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京極夏彦の多重人格理解 

姑獲鳥(うぶめ)の夏 姑獲鳥(うぶめ)の夏
京極 夏彦 (1994/09)
講談社

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『人格』の定義

人格とは何なのか、明確に定義できる人はいません。それはたとえ個人の中でも、昨日と今日、朝と夕では微妙に、いやときには大きく違っている。」
「ただそれは如何なるときも矛盾なく連続しているように感じられるから、結局ひとつの人格であると認識されているに過ぎない。」
「一人の人間に人格がひとつであるというのは、脳のまやかしです。つまり連続した意識と秩序だった記憶の再生こそが(”ひとつ”の)人格を形成する条件な訳だ。」


(アト注)
僕流に言うと、
・「人格」は誰でももともと多重である。
・だから”病気”としての多重人格の本質は、「人格」が多重化することではなくて、それら多重な人格を繋げていた「意識」と「記憶」が連続性を失って多重化するということにある。
といった感じでしょうか。
結構近い認識を持っているようです。いずれ、より詳しく。



『多重人格』のメカニズム(の一例)

「脳のどの部分が現在意識を生み出しているのかが重要な鍵になる。」

「通常我々は脳のいろいろな部分とアクセスして社会生活を送っている。しかしこの回路のどこかが接続不良を起こすことがある。」
「普段使われている脳より一段低い脳としか繋がらなくなってしまったらどうなるか。(中略)
人間としての細やかな情緒や感情が解らなくなる。酷いときには言葉すら失う。動物の本能だけで行動したりする。これが俗にいう<獣憑き>の状態です。」
「普段使っているより一段高い脳、普段は使われない脳が機能してしまう場合もある。これが<神憑り>だ。普段再生されることのない記憶や一般の常識を遥かに越えた感情が発露する。(中略)神の声を聞き、託宣を語る。」

「ここで注意が必要なのは、<上位の人格は下位の人格を含む>ということだ。つまり神憑り状態のときは普通の状態の記憶があるが、普通の状態では神憑りのときの記憶は一切ない。」
「逆に獣憑き状態のときに普通の状態のときの記憶はないが、普通の状態では獣憑きのときの記憶は朧げながらある。」

「(承前)ただし、その記憶は通常の自分の行動原理にそぐわないから自分の記憶とは思えないのだがね」
「(少し戻る)誰だって激怒したり酒を飲んだり、色んな理由で我を忘れることはあるだろう。しかしそれが普段の意識と連続しているうちは憑依状態とはいわない。」


(アト注)
・「上」や「下」という視点が中心になっているのは作中の問題の人物の”症状”がそういうものだからで、あまりこれを一般例と考えるのは危険だと思います。
・ただ”多重性”の直接的契機として「脳の各部位との接続」という視点は結構新鮮でした。まあ多分何か元ネタはあるんでしょうが。
・なお通常はどちらかというと状況や環境、対人関係など、外部的な契機を主に考えます。それぞれに対応した/必要とされる”人格”ということで。


(以上、すべてノベルス版p.400?401より)


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コメント

ですな。(笑)
さすが売れっ子作家さんという感じで、上手にまとめてらっしゃいます。

興味深いですな。。

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