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柏?浦和(’08) 

苦笑いするほど、エンゲルス。

J1第14節 浦和 ●1?2○ 柏(国立)

同点に追いついた時は、逆に勝っちゃったらどうしようと、心配になったりしました。(?)


まあ真面目ですよね、エンゲルスは。それ以上でもそれ以下でもないけど。
色んなことを気にかけて、全部一生懸命にやろうとするんだけど、どれも中途半端に終わる。
または全てを公平に考えようとして、バランスを気にして気にして、気が付くと単に中取ったか無難で保守的な選択になってしまう。・・・・ていうか、ある意味”選択”はしないんですけどね。

ギドは頑固、オジェックは頑迷、エンゲルスは・・・・迷妄かな。少しずつ似てて、でもそれぞれに違う3代の監督。多少無理やりに、漢字を共通させてみましたが。(笑)


一応、一応、キャンプの成果らしきものは見えなくはなかったですよね。
立ち上がりのプレスの意識とか、何かの時の”全員攻撃”っぽい感じとか。ああそういえばそんなこともと、思い出しつつやってるような感じで、ちょっと抵抗されるとすぐ忘れちゃってましたけど。

口では色々言ってはいるんでしょう、でもそれが説得力が無いか喚起力が無いか、態度や行いがそれを裏切っているか。
いや、あのスタメンがね、どうにもメッセージ性が無いというか、逆メッセージというか。さあやるぞという感じが全然しない。

まず待望のポンテが復帰して、それまで少なからずの時間、ポンテ抜きで曲がりなりにもやって来た、曲がりなりにも前監督(の末期)よりはマシな成績を収めて来たチームに、ショボイなりにも自分なりに色々やって来たチームに、どう「融合」するのかと思ったら結局ただのポンテのチームになっていて。去年と同じ。
3トップとかどうしたの?梅崎はどこへ行ったの?細貝は?”ボランチ”トゥーリオ・・・・は、いたか(笑)。いるよね、彼だけは。

故障再発が必然なのか不運なのか分かりませんが、”間に合った”というだけの三都主をいきなりスタメンで使ってまで・・・・というのはまだいいです。彼(梅崎)のポジションじゃないと言えばそうだから。
でもいざ使う時の使い方が、ポンテとの交代だというのが、あまりにも消極的でお茶濁しで、凄くがっかり。

いや、「交代策」として消極的だと言ってるんじゃないんですよ。”ポンテの疲労”というのは、(そうだとすれば)それなりに正当な理由だから。
そうではなくて、この大事な再開初戦の、劣勢の時に妙に粛々と行われた「ポンテ→梅崎の交代」という行為が、要するに梅崎はポンテのバックアップでしかない、言い換えれば梅崎やその活躍を象徴とする、ポンテ抜きで作って来たチームとポンテとの融合が、足し算が掛け算が、完全に放棄されている断念されている、そのことを知らしめる行為に、凄く僕には感じられたということです。萎えたということです。

”交代策”としても空気的に違ったと思いますけどね。スカパー解説の田中孝司さんなんか、平川との交代だと信じ切ってる感じでしたし(笑)。そうじゃないと分かった時の反応が、「予想が外れた」という以上に「裏切られた」「傷付いた」という乙女チックな感じで、妙におかしかったですが。
・・・・つまり別にレッズ寄りじゃない、第三者としても、今取る策じゃないだろうと強く言いたくなるような、そんな策。要は「予定通り」だったんだと思いますけどね、やっぱり。梅崎はポンテのただのパックアップなんですよやっぱり。それしか使い方が思い及んでいない。


その三都主のスタメンにしても、啓太も含めていつの間にかDF陣がいつものベテラン勢に落ち着いているのも、何か非常に気持ちが前へ向いていないか、これもいきなりスタメンの(それも余りいいプレーをしたことの無い右で)平川も併せて、とにかくこの間までいなかったメンバーで何とかして下さいという、依存心&自己否定的な無意識を感じてしまいますが。
要するに駄目だった、そしてどうも出来ないと、何より本人が思っているんでしょうね、心の底で。

ではトゥーリオを中盤に残したのは”積極策”なのかというとそんなこともなくて、いや、純戦力的にはそうなのかもしれないですけど、要はそれは惰性で。前のチームを消しちゃったのと同じ。
つまり「復帰選手」と「ベテラン」に引っ張られてそれまで頑張ってた選手を外したのも、でもトゥーリオは残っているのも、方向は逆ですが同じく”引力”に引っ張られた一種の決断放棄なわけですよね。トゥーリオの引力恐るべしというのはともかく。(笑)

意思なく全方位に気を遣った挙句、それぞれの場所で引力が出した答えの切り貼りでしょう、この日のスタメンは。もうどうしようとも、どれが正しいとも、本当は思っていない。
一応聞けば「ポンテと三都主でポゼッション上げようと思った」とか答えると思いますけど、その”理由”すら見ようによってはただの引力。



・・・・ただもう、何と言うか、別に「批判」しようとかいう気は無いんですね僕は。関心はそこにはないというか。「無能」だという表現もあまり。いや、無能なのかも知れないけど(笑)、それ以上に「仕様」の方を感じます。エンゲルスだからしょうがない、こうなるのはと。

そうですね、この前緑ブログの方で、こんな監督ランキングをやったんですが。
そこで緑の柱谷監督と赤のエンゲルス監督を、一種の同類として、J1最低ランクに配したわけですが(笑)。「時代遅れorモード違いの個人能力依存の監督」として。
これを今回の目的に照らして言い換えると、『バランス志向』の監督というようなものになります。

どういうことかと言いますと、その2人より”上位”の監督の特徴というのは、ある程度まとめて表現することが出来て、それは『狙い』を、抽象的な『機能性』を、ある意味一方的に先行させる監督です。そこにチームの現実や選手の方を、寄せて行こうとする。
それは”抽象”であるし一種のギャンブルであるし、素朴な意味での”バランス”は、最初から犠牲にする/危険に晒すことを前提としている。

と言うとなんか凄くけたたましく聞こえて、トルシエのフラットスリーの話か何かみたいですが、そうではなくてもっと一般的なor様々な、今日本人が普通に「組織的な」サッカーだと考える、感じるサッカー全般の特徴を言っています。

ある時期以降の日本人にとってはこれは普通のことで、多くの場合「いいサッカー」の必要条件でもあるんですが、エンゲルス(や柱谷)には違うんですね。あるいは古ドイツ系(笑)のサッカー人には。恐らく、この2年でアビスパに甚大な被害を与えているらしい、リティあたりも含めて。
日本人が「普通」だと感じる”組織性”は、これらの人たちにはそれ自体、「極端」なものなんですよ。同じ言葉を使っていても、イメージがずれている。

だから日本人には焦れったいようなレベルのものでも、必ずしも彼らには「組織性に欠ける」ものではない。あるいは彼らからすれば「極端」にやっている場合の”組織性”なら、日本人にもそうだと感じられるでしょう。
ただしそれはあくまで極端なものなので、あまりやらないし続かない。そのことにおいて、別に彼らはやるべきことをやっていないとは認識しない。そこにしばしば不可解な温度差が生じる。

逆に日本人には過度にバランス志向で消極的・無為に見えるような状態でも、彼らには普通で正当な範疇のものだったりする。特段「個人能力に依存」しているとは、思わない。むしろ日本人の(標準的な)「組織的」サッカーの方が、バランスを失した抽象的でギャンブリングな、極端なものだと思う。
要するに方針以前に、サッカー観/感や概念使用の相場がずれているので、噛み合わないんですね。


こうした類型の究極的世界的意味や優劣は置きましょう。ただ少なくとも言えると思うのは、日本では日本人が正しいと思うことが正しいということです。たいていは。
それは単にサッカーファンの”好み”ということに止まらず、日本人選手/Jリーガーの頭の中身も実際にそうなっていると思います。つまりそれが選手たちが求めているものだし、やりやすい、意欲に燃えてやれる、脳がよく働く、”正しい”サッカー、サッカー観なわけですよ。考え方は個々人(監督)の自由ですが、必要とされているものを与えられなければ、やはり上手く行かないわけです。

そのリーグの”モード”に逆らう難しさという問題もありますし。増してこうした人たちは、問題意識や正確な現状認識をもって「逆らっている」わけではなくて、単にずれているわけですから。
オリベイラなんかはさすがの一級品で、自分がやっていることの意味がはっきり分かって、少し違うことをやっているわけですけど。

こうしたこととエンゲルス(やオジェック)の「無能」や「弱気」は、一応別の問題ですけど背景や遠因ではあると思います。元々大した能力の無い人が、無自覚にアゲインストの状況でやっているわけですから。そりゃ上手く行かんでしょう。
こうしてみると、本質的には特に違わないのに、一人前以上の仕事をやり切って去って行ったギドの”豪腕”は、改めて大したものだなと思ったりしますが。(笑)


そんなこの日の感想。


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