スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

東京V?浦和(’08) 

いよいよもって。

J1第23節 浦和 △1?1△ 東京V(国立)

なんだ。


なんでしょうね。ヴェルディが基本、回りくどいチームなだけに、簡単にやって来るチームほど劣勢が目立たなくて、何となく平穏無事というか、レッズなりにマイペースでやっているようにも見えるかもしれませんが、僕には今季でも極め付けの、「何にも無い」感で満杯の試合に見えましたが。
相手が相手だけに、もしあのまま負けていたら、歴史に残る屈辱的な敗戦だったんじゃないでしょうか。・・・・"屈辱"と言っても自己嫌悪ですけどね、主に。その内容物は。

とは言え残るのは結果なわけで。"起死回生"と言いつつ、微妙に"予定調和"感もありましたし。(笑)
かくして本日も、王者レッズは面目を保ちましたとさ。
とどめ刺してはっきりさせられなくてごめん、ヴェルディになりかわって謝ります。(笑)


「何にも無い」感についてもう少し言うと、チームがバラバラだったり緊急事態で惨敗したとか言うなら、そういう時期なら、まだかわいげがあるというか期待感はあるわけですけど。いい加減押し詰まって選手も揃って、ある意味では「完成」期にさしかかった状態で、それでこれかよというのと、未知の部分が少ないので希望が無いというのと。
まあここまでは当たり前の話。

で、それと、変なことを言うようですが、サッカーの試合は戦力や戦略の比べ合いであると同時に、意思のぶつけ合いでもあるわけですよね。俺はこういう風にしたいと思っている、お前は?という。
それに対して仮に特別用意したものが無かったとしても、日頃一生懸命やっているものが、相手の働きかけによって刺激されて、たいていはそのチームなりの何かが出て来る、予想以上/予定外のものが出て来て喧嘩を売った方が慌てる(笑)とか、まあそういうやり取りをしながら、日々の戦いは過ぎて行くわけですけど。

なんかね、何も返って来なかったんですよね、ここんところ模索しているものを、下位チームなりに首位チームにぶつけさせてもらった結果として。一応試合らしきことはやっていたわけですけど。局面の(戦略的)駆け引きもこまごま無くは無いわけですけど。
レッズという「チーム」と戦っている手応えがほとんど無かった。こちらの擬似人格に応えてくれる擬似人格が、不在だったというかろくにまとまった体裁を取っていないというか。阿部とか、個々の選手の顔はたまに見えるんですけど。

それでも戦える、個別の反応の集積だけで、首位にもいられるというのも面白いっちゃ面白いところですけど。
ある意味ではレッズ流でもあって、意識的にやれば、「いなし」でないことはないわけですけど。
ただねえ。


ちなみにエジミウソンは、意外と嫌なんですよ、相手にすると。たまに出て来てフラフラニヤニヤして、こんな奴にやられたくない決められたくないと、シュート体勢に入る度冷や冷やします。(笑)
いくら顔の見えない相手との試合とはいえ、こちとら一生懸命やってここまで試合を作って来たんだ。それをこんな奴に・・・・。そういう意味で、「一生懸命やってます」と顔に書いてある(だけの)今の高原は、やっぱりFWとしての怖さが無い。まあだからといって、一生懸命やらないわけにもいかないわけですけど。(笑)

ある種空気を読まないのはストライカーの仕事の一種というか、むしろ自分だけの空気を持つ/作り出すのが大事というか。余談ですけどこれは。

で、最近むしろ楽しみになりつつある、試合後の(スカパー)エンゲルスインタビュー。
ある種観客・視聴者代表として、「良くないなりにしぶとく勝ち点1を確保した」というラインを基本に話しかけるインタビュアーに対し、食い気味「試合内容からすれば勝ち点が1にとどまったのは大いに不当だ・不本意だ」と、例によって(?)恐ろしいポジティヴ・シンキングをぶち上げるエンゲルス。凄いよね、最近噛み合ったの見たことない。一瞬ポカーンとしてましたねインタビュアー。

ただこれは、再び極力感情を排して見れば、多分そんなにおかしいことではない。チャンスとピンチの単純な足し引きだけで言えば、改めて数えたわけじゃないですが、エンゲルスの把握はそれなりに客観的なわけですよまず。
だから逆張り的な擁護論や、議論の、監督会見の危機管理のテクニックとしてそういう主張をすること自体は、可能だと思います。しかしエンゲルスの面白い (?)ところは、これを端的な感想、むしろ素直な"印象"として、恐らくはマジョリティの同意を期待して言っているところで。何度も言ってますが、本当に見解が相違しているんですよね。

ちょうどさっき読んで来た今週号のマガジンのジャック・ティベールのコラムページで、「クライフとベッケンバウアーの比較」というテーマが取り上げられていましたが。その中で思いっ切りかいつまんで言うと、『理念・理想を語るクライフ』と、『理念どころかチームの全体像すら語らないベッケンバウアー』というコントラストが示されていました。
うーん、そういうことなのかな。ほんとにドイツ人って、ドイツ人にとってのサッカーってそういうものなのか。少なくとも伝統的には。個別の事象の集積、本当にそれだけ。


なかなかにわかには理解し難いですけど。
いや、それ自体は理解出来ますけど、それで事足れりと落ち着いていられる状態がどういうものなのかが、リアリティとして想像し難い。じゃあなんでドイツ哲学は観念論なのかとか、ひょっとして反動なのか自分たちの民族性への反発なのかとか、それはともかくとして。(笑)

とにかくそういう(?)ドイツサッカー人としてのエンゲルスにとって、それこそ僕が上で口走っているチームの「意思」だの「擬似人格」だの「顔」だのといった、正に"全体像"的な観念は、無意味というか問われるべき問題領域として、ハナから想定されていないというか。 だから逆に、エンゲルス率いる浦和レッズに、そういうものが存在できない、見えないのも当たり前というか。

勿論僕の言っていること自体は一つの虚構ですけど、全知力・認識力を使ってサッカーを捉えようという努力の中である種必然的に出て来る虚構であって、それ自体の根拠というよりもそれを使ってどのような話が出来るか、どのような理解の局面が開けるかと、そういう類の概念であると思います。・・・・少なくとも日本人にとっては。ですよね?(笑)
ともかくも日本人ファンや浦和レッズの選手たちが、「全体像」の不在によって苦しんでいる混乱しているのは、事実だと思われるわけですが。

まあどうなのかな。オランダ人にも、それはそれで話が通じないところが多々あるのかも知れない。レッズでエンゲルスやオジェックを掘り下げる機会を得るまで、ここまでの違いというのは想定したことが無かったので、あんまり自信無いですけど。(笑)
そりゃブラジル人にも変な人や理解に苦しむことは沢山ありますが、たいていは「間が飛んでいる」とか「ある概念が絶対化されている」「自己防衛本能が肥大化している」くらいの但し書きで、何とか理解出来ていたと思うんですけどね。彼らに比べれば一見「理知的」で真面目で、日本人に近しいと思われていたドイツ人が、こんな爆弾を抱えていたとは(笑)。世界は広いな。


面白いは面白いですよね。
例えばイタリア人は、ドイツ人に負けず劣らずの「リアリズム」で「勝利至上主義」で、ある種オランダ人の"敵"なわけですけど、一方で非常に理論的で強迫的でもあり、その時々の到達すべき全体像が曖昧なままやるなんてことは考えられないわけで。ここらへん、単純な習慣的な類型論だけでは、把握し切れない部分。
好みは好み、目標は目標、手段は手段、癖は癖、それぞれ別個に、微妙に重なって存在しているというか。
・・・・アルゼンチン人監督とか来ないですかね(笑)。折り入って研究してみたい。分かるようで分からない、アルゼンチンは。ビエルサの(分かり易い)理論性とかは、多分少し例外的なんだろうし。

で、どうまとめましょう(笑)。何も考えてなかったですが。顔の無い浦和レッズは、これからどうなるのかどうしたらいいのか。
エンゲルスは悪気があるわけでも手抜きをしているわけでもないので、反省したり改心したりもしないわけですよね。ただこういう人なわけで。それが分かってしまうと苦しいですね。本気で憤慨したり爆発して、束の間のカタルシスを得る自由も無くなる(笑)。大人になるってこういうこと?

とにかく『個別の事象の集積』派たるエンゲルスにとっては、要は文字通り結果が全てで、勝ってる内は、大過無い結果が出ている内は、何も変わる/反省する理由は無いわけで。まあ結果が出なくなっても、その原因の求め方としては、今までの把握の方向性そのままでしょうけど。
本音を言えば負けてしまえと思っている人は少なからずいるでしょうが、選手は勝つよう努力するしかないわけで、となるとそれに付き合う側としては・・・・耐える、しかないか、結局。月並みですが。その中でなるべく面白いものを見つけて行く。ドイツ・サッカーの真髄とかね(笑)。知りたくねえな、あんまり。

駄目だ。まとまらない。(笑)


スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://kinyo.blog66.fc2.com/tb.php/312-e8a28dad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。