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浦和?札幌(’08) 

日々是サッカー。

J1第9節 浦和 ○4?2●札幌(埼玉)

またはそれでもサッカーはつづく。


昔々、まだJリーグに「チャンピオンシップ」っちゅうものがあった頃(笑)、Jリーガーは大変だなあ、プロ野球選手に比べてと、よく思っていたりしました。
この感想の元となっているのはプロ野球の「日本シリーズ」と比べたデフォルトの重みの差で、日本シリーズがJリーグ創設以前までの僕を含めた日本の野球ファンにとって、セ・パそれぞれの優勝チームの対戦というだけで、例え自分の贔屓チームが出ていなくても自然と関心が高まり、実際に見てもたまらない緊張感があったのに対して、「チャンピオンシップ」の方は正直第三者の大部分にとってはほとんどどうでも良くて、一応義理で盛り上がろうとはしてみても結局”Jリーグの1試合”という以上のものではない。偶発的個別的ドラマが生じることはあるとしても。

その原因としては勿論レギュレーションの問題、数ヶ月前の「1stステージ」の優勝チームとつい最近の「2ndステージ」の優勝チームの対戦という非対称さ、それから4?7試合かけて山あり谷ありの日本シリーズに対して、たった2試合のホーム&アウェーで、リーグ戦の蓄積がカップ戦的に上書きされて『優勝チーム』が決まってしまうという不条理さがあるのは、当時よく言われたことですね。

ただ更に背景・深層を探ると、これは特に当該チーム以外のファンの関心の問題として重要だと思うんですが、要するに”チャンピオンシップ”を争っている両者の「優勝」に、セリーグやパリーグの代表のそれほどの重みやリアリティがない、自然な敬意を集められない、だから他人事であるという、そういう面が存在していたように思います。まあ勝手にやって、名目上のチャンピオン決めてくれよと。

これも一つの原因として短期シリーズのステージ優勝者であるという制度的な問題があって、そこらへんは1シーズン制になって、だいぶ改善はされたんだろうと思います。現在はチャンピオンシップ自体がないので、将来Jリーグが地区リーグ制にでもならない限り、”改善”の成果を試すことは出来ないわけですが。(笑)
・・・・近いのは入れ替え戦ですかね。あれは確かに、第三者的にも面白い。


と、ここまではほとんどネタに困っての思い出話で(おい)、ここからが本題。
チャンピオンシップというのは一つの象徴ですが、Jリーガーがなぜ「大変」(と思った)かと言うと、それは『優勝』の重みが絶対じゃないから、言い換えると『優勝』するだけじゃ許してもらえないから。not enough.
ではそれ以外に何があるかというと、その優勝の「内容」を厳しく問われるわけですね、しかも前年・前々年等の優勝チームに比べて。レベルで上回っているか、内容が豊かになっているか、「世界」に近付いているか。毎年のことなのに(笑)、”進歩”するのが当然と見なされている。

プロ野球でこんなことはほとんどなくて、そりゃ「管理野球」か「野武士野球」か、「買い集め型」か「育成型」かみたいな論議はありますが、はっきり言って単なる趣味の問題で、勝利・優勝の価値そのものは常に絶対的で、目標として純粋。
”進歩”とかは器具の進化と共に自然に起こるべくして起こるだろうと、それくらい。

これには歴史的な競技構造的な違いがあるのは明らかで、世界スポーツであるサッカーは常に時の最高レベルとの比較に曝されていて、特に代表強化の為に創設された、実際に代表サッカーへの注目・人気に主導される形で発展して来たJリーグはそう。
野球でもアメリカ大リーグ打倒というのは悲願ではあるわけでしょうが、当面は差が大き過ぎてまともに比較の対象にならなかったですし、それで国内リーグに専心して歴史を積み重ねている内に、特にリーグぐるみで意識的に何かやったということでもない割りには、「いつのまにか」という感じでさほど見劣りしないレベルに到達してしまったという現状。経済的な実力差とかはまあ、別の問題として。

とにかくプロ野球選手が、目の前の日々の試合を勝ち抜くだけでほぼ完全に満たされている(いた)のに対して、Jリーグの場合は常にそれ以外の視点、客観的というか公共的というか、内容をチェックする厳しい/うるさい目というものが外野は勿論自分たちの内面にも存在して、尻を蹴り続ける。(笑)
これを大変だなと思うのは基本的には僕の野球ファン的感覚の部分であって、サッカーファン的には別に当たり前のことなんでしょうけどね。


で、こんなことを思い出したのは勿論、日々勝てることは勝てるけど、「内容」で悩む、単に今年だけではなくて”強豪”で”常勝”の、かつ世界基準を目指す”ビッグクラブ”であることを自他が意識し出してからのレッズの、どちらか言えば中途半端な状態があるからなわけですが。

今や本当に「世界」と戦う機会・義務が満更無いわけでもなくて、仮にエンゲルスが今の2倍(?)いい監督だったとしても、それで足りるのかどうかも実際のところは分からない。
こっちはコアもヌルもまとめて(失礼)、言ってしまえば見てるだけですから、つらつら考えてぶつぶつ文句言ってりゃいいわけですけど、実際に日々の戦いに追われる選手たちは、そうそう絵に描いた餅ばかり食ってるわけにはいかない。いつ出て来るか分からないご馳走を待って、飢え死にするわけにはいかないというか。

実際は今の選手たちはほとんどがJリーグと共に育ったある意味で僕らと同類なわけで、(そうじゃなくてもですが)「世界との距離」みたいな問題意識は当たり前に持っていて、それがやりがいにもなっているでしょう。少なくともレッズにいるくらいの選手なら。
でもやっぱり日々の自分を支える現実的なよすがも必要で、あんまり酷い時や例外的に凄い監督の下ででもなければ、何らか適当なところで常識的な範囲でイケてる/イケてないを判断して(笑)、モチベーションのコントロールに努めているものと想像出来ます。


というわけで札幌戦ですが(やっとかい(笑))、まあ何というか、根本的に何かが変わったわけではないけれど、前節高原の覚醒・上昇をうけて、それを取り込む形で選手レベルではちょこちょこ前向きな化学反応が始まっているのかなという、そういう感じでした。
具体的には高原のスピード感への追随と、それまでの軸であったエジミウソンも含めた、前線の力関係や役割分担の再編成。”システム”的には一応従来通りエジミウソン筆頭の3?4?3なのかなと思いますが、高原とエジミウソンの位置が逆転した(あるいは自由な)ような2トップにもスムーズに移行し、切れの復活によって3トップ(のウィング)的な高原のプレーも、前よりは有効に、または楽しそうに(笑)出来るように。

ここらへんである意味重宝だなあと思うのは、エジミウソンのユーティリティ性と同時に節操の無さで(笑)、やんちゃで好きにはやりたいけれどプライドにうるさいわけでもなくて、高原がプレーで納得させてかつ逆にフォローもしてくれるなら、ポジションとか誰が軸とか細かいことはいいよ別にというそんな感じが。”それぞれ”に、「本来の」プレーのようにやってくれる。

またまだ可能性の段階ですが、高原とエジミウソンがあれくらい機敏に前線で動いてくれるなら、パサー体質の薄さで問題のあった”トップ下”梅崎も、それはそれで機能する可能性があるかなと。つまり2トップが作り出すスペースに連動して飛び出して行くような格好で。ちらっとですけどね、ちらっと。

とにかく、’08レッズは’08レッズなりに、そこそこ前向きな感じで「日常」を刻んでいる、ディテールを積み重ねているらしいと、そういう話です。そこそこですけどね、そこそこ。選手はとも言えるし。どうせなら楽しくやらないとね。
それだけでどこまでいけるのか、監督は何をやってるのかというのは別にして。


「和製ベッカム」だったはずの阿部ちゃんのシュートや得点は、もう何とも言えないくらい”渋い”のが多いというか、似合うというか。パシッとドカンとは、なかなか決まらない。(笑)
試合全体については、どうせまた似たようなこと書く機会があるでしょうから、今回は他の人のを見て下さい。(え?)


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