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何百何千の<私>:解 

『何百何千の<私>』。最低限引っかかるだろうところを。


(抜粋1)より

<人間機械>、<為す>ことの出来ない人間、全てが<偶然起こる>ような人間


グルジェフ思想/人間観のベース。
人間はデフォルトでは「意識」やら「自由意志」やらと呼べるほどのものは持っていない、「機械」的存在であるという。そしてその根本原因の一つとして、今回のテーマである人間内部の統一の欠如があるわけですね。(だから”ワーグ”を通じてそれを達成して、「意識」や「自由意志」を獲得する。)

これについて細かく説明はしませんが、補助線としては前のエントリーの生没年表で名前を挙げたパブロフ?スキナーの「条件付け」「行動主義」という思想・理論が参考になるかなと。要するに・・・・お前らみんな自分が思ってるずっとずっとパブロフの犬だぞ?とグルジェフは説いていると、そういう理解で大きな間違いはないと思います。
実際パブロフ(学派)は例の”餌とベルとヨダレ”のシンプルな条件関係の延長線、連鎖で言語や思考も含めた人間の高次の精神活動も全て説明できるとしていますし、行動学派の中心的な主張は正に「人間は意識なんて持ってない」(ただの刺激?反応マシンだ)というものでした。

こういう流れとグルジェフの直接的な関係は分かりません。年代的にも知ってはいたと思いますが、基本的にはグルジェフは遥か古代から連綿と続いている神秘・宗教思想の総括的継承/伝達者(”東方の教え”の比喩の項参照)であるという風に自らを位置付けています。ただし逆にグルジェフの元に、そちらの学派の人たちが後に参集したという事実はあるようです。


(抜粋3)より更に抜粋

人間は一個の<私>を持ってはいないのだ。そのかわりに何百何千というバラバラの小さな<私>があり、瞬間ごとに彼の<私>は違っている。


いいかげん、”多重人格”そのものには慣れた人にとっても、「何百何千」「瞬間ごと」という表現の極端さにはギョッとさせられるかもしれません。
ただこれは”ビリー・ミリガンは24(25)個の人格を持っていると思っていたけど本当は240個だった”という風に(笑)そのまま考える必要はないと思います。

例えば上の「意識」「意志」の問題にしても、要するに要求水準の違いであると、そう言って言えなくはないのだと思います。少なくとも犬や猫より人間が意識的なのは確かなわけで、つまり同じ意識性のレベルを見てそれを「意識」だと呼ぶ価値があると見るかないと見るか。これはよく「動物は思考(感情)を持っているか」といった設問でも問題になるところですが。
言ってみれば人間が犬猫を見ているような視点でグルジェフは人間を見ていると、そう想像してみると分かり易いだろうと思います。

「私」「人格」についても同じことで、統一性/一貫性の程度をどれくらい必要ととるかによって、24にもなれば240にもなると。そこまで極端ではありませんが、実際現代の多重人格治療の現場でも、治療者・研究者によって同じ患者を対象としても見方は変わることがよくあります。
・・・・ただしグルジェフの本意は、そもそも”?人”と数えるに足るような統一性/一貫性を持った「私」を現状人間は形成出来てはいない。だから要するに有象無象だと、数える気にもならんが何百何千だと、そういうことなのでしょうが。

再び補助線を引くと、こういう2つの現象が既に知られています。
1.”ポップアップ”現象
極度に混乱した多重人格者が、長年の観察者にも全く判別できないような物凄い頻度で人格を交代させ続ける現象。
2.高機能自閉症者の”仮面の人物””顔”(ドナ・ウィリアムズ)
継続的な「アイデンティティ」の拠り所というよりも、場当たり的な対応・適応のツール、外界の刺激に対するその都度の「反応」という、よりグルジェフ的イメージに近い「人格」の例。
・・・・どちらも病的とされる状態の話なので、いわゆる”健常者”のそれとすぐに直接的に接続するのは難しいですが、参考にはなるだろうと思います。

(この項つづく)


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