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大分?浦和(’09)、浦和?名古屋(’09) 

”苦手”チームとの2連戦。

J1第18節 浦和 ●0?1○ 大分(九石ドーム)
J1第19節 浦和 ●0?3○ 名古屋(埼玉)


に、きっちり2連敗。・・・・と、結果としてはそうなりました。


実際にはむしろめぐり合わせ、大分は監督交代で、名古屋はケネディ加入でそれぞれリフレッシュしていたところに、ちょうどぶつかってしまっていい迷惑と、そっちの方が実態に近いと思いますが。
昨季の”躍進”2チームが、知らないところで(笑)勝手に落ちて勝手に上がって、よりによって浦和と当たる時に、今季一番に近い状態で、臨んで来たという。

・・・・というのはまあ勿論、結局は泣き言で、そうした些細なアンラッキーでも十分に重荷になってしまう、こちらの状態に問題があるのは、明らかですが。
大分の堅守速攻に、名古屋の電柱放り込みに、それぞれ注文にはめられて”パスサッカー”が持ち味を出せなかった、それはそれで事実なんですが、それを言うことに虚しさを感じる、こちら側の抵抗力の弱さ。

大分戦はまだいい。ナビスコ挟みの日程と九石ドームのピッチという悪条件に苦しめられたポゼッションのチームが、開き直ったカウンターのチームに足元を掬われる、当たり前過ぎて哀しい結果ですが、”哀しい”分同情の余地はあるというか、次は頑張れよと言って、一応終わりに出来るというか。
しかしその”次”の名古屋戦、きっちり一週間空いたホーム戦の、挽回を期すはずの試合での、この何も無さはどうしたことか。前回列挙してみた様々な「左右要因」の内、山田直こそいないけれどポンテはいて、細貝もちゃんといるべきセンターにいて、サイドバックも片方は少なくともベテランが固めて、ベストではないけれど見かけ上は十分準備が整った状態でスタートした、試合の。

そう、「整っ」てはいたんですよね、十分に。恐らくはフィンケとしても、この試合についてはうん、後はやるだけと、それなりの目算はあって、臨んだのではないかと思います。そして多分、チームとしても。
しかし、動かない。足が、というより、チームが。「整っ」たことで見えて来たのは、むしろ今このチームが、形だけ一応整ってはいても、それ以上のものが何も無い、どこに向かうベクトルも、共有し得ていないという、その事実ではないかと。
むしろ心配の種がある方が気が紛れると、そこまでは言いませんが。(笑)

この、チームの「不動」「無風」ぶりが、あらゆる想定を越えたものであったのは、”強行”出場のはずの直輝を、あんな前半の半端な時間に、ただ残り時間が長いだけでなく、先発でも後半の勝負所でもない、気持ちの持って生き方の難しい、ある意味一番負担の大きい、”お願い”要素の濃いタイミングで入れる決断をした、フィンケの慌てぶりによく表れていると思います。
フィンケだってそんなことは、本来ならしたくなかったはず。それだけあの時間帯までのチームに、可能性を感じられなかったという、そういうことで。・・・・正直やめてくれと、倉敷川勝の放送席は、言いたげな雰囲気でしたが(笑)。僕も同感。そんな価値無いよ、この試合。


ただね、「悪い」とまでは、言い切れないんですよ。全然駄目とか、崩壊しているとか。
後半頭などの良い時間帯にはそれなりにちゃんとしていましたし、次の試合あたりでいきなり模範的な内容で快勝しても、そんなに僕は驚きません。

だから「内容」というよりは「ベクトル」やその統一感の問題で、それが状況や風向きでどう出るか、つまりはチームには(内容的)「発展」の余地はほとんど無くて、少なくとも現有戦力の範囲ではほぼ完成しているんじゃないかと、そう前回も言ったわけですが。
・・・・ちょっと分かり難いですね。「ベクトル」ということで何を言いたいかというと、一つは勿論、その試合内のモチベーションやノリや勝負時の集中の仕方ですが、より広くはそれこそ「発展」の問題、つまり自分たちは今どの段階にいて、何に注意してどれくらいの勢いでやらなくてはいけないのか。初期なのか中期なのか後期なのか。完成度は何割くらいと考えるべきなのか。

漠然と「まだまだ」ということは、良い意味悪い意味含めて皆が言うわけですけど、そういう原則論は原則論として、要するにどうなのかということを見定めながら戦うのが、むしろ主体的な戦いなわけで。そうした状況認識を共有して、戦わなくてはいけないというか。
食い違っている、のならまだいいんですけど、見当を失っているように、見えるんですね。それぞれに個人的向上心は持っているわけでしょうし、あえて言えば、僕も度々言及するように(笑)、”クラブW杯で欧州(or南米)代表を倒す”という、究極的な目標自体は「共有」されてるわけでしょうけど、それだけではね。

上手く行く時は上手く行くし、行かない時は行かないし、勝ち点はそこそこ取れてるし、でもそれ以上ではないし、結局どういう自己認識で戦えばいいんだろうという。もっと頑張る、より頑張るという以上の、どういう基準が、今自分たちに課せられているんだろうと。
あるいはその”もっと”と、フィンケが与えて来る(来た)カリキュラムとの、具体的な関係はどうなっているのか。そこらへんあたりが何か、見失われているように見えるんですね。


中だるみ、というより、中ぶらりんかな。
はっきり言えば、恐らく今フィンケは、モチベーターとして機能出来ていなんだと思います。
クオリティへのいい意味での強迫観念の喚起も出来ず、目の前の勝利やその為の現実的課題のクリアへ選手を駆り立てるわけでもなく。単に長い学校生活の、途中というだけで。(笑)
はいはい真面目に勉強はしますよ。テストによっては、より頑張るしいい点取る時もありますよ。・・・・で、ところで何の為でしたっけという、そういう状態?

新たに生徒の興味を引くカリキュラムを提示するか、「本番」へ向けて戦闘態勢を作り上げるか、あるいは”既知”のように見えるカリキュラムの奥の意味を、再び生徒に発見させるか。


改めてWikiを見ると、何とまあこの人、フライブルクで16年もやってるんですね、そこまでとは知らんかった。
毎年選手を入れ替えて、手を変え品を変え常勝を目指すマンUのファーガソンならともかく、中堅・弱小クラブでのこの気の長さというのは、ある意味自己満足型というか、”正しい”サッカーを”続ける”ことに、基本的に満足を見出せてしまうタイプなのではないかと、想像されますが。

分かりませんけどね(笑)、七転八倒、その時々の試行錯誤が、気が付いたらたまたま16年になっただけで、この人なりに無限の発展や大成功を、激しく求めていたのかも知れませんが。(笑)

しかしどうもある時期以降、監督の”落ち着き”が、選手に伝染というか浸透というか、した結果の今の状態と、そう見えるところが少なからずあります。
とにかく何と言うか、今レッズは書き難いです。(笑)
書き甲斐がというか。見当を失ってるのは、僕自身か。


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