くこともないし。


金庸の”名場面”

読み直しで1巻の途中までつらつらと読んでいて、はたと気が付いて笑ってしまったんですが。
それは何かと言うと、前半の中心となるかの陰惨で救いの無い、”冤罪と牢獄”のシーン/エピソード、それから後半の中心となるチベットの雪山の洞窟とそこに渦巻いた複雑な葛藤劇、どちらも非常に印象的で記憶に残っていたんですが、しかしそれが同じ一つの話の中の場面だということは、その時になるまですっかり忘れていたからです。(笑)

勿論個人差のあることで、誰もがそうだということはないでしょうが、全作中でもかなり存在感の薄目の作品ですし、意外とそういう人はいるのではないか、あるいはこの作品についてそうでなくても、似たような散発的な記憶の仕方を金庸の”名場面”についてしてしまうことは割合あるのではないかと想像しますがどうでしょう。

一つ一つの場面の作り方は素晴らしい。名人である。ただ話全体がある意味単なる「場面の足し算」みたいなところがあって、実はどれがどこ(の作品)に来てもそれはそれで成り立つような。仮想の順列組み合わせというか。
この作品の場合、2巻本ということもあってそこらへんがよりはっきりと、つまり第一巻「菊花散る窓」(牢獄)と第二巻「雪華舞う谷」(チベット)と、2つの別のヴィジョンを合成してでっち上げた話みたいなそんな印象もあります。


『連城訣』という作品

基本的には僕は、ポリシーとしてなるべく後知恵やタレコミ的な周辺情報は入れたくない人ではあるんですが、この作品については後書きにある金庸自身の解題は全面的に重視せざるを得なくて、つまりこれは「生家の先祖が直接関与した冤罪にまつわる実話」を基に膨らました例外的な作品であるからですね。
そういう意味では恐らく本当に書きたかったのはやはり前半部分の”冤罪”のエピソードであって、それ以後/全体については、娯楽小説として成り立たせる為に半ば無理矢理付け足して膨らませて、何とか一つの作品としての体裁を整えたという、そういう性格の作品のように思います。・・・・だから僕が上で言っているのは、当たり前と言えば当たり前の話なんですけどね。(笑)

またさほど人気が無い(?)中でもこの作品の”異彩”として強い印象を与える、主人公狄雲に降りかかるあまりと言えばあまりの不幸・不運や、悪い奴嫌な奴、あるいは出て来る人間のほとんどが、露悪的なまでに人間の嫌な面をこれでもかと見せ付けて来るダークでダウンな作風。
これもそういう狙いをあえてコンセプトとして作ったというよりは、元になる実話のそもそもの悲惨さや、あるいはよく言われる法治の行き届いてない、腐敗や強欲や暴虐に塗り潰された(ある時期までの)中国社会の現実、それらをある意味素直に反映させた結果なのではないかなと。

・・・・ただその中でも、むしろその暗さ・重さ・絶望感を逆手に取って”不具にされても使える究極・最強の奥義”(「神照経」と「連城剣譜」)の話として、ちゃんと武侠の快楽、一発逆転のカタルシスを、全体のトーンを失わずに成立させる金庸の才覚はやはり大したものだなと思います。


金庸の作り方(?)

改めて言うとこの作品は、1巻本の『雪山飛狐』に次ぐ、金庸作品の中では2番目に短い”長編”小説であります。

かつて僕は『水滸伝』と金庸作品との類似性として、「各パート・エピソードと「全体」や「本筋」とのゆる?い関係」ということを書きました。これはつまり今回の1項目目と似たようなことで、部分が部分として独立的に存在しているという話。それによって1本の小説としてのまとまり感や流れ感みたいなものが、若干薄く/頼りなく見える傾向があると。

前回書いた時はそれは基本的に金庸の長大なタイプ(数的にはこっちがメインですが)の作品を念頭において、「あえて言えばほとんどが”余談”である」「何が核なのか中心なのか、分かり難いところがある」という意味合いで主に書いていました。
今回の『連城訣』は短い作品でそういった面は余り目立ちませんが、代わりにむしろ、「長かろうが短かろうが」「中心だろうが枝葉だろうが」、要するに「部分・場面の足し算構成である」というある意味より本質的なところに注目が行っているという、そういう話になりますか。

いずれにしてもそうした構造の有力な理由付けとして、前回『水滸伝』との比較論で述べた”講談”(調)という出自・源流、元々一つ一つの話として読み切りで語られたものを後に一つのものとして構成した(講談)、そういうものを典型的な「物語」として基本イメージとして抱いているという推定は、同様に使えるかと思いますが。

そしてこの『連城訣』の場合は、2つ目の項目で述べた特殊事情、”実際のエピソードを元にやや無理矢理長くしている”ということにより、そうした手順が透けて見えやすいという特徴がある、そこらへんに興味を惹かれたというそういうことです。
付け加えるとすれば”長い”と言っても”短い”ので、物量に圧倒されずに構造を見て取り易いと、そういうこともあるかも知れません。(笑)

・・・・次は内容面の話を。


連城訣〈1〉菊花散る窓 連城訣〈1〉菊花散る窓
金 庸、岡崎 由美 他 (2000/01)
徳間書店

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