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”無我”と”縁”と金庸のストーリー 

天龍八部〈7〉激闘少林寺天龍八部〈7〉激闘少林寺
(2002/09)
岡崎 由美、金 庸 他

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承前
”「仏教」小説としての『天龍八部』(5)”兼、”『侠客行』(3)”。テキトー。(笑)


『天龍八部』の”無我”と”縁”

前回確認したそれぞれの概念の定義に従って、引用部分の意味自体はだいたい分かると思いますが、ではそのことの『天龍八部』的意味は何か。

改めて『天龍八部』というこの長い小説の内容を見てみると、ありていに言ってかなり悲惨な話だと言えると思います。
特に申し分の無い好漢蕭峯の救いの無い運命や、だらしないけれど憎めない(笑)、段正淳とそれぞれに可愛げのある女たちの末路は、何もそこまでしないでもと、作者金庸を恨みたくなる向きも少なくはないでしょう。

そのやや乱暴とも思えるやり口はともかくとして、こうしたストーリーの意図自体は割合明白で、つまりは個々の人間の人柄やら意思やら努力やらといった”関数”だけでは推し量れない、「人の世のままならなさ」「運命の皮肉」、こうしたこれまでの金庸の作品にも度々登場してきた要素・観念を、”仏教”を明示的なモチーフとしたこの作品でより徹底的に追究する、ある種のこの世の”真の姿”として読者に示唆するという、そういうことだと思います。

そうした把握、世界観の理論的前提が、『無我』であり『縁』であるわけですね。
元々この世(の存在)に確たる実体、根拠は無い。無我である。だから物事の成り行きも、あっさり言ってしまえば偶然である。善意悪意の差に本質的意味はないし、誰かの努力が結果に与える影響なども、どうしようもなく限定的なものである。
・・・・つまりそれらは言ってみれば直接原因たる「因」であるわけですが、実際の最終結果はそれに加えて間接原因としての「縁」が大きく影響していて、その部分は人間には制御不能であるし不可知であるということです。


(”縁”についての注)

ちょっと段取り悪いですが(笑)、ここでもう少し『縁』について説明しておいた方がいいかもしれません。つまり、「縁とは具体的に何ですか?」という問いには意味が無いということについて。
なぜかと言えば、それはそもそもが機能的定義であると考えられるからです。

では縁とは本来何かと言えば、要するに”縁”して機能しているもののことだと思います。中身は知らないが、ある程度特定可能な”因”とは別に、その時その最終結果をもたらした間接原因、それを”縁”と呼ぶということ。縁として働いているものが縁。
・・・・何か誤魔化しているように聞こえるかも知れませんが(笑)、こういう概念の使い方というのは割合あって、例えばかの現代物理の「量子力学」の「量子」なども、どれが量子かと問われても、示すことは出来ないんですね。「原子」や「分子」のような意味で「ある」わけではない。ただ問題となる物理現象のプロセス内で、ある特定の機能の仕方をしているもの/領域を「量子」と名付けて、説明の便宜とする、理論の機能性を確保するというそういうものです。それで用は足りている。(参考)

『縁』という概念も大きくはその類だと思います。そもそも仏教は、それこそ「原子」や「分子」のような”実体”的概念から出発するというスタイルをとらない(”無我”)ので、ますます問題ではないわけです。

*ちなみに前回の『入道四行観』の引用では、「過去の宿因」という説明がなされていますが、これはよくある通俗的な解釈を便宜的に採用したものか、あるいは単なる慣習的な語り口なのではないかなあと思います。というのもこの箇所自体が、仏教の哲理を語ったものというよりは、世人への直接的な戒め・訓話の類に見えるからです。
・・・・もしくは翻訳者の意訳のし過ぎも少し疑っているんですが(笑)、原文をご存知の方がいたらお教え下さい。


金庸的ストーリーにとっての”無我”と”縁”

仏教色の強い(あからさまな)『天龍八部』においてはかなり極端ですが、多かれ少なかれ、金庸作品におけるストーリーが、主人公や登場人物たちの意思や本意と無関係or裏腹な展開を見せるということは、金庸作品の基本的特徴として前にも述べました。時に悲劇的に、時に喜劇/シュール/スラップスティック的に。

金庸の「仏教」がどこまで本気なのかは僕は知りませんが(笑)、それらがどのくらい直接的に仏教思想由来であるかは別にして、やはり金庸のこの世の出来事の把握の仕方、見切り方、運命観みたいなものの根底には、こうした達観や諦観が色濃くあるのだと思います。
創作上の趣向やスタイル意識は意識として、だからこそ金庸はこうしたストーリーを書きたがる、書かずにいられないのだ・・・・と、言うことを『侠客行』編の(3)として書こうと思っていたんですがもういいですね。(笑)

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(1997/12)
金 庸、岡崎 由美 他

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一見冗談のような偶然任せの超展開も、つまるところこの世で日々起きている、もっともらしい意味や因果関係があるように見える”現実の”出来事も、一皮向けば同じくらい馬鹿馬鹿しい、まともに努力するのが空しくなるような訳の分からない、制御不能の偶然の帰結なのではないかという、(金庸の)直観や虚無感の反映であると。


もう一つ、アウトテイク集的なものを書いて、”「仏教」小説としての『天龍八部』”編終わり。

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(2002/10)
岡崎 由美、金 庸 他

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