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『射英雄伝』の”共産党/毛沢東批判” 

射雕英雄伝〈5〉サマルカンドの攻防 射雕英雄伝〈5〉サマルカンドの攻防
岡崎 由美、金 庸 他 (2005/10)
徳間書店

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金庸ロードショーさんの

”金庸を斬る!武侠小説を斬る!”

 射雕英雄伝に見る共産党批判

より。
面白いサイトだなあ、やっと少し僕と通じるところのあるスタンスの人がいたなと思ったら2002年で更新停止中。がくっ。
僕は最後までやりますよ、意地でも。何年かかっても。(笑)


「当サイトの文章等を勝手に利用することは禁じます」とのことなので、一応抜粋は控えて早速本題に入りますと、”四川人”さんによる上の年表を元にした推理を見ると、『射英雄伝』の最初の掲載時(’57年)に、言われているような「共産党」や「毛沢東」への、チンギスハンになぞらえた当てこすり的な批判の意図、またはそれを当然のこととして受け止めるような読者の雰囲気があったとは確かに考え難い気がします。
Wikiにあるように、金庸が反旗を翻したのは文化大革命後の共産党/毛沢東であって、共産革命自体には当初は自らも外交官として寄与しようというようなそういう姿勢を見せていたわけですし。

で、jinyuさんによる(コメント欄)と’57年当時の実際の作品タイトルは『大漠英雄伝』であって、それが’72年以降の10年間に渡る金庸自身の手による改訂作業(『武侠小説の巨人 金庸の世界』)の過程で『射英雄伝』に変わったと。ここまではいいですね。
問題はその意味、意図ですが。

まず年代的には’72年からというのは微妙ですよね。『射』そのものの改訂がいつ行われたかまでは分かりませんが、’72年というのは文革が終わるか終わらないか(文革Wiki)、終わっていてもまだ十分に余韻の残っている時期で、意識しないのは難しい。
だから”射英雄”という言葉がチンギスハーンと毛沢東(の詞)を中国人読者に強くダブらせて印象付けるものであるなら、ストーリーの内容とからませて遠回しにせよ批判・相対化する意図が入っていてもおかしくはない。

一方で『大漠』『射』というタイトル自体の問題ですが、まず”チンギスハーン”を連想させるという意味ではこの二つに大きな差はないのではないかと思います。
数ある北方異民族の侵入の中でも、「元」を建てたという意味でも”世界史的な壮挙”という意味でも、チンギスハーン=蒙古というのは別格で、つまり『砂漠の英雄の話』ならそれがチンギスハーンの話だというのは、特別な注釈抜きで基本的に中国人には通じたのではないかと思います。・・・・”壮挙”、好きでしょ?中国人(笑)。大きいもの偉大なものは善悪利害を超えると考える民族でしょう?

ていうかそれで通じないようなら、タイトル変更の意味が大き過ぎて作家のケジメ的にまずいですよね。

問題はそれが『射』になると何が変わるのかですが、そこで出て来るのが例の「毛沢東の詞」で、つまりチンギスハーンの連想に更に毛沢東の連想が加わると。ここを指して「『射英雄伝』は毛沢東批判の(底意のある)書である」という、中国人好みの定義付けが生まれるわけですね。


さてどうか。
政治と文学についての金庸自身の基本的な態度としては、

政治状況というものはめまぐるしく移り変わるものであり、直截的な当てこすりにはあまり意味がない。(中略)なりふり構わぬ権力闘争は古今内外の政治の基本的状況であり、過去数千年の間このようであったし、恐らく以後数千年たってもやはり同じであろう。

(『秘曲 笑傲江湖』あとがき)


というものです。ちょっと金庸作品を読めば金庸がそんな野暮な作家でないのはすぐ分かりますし、だいたい政治主張をしたければ既に金庸には政治評論という別のフィールドがあるわけですからね。

ただ金庸も人間ですし、「文化大革命」の猛威への恐怖や複雑な感情というのは当事者には到底きれいごとではすまないことだったでしょうから、作品を改定する際に、内容に大きな変更を加えないで済む範囲で、言わばついでに出来るのであれば、ちょっとそれへの復讐や攻撃の意図を含ませたとしてもむしろそれは自然なことなのではないかなと思います。

というわけで現時点での僕の推論・結論としては

1.執筆時点では特に毛沢東/共産党批判を意識したりはしていなかった。
2.ただし改訂時のタイトル変更に、作中のチンギスハーンと毛沢東との連想を強化するような、そう読み取られても特に不本意ではないような、そういう意図はうっすらと含ませていた可能性は十分ある。

というものです。


(追記)
改訂時に例えば具体的なモンゴルエピソードの追加やエンディング部分の修正などの大きな変更があったりするとだいぶニュアンスが変わって来ますが、そこらへんはどうなんでしょうね?>jinyuさん


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コメント

「政治」問題まとめて

>中国人にとっての野暮と、日本人にとっての野暮は違うのです。なんていうのかな、政治の話を娯楽小説に持ち込むことさえ厭わない、感性じゃなく論理だ、それが中国人の考え方なんですよ。

いや、「文学に政治を持ち込むこと」が野暮なのではなくてその持ち込み方、それを「あからさまに持ち込むこと」、いずれ”時事ネタ”として古くなってしまうようなやり方で・・・・というのを”野暮”と言ったつもりなんですけどね。
基本的には上の「『笑傲江湖』あとがき」がやはり模範回答なわけですが。

>要するに中国人は「小説家も政治批判してこそ一人前」みたいな観念があるから、そういう意味で金庸は見栄をはってタイトルを『射』に変えた=つまり一応政治批判してるのよ~みたいなスタンスを示した……んじゃないかと邪推してみたわけです。
http://kinyo.blog66.fc2.com/blog-entry-25.html#comment21

ただ金庸の個々の態度に関しては僕も微妙だなと思っている部分があって、それがまあ例の「第1期」性という話なわけですがまあそれはお分かりでしょう。

>金庸は基本的に「伝統的中国知識人」であり

これはイエスでありノーですかね。
つまり金庸が「伝統的」知識人の流れを(教養を)汲んだ人で、自分の小説に「伝統的」文体/スタイルを与えているのは確かでしょうが、ただそれは金庸自身が「伝統的」保守的だからではなくて、むしろ反逆者的で個人主義的だからという意味合いが大きいのではないかと思います。
つまりあれは”あえて”やっている、「伝統的」スタイルが廃れているから逆に新鮮だから狙いでやっているのであって、構成要素一つ一つはかなり意識的で、「伝統」だからそれに従ってやったりはしないのではないかと。

最終的に「伝統」の力、「形」の力が、個人としての金庸の”意図”を飲み込んでしまうということはあるでしょうけどね。

う~ん

すみません、まだ考えがまとまってないので、断片的な意見しか書けませんが。

>ちょっと金庸作品を読めば金庸がそんな野暮な作家でないのはすぐ分かりますし、だいたい政治主張をしたければ既に金庸には政治評論という別のフィールドがあるわけですからね

この部分には同意しかねます。なぜなら、金庸は基本的に「伝統的中国知識人」であり、そして伝統的な中国知識人にとって、文学に政治的意図を練りこむことは「最高のテクニック」だからです。
中国人にとっての野暮と、日本人にとっての野暮は違うのです。なんていうのかな、政治の話を娯楽小説に持ち込むことさえ厭わない、感性じゃなく論理だ、それが中国人の考え方なんですよ。

ただ、創作当初にそういった政治的意図があったかどうかについては、楊過さんの意見に賛成。たぶん最初はもっと気軽に書いてて、途中で作家としての……いや中国知識人としての見得が生まれてああなったんじゃないかと。

モンゴルについてどうだったかなあ……あんまり射雕はまともに読んでないから(^^;でもいずれ調べましょう。

あ、そうそう、「金庸茶館」とは台湾の金庸公式ファンサイトです。

「金庸ロードショー」さんは私も昔読んだことありますよ。面白いけど神雕の評価があんまりでガッカリした覚えが(笑

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