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18.虚偽意識(1) 

虚偽意識と虚偽記憶

虚偽意識という言葉で私が表そうとしているのは、ごく普通のことだ。つまり自分の性格と過去について、全くの虚偽の信念を形成した人々の状態のことである。


虚偽記憶とは、虚偽意識のごく一部にすぎない。「虚偽記憶症候群」[補1]は普通、ある人の過去において、絶対に起こらなかった出来事の記憶のパターンのことをさすためである。
出来事の思い出し方が不正確だ(ほとんどの出来事の記憶はそうだが)ということではない。むしろ、その出来事らしきものが、起きていなかったということなのだ。



虚偽記憶の種類

実際のところ、その(↑)症候群は、矛盾記憶症候群と呼んだ方がふさわしい。なぜなら、その見せかけの記憶は、単に虚偽であるだけでなく、あらゆる現実と相反するからである。(中略)これは、<虚偽記憶症候群財団>[補1]が宣伝している類の「記憶」である。


単純虚偽記憶というのは、今述べた矛盾記憶の例とほぼ同じ内容で言えば、そのおじが、記憶の中で、本当の加害者である父親を隠蔽するためのものになっているというものである。このため、その記憶はあらゆる現実と矛盾するわけではないが、過去は根本的に作り直されている。


関連するもう一つの記憶の欠陥は、不当忘却とでも呼ぶべきものである。
これは人の性格または本性にとって不可欠な中心事項を、その人の過去から抑制することである。
私が述べているのは(自分による)(無意識の)抑圧ではなく、(誰かまたは何かによる)(故意の)抑制である。


”欺瞞記憶”

矛盾記憶、単純虚偽記憶、不当忘却(中略)とその他の可能性を合わせて、欺瞞記憶という見出しの下にまとめてみよう。
私がこうした複合語を次々造語しているのは、厳密に言えば、我々が関心を持つのは記憶ではなくて、見せかけの記憶や記憶の不在であるということを示すためである。


欺瞞記憶の中に、私は、見せかけの記憶や、記憶の不在、過去についての明確な事実の不在(≒虚偽記憶)を含めることにする。



虚偽意識と欺瞞記憶

記憶政治学[補2]がおおむね成功したために、われわれは自分自身を、自分の性格を、自分の魂を、過去によって形成されたものと考えるようになった。


このため、現代において、虚偽意識はしばしば欺瞞記憶を含むことになる。

虚偽意識が成立するためには、われわれが何者であるかということに対するわれわれの認識の一部として、欺瞞記憶が使われているに違いない。


・・・・どういうことかと言うと、「自分」=「自分の過去」(の蓄積)という認識が自明視されるようになった現代においては、(現在の)自分についての誤った”意識”は、誤った”記憶”によって形成されているはずだと、論理的にはなるということ。

しかしこうした認識、結び付けは、かつては必ずしも一般的ではなかった。

デルフォイの神殿に刻まれていた「汝自身を知れ!」という銘文は、記憶に言及したものではない
この言葉が要求しているのは、自分の性格を、自分の限界を、自分の必要を、自己欺瞞的な自分の性向を知れ、ということである。すなわち、われわれは自分のを知らねばならないと言っているのである。


記憶政治学が現れたことにより、ついに記憶が魂の代用品となった[補3]



・・・・総括的な内容で読解に必要な前提が多いので、次にまとめて(補)をつけます。

(2)へ


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