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郭靖の”成長”と『射雕英雄伝』(1) 

射雕英雄伝 〈1〉砂漠の覇者ジンギスカーン 射雕英雄伝 〈1〉砂漠の覇者ジンギスカーン
岡崎 由美、金 庸 他 (1999/07)
徳間書店

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予告通り、以下の3つの観点から語っていきます。
 1.少年郭靖の”成長”ストーリー
 2.郭靖と楊康の”合わせ鏡”キャラの相克ストーリー
 3.東邪・西毒・南帝・北乞(+中神通)の四方位(人)が象徴する、中国的道徳/価値観の”曼荼羅”ストーリー

そして結論から言うと、それぞれのストーリーの「達成度」は
 1.90%
 2.70%
 3.50%
くらいかなというのが僕の見立て。・・・・ま、立てたのも解いたのも自分ですけど。(笑)

ではスタート。



1.少年郭靖の”成長”ストーリー 達成度90%


郭靖は”成長”しているのか?

まずは引用から。

岡崎 金庸先生が(『書剣恩仇録』の)後に書かれた作品では、多くが、未熟な少年がだんだん大人になっていきますよね。
金庸 そう、成長していくのね。
岡崎 その過程が、とても詳しく、精緻に書かれています。

(『きわめつき武侠小説指南』 p62)


ごく平凡な少年郭靖が、世間の裏表を知り、さまざまな人生の師に出会って自己形成していくさまは、武侠小説の『ウィルヘルム・マイスター』という趣がある。

(『武侠小説の巨人 金庸の世界』 p80)


実を言うと僕は、上のような解説を読んで初めて、「そうか、郭靖は成長しているのか」と気が付いた人だったりします。

勿論ストーリーの「型」として、『射英雄伝』が主人公郭靖の武術的人間的”成長”物語になっているのは明らかなわけですが、その具体的な様子がどうも僕には型だけのがらんどうなものに見えて、むしろ「成長しない」ことを金庸先生はあえて書いたのかなと疑っていた部分があったのです。ああも(↑)はっきりおっしゃっているからには、今となっては僕の深読みのし過ぎは明らかですが。(笑)


”教養小説”(ビルドゥングスロマン)としての『射英雄伝』

なぜ僕がわざわざそんな穿ったことを考えたかには、一つの”文学史”的な背景があります。
それは引用の後段の『ウィルヘルム・マイスター』という作品に代表される、「教養小説」というジャンルをめぐる少しこみいった議論です。

教養小説(ビルドゥングスロマン)とは

(多くの場合幼年期から成年にかけて)主人公の精神的、心理的、または社会的な発展や精神形成を描く小説のことである。発展小説形成小説ともいう。ドイツでこのような型の小説が育まれてきたため、英語でもしばしばドイツ語での表記(Bildungsroman)が使用される。
(Wiki)


・・・・要するに「主人公の成長を描いた小説」なわけですが、じゃあ逆に主人公の成長を描”かない”小説はあるのかというと、あるわけですね。というか、ある時期までの西洋文学において「成長」などというのはほとんどテーマとして存在していなかった。(らしいです)
典型的には”ギリシャ悲劇”で、そこにおいて事件はただ起きる、「運命」の、「予言」の通りに。主人公たちがどう行動しようとしまいと。そこに「個人」の「自由意志」やら「内面」やら、それらに根差した「成長」などという要素の入り込む余地は全くない。

そもそも今日言うところの「内面」というものは、キリスト教という信者に内省や神との対話を要求する宗教の発展によって初めて(ヨーロッパにおいて)意識されるようになったらしいですが、その後のルネッサンス/宗教改革による「個人」や「自由」の意識の向上、また科学/啓蒙思想の発展による「進歩」や「進化」という思想の一般化、それにより「自由な個人の内面的な成長」をメインテーマにする小説形式が可能になったと、そう僕は理解していますが。

だから小説形式的にはある意味で復古主義者である金庸先生のことだから、郭靖の「成長」も何らか「」(カッコ)つきのものなのではないかと気の利いた疑問を呈するつもりでしたが空振りでした。(笑)
結論、『射英雄伝』は郭靖少年の”成長”を描いたビルドゥングスロマンである。


(2)へ。


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