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高機能自閉症者の「仮面」は多重人格者の「人格」と同じものなのか 

以上実例を見て来たが、こうした(高機能)自閉症者が見かけの適応のためにかぶる”仮面”の形成プロセスについて、ドナ・ウィリアムスはこのように説明している。

わたしには、専門用語でいういわゆる「反響言語(エコラリア)」「反響動作(エコプラクシア)」があって、聞こえたり見えたりしているものが何であろうと、おかまいなしに音や動きを真似することができたからだ。(中略)この物真似のおかげで、わたしはパッチワークのように継ぎはぎだらけのものながら、自分がかぶる仮面を作ることができた。(後略)
一方、「自閉症」と呼ばれる人の中には、こうした物真似さえしないために、結局何のことばも発することができず、動くことさえできない人たちもいる。


いわゆる多重人格者の”人格”たちも、基本的にはある特定の状況への適応の為に言わば専門的に形成されるものであり、おなじみの記憶の分断とは別に時に独特な感情の幅の狭さを示すことはある。とはいえたいていの場合は交代の事実を除けば表面的には一人一人普通の意味での人間、個人であり、何十年間も特に何の違和感も持たれずに社会生活を送ることも珍しくない。彼らにはそれぞれに内面があり、それぞれの性格傾向に従って考え、感じ、行動する。決して物真似芸人のように白々しく見えたりはしない。

ドナ・ウィリアムス自身は前述の”マルコム”の母親に、「この子は多重人格なのでしょうか」と聞かれて「別ものだと思います」とはっきり答えている(ただし特にそれ以上の説明は無い)。
その当事者の直観は尊重するし、全く同じものだとは確かに思わないが、しかしその一方で両者のメカニズム自体は同じものなのではないかと思う。つまり自閉症者の「仮面」の感情表出の白々しさや行動の限定性は、自閉症という障害自体の元々のそうした特徴がそのまま反映したものなのではないか、自閉症者には自閉症者なりの、そうでない普通の(?)多重人格者にはそういう人なりの「人格」が形成される、ただそれだけのことのように思える。

(そして究極的には多重人格ですらない我々”健常者”の「人格」の形成とも、そのメカニズムは共通しているのではないかと。)


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