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「念」(ネン)と「燃」(ネン) ?『ハンター×ハンター』の「念」理論(2) 

(1)「念」と”ゲーム”編より。


ではそのゲーム的発想を下敷きにした『ハンター×ハンター』の「念」理論が具体的にどうなっているか、(本題である)”技”と”心”についてのどのような思想で出来上がっているかですが、周到に作り上げられた一つ一つを取り上げていてもキリがないので、最も原理論である『四大行』の構成に表れているそれで代表してみたいと思います。

・・・・実際にはどれがというより体系性そのもの、体系全体が正にその表現だと思うので、まだ読んでなくて興味がある人は是非自分で読んでみて欲しいです。色々含めて決して損することのない傑作だと保証します。(笑)


『四大行』とは

その前にまず「念」とは何かですが、初出の6巻の説明によると、「体からあふれ出すオーラと呼ばれる生命エネルギーを自在に操る能力のこと」とあります。
まあこれ自体は予想の範囲の、至ってありがちな設定ですね。魔法は魔法、アビリティはアビリティ、問題はその後というわけです。

その念の最も基本的な修行には、以下の四つの局面があります。(『四大行』)

纏(テン) ・・・・ランダムに拡散しているオーラを体の周りに留める、身に纏うこと。

絶(ゼツ) ・・・・オーラの放出を完全に絶つこと。

練(レン) ・・・・オーラを練って高める/増大させること。

発(ハツ) ・・・・オーラを発すること、操ること。


とりあえずこれはこういうものとしておいて下さい。


もう一つの『四大行』

ところがストーリー中この”「念」の『四大行』”の前に、発音は同じですが内容は違う、「燃」(ネン)の同じく『四大行』というものが主人公たちに示されます。具体的には

点(テン) ・・・・心を一つに集中し、自己を見つめ目標を定める。

舌(ゼツ) ・・・・その想いを言葉にする。

練(レン) ・・・・その意志を高める。

発(ハツ) ・・・・それを行動に移す。


の四つです。「燃」自体は「心を燃やすこと」「意志の強さ」と説明されます。

さてこの「燃」は何かと言うと、「念」の修行の為の下ごしらえであり、また危険な武器ともなる実際的な力を持つ「念」を、修行の心構えや準備の出来ていない門外漢から隠す為の表皮でもあります。言わば”表”の「燃」に対する”裏”の「念」、日常的な力と非日常的な力のような関係にあります。


二つの『四大行』の関係

ここで僕が面白いなと思ったのは、二つの四大行の前半は違っても、後半は共通していることです。
パッと見では念理論の他の部分の趣味的とも言える緻密さ(血液型よろしく性格類型まで作っている)からすると、いささか不徹底な印象は受けますし、表と裏の言い換え、語呂合わせという面からしても、最後までやってくんないかなと多少気持ちが悪く思います。(笑)

ただこれにはこういう意味があるんじゃないかと僕は思っています。
つまり「燃」と「念」は違う概念であり、違う力である。日常的な次元のそれと、非日常的なそれと。だから基礎的定義的な部分では当然違いが出る。
しかしより応用的運用的な段階に来ると、あらゆる力に必要な要領、または表れる局面は結局同じものになる。・・・・というような。

ちょっとこじつけくさいですかね(笑)。要は面倒だったという可能性はありますし、ストーリー上この「燃」は、主に主人公たちをいったん丸め込んで「念」から遠ざける為に登場している概念なので、本当のことを教えることにしたある段階からは特にそれ以上設定を突き詰める必要がなかったという事情はあるかなと思います。(だから前半だけ言い換えた)
ただ一方で作者の凝り性から、単に放置するともとても思えないので、何らか上の僕の”説”的な呑み込みの仕方はしてるんじゃないかとも強く思います。



(まとめ)

そこまではっきりした呑み込み方はしていなくても、「念」という飛び道具的な概念に”技”以前のこうした整然とした基礎理論を与えていること、そして程度はともかくそれが「意志」(燃・ネン)という、形こそないもののそれ自体は日常的に使われる概念と同型の構造を持っていること、こうした描き方には富樫/ハンター一流の独特のニュートラルな姿勢が表れていると思います。

つまり「念」だの「気」だの「オーラ」だのが登場する格闘系ストーリーの場合、往々にしてある段階から先はそれらの万能性に頼り切って説明もクソもない”必殺技”の粗製濫造に終始する傾向がありますが(後付け的に参照)、富樫ハンターの場合はむしろそれまでにも増して理論性が前面に出て来る。

そういう意味では他との比較ではほとんど科学主義・技術主義的とも言える態度で、大別すれば”技”派かなとも思いますが、一方ではその技術主義は決して”心”/超自然の軽視という方向には向かっていない。むしろ冷徹に粘り強く日常的な知性との接点を探り続ける態度は、どこまで本気かは知りませんが(笑)逆にそうしたあやふやorあやしげなものの実在感を増すことになっていると思います。

・・・・(1)でもちらっと言いましたが、なんか割合まとまった古武術理論の下敷きがあるような気もするんですけどね、どうなんでしょう。


次は同様に「念」と”古武術”の香りを用いながら、違ったニュアンスで格闘ストーリーを作る菊地秀行『妖魔』シリーズを。


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