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「人格」と「本質」 

いよいよ一方の本題。


繰り返しになりますが、僕が”「人格」と「魂」”として『消しゴム』について書いた時点では、グルジェフとのすり合わせは(少なくとも意識的には)全くやっていなかったので、齟齬とかは気にせずにニュートラルにお読み下さい。勿論どう違うのかという話も後で書きます。
ついでに言いますと、「人格」と「魂」という用語法自体は『消しゴム』or『消しゴム』の字幕翻訳者のもの(笑)であって僕は乗っかっただけなので、そこらへんあまりストレートに受け取らないでくれると。まあそれほど大きな違和感はないですけど。

ではグルジェフの言葉に行きます。今回も太字は原典、色付きは僕の指定。


「人格」と「本質」

人間は二つの部分から、すなわち本質人格とから成り立っていることを理解しなければならない。本質彼自身のものであり、人格は<彼自身のものではない>あるものだ。<彼自身のものではない>というのは外からきたものということであり、彼の学んだもの、考えたこと、記憶や感覚の中に残っている外的な印象のあらゆる痕跡、学んだ言葉や動作、模倣によってつくられた感情、これら全ては<彼自身のものではない>もの、すなわち人格である。



小さな子供はまだ人格をもっていない。彼は真にありのままだ。つまり彼は本質なのだ。彼の欲求、好み、思考、嫌悪はありのままの彼の存在を表現している
しかし、いわゆる<教育>が始まるやいなや人格が形成され始める。人格は、部分的には他人による意識的な影響、すなわち<教育>から生じ、また部分的には子供が他人を無意識的に模倣することから生じる。まわりの人々に対する<反抗>や、<彼自身の>、すなわち<真実の>ものを人々から隠そうとすることも、人格の形成においては大きな役割を演じている。



本質とは人間の内なる真実であり、人格は虚偽だ。しかし人格が成長するにつれて、本質は次第に自己を表現する事がまれになり、また弱くなり、そして本質は非常に初期の段階でその生長をやめ、それ以上生長しないということもしばしば起こる。
(別章)
私は、家族に尊敬されている父親とか、種々の思想ではちきれんばかりの教授連、有名な著作家、大臣クラスの重要な官吏たちをたくさん知っているが、彼らの本質はだいたい十二歳で発達を停止している。でも、これはそんなに悪い方ではない。時には本質のある側面が五、六歳で発達をやめ、それですべてが終わってしまうということも起こるのだから。



本質人格と並行して生長するケースもあるにはある。そのようなケースは、とりわけ文化生活という環境のもとでは非常にまれな例だ。絶え間ない闘争と危険に満ちた困難な条件のもとで自然に近い生き方をするものの方が、その本質が発達する可能性は大きいのだ。
一般に、このような人々の人格ごくわずかしか発達しない。彼らは自分自身のものはたくさんもっているが、<自分自身のものでない>ものはわずかしか持っていない。



「人格」と「本質」の役割/関係

自己修練における非常に重要な瞬間は、自分の人格本質を識別し始める時点である。自分の中の真の<私>、すなわち個体性はその本質からのみ生長することができる。個体性は、生長し、成熟した本質だとも言える。



一般に、人間の本質は原始的で野蛮であるか、あるいは単に愚かであるかのどちらかだ。本質の発達は自己修練にかかっているのだ。

前に言ったように、教養の低い人々の場合には、本質は教養のある人よりも高度に発達している。それなら彼らは進化の可能性にもっと近づいているべきだと思うかもしれないが、現実にはそうではない。なぜなら、彼らの場合、明らかに人格が十分発達していないからだ。つまり内的生長、自己修練の為には、本質のある程度の強さとともに人格のある程度の発達も必要なのだ。



「人格」と「本質」の分離

人は通常生きていくうえで自分が置かれたあらゆる状況に対して、それぞれ一定の役割(人格)を持っている。しかし、彼をほんのわずかでも違った状況においてみると、もう適当な役割を見つけることが出来ず、ほんの短時間ではあるが彼は自分自身(本質)になる

人間は自分のレパートリー(人格)の外(本質)に出ると、つまりたとえ一時的にでも自分の決まった役割から何かによって押し出されると、非常な居心地の悪さを感じ、何とか普通の役割のひとつに戻ろうと必死の努力をする。通常の役割に戻るとすぐにすべてはまたスムーズに運び、ぎこちない感じは消えてしまう。これが人生の有り様だ



東洋のスクールでは、人格本質を分離させうる方法や手段が知られている。そのために彼らは時には催眠術や特殊な麻酔薬を使ったり、ある種の肉体運動を行なったりする。もし人格本質がこれらの何らかの手段で分離されれば、いわば二つの存在が彼の内部に形成され、違った声で話し、全く異なった好み、目標、興味をもつようになる



・・・・(「人格」と「本質」の分離実験)につづく。


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