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「統合」のプロセスについて/考察 

書き方にもよるのかもしれないが、基本的にアリソンの事例はどれもやけに鮮やかだ。統合の「瞬間」をくっきり切り取る描写など他の本では見たことがないし、何よりもほとんどの場合統合のプロセスとは糠喜びと落胆の繰り返しで、いったいいつ統合に成功していたのか果たしてこれを完全に統合された姿と信じていいのか、最後の最後まで医者も患者も疑心暗鬼の生煮えでうろうろしているというのがむしろリアルな姿に見える。

まあ万事孤高のラルフ・アリソンだから、要は腕が違う、人間の出来が違う、そこらの事例といっしょにしてもらっては困るという反論も特には否定しないが。

ヨランダの例で言えば統合の主体であり最大の受益者であるオリジナルでも、元から我欲の無いISHでもない()つきの”ヨランダ”の、自らの死を何らか意味する<統合>への積極性、勇敢さ、悲愴な覚悟には感銘を覚えると共に、よく説得出来たものだなともっとドロドロメソメソした他の医者の患者の例を思い浮かべて不思議な気持ちもする。

可能性としては本書には特に書いてないが、この”ヨランダ”はオリジナルそのものではなくてもオリジナルとかなり近い、早くに引きこもったオリジナルの可能態/大人版のような人格で、理論的にだけでなく実感として本来自分は<オリジナル>と一体の存在であることを強く感じられる人格なのかもしれない。まあ完全な推測。


カーラの例についてはまず単純にこの戦いに負けてしまったらどうなってたのだろうという疑問が湧く。というのはアリソン自身も定式化しているように(後日)、統合治療はたいていまずほとんどの患者に存在する恐らくは人格分裂の原因を作った虐待者・攻撃者への怒りや憎悪に由来する、あるいは攻撃者を内面化した結果としての、アリソン風に言えば<悪の交代人格>の力を少しずつ削ぐところから始まるからだ。そうして差し迫った危険を無くした上で一つ一つ人格が多重化した原因を取り除いて行き、全体性の再構築に取り掛かる。

その場合最終的に問題になるのは特段”悪”ではないそれぞれの交代人格の無理解や自己保存欲であり、グズグズウダウダはしてもこんなノるかソるかのハルマゲドンみたいな事態にはまずならない。というかしないはず。アリソン自身は「ハルマゲドン」敗北後の<負の人格統合>の可能性についても「理解しておかなければならない」と不吉なことを書いているが・・・・。(ちなみに幸いにして経験はないらしい。)

ここでも僕なりの推測を述べておくと、実際には暴力的で否定的な人格(”迫害者人格”という言い方が一般的)は必ずしも最初から目立って大暴れするとは限らず、先の「地獄の怪物」ではないが人格構造の奥の方で鳴りを潜めていることもままある。後で取り上げるサラ・E・オルソンの例のように、一種の人格グループ内の自治機構が協力して封じ込めていたりすることもあるようだ。

そういうケースではとりあえず目に見えるトラウマや問題を処理して人格構造が整理されて統合が進んで行くと、むしろそれによって隠れていたそういう人格が出て来やすくなったり統合過程の終盤になってやっとセラピストがその存在に気付いたりということが起きる。そうして最後に残った最大の問題人格(ラスボス?)とそれまでの治療で力を蓄えて態勢の整ったオリジナル人格の最終決戦、それが上のカーラの例なのかもしれない。

これは多分それなりに確度の高い推測だと思うが、それにしても2例しかあげていない統合の具体例(注)の一つとしてカーラのような例をあげるのはちょっと問題があるというか要はアリソンの趣味なのではないかと、そんな気がしないでもない。いずれにしてもアリソンの症例というのは非常に物語性が豊かで、アリソンがそう導いているのか、そういう医者にはそういう患者が集まるのか。

(注)
後で確認したところ、アリソンは少なくともあと一例、「エニッド」という患者の詳細な統合例をあげていたので訂正しておく。
ちなみにこの患者も、「カーラ」同様統合間際にかなりの物理的危険や敗北の可能性を感じさせるような迫害者人格との激烈な闘争を演じて見せている。


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