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『男組』とジャッキーチェン 

基礎知識編の2。武侠小説についてのより直観的な説明。


流全次郎

『男組』=”武侠漫画”?!

見る限り誰も指摘していないようなので僕がしますが、日本人に”武侠”もの(小説)とはどういうものかを直観的に説明する上で、作・雁屋哲、画・池上遼一によるかの名作コミック、『男組』ほど相応しいものはないんじゃないかと思います。
ていうか主人公流全次郎の太極拳&八極拳や、強烈な印象を残した敵キャラの”蟷螂拳”など、現代/リアリズム設定の中での中国拳法の奇妙なまでの重要な役割から推察するに、雁屋先生がいずれかの時期の武侠小説に大きなインスピレーションを受けたのはまず間違いないだろうと思います。

そうです、あれです!
あの流全次郎と”五家宝連”との命懸けの兄弟愛・同志愛、”関東番長連合”総長堀田さん(名前だけで涙が・・・・)の分厚い義気、あれこそが「侠客」の世界です。流の勢力基盤が”少年刑務所”という日陰の世界だというのも、いかにも”江湖”っぽいですし。
軍艦島での「謎の師匠」との葛藤とその後の武術の手ほどきなども、非常に典型的なエピソードです。

それぞれに特技を持った多士済済の織り成す、男たち(と女傑たち)のいちいち強烈な(笑)情念の世界。インスパイアどころかオマージュ、あるいはそのものずばり武侠小説の少年漫画への移植の試みだったのかもしれないとさえ思います。

・・・・ただし文体としてはああいうリアリズム的なものを考えてしまうとちょっと違います。基本的に時代ものであり、伝統大衆小説なので、作家によって多少の違いはあれおおむねは様式美、舞台劇的な”お話”の世界です。あちらでは「大人の童話」と言われたりするそうですが。


酔拳

武侠小説=”カンフー映画の小説版”?!
(”文体”問題つづき)

順番としては逆なわけですが。つまり武侠小説を原作とした、あるいはそのような伝統を背景として成立したのが香港を中心とする「カンフー映画」の世界なわけで。
ちなみに”カンフー”とは基本的に素手の武術/拳法のことを指すので、刀剣飛び道具等、あらゆる得物による武術が同じくらい活躍する武侠ものを指す言葉としては、厳密には正しくありません。ずばり「武侠映画」という言葉もありますが、日本人にはほとんど馴染みがないので。

実際のところあちらでの金庸はこちらの司馬遼太郎や池波正太郎ばりの「原作」の大供給源で、TV・映画問わず無数に映像化されていますが(参考)、ほとんど見た人はいないと思うので我々にとっても青春である慣れ親しんだカンフー映画の方の比喩で。
特にジャッキーを挙げているのは「ブルース・リーではない」という意味です、主に。ああいうアメリカナイズされた即物的でスポーティなのを思い浮かべてしまうとちょっと違います。『少林寺』『HERO』ならまずまず。意外と『少林サッカー』も。(笑)

言いたいのは
・ストーリーの中に格闘シーンがあるのではなく、格闘シーンを見せるために、無数の格闘シーンを繋げた/包み込むものとしてストーリーがあるということ。
・格闘シーンにおける中国武術自体の文体、リズム感、空気感、世界観etcが、そうでないパートも含めて全編を貫いている。戦うように、舞うように話が進む。調子の良い大娯楽小説であると同時にポエティック(詩的)でもある。

・・・・2番目の項目は、ジャッキーのある時期までの映画にあるあの感覚です。ブルースは”現実”を感じさせてしまいますからね。
特に金庸は文学史的に意識して伝統に寄ってるので、結構京劇的・ジャッキー的です。かなりアホっぽい面があります(笑)。コメディではないんですが。


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