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「仮面」たちの事例が示唆するもの 

・多重人格の実在性

未だに時に詐病や演技を疑われ、また確かにブーム的な側面も多く持つ多重人格障害だが、こうして全く違う脈絡で同様の現象が存在することを見せられると、少なくともそういうこと(人格の多重化)が起こり得るメカニズムが人間の中に存在していることについては疑うことが難しくなるように思う。

・基本的な機能

今日多くの多重人格者はやれ24人だ50人だと華々しく無限に機能を分化させた交代人格たちを形成するが、ドナの”キャロル”とオリヴィエの”ベティーナ”、ドナの”ウィリー”とオリヴィエの”支配人”の共通性から、「社交」と「(危機回避を含む)現実的処理能力」という生存に最低限必要な二大機能が浮き彫りになって来るように思える。
それが24だの50だのというオーダーになってしまうのは、多分に半ば癖になっている、味をしめて便利遣いしているという面が強いのだろう。生来より深刻な困難を抱え、複雑で贅沢な社会的欲望を持ち得ない自閉症者の場合は、そこらへんがよりシンプル/プリミティヴに表現されるというわけだ。

・「人格」の発達段階?

勿論印象論に過ぎないが、自閉症者たちの示すそれぞれのパターンを強引に総合すると、いわゆる多重人格的な「人格」の形成には下のような発達段階が想定出来るようにも思える。

マルコムの「レパートリー」

イアンの「顔」

ドナ、オリヴィエの「仮面の人物」

多重人格者の「人格」(?)


下に行くほど交代人格としての自律性、”成熟”度(皮肉な言い方だが)が高くなる。

マルコムの場合はまだ母親がつきっきりの子供であり、総合的な適応を要求されることが少ない環境にあるためだろうか、ある種いたずら的にバラバラな行為・反応の「レパートリー」をランダムに使い分ける。イアンは大人であるが、元来比較的スキルに恵まれているのか(自閉症の)病識は薄いままで、一般の人たちも行う状況や周囲の要求に対するごとの「顔」の使い分けをより過激に行う。
ドナやオリヴィエの場合はもう完全に環境と自分自身を切り離して、恒常的な名前と機能の一貫性を持って存在する別人、「仮面の人物」に人生の多くの部分を託してしまう。(それらにより現実性、人間味を加えれば、一般的な多重人格者の「(交代)人格」になる。)

・ドナのアプローチ

ドナとマルコムのやりとりは、服部雄一編で書いた治療の基本方針の1.の象徴的な実例と考えてよいと思う。後にイアン・ハッキング編で述べるが、主流ではないもののそれこそマルコムのようなまだ子供で未発達な多重人格傾向には有効なアプローチらしい。
またイアンの項の一段落目でドナがイアンの「顔」の立ち上がりを押さえこんでいる様子は、逆に人格の断片化/断片的な人格の形成がいかに周囲の要求や期待に応じて発動するものなのかを活写していて興味深い。


今回は以上。
人間、人格、認知、感情といったものの基本的な成り立ちについて実に底無しの示唆に富んだ本なので、揺さぶられる覚悟がある人は(笑)読んでみて下さい。自閉症恐るべし。


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